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9月9日 第一回大阪護国神社 英霊慰霊顕彰勉強会 報告

2007-10-04 13:38:32 | Weblog

【この記事は私が編集にも携わっている某会報誌および新聞(聖教ではありません)に掲載する予定で書いたものに、若干の不真面目さを加筆したものである。締切日直前に一人が突然「記事を書かない」と言って来たので慌てて私が書いたものです。よって若干の間違いや不足などありましてもご容赦願いたいと思います。しかし「一つ記事が足りない状態」で編集作業が始まっていたため、私の書いた記事は全面ボツになりました。よってここに掲載させていただきます。しかし、「靖國」の看板を背負ってる者が「靖國」の看板を背負う『会報誌』へ記事執筆を自らが挙手で立候補しておきながら、前日の夜、しかもこちらから何度も連絡を取ってやっと「書かない」とのメールが。「書けない」、ではなく、「書かない」と言われました。人からは「原稿料を渡しているわけではないので、仕方が無い」とよく言われます。そんなこと言うたらワシかて一銭ももらわんと100パーセント無償で自分の時間を使って編集作業や記事に執筆やってますがな。ワシは編集作業に対価が欲しいなんて微塵も思ったことないわ。こんなん「うんこするからトイレ貸して」言われて「かまへんで」言うたら、「流さんと出て行った」ってなもんですがな。ほな何か?原稿料を払ったらええのんか?ちゃうやろ。話は全く逆やろがっ。我々の主張や思いを『会報誌』や『新聞』(聖教とちゃうよ)で表現、報告を「させていただいている」んやろがっ!!それこそ『会報誌』や『新聞』(SGIとちゃうよ)作成そのものに費用がかかるがな。その費用はどっから出とるんじゃい!って話ですわ。・・・アカン本文よりも長くなりそうなので、この辺にしときます。一人のことを責めたみたいですが、これ部員(某学会とちゃうよ)全員(含ワシ)に言えること。行事に参加したら積極的に「報告」しなさい。逃げるな。直会だけの話やおまへん】

 

 

 9月とはいえ依然として真夏の炎天が残る中、「昭和の戦争を総括する~盧溝橋事件から七十年」というテーマで「第一回大阪護国神社英霊慰霊顕彰勉強会」が開催された。これまでは毎年東京で開催されていた英霊慰霊顕彰勉強会だが、「あさなぎ」関西支部発足を契機としてついに大阪でも開催されることとなった。初めて東京の英霊慰霊顕彰勉強会に参加したとき、講師の先生のお話に感激し涙をこらえるのに必死であったことを覚えているが、まさかこの勉強会が大阪で開催されることになり、しかもその運営に携わることになるとは。感慨も一入であり、何としても成功させたかった。

 

 今回の勉強会には皇學館大學教授・新田均先生、ジャーナリスト・恵隆之助先生、京都大学教授・中西輝政先生の3名を講師としてお招きし、ご講演をお願いした。新田均先生には「浅薄な“悪しき戦前日本”イメージを払拭する」という演題でご講演をいただいた。ご著書である『「現人神」「国家神道」という幻想』(PHP)の内容を中心に一般人にもわかるよう噛み砕いてご教示いただいた。いわゆる左翼は教育勅語を「現人神思想」の経典のように言い、アレルギー反応を示すが、実際教育勅語の中身を精査すれば、そのようなアレルギー反応を示す文言・思想などは皆無であることが分かる。確かに、非常時には国家に尽くすことを促すような文言はあるが、天皇を現人神として敬うよう強要するようなことは一切書かれていない。つまり、どこかで、誰かが意図的に「日本=悪」のイメージを植えつけるために流布させたのだ。天皇を「神」とする思想は「理想論」としては確かに存在したかもしれないが、「現人神」思想が一般に流布したことはない、ということを文献を基に噛み砕いてご説明いただいた(後に、マルキシズムに対抗する手段として、国民一体となり総力戦で挑む必要があったので、神道を国家神道とし、天皇を現人神として“利用”した時期があったのは確かである。しかし、このように利用できるものは何でも利用するという行為は当時全世界で行われていたことであり、日本だけを悪者にすべきではない。これワシの意見)。

