goo blog サービス終了のお知らせ 

ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

インドの家庭料理のレシピ本

2023年05月13日 | 日記
インドの家庭料理のレシピ本

 日本ゴーシュ・ヨガ道場のジバナンダ・ゴーシュ先生の奥様コルナ先生が出版された「姉から習い娘に伝えるゴーシュ家の味(2,000円)」が送料有料本体無料で分けていただけます。390円の切手か370円の郵便小為替を下記へ送ると本が返送されます。

〒160 東京都新宿区新宿1-9-4 中公ビル505
日本ゴーシュ・ヨガ道場 神野様
℡03-3352-1307

 日本では江戸時代の末期から明治時代の初期の人ラヒリ・マハサヤ(シャーマ・チャラン・ラヒリ)はヒマラヤの山中でババジにクリヤ・ヨガの技術を伝授されました。ラヒリ・マハサヤはこれをスリ・ユクテスワルジに伝え、ユクテスワルジはパラマハンサ・ヨガナンダ(ムクンダ・ラル・ゴーシュ)に伝え、ヨガナンダは弟のヴィシュヌ・チャラン・ゴーシュに伝え、ヴィシュヌ・チャラン・ゴーシュは娘のコルナ・ゴーシュとその夫のジバナンダ・ゴーシュに伝え、そしてこの夫婦を日本に派遣しました。

 コルナ先生は2006年に他界され、夫のジバナンダ・ゴーシュ先生はこの4月に他界されました。伝統ある本格的なインドヨガの先生が書かれたインドの家庭料理のレシピ本、興味の有る方はこの機会に手元に取り寄せて下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

火の無い所に煙は立たぬ

2023年05月06日 | 日記
火の無い所に煙は立たぬ

 火の無い所に煙は立たぬ。これは、証拠が有るのだから悪事は明白だと言う日本のことわざ、慣用句ですね。火が燃え上がるとそこには煙が立つ、従って煙が見えるのはそこに火が有るからだと言う、インド思想の推論の例えとしても出て来ます。

 しかし、ここではそのような推論としてこの慣用句は使いません。火は肉体で煙は心。火が有るから煙が有る(身体が有るから心が有る)。火と煙(身体と心)は別物だけど不即不離、面白いですね。

 私は30才でヨガに出会うまでは私の主体は心、更に言うならば自我意識だと思っていました。心が主体で身体は付属品と言う訳です。しかし、それは違いました。身体が主体で心は付属品、これが正解でした。火が燃え上がると煙が立ち上がるように、赤ちゃんが生まれて身体が現れるとそこに心が立ち上がるのです。そして身体が発育しますと心も共に発達します。そして更に身体が老化し、死んでしまいますと心も消滅、人格(パーソナリティ)は消えて無くなります。怖いですね。しかしここでインド人は考えました。輪廻転生する霊魂(霊性)は有るのだろうか。

 インドのサーンキヤ哲学は心と身体と環境世界をひとまとめにしてそれをプラクリティと呼びます。そしてそれとは全く別に霊性が有る、この霊性をプルシャと言います。身体と心が消え果てても霊性は残る、人格(パーソナリティ)は消え果てても霊性は残る、一安心ですね。

 しかし、サーンキヤ哲学をバックボーンに持つ古典ヨガの経典ヨーガスートラではヨーガの目的は心の働きを消滅(停止)させる事として、心の詳細を検討します。ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)、アーサナ(坐法)、プラーナヤーマ(調息)、プラティヤーハーラ(制感)、ダーラナ(集中)、ディヤーナ(集中の継続)、サマーディ(解脱)、のヨガの8段階の修行で心を制御し、そして心から霊性への跳躍が起こります。

 サマーディ(解脱)の際には心(人格、パーソナリティ)は消滅して霊性が現れます。そこには喜怒哀楽の感情は無く、ただ驚きと歓びが有って、その有様をサット(有る事)、チット(有る事を知る事)、アーナンダ(有る事を知る事で湧き上がる歓び)と言います。

