<コンタクトレンズ診療所、医師の名義貸し横行>
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071205i105.htm
コンタクトレンズ購入者の目の検査などをする眼科診療所(コンタクトレンズ診療所)で、勤務実態のない医師が管理医師として名前を貸して報酬を得る「名義貸し」が頻繁に行われている疑いが強まり、厚生労働省は実態調査を行うことを決めた。
診療所の管理医師は常勤が原則で、勤務実態がないと医療法などに抵触する可能性がある。
コンタクトレンズ診療所をめぐっては、診療報酬の不正請求が相次いでいるとして、同省が全国約100か所の監査・指導を進めており、名義貸し問題もその中で調べ、実態を解明する方針だ。
コンタクトレンズ診療所の大半は、販売店に隣接して作られ、全国に約1300ある。
医療法や同省の通知などによると、診療所には常勤の管理医師を置くのが原則で、同じ人が二つの施設の管理医師を兼務することも原則としてできない。このため、他の医療機関で働く医師が管理医師を兼ねるのは難しいのが現実だ。
仲介業者に医師の募集を委託しているコンタクトレンズ診療所も少なくないと言われる。医療専門誌の募集広告には、「管理医師 経験不問 在住地問わず 登録のみ」と、名義貸しの医師を募るとも取れる内容を堂々と掲載しているケースもある。
最近まで東京都内のコンタクトレンズ診療所に名義を貸していた神奈川県内の総合病院の勤務医(男性)は読売新聞の取材に「後ろめたい。長く続けてはいけないと思っていたが、金にひかれてしまった」と重い口を開いた。半年以上も前、管理医師となったが、診療所に行ったのは2回だけ。それでも毎月20万円が管理料として振り込まれてくる。
名義貸しをしていた先輩医師から「いい副業がある」と紹介されて始めた。精神科が専門で眼科の診療経験はなかった。「目の治療が必要な人がきたらどうしよう」と不安になったが、「管理料をもらうだけで、診察はしないから大丈夫」と言われたという。
管理医師になった直後、たまたま診療所に行った時、「点眼薬をほしい」という患者がきた。「目薬のことはわからなくて、急いでほかの診療所へ行ってくださいと答えた」と振り返る。
自分の代わりのアルバイト医師の派遣も、先輩医師から紹介された人に任せた。診療所で誰が働いているかも知らない。医師以外の人が処方せんを書くと医師法違反になるだけに、「今思うと怖い。事故が起きたら責任があるし、早く辞めたいと思った」と話す。
別の埼玉県の診療所で管理医師を務める都内の外科の勤務医(男性)も、最近は月1回しか行かない。普段診療所に勤務している医師のことを知らないといい、「それは管理医師としてまずいことだとは思う」と認める。
コンタクトレンズ診療所を巡っては、必要のない検査を行うなどの不正があったことから、昨年4月、レンズの処方に関する診療報酬が大幅に切り下げられた。
しかし、昨年末に、「水増し請求などの不正を行っている診療所が多数」と日本眼科医会が調査結果を公表。厚労省が今春、指導を行った。だが、改善がみられない診療所が多数あるとして、今月から指導、監査に乗り出した。
日本眼科医会の吉田博副会長は「名義貸しの話はかなり聞いている。無資格者が検査をし、たまにしか来ない医師の名前を使って処方せんを書いているところもあるようだ。コンタクトレンズによる目の障害も起きかねないだけに、医師としてのモラルも問題だ。厚労省は厳しく対応してほしい」と話している。
(2007年12月5日14時31分 読売新聞)
高森明勅(編)
(青林堂)
pp.247-251 引用 (小林よしのり氏がシンポジウムにて講演された内容)
英霊が守ろうとしていたものとは
