長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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7月19日、禁門の変の慰霊祭をしました

2014年08月12日 | ★幕末維新の長州
今更っつか、遅すぎなんですが、
7月19日、禁門の変戦死者慰霊をおこないました。
まあ、有志数人なんですけども(だが新聞に載った)。



まずは久坂玄瑞らが「ご祭神」でもある県護国神社へ。
ここは広くて明るくて、ほんっとに清々しいところです。
ちょうどぴったりのタイミングでご神職が「今日亡くなった方のお祭り」をされており、中に招いていただいてお話を聞くことができました。
大ラッキー。



招魂場・招魂社から護国神社(その親玉が靖国神社)の始まりについて、あらためて教えてくださいました。
「誤解されることが多いのですが、戦死した人を神様だと言っているのではないんですよ。戦死した人の魂を招いてお慰めする場所なんですよ」
「ちょっと前まで、戦地で亡くなったら冷凍して遺体を運ぶこともできないから、肉体は戻れないことが多かった。だから魂だけでもお帰りください、ということです」

なんだか、優しい哀しい話なんだねー。

招魂場はまだしも、護国神社というと太平洋戦争のからみで拒否反応を示す人も多いです。
私も高校生くらいまでは漠然とそうでした。
でも、亡くなった方の魂を招いて慰めることに、なんのおかしいことがあるでしょう。
(だからこそ、内戦の敗者も入れて欲しい…そしたら100%納得できちゃうもん)



さて、県内に残る22の招魂場には「元治元年七月十九日」と刻まれたものが本当にたくさんあります。
この日はそのなかの「吉敷(よしき)招魂場」へ全員で移動。

前にも載せたけどこういう碑もあります。
側面に日付、裏には亡くなった人の名前がぎっしり刻まれています。



「長州志士」というお酒を持って行ってかけてきました。


なくなった方全て安らかに (-人-)
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