福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

マリア・ジョアン・ピリス & リリット・グリゴリアン デュオ・リサイタル

2018-04-25 01:13:09 | コンサート

◆2018年4月24日(火)川口リリア・音楽ホール 19:00開演(開場18:30)

【オール W.A.モーツァルト・プログラム】 

4手のためのピアノ・ソナタ ハ長調 K. 19d

4手のためのピアノ・ソナタ ニ長調 K. 381/123a 

 ピアノ・ソナタ 第17番 ニ長調K. 576  (グリゴリアン)

     *************

ピアノ・ソナタ 第10番 ハ長調K. 330/300h  (ピリス)

4手のためのピアノ・ソナタ ハ長調 K. 521 

 

ピリス現役最後の姿を脳裏に焼きつけるべく川口リリアホールに向かった(26日の浜離宮公演には行けないため)。

オール・モーツァルト・プログラムで、今宵はソロではなく、弟子のリリット・グリゴリアンとのデュオ・リサイタルである。

結論を述べると、サントリーホールでの2夜を越える体験とはならなかった。

第一に共演者グリゴリアンとピリスの芸格に差がありすぎたことだ。

グリゴリアンのピアノは、よく言えば雄弁だが、表現過多。

上半身を大きく動かしながらのダイナミックな身振りから生まれる音楽は、あまりにも威勢が良くて、モーツァルトの音楽に備わる陰影というものが吹っ飛んでしまっている。

グリゴリアンが上声部を弾いたK.19dを弦楽四重奏に喩えるなら、経験豊かな渋いヴィオラ、チェロの上で、やんちゃなヴァイオリン2人が怖いもの知らずにガンガン弾きまくっているといった有様なのだ。

残るK. 381/123a と K. 521では、ピリスが上声を受け持ったため、そこまでの違和感は覚えなかったが、2人の奏者がお互いに高め合う、というようなデュオの醍醐味には遠かった。グリゴリアンの方からピリスに何か、霊感らしきものをもたらすということがなかったためだろう。

というわけで、休憩後のピリスのソロを楽しみにしたものだが、それもサントリーホールでのパフォーマンスに較べると精彩を欠いていた。重たいプログラムによる一連のリサイタルやNHK交響楽団との共演を終えて、お疲れがでたのか、緊張の糸が切れたのか、あるいは、グリゴリアンと同じ舞台に乗ることで集中を殺がれたのか、その全てなのか分からないが、特に第1楽章ではミスタッチも多く、演奏に精気が感じられなかった。第2楽章以降、ようやくピリスの本領は発揮されかけたが、その時間はあまりにも短かったのである。

さて、本コンサートには、演奏以外の点で、いくつか不満がある。

第1にステージマネージャーらしきものの不在。

デュオとソロの変わり目で、ピアノ椅子や譜めくり椅子を奏者2人が自ら移動させていたのは如何なものか?

手作りのコンサートらしくて微笑ましいと思えなくものかったが、見た目に美しいとは言えなかったと思う。

第2にソロの曲で残りの1人がステージ下手奥の椅子に座して聴くという演出について。

グリゴリアンのソロの時は、弟子の演奏を温かく師が見守るという体で不自然さはなかった。むしろ、グリゴリアンの演奏に不足するものを端正な姿勢で座すピリスの存在感が補ってさえいた。

ところが、ピリスの演奏時にはグリゴリアンの姿が視界に入ることが煩わしい。聴衆はピリスの音楽に没入したいのだ。

師の演奏を聴くのに(増して、聴衆の面前で)ガバッと足を組むというのもどうかと思うが、師が第1楽章を演奏している間に、ペットボトルから紙コップに水を注いで飲む、というのはいかにも品のない行為だと思われる。芸風そのものといえば気の毒ではあるが・・。

第3に譜めくりの人選ミスについて。

譜をめくるタイミングが早すぎたり、遅すぎたりで、明らかに2人の奏者への妨害となっていたし、聴衆からしても、「次は上手くめくるだろうか?」と心配になって気が気でない。

もう少し音楽を知る経験豊富な人材は居なかったのだろうか?