 

 

恵隆之助先生には「輝ける戦前日本~英米が絶賛した帝国海軍の武士道」というテーマで、ご自身で調査された数々の帝国海軍が戦場で見せた武士道、敵も「天晴れ!」と唸るような武士道を非常に多く教えていただいた。特に私が感銘を受けたのは、英国の戦艦が日本海軍に撃沈され、海に投げ出された英国軍人に対する救助作業が行われている間、日本海軍の戦闘機がその上空にいるにもかかわらず、一切攻撃をせず救助作業が終了するのを待ったというエピソードである。救助作業中のところを攻撃するのは人倫にも悖る卑怯な行為である。これこそまさに武士道の具現であると、しみじみ心に沁みた。このエピソードをすべての現代日本人に聞かせたいと思う。今回のお話にはなかったが、有名な松尾敬宇をはじめとして、日本よりもむしろ当時敵であった外国でこそ有名な武士道の体現者が多い。私は、これらの方々の“子孫”であることを、心底誇りに思う。また、世界は「開戦の日」を「記念日」としているが、日本は「敗戦の日(終戦に非ず)」を「記念日」としている。敗戦の後遺症かもしれないが、8月15日は日本の歴史にとって確かに大きな意味を持つ日ではあるが、どうしても暗くなる。「世界基準」の12月8日を大東亜戦争開戦記念日とし、英霊のご威徳に応えようではないか。「大東亜戦争海軍の歌」の如く、

♪見よ檣頭(しょうとう)に思い出の
Z旗高く翻(ひるがえ)る

♪時こそ来たれ令一下

♪ああ十二月八日朝

♪星条旗まず破れたり

♪巨艦裂けたり沈みたり

と唄って弥栄を願おうではありませんか!(ちょっと力が入ってきました)

 

 

中西輝政先生には「今明らかになるコミンテルンの謀略~日本近代史を見直す重要な視覚」というテーマでご講演いただいた。最近、戦前・戦中の極秘文書がどんどんと公表されており、いかにコミンテルンの謀略が精緻であったかがわかる。昭和研究会の尾崎ホツミや東大の新人会など、モスクワからの指示で“スパイ”が暗躍していた。ヴェノナ文書などの秘密文書が公開されるにつれ、実に多くのスパイ活動が詳らかになってきた。「張作霖爆殺事件」はいかにして生じたか。息子の張学良が実はこの事件に大きく関わっている件は実に興味深かった。個人的に一番関心を持ったのは、日本国憲法はコミンテルンが作成したというお話である。このような憲法を神棚に祀り、9条を有難く信奉している場合ではない。まさにスパイの思うツボだ!!中西先生のお話を覗う度に、私は東条英機閣下の「宣誓供述書」(現在、『大東亜戦争の真実』(WAC)として出版されている)を思い出す。戦争を避けよう、避けようとご尽力された東条閣下がこの事実をお知りになればどんなお気持ちになられるだろうか。“A級戦犯”なる奇妙なレッテルを貼り付けてこれらの「真実」を有耶無耶にするわけにはいかない。

 

 

以上、3人の先生方の講演内容を簡潔にまとめさせていただきました。詳しくは後日頒布される『講演会等記録刊集』をご覧下さい。

 最後に、企画、準備段階からご尽力いただいた大阪護国神社の神職の皆様方。東京からお越しいただいた靖国神社の神職の方々。“一兵卒”として企画、準備、運営などで精一杯努力した「あさなぎ」関西支部の面々。この勉強会を楽しみに全国各地から駆けつけて下さった皆様方。そして、快く今回の講演会へのご出演を引き受けてくださった、新田先生、恵先生、中西先生に心より感謝申し上げます。