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赤穂浪士=テロリスト!?

2006-12-18 18:03:24 | Weblog

12月14日といえば?

忠臣蔵。

忠臣蔵といえば?

大石内臓助が藩主である浅野長矩の仇をとるために、自分の命を犠牲にしてでも吉良義央を討ち、藩主の名誉を回復する、といったもの。美談。

しかし、わたくしには、赤穂浪士はテロリスト(エロリストとちゃうよ)集団にしか思えないのだが。

これは、1702年(元禄15年)に起こった事件だが、そもそも吉良義央は何者か?浅野長矩は「勅使饗応役」を拝命しました。要は、朝廷からの使者をもてなす役目を負うわけで、作法や儀礼について相当勉強しないといけません。今は作法も糞も無いかもしれませんが、江戸時代当時は作法や儀礼は相当重要だったはず。その作法や儀礼の専門家であったのが吉良義央。つまり、専門家として吉良は浅野にアドバイスをし、その対価をコンサルタント料として受け取る、という関係だったのです。そういうわけで、吉良にはアドバイスする権利も義務もあったのですが、それを浅野は「いやがらせ」と思ったのです。ま、うるさい先輩がごちゃごちゃと、あーせい、こーせいと言うてきたら鬱陶しいですね。そんな感じやったんですわ。

さらに、浅野は吉良に支払うべき報酬(指南料)を踏み倒し(ネコババし)、はたまた、江戸城内で無抵抗の老人を切りつけるという事件を起こしています。

これって、浅野が悪いんとちゃうの?

ほんで有名な赤穂浪士四十七士は“被害者”である吉良や、浅野を切腹処分にした江戸幕府を逆恨みし、集団で屋敷に殴りこみ、吉良本人のみならず多数の関係者を殺傷しています。とんだトバッチリを受けた人は災難。要するに、無差別テロ。

当時、赤穂藩浅野家は幕府から断絶されたが、大半の藩士は大石らの犯罪行為に加担せず、真面目に社会生活を営んでおりました。それを47名が一致団結し(褒めているのではない)、被害者宅へ乗り込み、「おんどりゃ~、何さらしとんじゃい!」と暴れ周り、そこら辺にいた関係ない人までも切り付けたわけです。完全な逆恨みで、最近の暴力団でもこんな因縁のつけ方はしないよ~。現に、かつては抗争の代名詞であった山口組は、今年1年間で抗争がなんと、零!まぁ、もっとエエ資金源の得方を手に入れたからなんやけどね。だから日本国内には「ならずもの」は消えつつあります。国対国の関係では、ならずもの国家がありますが。

閑話休題

っちゅーわけで、赤穂浪士を自分の命と引き換えに主に報いた英雄と見るのはお門違いかなぁ~ってこと覚えておきましょう。