2020年12月4日(金曜日):[ 5c/12c/50% 69K70F ]{gut0400} 雨のち晴れ
昨夜は娘の奢りで持ち帰りの「カニちらし寿司」を堪能した。片町で昔から名前の通った吉田寿司が、別店舗でカニ料理を提供し、そこでは持ち帰りのカニ寿司を販売している。ネットに美味しそうな写真を乗せているのだから、値段表のない昔ながらの寿司屋では、今の回転寿司大流行の時代には生きていけない。
娘はネットで見つけて、予約を入れ、仕事帰りに寄って持ってきた。セコガニを、赤子を中心に表面に散らして、作ってある。ズワイではない。味噌の部分は混ぜ込んであるのだろう。炊き立てのご飯にセコガニの身をたっぷり混ぜ込んだのが、梅浦の予約が難しい「こばせ」の名物。
作家の開高健が「美味しい」と、はるか昔に書いて、東京の出版関係者が秘境に足を伸ばすようになって、噂が定着した。まあ、もうこの時代、食味は驚くほどではないが、それでもシーズンには予約が困難だ。みんな、夢を求めている。
午前4時起床。安い乾電池の充電器を使ってみながら、機能は不十分だけど、高機能なスマホなども、ゆくゆく中国製が勝利するに違いない、とつくづく思う。
昔、日本の家電メーカーは、今でも残っているが「独自性」に拘った。ソニーと松下電器のVHSとHーVHSだったか、ビデオ録画装置の規格がいい例だ。その後のパソコンやプリンターなどの周辺機器類から携帯電話に至るまで、ありとあらゆる商品は、独自性を強調して、共通部分が少ない。困るのは、我々消費者で、機種を入れ替えた途端、接続コードから電源に至るまで、別々に用意したり、買い求める必要があった。
その点、今の中国は激しい内部競争で低価格商品を作っているから、わざわざ、余計なパーツの開発をせずに、普及品を利用している。いい例が、例の電動ドリルなどの内部電池。アルカリ単三電池をつなぎ合わせて、作ってしまう。日本のメーカーは設計に合わせた、別電池を作って使っている。それだけ、立派な商品で値段は高いのだが、充電用の変圧器など見れば、そこに消費者不在の傲慢さがみて取れる。
「こいつらえげつないなあ」と中国メーカーを非難する前に、未来がどうなるか、少しは考えて、我が国産メーカーの姿勢も反省する必要がある。経済産業省に、そんな未来を見据えた指導力があるのだろうか?
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