ピリス、日本での最後のステージとなる浜離宮ホールの公演は、美しいものであって欲しい。

もし、関係者が拙文を読んでくれたなら、上記の問題点を改善して頂きたいものである。

 

 

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マリア・ジョアン・ピリス・リサイタル ~ 内面に深く青い海を湛え、眼差しは遠い宇宙の彼方に

2018-04-17 23:46:09 | コンサート

この感動はなにかに似ている。と、思い出したのは奈良は秋篠寺の伎芸天である。

あの柔和なお姿から醸し出される妙なる調べ。

まさに天の音楽であり、その楽の音はアラベスクのように旋回しながら佇む我らの頭上に降りてくる。

伎芸天の場合、その調べは心象の中に聴こえるわけだが、ピリスの場合は現実の音として鳴らされるのだから、聴衆にとってこんな至福はない。

1曲目K.332の第1楽章こそ、まだ楽器が鳴りきれない恨みがあったが、第2楽章以降はみるみる音に生命が宿っていく。

第3楽章アレグロ・アッサイでは、音たちがなんと生き生きと自由に駆け回ったていたことか。

しかし、一転、2曲目K.333では、ピリスの眼差しは遠い彼岸を見つめる。

まるで、生と死の境界線のむこうとこちら側を行ったり来たりするように、明の中に暗が口を広げ、暗のなかに希望の灯が揺れる。

そして、いつしか、その境目すら姿を消して、歓びと悲しみ、涙と微笑みによる重層的な表現となった。

ピリスは、一般に「明るく、愉しい」と評されるこの作品から、晩年の「魔笛」にも匹敵する深遠な世界を見出した。だからこそ、これを「4つの即興曲」op.142 D935の前に置いたのだろう。

シューベルト「4つの即興曲」op.142 D935は、無念の死を目前に控えたシューベルトの心と肉体の苦しみと美しい生への賛歌の交錯する音楽だからである。

つまり、ピリスは、自らの現役生活の最後に、死を見つめつつ、生の美しさと尊さを歌い上げるプログラムを編んだということになる。

K.333に引きつづき、ピリスはその内面に深く青い海を湛え、眼差しは遠い宇宙の彼方にあった。

シューベルトの悲嘆、魂の慟哭、つかの間の夢と希望・・・。

ピリスはその肉体から余分な運動を削ぎ落とした合理的な奏法、どこまでも音楽的なアーティキュレーションとバランス、自然な呼吸と玉のように美しい音色でもって、シューベルトに献身した。

