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体罰は真心で

2007-08-27 00:22:11 | Weblog

<ハサミで舌切るふり、小学校講師が私語の3年男子に…大阪>

 

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070823i105.htm

 

以下記事引用(引用しないと、そのうちリンク切れになるのよね(=_=))

 

 

大阪府高槻市の市立小学校で今年6月、3年生担任の男性講師(52)が、授業中に私語をやめない男子児童に対し、ハサミを口に近付けて男児の舌を切るふりをしていたことがわかった。

 

 また、講師がこの男児にあだ名をつけたため、男児は同級生にからかわれ、2日間学校を休んでいた。講師は担任を続けているが、「子どもに申しわけないことをした」と話しているという。

 

 市教委によると、6月3日、再三、注意したにもかかわらず、男児が私語をやめなかったことから、講師はハサミを取り出して「この舌、切ってもええか?」などと言い、数回切るふりをしたという。

 

 同月20日には、講師が同じ男児の口の周りにふりかけが付いているのを見つけ、「のりたま」とあだ名をつけ、授業でも数回、この名で指名。同級生からもあだ名でからかわれ、男児は21日と22日、学校を休んだ。

 

 21日に男児の保護者から抗議を受け、校長と講師が男児宅を訪問して謝罪。男児は25日から登校している。同市教委では「教師が子どもの心を傷つける指導は許されず、再発防止に努めたい」としている。

 

 

以上、記事全文引用。

 

 

何度注意してもおしゃべりを止めない生徒の舌をはさみで切れば、それは傷害罪で罰せられるだろう。はさみで切るぞ!と言うのは、脅迫罪だろう。のりたま、とあだ名を付けるのは侮辱罪になるだろう。

 

 

しかし、学校内(あるいは家庭内)では、これらの法律の適用を免れるための方便が必要であると思う。そうでないと、躾や教育はできないと思うからだ。これまで散々このブログでも書いて来た事だが、子供には信賞必罰で望まないと(それがたとえ子供にとっては理不尽で不公平で耐え難い苦痛を伴うことであったとしても)、自分の“エゴ(自我)”を押し通すための知恵を授けたことになる(もちろん、故意に虐待や叱責するのは慎むべきだが)。舌を切られそうになる恐怖。鋭利な刃物が自分に向かう恐怖。自分より遥かに大きな体の大人が自分を力でねじ伏せようとする恐怖。言うことを聞かなかったために罰を与えられる恐怖。このような恐怖心が「悪いことをしてはいけない」という「刷り込み」になるのではないだろうか。恐怖心という「刷り込み」がない子供が中学生、高校生、大人になったとき、一体いかなる人間となり世に出て行くことになるか、推して知るべしである。

 

 

もちろん今回、この教師のやり方には問題があり、もうちょっと賢明な指導法があったと思う。そういう意味で、この教師が取った今回の指導は稚拙なのだろう。がしかし、謝罪は授業中指示に従わず故意に授業を妨害した生徒やその親がまずするべきなのだ(その後、場合によっては教師が謝罪するのもアリだろう)。想像で言うのだが、おそらくこの生徒の親は、この教師に対して相当の剣幕でまくし立てたであろう。そのような親をたしなめる「世間の目」が今の日本に欠けていることの方が問題だ。

 

 

しかし、教師が謝罪し、悪いことをした生徒が被害者になってしまった。おそらくこの生徒は、自分に苦痛を与えた力を持った“悪者”が、自分にひれ伏すのを見て、相当の快感を覚えたのではないだろうか(そうでないことを祈りたいが)。子供はそうやって自分の“エゴ(自我)”を押し通す術を身に付けてしまう。結果、教師の言うことを聞かなくても「正義の味方」が教師を懲らしめてくれ、警察という「諸悪の根源」は揶揄する対象となる。親は子供と友達になることを望み、教師はよき(=苦痛を与えない)兄貴分でなければ教師として認められない。子供に天下国家や歴史や誇りを語っても、場はシラケるだけで、真面目が嫌われ、奇をてらった“個性派”がもてはやされ憧れの対象となる。自分にとって損になることは一切したいと思わず、「自分だけ」注意されることは納得できず、「自分だけ」得をするようなことには脇目も振らず飛びつく。「世間の目」はなくなり、人がたくさんいる場でもどこでも平気でゴミを捨てる。罪悪感は皆無。やりたいから、やる。やりたくないから、やらない。“やりたい”から、相手を殺してでも“やる”。後はドラえもんが助けてくれる・・・

 

 

動物行動学者でノーベル賞を受賞したコンラート・ローレンツは「幼い時期になんらかの肉体的苦痛を味わうことのなかった子供は成長しても不幸な人間になりやすい」と言っている。心を鍛えるためには、脳が苦痛を受けなければなならい。そして脳がその苦痛に耐え、乗り越えることで、人は人として成長していくのである。だから、高槻市教育委員会の見解「教師が子どもの心を傷つける指導は許されず」は間違っている。

 

 

子供には苦痛が必要だ。苦痛には当然体罰も含まれる。そして、罰(苦痛)を与えた後は、真心で抱きしめてやれ。ギュッと。

 


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2 コメント

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Unknown (べしみぼー)
2007-08-27 20:47:40
「殴った方が殴られた方より痛い」
「叱った方が叱られた方より辛い」

・・・もう、こういうことがわからない時代になるんでしょうねえ。

ただ、多くの”不良”は、叱りもせず、目も合わさないヘタレな大人よりも、真正面から指摘して、時には涙を流して手を上げる大人の方を信用すると思うのですが・・・

一方で、叱り方にも”技術”が要ると思います。
叱る方も、何も考えずに勢いで叱ると、子供は「あ、このおっさん、うわべだけや」と察してしまうもんだと思います。

どちらにしろ、先生は優しいだけではあきません!

センセイも同中で、副会長やらブロック長やらに対して昂然と面と向かって悪罵しておられますしwww
(暴力は振るわないけど、もっと怖い粛清(以下省略w))
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んも~ (インドちゃん)
2007-08-27 22:42:12
ほんま、予想どおりのオチで、歓心ですわ~♪

>どちらにしろ、先生は・・・

         ↑
      これで、ピン!ときましたぜ。

すると、次の行ではカタカナで、出た!!

>センセイも同中・・・

しかも専門用語のオンパレード!!
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