長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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丸山「花月」で昼遊び!その2

2013年12月13日 | ★その他歴史がらみ
花月続きであります。

遊郭引田屋は、今は料亭花月として、長崎見番から芸妓さんを派遣してもらって宴席を楽しむことができます。
でも個人ではなかなかそんなこともできませんが、今回のツアーの企画つげー!!



地方(じかた・・・歌や三味線を担当する人)は、るり羽姐さん。
めっちゃシュッとしたかっこいいおねえさんで、男性のみならず女性陣も口々に「ステキ~!」と言ってました。
ユーモアもたっぷりで、ぜんぜん堅苦しくなく楽しめました。
私は三味線の音が大好きなんで、ほんとにうっとり。
るり羽さんは最後に、ツアーの趣旨に合わせてわざわざ「三千世界」をやってくださいました。
高杉晋作が作ったと言われるアレです。



ベテランの立方(たちかた・・・踊り手)は音羽姐さん。
盛り上げ上手で一番人気だそうです。
最初はしっとりすてきな踊り、後半はお客と一緒の遊びがたくさんあって大笑いでした^^

若いかたは、美代菊さん。平成元年生まれの「歴女芸妓」さんです。
すましていると美人タイプ、でも話すとすごくキュートな方でした。
将来の夢は郷土史家らしいよ~^^


で、料理は「卓袱料理(しっぽくりょうり)」です。
上座下座がやかましかった時代に、丸いテーブルなら上も下もない、と使われ始めたこのテーブル、同じ漢字で「卓袱台(ちゃぶだい)」になって、昭和中期まではどこの家にもありました。
星一徹がひっくり返したりねw (ノ`Д´)ノ彡┻━┻  ←これw



和食…のようで、例の豚角煮とかハトシ(蝦多士。海老のすり身をパンで挟んで揚げたもの、ただし花月ではうなぎでした!)とか、いろいろ異国なものもあって美味しかったし楽しかったー。
少しずつのようで、ほんとにいろんなものが出てくるのでお腹いっぱいでした。




で。ここから歴ネタ。

幕末当時はもちろん料亭ではなく遊郭だったんですが、龍馬とかも来てたわけだし、そんなに高くなかったのかな?と思い、加藤さんに質問。
そしたら、店によって高い安いというのではなく、遊女の格によって値段が違っただけとのことで、引田屋はその最高ランクの「太夫」と遊ぶこともできました、というお返事でした。
「ぶっちゃけ、伝習所の学生は来てますか?」と」聞いたら「来てる来てる!」(=^^=)v
そういや、松本良順とか相当入りびたってたんだっけ?

さらにすっごいくだらんことを聞く私w
「お客って何歳くらいから?」

「遊女は基本15歳からだったので、お客さんも同じくらいじゃないでしょうか」
キタ─wwヘ√レvv~(゜∀゜)─wwヘ√レvv~─!!

そこすっごい気になってたんよねー。
実は松岡磐吉は天保12年(1841年)生まれらしく、だとしたら伝習所当時、満15歳。微妙であります。
松岡の兄、柴弘吉(誠一、当時満22歳)が、店はわからないけど、丸山で遊んでたことは、ちゃんと当時の記録に残っています。
弟を連れてきたのかどうか、いやもうソコ重要!!(私だけにw)



んで、史跡巡りで歩いてる時に、ツアーの女性たちからそのネタが出まして
「変な地女(素人)と面倒くさいことになるより、お初は丸山でしょ!!」
「そういう時は、お兄ちゃんたちがカンパを集めて太夫をおごってくれるのよ」
・・・ひいいいwwwwwww
いやー、そうだったらいいなあ~。 ←

・・・でもきっと、詳細なレポート提出だろうなww

とまあ、最後は馬鹿話なワケですがw
そんな丸山に行けてすごく楽しかったです(*´∀`*)



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