ヤンソンス&ベルリン・フィル。二日目の演奏が素晴らしかったことは既に述べたところである。
まず、ベルリオーズ「ローマの謝肉祭」。初日は、ヤンソンスのタクトの予備運動にコンマスひとりが飛び出すという波乱の幕開けとなったが、2日目は「今日は合わすぞ!」というオケ一丸となった気迫が凄まじく、完璧なアンサンブル。どこか浮ついた初日とは別物の余裕と貫禄の演奏を展開した。
2曲目は、ノルウェーの名手トゥルルス・モルクを独奏に迎えてのデュティユーのチェロ協奏曲「遥かなる遠い国へ」。
実は初日、大きな疑念を抱いていたのだが、それが確信となった。
ベルリオーズが終わり、編成の違いから多くの管楽器奏者が入れ替わるわけだが、初日はチューニングのないままに演奏に突入したのである。わたしには、オーボエ奏者が楽器を構え、コンマスに目で訴えているように見えたのだが、コンマスは心ここに非ず、ソリストと指揮者登場まで着席したまま・・。
2日目、どうするのかと固唾を飲んで注目していると、コンマスはサッと立ち上がりチューニングを始めた。やはり、初日は何か歯車が狂っていたのだ! コンマスがチューニングを忘れるなんて、「ローマの謝肉祭」に於ける痛恨のミスの動揺を引き摺っていたとしか思えない。
それにしても、チューニングしないまま、あの繊細なハーモニーの要求されるデュティユーを演奏する羽目となった管楽器奏者の気持ちを考えると気の毒になる。
さて、初日はモルクとベルリン・フィルのサウンドにどこか乖離(有機体と無機体)があったように思えたのだが、2日目は渾然一体となっていて見事であった。まるで、黄泉の国と現世の壁を取り払ったようかモルクの霊感溢れるパフォーマンス! 禅を思わせる静かな集中力と瞑想性に聴くものの魂は慰められるのであった。
モルクが、初日にはなかったアンコールを弾いたのも、演奏に満足がいったからかも知れない。ああ、バッハの無伴奏第2番のサラバンドの美しさといったら・・。ペレーニを聴いたときと同じ種類の感動といったら良いだろうか。もはや楽器の音ではなく、魂の声を聴いたような気がする。
メインのショスタコーヴィチも然り。
初日はコンマスのアクションもオーバー気味で、例えば、第1楽章の強奏部分では弦楽セクションが楽器の音を競っているかのようであった。さらに管楽セクションも妙技を披露し合うような虚しさがあったものだが、2日目はオーケストラ全体、奏法、表現ともによい意味での抑制が効いていて、ショスタコーヴィチの心の叫びが聞こえてくるようであった。そう、抑制された方が凄みの出るというところが音楽の面白いところ。
日本のオーケストラでも、定期演奏会の初日と2日目の出来映えが違う、ということはよくあるが、ベルリン・フィルクラスのオーケストラでも同様のことがあるというのは興味深いことである。しかし、修正の度合いは半端ではない。桁外れの音楽性と技術をもった集団が、表現のベクトルを内面に向けたときの凄まじさをまざまざと見せつけられた気がする。その底力に打ちのめされたベルリン最後の夜であった。