アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

語と音と(二重分節性)

2016年07月06日 | 生活
怖すぎる実話は数あれど、その中でも私的に怖さNo.1に近い「ゴースト・ボーイ」(マーティン・ピストリウス)

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マーティンは、12歳くらいまで、ふつうに健康な男の子だったが、原因不明の病気で徐々に意識がなくなり、植物状態になってしまった。

それだけでも悲劇だが、その後、なんと16歳くらいのときに意識が戻った。しかし、戻ったのは意識だけで、どこも動かせないし、話せないので、彼を愛する両親にすら、彼に意識があることに9年間も気づいてもらえなかった(o_o)

その間、彼をモノ扱いする乱暴な介護者がいたり、彼の介護をめぐって両親がのっぴきならない喧嘩を目の前でしていたり、さらには母が思い余って「死んでちょうだい」という言葉を彼に投げつけたり(もちろんわからないと思ってだが)、それでも自殺する方法とてまったくなく。

そして孤独と退屈の果てしない時間が続く…いつまでというあてもなく…

ところが、意識がないと信じられているマーティンに対しても、ごく自然に雑談をするように話しかけてくる介護者がいて、彼女があるとき、マーティンに意識があることに気づいた(目のかすかな動きなどから)。そして、詳しい検査をするように両親に提言したのだ。GJ! ところがそれですぐにめでたしめでたしとはいかない。

なにしろマーティンの随意でどうにかなるものがものすごく限られているので、その意を表現することはたいへん困難なのだ。そして表現されない意(人格)というものは、無いも同然とみなされるのがこの世の中のお約束なので、ここから先もけっこう長い道のりが続く。

意識の戻ったマーティンは、子どものころの記憶がほぼなくて、家族構成とかもまったくわからず、意識が戻ってから見聞きしたことをつなぎ合わせてようやく理解したようだ。逆にいうと、意識が戻ってすぐから、周囲の会話であれ、テレビやラジオから流れてくる音声や映像であれ、しっかり意味がわかっていたということは、言語関係、知識関係のほとんどは無事残っていたということだ。

ただし、なぜだか「文字」に関してはすべて抜け落ちてしまったらしい。文字を見ても絵のような…視覚的には認知して区別もつくようなのだけど、何だかわからなくなってしまっていた。12歳まで健康に過ごしていたのだから、読み書きはずいぶんできるようになっていたはずなんだけど。

彼はかろうじて動く片手とパソコンを使って、カーソルがシンボルの上をつーっと動くところ、「そこ!」とスイッチを押して止めるという方法でシンボルを選択し、会話をすることを試みるようになった。もちろんまだるっこしくはあるけど、飲みたいものがオレンジジュースなのか牛乳なのかということはこれで伝えられるようになったわけだ。

けれど、これではシンボルとして用意されたものしか話すことができない。彼の内なるボキャブラリーは、もっと数えきれないくらいあるのに!!

マーティンの母は、このシンボルを増やすことに大量に自分の時間を割き、せっせと協力して登録を進めていった。しかし、マーティンが追加してほしいと願う言葉はなかなか母に伝わらない。

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「マゼンタ?」ぼくはまったく反応しない。「ネイビー?」
一瞬、ぼくの胸にイライラが芽生え、のどの奥を引っかいてくる。あぁ、母さんがこの言葉に気づいてくれたら…。さもないと、ぼくは絶対にそれを口にすることができない。新しいボキャブラリーに言葉を足していく作業は、どこまでも母さん頼みなのだ。
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あるとき、マーティンが思いついて、スイッチを使って「耳」のシンボルをクリックしたあと、「シンク」の絵をクリックした。
「シンク、みたいな響きなの?」「もしかして、ピンク?」←ビンゴ!!(^-^)

マーティンの頭の中にはたくさんの言葉もあり、知的な働きもきっちり詰まっていたのに、アルファベットを再び使えるようになるまでにはかなりの年月を要した(そのへんが壊れてしまっていたということか?)。シンボルに頼ったコミュニケーションはほんとにたいへん。

私たちは日頃、自分の意を表す文を自在に作り、滑らかにコミュニケーションをしているけれど、それは
・文は語からできている(第一段階)
・語は音からできている(第二段階)
この二重構造(二重分節性)に支えられている。ということが、今朝電車の中で読んだ「はじめての言語学」(黒田龍之介)という本に書いてあった。ほんと!! 当たり前すぎてふだんその便利さに気が付かないけれど。

この二重分節性のおかげで、限られた数の音(文字)を使って多数の語ができて、その語を文法に従って組み合わせることで無限の意味を持つ文を作れるのだ。

ここでちょっと思ったんだけど、マーティンの場合、英語の音と文字が一対一対応していないせいでかなり余分に、円滑なコミュニケーションまでの距離が遠かったように見えるんですよね。シンボルはシンボルで便利な場面もあると思うのだけど、「ピンク」を伝えたい、とじりじりしているくらいだったら、「音素(という言葉でいいのかな?)」をシンボル化したものがあったらそれをざっくり音声合成してあらかた「しゃべれる」状態に持って行けたんじゃないかなぁ…

かなり後になっても、マーティンは綴りを正しく覚えていなくてなかなか伝わらなかったりしてたみたいだから。

アルファベット圏の人は、なまじアルファベットを表音文字と日頃とらえているだけに、そういう援助方法の発想はなかったのかも。

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コメント (6)
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