わたしと同じgooブログ所属の「静かな場所」というお部屋に、先日の「チチェスター詩篇」のご感想が書かれておりました。
後半に触れて頂いている「水のいのち」の映像ともども、「ああ、このように受け取って頂けると嬉しいなあ」という文章でしたので、ここに紹介致します。
(前略)
そして、(バーンスタイン作曲の)「ミサ」の雰囲気を思わせる、やや混沌とした第3楽章の出だしから、やがて合唱の虹のようなユニゾン(だったかな?)が繰り広げられ、圧巻は終結前2分ほどからのア・カペラ以降。
「見よ、兄弟が共に座っている。
なんという恵み、なんという喜び。」
アーメン
バーンスタインの願いと祈りが集約された、希望を感じさせるフィナーレですが、ここでの大阪フィルハーモニー合唱団は特にすごかった!
私は聴いていて、この合唱でこそマーラーの「復活」の合唱の入り部分を聴いてみたいなどと思ったりもしました。
第2楽章で藤木氏が会場に放った空気はまだ残っていて、故に2楽章以降、私はずっと涙目でステージを観、耳を傾けていました。
合唱指揮の福島章恭氏と合唱団のご活躍は、ネット上でうかがい知る程度だったのですが、今回実際に耳にして、その充実ぶりに大いに感銘をうけました。
You-tubeにこのコンビによる「水のいのち」(全曲)がアップされています(下に張り付けてあります)。
アマチュア、プロを問わず、これほどに楽譜と言葉のみを大事にした演奏を聴いたことがありません。
多くは、もっと細部に仕掛けがあったり(その程度はまちまちですが)何かしら工夫を凝らしたりという演奏がほとんど(少なくとも私が聴いてきた実演や録音に関しては)ですが、この演奏では指揮者も合唱も驚くほど意識されることなく、ただただ高野喜久雄と高田三郎の世界にだけ対峙できるのです。
そのスタンスは自己主張主体スタイルの対極であり、大変厳しい営みの賜物であることは間違いありません。
こんな合唱団と指揮者ですから、今日のような驚くべき「チチェスター詩篇」が実現したのでしょう。
指揮者のスラットキン氏も、合唱を絶賛していたとのことです。(後略)