 古典ヨガのヨーガスートラは心の働きを消滅(停止)させる事に主眼を置き、身体についてはあまり関心が無いようです。アーサナ(坐法)のところで快適な場所で快適に坐ると言うだけ。しかしヨーガスートラから500年余りあとに成立したハタ・ヨガでは身体を重視し、またイマジネーションを働かせます。多数のアーサナ(ヨガのポーズ)とプラーナヤーマ(呼吸法)を用いて(心が)体に変容を加え、そしてそれによって今度は体が心に変容を加えます。心を使って身体に変容を加え、更に身体が心に変容を加えると言う、まるで錬金術のようなやり方ですね。古典ヨガのヨーガスートラとハタ・ヨガのどちらが優れているのか私には分かりませんが、ハタ・ヨガの方が体と心は別物だけれど不即不離と言うところは明確にしています。

 身体が不調になると心も不調になりますが、逆に心が穏やかで無いと身体も緊張します。なので私は日常生活の中で、出来るだけ心が身体に無駄に干渉しないよう、少しばかり心と身体を切り離すよう心掛けています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お別れの会

2023年04月21日 | 日記
お別れの会

 日本ゴーシュ・ヨガ道場から電話が有って、ジバナンダ・ゴーシュ先生が4月9日に78才で亡くなられた、ついては4月の19日の18時から道場でお別れ会をする事になったのでお知らせします。出席されますか?と言います。お悔みを申し上げ、出席しますとお返事しました。

 当日受付を済ませて道場の中に入りましたら、そこには祭壇が作られていました。祭壇の奥中央には先生の遺骨と思われる白い包みが安置され、その向こうには朱色の先生の足型が有ります。インドでは偉い方にご挨拶する時には手で足に触れてご挨拶しますのでその意味はすぐに分かりました。足型の左右には先生の写真と2006年に亡くなられた奥様のコルナ先生との写真が飾られており、手前には聖火、聖水、お線香と数々のインドの料理がお供えして有ります。私は係の女性からお花を1輪いただき、祭壇にお供えして祭壇の前で礼拝しました。

 会場では真っ白な喪服姿のゴーシュ先生の御家族、コルナ先生は2006年に他界されていますので、長男バビご夫婦(バビさんはインターナショナルスクールの先生)、長女ムミ(ムミさんはオーストラリアでお医者さん)、次男ブバイご夫婦(ブバイさんは3つの会社の社長さん)、そしてブバイさんのお嬢さんのリン(リンさんは高校生なのに既に女優さん)がお客さん達の接待に当たられます。

 会場にはご招待を受けた25人ほどの古い生徒さん達が集まっていて懐かしい事。お別れの会では特に喪主のご挨拶も来賓の弔辞も無く、皆がインド料理のもてなしを受けながら楽しく談笑しました。

 いただいた手作りのインド料理はダル(豆)を主体とした料理にチャパティ(インドの種なしパン)、魚の料理にチャパティ、そしてヨーグルトの料理とフルーツで、料理はチャパティで挟んでいただきました。

 会場には懐かしいミヨシさん、ミヨシさんは現在は種苗の会社の会長さん。ミノダさんご夫婦、ご夫婦はこの道場で結ばれました。長老のフクダさん、フクダさんとは2015年と2016年の国際ヨガの日のインド大使館主催の催しで私と一緒にゴーシュ先生に随行しました。私の横には大昔に道場でインストラクターをしていた方、この方とは先日ゴーシュ先生のお見舞いにご一緒しましたが今日はご夫婦で出席。話がはずみます。

 バビさんとブバイさんは人柄も良くなかなかにお口もお達者で明るく楽しいお話を途切れなく続けられ、集まったお客さん達を飽きさせません。ブバイさんは娘のリンさんのご紹介もされ、既に女優のリンさんは穏やかな表情ながら監督にはハッキリと主張もされるのだそうです。

