長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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錦の御旗をふりかざして…

2009年10月28日 | ★幕末維新の長州
現代でも、
「錦の御旗をふりかざして」とか
「勝てば官軍だよね」とか、
そういう言い回しが普通にありますよね。
ご存知のとおり、戊辰戦争のはじめである鳥羽伏見の戦いのできごとを指してます。

「倒幕の密勅」ってやつが下り、「錦旗製作の内命」が下った。
それで岩倉具視、ヤジ(品川弥二郎)らが、んなもん見たことないので、しょうがないから京の西陣の帯地でテキトーに作ってしまった錦旗。

鳥羽伏見の戦いの最中、これが上がったとたんに、幕府軍の潰走が始まりました。
「錦旗に手向かう」=「賊軍になる」
幕府方は勤王ではないが「尊王」ではあったわけで、賊となるのは耐え難い屈辱と恐怖だったと思います。


なんかねー。
誰が悪いとか嫌いだとかじゃないんですが、イマイチすっきりしないんだよね、ここ。
水戸黄門が「この紋所が目に入らぬか~」とやる相手は悪党だからいいんです
でも、主義主張が違うだけの相手にそれって…なんかヤダ。割り切れん気持ち。
戦術とか戦意とか武器の新しさとか、そういうことで差がついて勝つのならいいんですが、突然出てくる裏工作的切り札。
それが政治ですと言ってしまえばそうなんですが・・・。
でも、「岩倉と長州、きったねーな」と思いましたよ…昔これ知った時。

今はそれ以上に、公家に腹が立ってます。
考えてみれば、その時以前もずっと、公家っていうのは「その場で勝ちそうな方」に加担してはコロコロ態度を変え、その日和見主義のおかげで、長州自身も死ぬかって時期がありました。


同じ時期、幕府方も長州人も命がけでしたよね。
男が一度こうだと思ったことを、命かけて貫いている時に、公家の温度はなんという違い。
舞台の背景が白から黒へ、また白へとコロコロ変わるなんて、舞台にいる者にはやってられないでしょう。




↑マニアックな(笑)史跡。
いや、ウチの犬の散歩コースに建ってるんですけど

ここには藩の養蚕所がありました。
昭和40年頃?までは民家が建ってたらしいですが、もうここ数十年はずーっと草木ボーボーの空き地でした。ごく最近突然整備されて駐車場になってます。
オモムキ全くなし。
草ボーボーのほうがまだ何か偲べるって雰囲気があったんですが。
もし見に来たレキシスキーがいてもこれはつまんないわな…。

側を一の坂川が流れ、岸には古木が繁っています。こっち側はいい風情。
樹齢150年以上の木は、あの頃を見てたんですねえ…。
(場所:県庁近く、伊勢大路からスーパー・マリンと川の間の道に曲がり、すぐの橋のたもと)

【追記:現在は高齢者施設「一の坂デイサービスセンター」が建っています。また文中の「スーパー・マリン」はなくなり、セブンイレブンになっています】



最初に戻るけど・・・。

「デジタル大辞泉」より
[錦の御旗 にしきのみはた]
1 赤地の錦に、日月を金銀で刺繍したり、描いたりした旗。鎌倉時代以後、朝敵を征討する際に官軍の旗印に用いた。錦旗(きんき)。
2 自分の行為・主張などを権威づけるために掲げる名分。「環境保護を―に掲げる」



「日本辞典」より
[勝てば官軍負ければ賊軍]
明治維新における天皇方と徳川幕府方の戦いにちなんで、道理がどうあれ、とにかく勝った方がすべて正しい、という意味。
ことの善悪や道理非道理に関係なく、強いものが正義になることの不合理をなじった言葉でもある。


こういう意味や使い方で言葉が残っているというのは、やはりあの場面で唐突に錦旗があがったことを不条理だと思った人が多かったからなんじゃないでしょうか。
私は長州人だけど、どうもここんとこがずっと引っかかっています。
私の中の徳川直参の血がなのさ~。


  
---死ぬほど関係ないオマケ
  「正義が勝つんじゃねえ、勝った方が正義になるんだ!」
     誰のセリフかわかる人・・・・・がいたら怖いぞ




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5 コメント

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お邪魔致します。 (まー)
2009-10-29 21:29:06
錦の御旗の偽物をつくって敵を戦意喪失
させようなんて、せこいですよね~
私は別に幕府側でも新政府軍側でもないですが
京都の町はいくども戦火に巻き込まれ、一番の
犠牲者は京都の市民なのに、あげくの果てには
東京遷都ですか、といった気持ちです。。
返信する
Unknown (内藤昶)
2009-10-29 21:33:26
まーさん

偽物というのではないんですが、出し方とか使い方が姑息じゃないかと思うんですよ。
長州にしてみれば、突然京都から追い落とされた前歴があるので、「これは私戦にあらず」ということを声高に言わないといけなかったんでしょうけどね。

普通に戦ってても勝ってたと思うんですが…ねえ…。
返信する
こんばんは (yuihou)
2009-10-30 00:02:30
「内戦」を早めに終結させるための手段としては有効だと思います。ウダウダ続くとしたら外国勢力に介入を招きかねませんから。

マキャベリズムですけどね確かに・・・。

返信する
確かに (エノカマ)
2009-10-30 22:33:08
公家はほんと大嫌いですね。
土佐勤王党の瓦解や安政の大獄の悲劇は、この人らの優柔不断で起こったことで
他にも多くの血が流れてしまいましね。。。

反面「御旗」で思い出すのは岩倉具視ですね。公家の身でないと、いろんな朝廷工作はできなかった中でこんな人がいたのも
ある意味奇跡でしょう。
お札のころはもう忘れかけてますが、今考えるとなんでこの人だったんだろうとも
思いますがね(笑)
返信する
Unknown (内藤昶)
2009-10-30 23:39:41
yuihouさん、エノカマさん
コメントありがとうございます。

岩倉・・・なんか怪物的イメージです^^;
そうそう、500円札だったんだこの人。
500円が岩倉、1000円が伊藤くん、5000円と1万円は厩戸だった。
今考えてみると、かなり謎の人選ですね。
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