物怖じしない国際人を育てるヒント集BLOG

自分の生涯を追体験的に語ることによって
環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか読者にお伝えしたい。

ヨーロンと三池闘争/困窮離島差別

2016-11-18 | 体験>知識

森繁久弥が歌って全国を風靡した「島原子守唄」(1959)をYouTubeでどうぞ・・・。森繁は早稲田大学で作詞者宮崎康平の学友だった。島原半島の口之津港から底の浅い団平船で沖に停泊する青煙突の「バッタンフル」社大型船に運ばれて東南アジアに密輸されてゆくカラユキさんの悲哀を想像しながら口ずさんでください。
♪ 山ん家は かん火事げなばい ・・・ [繰り返し] 家はネと発音
サンパン船んなヨロンジン 
姉しゃんな握ん飯で ・・・[繰り返し]
船の底ばよ しょうかいな
オロロン/オロロン/オロロンバイ  ・・・[繰り返し]

長崎県口之津は大牟田市の三池港が築造されるまで三池の石炭積出しの外港だった。
与論島民が何故口之津にいて三池闘争とどんな関係があるのか、またわたしたちとどこでどうつながっているのか、先人の識見を頼りに解き明かそう。

 沖縄と海を挟んで東側に、鹿児島県に属するチョウチョウウオの形をした美しい小さな与論島がある。琉球文化圏内にあるためヤマト言葉と違い琉球語と親和する。薩摩藩の支配下になると過酷なサトウキビ搾取を受ける。島津以降の苛烈な租税を納めきらない貧農は借金のかたに富農の家人(借金奴隷)となった。60歳まで主家に仕えねばならなかったが十五夜踊り、盆正月は主人とともに晴れ着で楽しむことができたと云う。これをヤンチュ制度という。
明治31年(1998年)台風で壊滅的な被害を受け、旱魃、疫病もあって、飢饉で大勢死んだ*。それで口之津港に集団移住する。ヤンチュが出稼ぎの中心で3回の移住でヤンチュ制度は消滅したという。
*主食のサツマイモが旱魃で枯れ蘇鉄の実と海の幸で食いつないだと云う。 
3年間無給の証言がある。人夫の募集条件に三井物産が借金の肩代わりをすることが入っていたのだろう。三井物産から来た視察役が「あの者たち 噛みつかぬか」と口走ったというエピソ-ドも伝えられるが、言葉の当否はともかく、三井も政府も島民を土人として見下ろしていたことは間違いない。下津港では三池の石炭を積み下ろしする荷役人夫(ゴンゾウとよばれた)だった。賃金は地元民の7割、朝鮮組以下だった。
移住者は10年間で1200名を超え、板張りにゴザ敷の与論長屋が列をなして建っていたが、有明海を挟んで北東対岸に三池港が開港するとふたたび集団移住する。
 
見知らぬ土地で風俗習慣が違い言葉が通じない与論出身者は口之津港でも三池炭坑でも集団で暮らし地域からも港湾と鉱山からも偏見と言語に絶する差別*を受け孤立する。職種はもっぱらゴンゾウで労働条件は3Kという今流のはやりでいえば5K,6Kだった。賃金でいえば、わずかにいた地元民の賃金日払いとくらべると半分、出来高払いだった。肩に担いだ6尺の天秤棒で70キロの石炭を船積みするなんてとても考えられない。袋詰めの物資も肩で運んだと云う。
ゴンゾウの実態は一集団が離島した瞬間にまるごと差別構造の最底辺に据えられた稀な実例として差別の歴史に残るだろう。
偏見による差別は教育、就職、結婚に及んだ。かくしてヨーロン**という差別語が生まれ、少なくとも九州に広まった。ブラジルの日系人社会にも届いたのだろうか?
*偏見と差別は与論出身者を「世ニ慣レザル」隷属民のまま納屋に囲い切りにする上
 で有効にはたらいた。逃亡するにも伝手も当てもないのである。三池港の与論長屋
 は煉瓦塀と門で囲まれ収容所みたいだった。    
** ヨロン は日本人ではない土人、化外の民を、ヨロンは蔑視を、におわす差  
 別語である。

わたしは今回BLOGでヨロン、ヨーロンという差別語を使ったものかと迷った。なぜなら新聞、雑誌、書物、映像や画面文字が偏見伝播の口火を切る現実が普通に在るからである。与論島民が三池港近くの長屋に移住して3年後「福岡日日新聞」が「納屋」生活を連載記事にして「全く日本人種の間にこんなのがあるかなあと不思議がらぬ者はなかった」と偏見を拡散した。
わたしが京都から博多に帰省すると、我が家の裏の空き地に人一人が寝起きできる低くて小さなバラックが建っていた。中年の男性が寝泊まりしていた。父があれはヨロンだと言った。交渉がないのにどうして与論島出身者と言えるのか?そういう境遇の人をみたらヨロンだという空気がいつの間にか漂っていたのか。
家の裏の空き地は元寇の防塁遺跡だったので、その後すぐ福岡市が史跡公園として整備し、かの人は居なくなった。未熟なわたしは声をかけなかった。

三池で動物扱いされて同郷の結束を堅くした与論島民は戦後1947年には家族をふくめて2700人を数える大集団となり大牟田市会議員を輩出するまでになった。
GHQの民主化政策で政治的権利、中等教育を受ける権利*、炭鉱夫として働く権利を得たのである。
*会社は戦前「特にその子弟のみを収容する三川文教場を設けて」内地同化教育を
   おこなった。会社は高等小学校以上の学歴を忌避した。 
つまりは与論出身者が三池鉱山の「直轄」社員になった、それで三池労組の一員になることができるということである。
それまでは、会社は炭坑の労働力不足を囚人労働、それの禁止後は強制労働(朝鮮人、中国人、連合軍捕虜)で補充し、与論出身者は三池港の荷役人夫のままだった。他の仕事に就くことは許されなかった。
朝鮮戦争後1953年の反合理化闘争で三池労組は「英雄なき113日間の闘い」でおよそ2000人の解雇通告を撤回させた。その中に224人の与論出身者がいた。三池労組の職場闘争で労働条件の輪番化、水平化が勝ち取られ、賃金と安全の面で差別されなくなった。だが炭鉱夫自体が世間で差別されていたことを見落としてはならない。
与論の民は三池闘争では中核として活躍した。
大争議敗北後指名解雇された1,278名中37名が与論出身者だった。内訳は港務所23人、三川坑7人、宮浦坑4人、四ッ山坑3人の合計37人だった。会社は、ヨーロンは第一組合に最後まで残る、と予測していたとか。与論出身者にとってこれ以上の誉め言葉はない。
こうして与論集団は三つに割れた。第一組合に残った人々、第二組合に移った人々、そして東京、大阪、愛知などへ転出した人々。
東京に移った多くが八王子市の雇用促進住宅を中心に居住し調布市、町田市の清掃労働に従事した。これも差別の表れだが、ここでの差別は与論出身だからではなく炭坑もしくは三池炭坑出身だからである。
ここでも与論出身者は誰もがやりたがらない「ゴミヤ」(ある部落青年が胸を張って私に告げた職業名)を平然とこなしている。そして一様に労働条件(賃金、時間、労働の軽重)が三池炭坑にくらべて格段に良いことに驚き感謝している。

2009年夏、大牟田の与論会は恒例の市民総参加のイヴェント「炭坑節1万人総踊り」に「島の衣装を着て、太鼓をたたき、三線を弾いて参加し」 与論会をアピールして見事「一番 目立っていた で賞」を受賞した。三池移住から99年目にカミングアウトが成功した瞬間だった。

関連の回想記、インタヴューや研究書を読み終わって私は羨ましく感じた。与論の民は、ゆんぬんちゅう、と自称して与論島をルーツにしながら、核家族化してしまった近代社会の真っ只中に、与論のアイデンティティを保存した「与論の聖地」を大牟田に造り上げた。わたしに亡くなったものがそこにある。
与論島では「島の神様はご先祖様だけ」と親類縁者が集まって伝統にのっとった供養をする。与論会は大牟田でも納骨堂「奥都城」を造ってゆんぬんちゅうの団結を固めた。
私の同族が最後の先祖祭をしたのは私が中学生の時だった。苗字は同じだが面識のない人たちが遠方からも来て苔むした墓碑を拝んだあと発心公園で花見宴会をした。
福岡県では高度成長期に行政が散在する墓の地上げを奨励、実施した。村の中に大きな合同納骨堂が建った。村人はそこに納骨しお参りする。何の感情も沸かない無機質な施設だ。「美しい日本」は政策的に破壊されたのだった。
与論の民謡が歌い上げる処世訓にも、与論会が本土で伝統的共同体を築き得た根本をなす精神が見られる。 
 打ちじゃしょりじゃしょり 誠打ちじゃしょり
 誠打ちじゃしば ぬ 恥かしやんが 
誠を打ち出せば何も恥じることはない、という意味である。
極め付けは与論会のモットーである。
 「服従ハスルモ屈服ハスルナ 常ニ自尊ヲ保テ」

与論の民が貧困と重労働の中、なりふりかまわず豚を飼い芋を植えて低賃金をサブワークで補い、「臭い、汚い」「ヨーロン」とさげすまれながらも、顔をあげて堂々と生きて来た生きざまは尊いと思う。差別は憎いが人を強くして優しくする。

主たる依拠文献 
・井上桂子著『三池炭鉱”月の記憶” そして与論を出た人びと』
   太陽暦(本土)と太陰暦(与論島)を対比して三池炭鉱の煙突( 近代化と資本、
   文明)と与論島の(折々の祝祭で結ばれた貧しい離島共同体と伝統文化)の
   対立依存関係を見事に描き出した傑作である。
・今村都南雄論文「都市自治体の主体形成~与論島移住者の「市民化」を中心に~ 」
 与論出身者の社会(市政、労組)進出を克明に追い、選挙と争議における指導者の
 動向と遷移を詳細に描いた
学究の著作である。
 「ゴンゾウのわかまっちゃん」と愛称された若松沢清は「三池労組と運命はともに
 するが〈差別〉思想はともにせず」と宣言し、労組が潰そうとした「家族訴訟」を
 始終支援しながら、CO患者の追跡で後世に貴重な聞き取り記録を遺した。
 論者が若松沢清にゆんぬんちゅうの象徴として賛歌を贈ったことに心から賛同す
 る。

       

 

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