 さて和やかな時も過ぎ、遠方からのお客さんが帰り支度をされるので、私達も頃合いと見て失礼する事とし、道場をあとにしました。

 ゴーシュ先生の遺灰の半分は東京湾に散骨され、残りの半分は亡きコロナ先生が散骨されたオーストラリアのゴールドコーストの海に散骨されるそうです。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンスクリットは読めずとも

2023年04月08日 | 日記
サンスクリットは読めずとも

 私の最近のお気に入りでエミリー・リンジとキャラ・ヴェルの「Crying In The Rain 」、これを毎晩YouTube で聞いています。ピアノを弾きながら高音を歌うエミリーとギターをつま弾きながら低音を歌うキャラのハーモニーが心地良く、青春の失恋は悲しくも清々しいなあと、涙が滲みそうになります。元歌はエヴァリー・ブラザーズで作曲はキャロル・キングだそうで曲が良いのですが歌詞も良い。そこでこの曲の歌詞を下記コピー&ペイストし、更にこれを日本語に翻訳してみましょう。

I'll never let you see
The way my broken heart is hurtin' me
I've got my pride and I know how to hide
All my sorrow and pain
I'll do my cryin' in the rain

If I wait for cloudy skies
You won't know the rain from the tears in my eyes
You'll never know that I still love you so
Though the heartaches remain
I'll do my cryin' in the rain

Rain drops fallin' from heaven
Could never wash away my misery
But since we're not together
I look for stormy weather
To hide these tears I hope you'll never see

Some day when my cryin's don
I'm gonna wear a smile and walk in the sun
I may be a fool but till then darling you'll
Never see me complain
I'll do my cryin' in the rain

I'll do my cryin' in the rain
I'll do my cryin' in the rain

私はあなたに見せないわ
失恋が私を苦しめる様を
私もプライドは有るし隠し方も知っている
私の悲しみと苦しみすべてを
私、雨の中で泣くわ

曇り空になったら
あなた、私の涙の雨を知る事はないでしょう
私があなたをまだ愛しているのをあなたは知らないわ
心の痛みは残るのに
私、雨の中で泣くわ

天から降り落ちる雨粒は
決して私の悲しみを流しはしない
でも別れて以来
荒れた天気を望むわ
隠した涙をあなたが決して見ないように

いつの日か泣き終わったら
笑顔を装い陽だまりを歩きたい
私は馬鹿かも知れないけれど
責める私を決してあなたに見せなくなるまで
私、雨の中で泣くわ

私、雨の中で泣くわ
私、雨の中で泣くわ

 どうでしょうか、何とか翻訳は出来ましたが最後の段のwear a smile のニュアンスやdo やdone の強調は翻訳の際に移転出来ませんでした。しかしこんなのはよくある事で、逆に日本語を英語に翻訳する時にも起こります。韻を踏む文やダジャレの言葉遊び等の表現は翻訳の際に諦めますよね。イスラム教のコーランは難しい韻を踏む為に外国語への翻訳は禁じられているそうです。しかしそれでは折角の意味が伝わらない。

 青春時代に私はサマーセット・モームの小説を翻訳された日本語で読んで、男の性質や感情をこんな風に表現するのかと感心したものです。恐らく多くのニュアンスは翻訳の際に失われたのでしょうが、それでもサマーセット・モームの素晴らしさは充分に分かりました。多少のニュアンスは失われていても本筋が分かれば良いと思うのですが、どうでしょうか。

 サンスクリット語が読めないとヨガの本当のところは分からないと言う人を時々見ますが、それは間違いです。読めるに越した事は無いでしょうがインド思想にはサンスクリット語を人生を掛けて翻訳してきた方が沢山おられます。佐保田鶴治、上村勝彦、本多恵、岸本英夫、田中嫺玉、有名なところでは辻直四郎や中村元。これらの方々の翻訳の歴史の上に立って、そこから更に跳躍する事が今では可能になっています。

