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長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
★最初に【まず必読】をご覧下さい

箱館海軍、松岡磐吉アゲイン(笑) 謎の最期…。

2011年02月13日 | ★松岡磐吉・旧幕府海軍・箱館等
ピグ画像使ってますが、内容は真面目だぞw


最後の旧幕軍、箱館軍。
最強のはずだった海軍力は、戦いよりも荒天が原因で次々に失われ、最後の最後に残ったのは、370トンという小さな艦、もともとは英国王室から贈られたヨット(スクーナー)「蟠龍」であります。

その艦長が、



この人(どの人だよ…)、松岡磐吉です。
内藤がピグでやってる役ですwww

ホンモノはこれ(似たようなものと言う説がw)



これ、右手にフランス式の帽子を持ってるんですが、大きい写真がなかったー。
名前の読みは「いわきち」かもしれないんですが、両方言われてたみたいなので、私は「ばんきち」です。
【追記:ご子孫宅で「ばんきち」と言ってるとのことだったのでわたし的にはこっちでファイナルアンサー】


出自ははっきりしていて(のわりに、生年月日不明ですが【追記:生年は判明。天保12年1841年】)、韮山代官江川家の筆頭手代、松岡正平の三男。
本人も鉄砲方手代見習→手代となってますが、その年海軍の方へ。
生粋の武士ではありません。
いわゆる幕末の「実力でなった新幕臣」の一人です。



↑なんですよー!
第2期生ってことで、同期に榎本武揚もいました。

卒業後幕臣に取り立てられ(←あ、咸臨丸で帰った後だったか)、まーいろいろ海軍関係のことをやってます。
咸臨丸でアメリカ行ったり、小笠原探検に行ったり、日本沿岸測量をやったり。
このへんは、主役ではないにしろ、けっこうデータが残ってる(また書きます)。
異様なほど記録がないのは、獄中とその死なんですよね…。


でもって、このばんちゃん。
なんだか陸上勤務のイメージが全然ないw
動乱勃発後は、鳥羽伏見から江戸へ引き揚げる幕府方の人間の輸送をやってます。
その時は順動丸。←新選組も乗ってたんじゃなかったか?

榎本艦隊に加わってからは、松前城攻略を援護したり、宮古湾会戦に参加し(ようとし)たり(笑)、よく働いています。
宮古湾のときもそうですが「行こうとして波浪のために行き着けず帰港した(なにしろ小型艦。冬の北日本はハンパなかったようで)」というのも何度かありますが、それでも艦は守り通しています。
開陽、神速、高雄なんかは皆悪天候が原因で失われてしまったんですけどね。
彼は操艦技術がかなり高かったらしい。「手足のように艦を使いこなしている」と記録されています。
だから私はこの人にハマったのだっ。
くーっ。操艦上手い帆船時代の海軍士官大好きっ。
(もちろんこの時代は帆と蒸気併用ですが)


そのばんちゃんと蟠龍艦が大活躍したのが、あの土方歳三が戦死した明治2年5月11日の箱館総攻撃の朝でした。

わずか40mほどの小さな艦、大砲もたった4門(6門説も有。でも6門はたぶん明治に改装されてからだと思う)という、この一艦で箱館湾を縦横に走り回り、新政府軍の軍艦朝陽を轟沈させました。
(そこらへん、いろんな史料の描写がおもしろいので、またいずれ!)

この朝陽って、自分も乗ったことがあるし、艦長これまた同期だし。
戦争は残酷。



朝陽撃沈後も激戦は続き、全弾を撃ち尽くし、やむを得ず総員退艦。
その後、榎本らと一緒に投降しました。




東京の辰の口監獄に収監され、2年半後・・・



という悲劇。
「数日」じゃないかもしれないけど、直前らしいです。【追記:それは私が読んだ本の誤りでした。没日は明治5年7月5日】
でも亡くなった日付すら伝わってない。墓もわからん。【追記:両方判明】

同じ獄で過ごし、彼の死の直後に赦免された榎本・大鳥らは、誰もそのことを書き残してもなく、語ってもいないらしいのです。
獄中日記をつけていた大鳥も、ばんちゃんに英語を教えてるとか、そういうことは書いてるのに、病気だとかは書いていない(みたいだ)し。
不思議すぎる。
(収監からすぐの冬に病気をしたことは書かれているけど、それは良くなってきたとある)
そりゃ、あの日記は獄中前半しかないけどさ。

その大鳥圭介は「彼には身寄りがないので気の毒だ」と書いてる。
(「縁故なき人故甚だ気の毒に思い」(南柯紀行))

身寄りがない?
うーん…?
大鳥の奥さんは江川家に間借りし、そこから差し入れを送ってきていたらしい。
江川家関係、誰もばんちゃん無視?筆頭手代の息子で、本人ももと手代なのよ?
韮山代官といったら一藩のようなもの。その手代は家老職みたいなもんじゃないですか?
ほんとにそんなにスルーだったのか??
父や兄は手を出せなかったんじゃないかと言う気はしますが。
なんか不思議でたまりません。

身寄りではないけど、榎本とは伝習所同期だし、彼も知らん顔だったとはとても考えられない…。


不思議といえば、額兵隊隊長の星恂太郎などは、辰の口監獄などではなく、青森の弘前藩預け→箱館監禁で、ちょうど1年で釈放されてる。
ばんちゃん、正直言ってそんな大幹部でもないのに、なんで榎本らと同格の重い扱い?

彼の最期のあたりは、なんだか不思議なことだらけです。
朝陽轟沈は、「ただ一発の砲弾で与えた被害」としては、幕末維新の戦争最大のもの。それで重罪視されたのかなあ?

でも大鳥圭介は、取り調べ内容に付いて、何も書き残していない…ようです。

なんか知ってる人いたら教えてください…。



もともと16世紀から19世紀の英国海軍とか好きな私なんで、昔の海軍人萌えw
ひょんなことで役をふられて調べた松岡磐吉ですが、当分ハマりそうですwww


「旧幕箱館海軍、松岡磐吉」でも書いています。

次は史料からピックアップした文章を紹介します(誰が喜ぶんじゃ、誰が)




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2 コメント

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おもろい (八雲)
2011-02-18 20:32:29
これ・・・おもろいw

てか、ピグにてるねww
ナイスピグです
返信する
Unknown (内藤昶)
2011-02-18 22:51:19
でもね、写真見てたら

も っ と 可 愛 い じ ゃ な い ア タ シ

って思って、ちょっと目を整形したんですよww

んー、やばいぞ内藤。
松岡にマジ惚れしてしまったwww
返信する

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