長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
★最初に【まず必読】をご覧下さい

山田顕義とよく偶然会うワタシ

2009年07月16日 | ★幕末維新の長州
瓦屋旅館は、あの松田屋の真裏にあります。
ここも木戸(桂)をはじめ、アノ手の人たちがよく利用した旅館でした。
で、私がよく一旦停止を忘れて、出会い頭衝突をしそうになるスポットでございます←ダメじゃん

しかし皆さん、湯田に集まりすぎ。
温泉でホカホカになりながら真剣な話をしてたんでしょうか。いや絶対そうだw

湯田温泉は、毛利家御用のお湯もあったりして、けっこう伝統あります。

っていうか、七卿を湯田においといたもんだから、自然と湯田に集まるはめになったとも言いますし、湯治にかこつけて集まりやすかったからだとも言います。

説明版がチラッと写ってますが、市ィ(山田彰義)の奥さんが瓦屋の娘です。
…のち、伯爵夫人ってことか~。

しかし今は跡形もありません。
史跡ったって、ここまで何も残ってないと…史跡というのだろうか



あとですね。
山口市白石ってとこに「山田顕義旧宅跡」って石碑が建ってるんですよねえ。
どうせ年中通るので、また写真撮ってきます。




そして。

この間、全然別の用事で防府の桑山(くわのやま)に行って、遊歩道を上がったら招魂場!
長州には日本一たくさんの招魂場があるんですが、元々ここは御楯隊の調練場として切り開いた土地で、その後、市ィが碑を作って招魂場にしたって書いてあるじゃないですか。ほえーっ。


ワタクシ、恥ずかしながら市ィのことをほとんど知らないんですけど(四境戦争の時、わけわからんまま高杉に砲兵をやらされたって話くらいしか)、妙に偶然史跡に当たってしまうなあ。なんでじゃ。

ときに、長州ではイ音で終わる名前だと、よくィをつけて愛称にしてました。
知り合いのお兄ちゃんはアキオでしたが、アキィと呼ばれてました。アクセントは真ん中にあります。最近はあまり聞かなくなったなあ。



↓押して頂けるともれなく嬉しいです(ワタシが)。
にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へにほんブログ村
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« これは吉田松陰なんですかw | トップ | 土方歳三フィギュア3 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。