・・・靖國神社を守るといった時に、わしが守りたいのは、むしろ英霊の方々が守ろうとしていたものです。英霊の方々は、死んだら靖國で会おうとは言ったけれでも、靖國神社を守ろうと言ったわけじゃないですよ。何を守ろうとしていたのかということをもっと考えたほうがいい。
わしがすごく好きな遺書がある。宅島徳光という、二十年四月九日に殉職した二十四歳の若者です。このように書いています。
「はっきり言う。俺はお前を愛してる。しかし俺の心の中には、今ではお前よりもたいせつなものを蔵するようになった。
それはお前のように優しい乙女の住む国のことである。俺は昨日、静かな黄昏の田畑の中でまだ顔もよく見えない遠くから、俺達に頭を下げてくれた子供達のいじらしさに強く胸を打たれたのである。もしそれがお前に対する愛よりも遥かに強いものというなら、お前は怒るだろうか。否、俺の心を理解してくれるだろう。ほんとうにあのような可愛い子供達のためなら、生命も決して惜しくはない。自我の強い俺のような男には、信仰というものが持てない。だからこのような感動を行為の源泉として持ち続けていかねば生きていけないこともお前は解ってくれるだろう。俺の心にあるこの宝を持って俺は死にたい。俺は確信する。俺達にとって死は疑いもなく確実な身近の事実である」。
こういう人たちにとってみたら、国というのは故郷(クニ)。ふるさとなんですね。おらが国という時のふるさとです。自分を愛する恋人、その背景にあるふるさと、故郷というものを守りたいと思って死んだわけです。国家権力を守りたいとか、自民党を守りたいと言いながら死んだわけではない。あくまでもこの時代の国というのは、片仮名のクニ、つまり漢字に直せば故郷という国なんです。
わしがこれをすごく好きだと思うのは、この恋人の背景に、自分の愛する恋人をつくった背景に、子供が田畑の向こうから、はるか遠くに見える向こうから、軍服を着ている自分たちを見ておじぎをしてくれるというような、礼節のある日本人、それを育てたふるさとがあるということ。それをこの遺書を書いた人は知っている。
つまり、例えば、小林よしのりに才能があるといったって、この小林よしのりの才能や能力を育てたものは、うちのおやじやおふくろであり、家族であり、地域、町内であって、なおかつその背景にある日本という国までつながる。そしてその歴史。
うちのおやじが、なぜ共産主義にあこがれながら、正月になったら日の丸の国旗を掲げていたのか。つまり、イデオロギーの共産主義とかそういうものよりも、結局は日本の常識である正月になったら日の丸を掲げるという観念の方を、わしは吸い取っていってしまったわけです。
そういうおやじの観念を育てた日本という国の歴史や風土というものがある。そいういうものが国、地域というものによってつくられているし、いろいろな共同体の中でつくられている。つまり、社会の共同財産として、個人の才能や能力というものがあるわけです。
小林よしのりの才能や能力は小林よしのり個人だけでつくって、社会や国とは関係ないと言えるようなものじゃない。
国を守るとは何を守ることなのか
いいですか。これが、例えばホリエモンとか小泉首相の構造改革にもかかわってくるんです。ある金もうけのうまいやつがいる。これは個人の能力で、全く国や社会、あらゆる共同体とかかわりのない分離された個人の能力なんだから、こいつが勝利者、勝ち組になればすべてを分捕っていいというのが、今の構造改革であり、市場原理主義なんです。そっちの方に転換していったんです。
そして、負け組みの方には「自己責任」という言葉を与える。負けたのはおまえの自己責任だという言い方をするわけです。それによって、反発心も起こらないような状態にしてしまう。そういうやり方なわけです。
イラク戦争の邦人人質事件の時から、自己責任自己責任と、いわゆる保守系のやつらが言ってた。ばかじゃなかろかとわしは思ってましたよ。だって宮台真司は、援助交際の少女を擁護する時に自己責任と言ってたんだから。あれは自己責任で援助交際やって、男に買われてるんだからいいじゃないかと。リベラリストと同じことを、今度は保守側が言っているじゃないか。
