好きな言葉、とはちょっと違うのですが、心に留めておかなければならない、と思っている一節があります。
“過去は、甘い腐臭を放つ死体にすぎない”
という言葉。
ある程度の年齢になると、つい、言ってしまいがちなセリフってありますよね。
“自分はかつて勉強ができた”“結構人気者だったのだ”“昔は、美人だった”……etc.
そういうことを言って嫌味にならないキャラの人もいるし、冗談や、憎めない見栄くらいならいいのですが、これって危険を秘めていると思う。
こういうことを言い募ると、つまり、今の自分には何もないのだ、と言っているようなもの。
今、自分が何ができるか、どんな人間かの方が、ずっと大事なのに。
私は見栄っ張りの方なので、つい、そういう傾向になってしまいそうな時がありますが、上記の言葉を思い出して、戒めにしたい、と思っています。
けれど、誰の言葉だったのか、実は忘れてしまったのです。
ご存知の方いないかな……。
ちょっとドキッとする生々しい言葉だけど、ゆるい私にはこのくらい厳しい方ががいい、と思っています。
“今までの後悔を踏んで立つような気構えで”って、ああいいなぁ、と思いました。けれど、私はなかなかそこまで強くなれないかも。
でもたしかに、他人を変えようとするより、自分を変える方がずっといいはず。
ヘタレな私ですが、教えていただいた言葉も心に留めて、もう少し精進したいです。
私のここ15年ほどのモットーは…“背負えない荷物は背負えない”なのでした[E:coldsweats01]最初は“…背負わない”だったのですが、ある友人に話したら「“…背負えない”って方が、正しくない?」と言われ、そうかも[E:coldsweats01]と考えて、現行のものになった、という、ゆる~いにも程があるものなのでした[E:coldsweats01]
『魔女と巫女のあいだ』に投稿しようと思ったんですが…
今は亡き脚本家の佐々木守さんが、ある座談会で発言された言葉も、私にとっては大切なものなのでした。「…誤解を恐れずドグマチックな言い方をするならば、差別の無い社会に、ドラマは生まれないと思う」
自分とは違う他者を認め、受け入れるのが、現実社会においては理想[E:confident]
…しかし、そう出来ない業や、そうする上での葛藤や哀しみ、怒り、そして、喜び…そういうものを描き、反面教師となるのが、優れたドラマの役割なのだ…と、おっしゃりたかったのではないか、と[E:coldsweats01]
“誰かにあてたラブレターだ”というロマンチックなことを言う人もいれば、“愛について書く人間はたくさんいる。だから自分は、死を書く”といったホラー作家もいる。
満たされない思いや、自分の欠けたところを埋めるため、というのもある気がする。
そうして、差別に対する怒りや葛藤もまた、ドラマを生むエネルギーになるのですね。
そういえば、松本清張作品を“ルサンチマンの文学”と評しているのにハッとしたこともありました。
差別を嘆くばかりでなく、抵抗のエネルギー(それも芸術に昇華して)って、意気地無しの私には無い考えでした[E:coldsweats01]
でもちょっと勇気出ますね。