インドちゃんの子どもと書くな!子供と書け!!

障がい者と書くな!障害者と書け!!

体罰を容認できない社会は滅亡する(かも)

2008-07-05 12:17:15 | Weblog

動物行動学者でノーベル賞を受賞したコンラッド・ローレンツは「幼い時期になんらかの肉体的苦痛を味わうことのなかった子供は成長しても不幸な人間になりやすい」と述べている。

 

さまざまな有識者がさまざまな意見を述べているが、体罰絶対悪玉論は戦後になって登場した。

 

その結果が、今の日本の状態である。教育に体罰を取り戻さねばならない。

 

体罰とは「他者尊重」に他ならない。いじめっこがいじめられっこに暴力を振るったり、街角でおにーちゃんがいざこざを起こし口論から暴力に発展するのとは訳が違う。

 

教育に体罰を取り戻すためには、体罰を受ける側は体罰を受けるに値する愚行を働いたとの認識、それを諌められたことに対する真摯な反省態度、さらには体罰を行う相手には逆らいようのないという諦観が必要だ。そして、自己を向上させんが為に、愚行を行ったことを反省しそれを自戒とする機会ととらえ、体罰を甘受する。体罰はその絶好の機会であると考え、「他者尊重」と表現した。

 

つまり体罰を甘受することは「自己肯定」に他ならず、自己を愛せない者が他者を愛せるはずもない。自分の人生はどうなってもいいとの悲観から他人を巻き添えにするような愚劣極まりない事件が猖獗(しょうけつ)を極める所以である。

 

自己に対する愛がなければ、自国に対する愛も生まれないのは当然である。体罰絶対悪玉論は日本破壊に他ならない。

(そういう意味で、「体罰の意義を子供に分からせないとダメ」「子供に言って聞かせてそれでも分からない場合は体罰もやむをえない」などの意見は傾聴に値しない)

 

<公開質問状:知事「体罰は愛のムチ」発言 宮崎女性ネット「軽率な発言だ」 /宮崎>

 

http://mainichi.jp/area/miyazaki/news/20080702ddlk45010602000c.html

 

東国原英夫知事が「体罰は愛のムチ」などと発言したことを受け、県に賛否両論の「声」が約40件届いていたことが1日、分かった。

 問題の発言は、先月18日の県議会本会議後、記者団に対し「昔はげんこつで教えられたが、最近はできなくなっている。愛のムチ条例はできないか」と体罰肯定ともとれる発言をしたもの。

 県によると、1日までに届いたファクスやメールなどは約40件で、特に県外と女性からのものが多いという。知事の発言を容認する意見は約4割という。

 また、男女共同参画推進を目指す団体「宮崎女性ネットワーク」の有志5人は先月30日、知事あてに公開質問状を郵送した。「暴力容認とも取れる発言は、影響が大きい。知事としてあるまじき軽率な発言だ」などとして、3点の質問に文書で回答するよう求めている。県は「質問状が届いていないので内容を読んで対応したい」としている。【小原擁】

毎日新聞 2008年7月2日 地方版

 

しかし、東国原知事は「昔はげんこつで教えられたが、最近はできなくなっている。愛のムチ条例はできないか」という程度の発言なのに、それを記者がわざわざ「体罰肯定ともとれる発言をしたもの」と大仰に騒ぎ立ててニュースにする。日本の新聞記者は底が知れてるな。論理的にものを考えることができないのか。言葉尻だけとらえてそれを錦の御旗にしてきゃんきゃん言う。一度発信すれば、後は間抜けの代名詞団体がたくさんいるので、そいつらが記事を大きく、大きく育てて抗議やデモに出て来る。

 

男女共同参画推進を目指す団体「宮崎女性ネットワーク」の有志5人へ。

 

「暴力容認とも取れる発言」と仰ってますが、「暴力を容認している」のです。知事として「あるまじき」どころか、知事として「当然」の発言です。

 

君たちこそ、日本に生まれ、日本に育ち、日本の歴史を継承する人間としてあるまじきキチガイ発言です。

 

君たちのような人間は、世の中に対して発言するのを控え、座談会で思う存分発言して大きな拍手をもらいなさい。聖教新聞で誉め称えられなさい。同中に参加しなさい。