アンコールは「3つのピアノ曲」第2曲 変ホ長調。

長かった演奏活動を終える自らを労うように、佳き音楽人生への感謝の中にいくばくかの名残惜しさを滲ませながら曲を閉じた。

使用ピアノ:ヤマハ。

2018年4月17日(火)19:00開演 サントリーホール  
マリア・ジョアン・ピリス ピアノ・リサイタル 

モーツァルト: ピアノ・ソナタ 第12番 ヘ長調 K.332 

モーツァルト: ピアノ・ソナタ 第13番 変ロ長調 K.333 

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シューベルト:4つの即興曲 Op.142, D935

アンコール

シューベルト:「3つのピアノ曲」第2曲 変ホ長調 D946

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入神の域 マリア・ジョアン・ピリスのベートーヴェン

2018-04-13 00:02:53 | コンサート

引退することを表明したマリア・ジョアン・ピリスのリサイタルを聴く。

オール・ベートーヴェン・プログラムだ。

「悲愴」の第1楽章こそ、ミスタッチがあったり、低音域の大事なフレーズが十分に鳴らなかったこともあったが、それもいっときのこと。

プログラムが進行するにつれて精神的な高まりや内的な情熱が増していき、休憩後の作品111はまさに入神の域にあった。

まるで神々の庭でベートーヴェンの魂と語らうように音符たちは自由に羽ばたき、その一途なパフォーマンスに会場の清澄な空気に包まれた。

たゆまぬ精進の末、遙かな高みに至ったひとりの芸術家の魂に心よりの祝福を捧げたい。

もはやアンコールを望む気持ちも起きないほどの手応えであったが、それはあった。

6つのバガテルop.126より第5曲 クワジ・アレグレット

ベートーヴェンが最後に書き残したピアノのための作品のなんと軽やかで愉悦に満ちていたことであろう。

32の山々からなるピアノ・ソナタ創作の果てに辿り着いたベートーヴェンの心静かな境地こそ、まさにこの夜のアンコールに相応しいものであった。

2018年4月12日(木)19:00開演 サントリーホール  
マリア・ジョアン・ピリス ピアノ・リサイタル
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 Op.13「悲愴」

Beethoven: Piano Sonata No. 8 in C minor Op.13 ” Pathétique ”
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 Op.31-2「テンペスト」

Beethoven:Piano Sonata No. 17 in D minor, Op. 31-2 “The Tempest”

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ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調Op.111

Beethoven:Piano Sonata No.32 in C minor, Op.111

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モーツァルト「レクイエム」 東京オペラシティ公演 Blu-rayディスク届く

2018-04-07 00:38:26 | コーラス、オーケストラ

Veritas Choir Japanのドイツ・レクイエム本練習初日となった本日、モーツァルト「レクイエム」演奏会のBlu-ray(プライベート盤)が届きました!

昨年11月16日、東京オペラシティコンサートホールに於ける特別演奏会のノーカット・ライヴ映像です。

歌劇「魔笛」序曲、交響曲第40番については、自分の指揮を改めたい点もありますが、「レクイエム」に関しては、手前味噌ながら凄まじい名演と呼べるのでは。

ソリスト陣、オーケストラが抜群に素晴らしいのは当然として、コーラスも大健闘しており、全体にかなりの水準にあると思われます。

12月のウィーン・シュテファン大聖堂公演、カプツィーナ教会公演もそれぞれ素晴らしいものだったけれど、この東京公演にも大きな個性があり、優劣は付けられません。

WAONレコードのワンポイントマイクによる録音も素晴らしいの一言。

それだけに、一般に公開できないことが、本当に悔やまれます。著作権、肖像権の関係で、どうしようもありません。

 

そんなこんなで、今宵もまた夜更かしとなりました・・・。

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温かで幸せなコンサート ~ 長岡混声合唱団第14回定期演奏会

2018-03-26 11:54:40 | コンサート



長岡混声合唱団第14回定期演奏会は、朝日酒造エントランスホールのヨーロッパの教会を思わせる神聖な空気の中、満員の聴衆からの温かな拍手に包まれて終了しました。



特に、高田三郎先生の「水のいのち」、典礼聖歌「ちいさな ひとびとの」(アンコール)では、技術の限界を超えて、作品の本質に迫る演奏だったと思われます。

フォーレ「レクイエム」に於ける遠藤紗千さん、藤井大輔さんの独唱も、それぞれ作品の美に相応しく、虚飾を廃した瑞々しい歌声で、合唱団員と聴衆に感銘を与えてくださいました。

日々のレッスンで団員を支えてくださった小山惠さんのピアノ、そして、祈りに溢れた小沢さちさんのオルガンにも感謝の言葉のほかありません。



また、遊びのない真剣な演目に、じっと聴き入る聴衆の集中力の高さと豊かな感性について、遠藤さん、藤井さん、小沢さんらより大きな賞賛を頂いたことを、ここにご報告致します。長岡の音楽文化に長く携わる一人として誇らしく思いました。



長岡混声合唱団は、記念すべき第15回定期演奏会に向けて、ブラームス「ドイツ・レクイエム」への挑戦を開始します。来年2月のサントリーホール公演、6月のベルリン・フィルハーモニーホール公演への参加(有志)を経て、来秋には地元長岡にて、室内オーケストラ版での本番となります。
まさに、一粒で三度美味しい、これからの長岡混声合唱団を宜しくお願い致します。




写真撮影: 吉田敏幸さん(最後の4枚目、6枚目を除く)

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