自己責任というのはもともとネオリベラルの言葉ですよ。(中略)一%の富裕層が半分の国富を独占したっていいんだというような経済政策の方に舵をとっていって、中間層を完全に崩壊させる。
なおかつ、株式市場の手数料は全く安くしてしまって、今、小泉首相が言っているのは貯蓄から投資へでしょ。子供が株式投資をやってますよ。ばくちですよ。それは見えないだけで、そのこともがやっている株の投資の向こう側には、外資もいれば暴力団もいる。暴力団や何かと一緒になって子供がばくちをしている。それもよしとするような話でしょ。
田畑の向こうから、軍服を着た自分を見つけて頭を下げる礼節と美風のある子供ではなく、子供の時から株を知って、金もうけの方法を、しかもマネーゲームで金もうけをしようという子供をつくり出そうとしている。世の中もえらい変わったもんですね。
今のこんな子供や、美風を破壊された世の中。親を殺すだの、変な殺人事件だの、宮崎勤のように少女を殺したり拉致したりするようなのは全部郊外で起こってるんですよ。
村の景色を、電柱をいっぱい立てて、看板をいっぱい立てて、大型店舗を建てて壊していって、村々の共同体も破壊し、なおかつテレビなどで情報だけは与えていくという地域社会をつくり、その中から少女にいたずらするようなへんてこなやつをいっぱい輩出したりするわけです。そういう世の中を今つくっているということ。
日本のため、国のために死のうと考えたあの英霊たちが、タイムマシンか何かに乗ってこの日本を見た時に、この国のために死のうと果たして思うんでしょうかね。わしは、そこは極めて怪しいと思う。
本当に濃密な共同体の空間というものがあって、その共同体を守るために死のうという決心をしなければ、なかなか特攻隊になって死ぬということはできませんよ。
わしも今の日本のために死ねと言われても、本当にこんな国のために死んでいいのかなと迷わざるを得ないと思います。
国を守ると言った時に、一体何を守ろうというのか。日本人一人一人の国民の中の美風。「大衆」もなく、「人民」でもなく、「国民」の歴史感覚を受け継いだ美風というものを守ろうという決意がない限り、英霊の前で手を合わせても、果たして喜んでくれているかどうかもわからないと思います。
(引用終了:太字・下線は、わし)
橋下徹氏が大阪府知事に最適なのかどうか、今一度よ~く考えてください。
かつて辻元清美がやり、李高順(日本通名・土井たか子)ら、社会党・社民党がやってたことと同じですね。(あ、日共は、もっと”搾取”というかたちでもっとアクドクやってますがw)
しかし、政治家から官僚から、”市民運動家”から、公金をちょろまかして私腹を肥やそうってのは全くもって「美しくない」。
結局、”公徳心”が欠如した結果ですよ。
まさに英霊とは真反対にある醜態です。
うーむ、それじゃあ、民主が担いできたヒゲおやじ(剃っちゃいましたがw)ですかあ?
アホやないとは思いますが、大学教授ですしwww。
>大学の教授というと、優秀で頭がよく、世間からも一目置かれる存在であり、こちらも身構えてしまいがちだが、なーんてことはない。教授といえでもこの程度だ。所詮は職業、あほはあほ。
かといって、日共の梅弁(弁は弁護士)wじゃ、大阪府庁に赤旗が翻りますから言語道断ですし・・・
ま、丸山弁護士がいみじくも示してくれましたが、「弁護士=選良、ではない」ってことですからwww
勿論、稲田朋美先生みたいな立派な方もいますけど。
やい、丸山・橋下両弁護士、稲田朋美代議士の爪の垢でも飲めって!
色眼鏡も外してネクタイも締めたことだし、一つじっくりと主張を検討してもよろしいのではないかと。
ただし、わしの琴線に触れるところで橋下弁護士の考えと相容れないんやわ。
ま、また今度じっくり書くわ。