アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

いろいろなことが地続きにつながっている

2016年07月27日 | 生活
「誰でもよかった。人を殺してみたかった」のような無差別殺人もそれはそれは怖いんだけれど、
きっちりはっきり考えて計画された差別殺人の怖さ。背筋が…

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第一報のあたり、初めはただ、とんでもない事件が起きたらしいとしかわからなかったが、続報が入ってくると、
「今年2月14、15両日に植松容疑者が衆院議長公邸を訪れた際「障害者を抹殺すべきだ」との内容の手紙を持っていた」
「男性が今年4月に植松容疑者から呼び出されて久々に会うと、「障害者はいらない」「税金の無駄」と一方的にまくしたて、「一緒に殺そう」と誘われた。その発言を否定すると逆上したという。」など
(毎日新聞「相模原殺傷「殺害」口走る容疑者 注意しても聞き入れず」)

(o_o) 発作的でも私利私欲(?)でもない確信を持って行われる何か。

「常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為(ため)と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。

 理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。

 私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。

 重複障害者に対する命のあり方は未(いま)だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。」
(毎日新聞「相模原殺傷衆院議長宛て手紙 全文」)

内容は「常軌を逸して」(←本人の言葉)いるけれど、明らかにそれなりの教育を受け、考えることも語ることもできる人の文章。怖い怖い

しかし、いくら弱者切り捨てをする政権にだって、「ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します。」などと言われたって、合意する政治家がいるわけはなく、彼の要求する条件はもちろん満たされなかったけれどもそれでもたった一人で実行に及んだ。ある意味、使命感とか正義感のようなもの??


この事件から、ナチスのT4作戦(リンクはウィキペディア)を思い起こした人も多かっただろう。

T4作戦というのは、要するに重度の障害者に安楽死を、というもので、今回の事件を起こした彼の元々の主張と変わらない。

ただ、それを思ったのが時の権力者ヒトラーだったのでより大規模に本格的に行われた(20万人とか)。

障害者は生きる権利がない、というのがナチスの考え方だったのだけれど、つまり人間の価値というものが、社会に貢献するか(働くか)で決められたということ。人があって社会があるのではなく、まず社会があってそれを支える人がいる(そしてそれ以外は人でない)。

このT4作戦というのは、それを実行する人材や技術(および思想)がそのままホロコーストに使われたという流れにつながっていく。
逆に、T4作戦から遡ると、その源流となるものに断種法というのがあった。

これは、遺伝性の疾患を持った人に強制的に断種手術を受けさせるもので、つまりとりあえず生きててもいいけれど生まれてくるのはダメと。
ずさんな手術だったので手術そのもので亡くなった人も多かったんだけれど、生きる権利がないとまで言われたわけではないので、T4作戦よりは穏やか(?)に見えるかもしれないけれど、発想はまったく同じ。障害があるかどうかで、命の価値を分ける考え方。選別や、実行を医師たちが行ったのも同じ。

民衆が、このことにNoを言わなかったのも同じ。

ただし、断種法については非常にオープンに行われていたのに対して、T4作戦はこっそりと行われていた。もっとも、こっそりとはいっても、大量の人が吸い込まれたっきり帰ってこない施設があり、そこから異様なにおいがたちこめているのだから、気が付かなかったというわけではないけれど、もうそのころには怖くて何も言えない状況だった。

こうした「常軌を逸した」大量殺戮は、ただ一人のヒトラーという狂人が起こしたといっていいものかというと、たぶんそうではない。そういう存在を期待する、支える雰囲気があったから。
「このころ、ドイツは深刻な不況にあえいでいました。
1929年に始まった世界恐慌の影響で、国民の3人に1人が職を失っていました。
そこでヒトラーは経済の立て直しに力を注ぎます。

高速道路など公共事業を進めました。
その中で、優秀な労働力こそ価値があるとアピール。
働く事のできない障害者は、ますます価値のない存在とされていきました。」
(シリーズ戦後70年 障害者と戦争 ナチスから迫害された障害者たち (3)命の選別を繰り返さないために)

今回の事件は、ヒトラーと違って、社会からまったく承認や支持を受けていない状態で一人の男性が勝手に起こしたことなんだけれど、
その人が吸った空気、読んだものはこの時代の日本のもの。

私自身も、人生の最後に、痛い苦しいだけになって回復の望みがまったくなかったら、それが長引くよりは安楽死させてほしい、と思わなくはないし、
もしこれから産む立場だったら(いやもう産み終わってますが)、念のため出生前診断を受けておきたいと思ったりしなかっただろうか?

それ自体、そんなに変なことではないと思うけれど…

そういう発想や実行がこの社会の中に定着してきた暁には、その次に

たとえば、
出生前診断を受けないでその結果、障害児を産んだ親を無責任といって批難する、とか
周囲への重い介護負担しか生まなくなった人が、安楽死を選ばず生き続けているのを我がままといって批難する、とか

そんなほうに発展することはないだろうか? そしてさらにその先に??

いろんなことが地続きにつながっているので、たとえば
断種法のうちに歯止めがかからなかったらホロコーストまで行ってしまう、とか
猫のうちに止まらなかったら「人を殺してみたい」まで行ってしまう、とか
そういうことがありうる。

今回の件がどこでストップ可能だったかはわからないけれど…なんか生活保護がらみとかでかなり乱暴な「自己責任論」を見聞きするときなどに、なんか背筋が寒くなります。

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コメント (2)
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