長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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丸山「花月」で昼遊び!その1

2013年12月13日 | ★その他歴史がらみ
今回の長崎旅行は、幕末史跡探訪ツアー+前乗りフリー、だったんですが、このツアーの目玉は

かの丸山花月で昼遊び!

だったのであります。
個人ではとってもできない、貴重で贅沢なマネ!
ツアーの内容を見て即決で参加を決めたのも、コレがあったからといっても過言ではないという(いいのか?)。

ブログでは、建物などのことを「1」、料理や芸妓さんのこと…と、海軍伝習所の連中が来てたであろうって話を「2」で書こうと思います。
「2」は途中から馬鹿です。←予告すんなよと。


長崎丸山、通称「山」は吉原・島原と並ぶ江戸時代の三大遊郭の一つ。
この中の「引田屋」さんの建物が(全部ではないけど)今も残っており、「史跡料亭 花月」として営業されています。
よくぞ原爆で失われなかったもんだ。感動・・・。
創業は寛永19年(1642年)…ってどんだけー!!


今も、しっとりした中にも華やかに艶めいた素敵な佇まいです。









赤い丸い提灯だけで、なんだか建物が色っぽくていいなあー。


頼山陽も愛した引田屋、幕末には若い人たちもけっこう来ていた模様。
坂本龍馬の刀傷、と言われているものもあります。




資料室もあり、豪華な螺鈿(らでん)の細工物や、長崎らしい月琴、志士やお公卿さん(「七卿落ち」のさん。この人、明治後は長崎との縁深し)の書などいろいろ展示されています。

超お宝といえばこれでしょう、坂本龍馬の直筆。これはイカルス号事件の時に奉行所にさしだした書類の下書きだそうです。


(ストロボをたかなければ撮影OKでした)


いたるところに「梅」の意匠がありました。




有名な部屋がこちら。



先日も載せた写真ですが、ここは日本初の「洋室」と言われています。
中国風ではありますが、床はタイル張りで、天井は和の寺院建築風。
「龍馬伝」ですごく印象深く使われていました。

この天井画、よく見るとチューリップ、カラー、スイートピー、バラなどの洋花も描かれていて、しかも筆致は写実的。
文化のおもちゃ箱のような長崎を表している気がしました。




なんかもー、花月の加藤さんがいちいちすっごく面白い解説をしてくださったんですが、頭ぶっ飛んでて全然覚えてないという…
馬鹿だ…_ノ乙(、ン、)_


3年半前、京都の島原の「角屋」の見学もしたんですが、なんかあれはすっごく機械的な説明だったんだよね~。
(2010年3月にブログ記事有り)
しかも、新選組が嫌いなのはおじさんの自由だけど、それを丸出しにした説明ってどうなのって…今や京都観光の何%かは新選組ファンが支えてるわけだし、いや、そんなこと別にしても、解説者がそれとわかるほど偏った物の見方でしゃべるのって、私は好きじゃないです(ついでに、あそこはなぜか「遊郭」であることを否定して、奇妙なことを言い張ってる)。


加藤さんは5年がかりで労作「花月史」を編纂されたかたなんですが、ツアーの徒歩にもほとんど同行してくださってて、もうお話が面白くて、私はほとんどこの方の周りにいましたw
おかげで大村藩の面白さとか、今まで全然知らなかったことをいろいろ教えてもらってしまった♪

で、加藤さんの解説はユーモアがあるだけじゃなく、すっごくニュートラルなんです。
歴史好きとか、あるいは観光関連の人は、なんとなく「かっこいい出来事はひいきの人の手柄にしたい」とか「良くないエピソードはなかったかのように振舞う」とかって、偏りがち。
加藤さんの話は淡々としてて、分かっていないことは断定を避け、誰(どの陣営)の悪口も言わず・・でも、だからこそ実物大の話が見えてくるようで、本当に好ましかったです。

では「2」に続く~^^



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