 英語もフランス語もドイツ語も中国語も、そしてサンスクリット語も読めるに越した事は有りませんが、言葉の壁の中でぐるぐる回っているのはもったいないです。翻訳を信じて多くのインドの経典を読み、日々のヨガのアーサナ(ヨガのポーズ)やプラーナヤーマ(調息)を通じて前進しましょう。今はそれが出来ます。






コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お見舞い

2023年03月25日 | 日記
お見舞い

 日本ゴーシュ・ヨガ道場から電話が入りました。インストラクターの神野さんからで、ジバナンダ・ゴーシュ先生(78)の容体があと2ケ月くらいかも知れないので古くからの生徒さん達に連絡しているのだと言います。昨年の6月に電話でお話しした時にはあんなにお元気そうだったのにどうした事だろうか。神野さんのお話では血液検査で癌の数字が上がっているが、もう更なる検査はしない。そして入院中に少し痴呆が入って来たようで、今は先生の息子のブバイさんのお家で過ごしておられるそうです。そうだったのか。しばらくして私は、明日お見舞いに行きますとお返事しました。

 翌日、約束の午後1時半を目指して道場へ向かいますと、エレベーターで知らないおばさんが挨拶されます。私は彼女を知りませんが彼女は私を知っているそうで、前田さんは大先輩ですからと言われます。何度かの道場での先生のレクチャーでお目にかかっていたのでしょう。道場に着きますと大昔に道場でインストラクターをされていたおばさんとも合流、神野さんの案内でブバイさんのお家へ向かいました。

 お家の前で10分程傘をさして待っていますと中から2人の訪問看護師の男性が仕事を終えて出て来て自転車で去って行き、ブバイさんが私達をお家の中へ迎え入れてくれました。リビングではまつ毛まで真っ白になった白髪のゴーシュ先生がベッドの上半身を起こしておられます。随分と痩せてはおられますが血色は良く、それでも声は小さく発音もはっきりしないので息子のブバイさんの通訳のおかげで会話は出来ました。私達がマスクを外して先生に顔を見せると先生も分かってくれ、私を指さして「前田さん、この人はヨガの高いところまで行っちゃったよ」と言ってくれました。

 そして私達が話しかけても理解されないようで、先生が1人で次々と話されるのをブバイさんが説明してくれ私達はそれを理解します。ブバイさんは時々日テレの「世界まるみえ」に出られるので初めて感は無く、とても気が付かれる方です。ご一家は沖縄と東京の両方で暮らしておられますが今はブバイさんがおひとり東京で先生のお世話をされています。

 ジバナンダ・ゴーシュ先生の奥様のコルナ先生は2006年に他界されていますので、コルナ先生がいつゴーシュ先生を呼ばれるのかは分からないが、それは早くても遅くても良い、ゴーシュ先生もブバイさんも覚悟を決めて、死を悲しむ事も恐れる事も無く過ごしておられるようでした。

 ブバイさんは既に3つの会社を持っておられますが、更に今度は日本ゴーシュ・ヨガ道場のあとを継がれるそうです。

 リビングの壁にはゴーシュ先生のお孫さん達の写真が貼られていて、ゴーシュ先生はそれをご覧になるのが楽しみなようです。そして写真の中にはブバイさんのお嬢さんの写真も有りました。ブバイさんの説明では17才の高校生ですが既にフロムファースト・プロダクションに所属している女優さんだそうで、芸名をゴーシュ・リンと言います。私達も既にテレビで見ているかも知れませんね。

 そろそろ先生が疲れて来たとのブバイさんの目の合図で私達は先生に別れを告げ、ブバイさんのお家をあとにしました。

 帰宅しますと道場での懐かしい日々の思い出が次々と走馬灯のように浮かんで来ては消えます。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする