福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

雨の日にブルックナーを壁に飾る

2020-04-20 19:47:26 | コーラス、オーケストラ



雨模様ということで、音楽室の片付け。ピアノの横の壁を高田博厚の石版画からブルックナーの肖像画に架け替えました。7年ほど昔、都内のディスクユニオンに置かれていたのを衝動買いしたもの。もともと破損していた額を更に壊してしまい、暫く床に置かれたままだったのですが、本日、ようやく補修を完了した次第。





JACOB GROHによるエッチング。商標として、ウィーンのV.A.HECK社、刷り師はL.Pisaniとあります。版画家、会社、刷り師ともに、検索するとヒットしたのは嬉しかったです。
印刷された部分が周囲より凹んでいるところをみると、歴とした本物と思われます。が、定かなことは分かりません。手書きのサインやナンバリングもないので、美術品としての価値より、ブルックナーを身近に置く歓びに価値があるのでしょう。


とまれ、これにて、毎日、ブルックナー先生にご挨拶できるようになりました。
日々の勉強の支えとします。


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祝! 「新版クラシックCDの名盤」増刷 ~ 旧版の思い出も交えて(第3回)

2020-04-18 15:01:49 | コーラス、オーケストラ

当ブログに先だつ2週間ほど前、新版増刷の歓びをフェイスブックにて報告したところ、思いがけず多くの方に感謝や激励のお言葉を頂戴した。

「座右のガイドとしている」「バイブルです」「3人の掛け合いが絶妙で面白かった」「(1人でよいから、或いは他の人と組んで)続編を書いてほしい」など。
涙が出るほど嬉しかった。わたしの中では半ば過去のものとなっていた「クラシックCDの名盤」の影響力の大きさを改めて実感したのである。

 旧版が9年間で17刷、新版が12年間で6刷。旧版の勢いは凄まじかったので、1刷あたりの部数も旧版の方が遙かに多かったように記憶する。販売総数の差は単純に3倍では効かないだろう。そこで、気がかりなのは、多くの読者に「旧版の福島章恭しか知って頂けていない」ということである。すでに価値観の定まられ揺るぎなかったお二人とは違い、37歳から46歳のわたしは価値観や美意識の大きな変動期にあった。新版にはその変化が反映されている。自らの演奏経験やアナログ回帰によってもたらされた大きな変貌を、もっと多くの方に伝えたいという想いはある。

ところで、「新版クラシックCDの名盤」は、出発の段階から「売れること」を第一目標には置かなかった。売れることより「残る」ことを意識した。新書として「売る」ためには定価を900円以内に設定しなければならない。分厚く重たいよりは、手軽に手に取れるもののほうが喜ばれる。旧版のページ数はそこから計算された。そのセオリーを敢えて無視して大増ページを敢行したのは、「これが最初で最後の増補改訂版となるだろう。許される限り多く書き残したい」という三人の著者の共通の想いであり、それに編集者も共感してくださったゆえである。

 新版から6年後の2014年には、「クラシックCDの名盤 大作曲家篇」を刊行し、これが3人の共著の最後となった。ここでは、著者3人の対決姿勢は消え、3人がそれぞれ好き勝手に語るというスタイルへと変貌している。肩の力が抜けたというか、融通無碍というか、これはこれで味わいのあるものだが、初版の熱さ、エキサイティングな遣り取りを懐かしむ声があるのも不思議ではない。

「大作曲家篇」刊行の少し前、編集者に向かって、
「もうCDの時代でもないでしょう。書名を変えませんか?」
と提案したことを覚えているが、「このビッグネームを外すわけにはいかない」という文春営業部の方針は揺るぎなく、最終的にお任せすることとした。これに勝る対案は浮かばなかったし、いま振り返れば、そのままで正解だったと思う

 さて、合唱指揮活動が充実し、多忙となるにつれ、執筆から遠ざかり月日は流れた。ひとり部屋に籠もり、消耗戦を強いられるよりは、多くの人々と音楽を作り上げる歓びが勝ったのだ。また、大阪フィルハーモニー合唱団の指揮者に就任してからは、国内演奏会の批評も軽々しくできなくなった。ひとつのオーケストラに所属する人間が他のオーケストラを批評するのは、儀礼的にあり得ないことだし、そこで批評した指揮者やソリストと共演することだってあるかも知れない。それは気まずい(笑)。そんな不自由さも手伝って、書くことに積極的になれなかったのである。

 ところが、この度の新型コロナウイルス禍により、我が人生の全てとも言える合唱活動ができなくなってしまった。三密、即ち「密閉」「密集」「密接」を避け難く、常に飛沫を伴うがゆえに、暗いトンネルの出口も見えない。ドイツでは8月いっぱいの演奏会は中止が決まったし、或るアメリカの医療関係者は音楽イベントの再開は少なくとも来年の秋になるだろうと予測している。もちろん、1日も早くの収束、再開を祈るばかりだが、こればかりは個人の力では如何ともし難い。

 そんな鬱々とした気分の最中に届いたのが「新版クラシックCDの名盤」増刷のニュースであり、多くの読者からのご声援である。これは「執筆を再開せよ」とのお告げに違いない。そう受け止めなければ罪だ。

さてしかし、何を書こう? 

 新版の出された2008年当時でさえ、中野さんは「まえがき」の冒頭、「CDの売上高が減少を続けている」という一文から綴られている。CDの落ち込みに関しては、いまや12年前の比ではない。さらに、名曲名盤ガイドという形式は、もはや不要となりつつある。かつては、限られた小遣いの中から、どのレコードやCDを買うべきかという音楽愛好家の 羅針盤たり得たが、いまは、ナクソス・ミュージック・ライブラリーに加入すれば、同じ作品を何十という演奏で聴くことができる。音質さえ気にしなければYouTubeで十分という人もあるだろう。つまり、評論家のお墨付きなどお構いなしに、各自が好きな演奏を選ぶ時代なのだ。
 ネットで自由自在、音楽を無限に選べる今という時代に、従来の「名曲名盤ガイド」の枠を超えた本を書かねばならない。読んで愉しく、作品やその演奏に新しい光を当てた本を。
 それを模索したいと思う。

(取り敢えず、以上)

※写真は、宇野功芳先生お別れの会 2016年9月21日 飯田橋ホテルグランパレスにて
https://blog.goo.ne.jp/akicicci/e/11763b847666d3f405d551d492c2e1a4

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祝! 「新版クラシックCDの名盤」増刷 ~ 旧版の思い出も交えて(第2回)

2020-04-17 21:13:16 | コーラス、オーケストラ



ところで、旧版の出版された1999年といえば、宇野先生は69歳(1930年生)、ひとつ下の中野さんは68歳(1931年生)。
1962年生まれのわたしは弱冠37歳。既に大家の域にあったお二人とは30以上も年齢が離れていたことになる。もっと他に経験豊かな書き手があったろうと思われるが、わたしが第三の著者に選ばれた経緯を思いだしてみたい。


ある日、宇野先生より以下の内容のFAXが届いた。
「大至急、君の原稿をこの人に送りなさい」
そこには、何の理由も書かれていなかったが、早速、指定された宛名に、それまでに「音楽現代」に寄稿した文章の数々やアリオン音楽賞(後の柴田南雄音楽賞)奨励賞を受賞したときの評論などを郵送した。
その送り先こそ、中野雄さんのお宅であった。しばらくすると、中野さんよりお手紙が届き、「原稿拝読。内容も興味深く、文章もしっかりしている。是非三人で本を書きましょう」とあった。

21年前と言えば、合唱指揮の仕事ははじめていたけれど、今ほど多忙でもなく、書く仕事を求めていたので小躍りしたのを覚えている。聞けば、文春新書のためにクラシック音楽の名曲名盤ガイドを企画しているとのこと。確か、仮の書名には「永遠の名盤」という言葉が入っていたように記憶する。宇野先生と二人で書くことも考えたが、もう一人加えて三人の方が面白くなるに違いない。そこで、宇野先生に相談したところ、わたしを推薦してくださったというのである。

つまり、三人で書くというアイデアは中野さんによるものであった。
さすが、音楽プロデューサーとしても活躍された中野さんらしい卓抜な閃きである。実のところ、三人目の著者について、中野さんの胸中には既に別の方のお名前があったらしい。わたしの原稿が鮮やかな逆転ホームランとなったわけだ。「クラシックCDの名盤」との出会いは、わたしの人生を変えるものであったことを考えると、実に感慨深い。改めて、推薦してくださった宇野先生、選んでくださった中野さんに感謝の念が沸き起こる。

ところで、中野さんが、当初、共著者として考えられていた方はどなただろう? わたしから尋ねることもなかったし、中野さんも決してお話しになることはなかった。もしかすると、宇野先生もご存知だったのかも知れないなあ。

※写真は、2015年1月。山田和樹指揮横浜シンフォニエッタ公演の開演前。於・フィリアホール
 https://blog.goo.ne.jp/akicicci/e/88c42c3035c6b18d1025e13f56faa974

(第3回につづく)

 

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祝! 「新版クラシックCDの名盤」増刷 ~ 旧版の思い出も交えて(第1回)

2020-04-16 18:44:36 | レコード、オーディオ

ご報告が遅くなったが、今月1日付にて、文春新書「新版クラシックCDの名盤」が増刷された。第6刷である。初版の刊行が2008年7月20日。出版不況と音楽ファンのCD離れが加速するなかの増刷は本当にありがたい。12年の長きにわたり現役選手でいてくれたわけで、愛おしさが湧き上がる。すべては、支持してくださった読者の皆様のお蔭であり、ここに感謝の意を表したい。
 さらに、旧版「クラシックCDの名盤」の初版刊行からは21年間が経ったということになる。旧版はよく売れた。9年間で17刷を重ねた。続編の「演奏家篇」と合わせて10万部を超えたというから、クラシック音楽を扱った書籍としては破格の売れ行きであった。
 宇野功芳先生のカリスマ、中野雄さんの博識、この二大巨頭に福島章恭という向こう見ずな若造が絡むという斬新なスタイルに人気の秘密があったのかも知れない。この大ヒットは文春新書編集部を大いに喜ばせることになったが、実のところ企画の段階では、文春社内からは期待されていなかったらしい。「共著は売れない」というジンクスがあるのだという。さらには、当時、文春にはクラシック音楽に詳しい編集者も校正者もおらず、さらに新書というジャンルに類書がないものだから、「こんなものが売れるとは思えない」という空気が蔓延していたのである。

 原稿を書くのは愉しかったが、その後、本が出来上がるまでには苦労があった。というのも、校正者がいないということは、自分たちで校正までもしなければならなかったことである。誤字、脱字、漢字の統一などは社内の方にもできるのであるが、作曲者、作品、演奏家、レコード会社、CDにまつわることなど、音楽的なこと一切はすべてチェックしなければならない。たとえば、シューマンがショーマンと印刷されていたも文春サイドでは直してくれない。管弦楽団と交響楽団の表記違いも自分たちで発見しなければならない。デッカとかグラモフォンとか言っても、これは何ですかと問われる。ある編集者からは「福島さん、ヴァイオリンが歌うと書いてありますが、ヴァイオリンって歌うものですか?」と問われて腰が抜けそうになったのは笑い話である。
 致し方なく、中野さんとぼくとの2人が何晩も文春編集部に泊まり込み、校正、編集作業を続けた。紙面に少し隙間ができたら、即興でコラムを執筆し挿入するなど、今となっては懐かしい思い出だが、昼間は片眼ずつ眠るようなおよそ1週間。宇野先生からは「福島君、それは君たちの仕事ではない。編集者に任せて帰りなさい」と叱られるし、中野さんからは「そんなこと言ったって、ぼくらがこれをやらないと本が出ませんよ」と諭されるなか、ようやく校了となったときは、嬉しかったなあ。

 さて、書名をどうしようか? 
となったとき、あれこれ考えて「クラシックCDの名盤」を提案した。
当時、姓名判断に凝っていたわたしが考えたことは、以下である。
1.画数はもちろんのこと、平仮名、カタカナ、漢字、アルファベットの4種の文字全てを採用し、拡がりと包容力をを感じさせること。
2.書名の冒頭をクラシックからはじめること。即ち、カ行=無声軟口蓋破裂音の勢いの良い音を求めた。
3.読んで心地よいリズムとすること。
4.活字にしたときに見栄えの良いこと。
 幸い、わたしの案は宇野先生にも中野さんにも「それはいい!」と賛成して頂けた。
この新書の売り上げに、わたしの命名が幾ばくかでも貢献できているとしたら幸いである。

(第2回へつづく)
 
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毎日休日 

2020-04-16 00:15:43 | 日記
本日も1日自宅で過ごしました。かれこれ三週間ほど、ただただ在宅しているというのは、学校の長期休暇を除いては、幼稚園入園前以来かも知れません。
音大入試前の浪人時代も基本的に在宅はしていましたが、週に何日かはピアノ、歌、ソルフェージュなどのレッスンには通っていましたし・・。
というわけで、多忙を口実に放置していたウッドデッキのメンテナンスを行うことにしました。イペという横浜の大桟橋デッキにも使われている堅い木材なので、それほど手入れは要らないという話でしたが、流石に10年も経つと紫外線や雨風による傷みが目立つようになりました。
ドイツのオスモというメーカーの自然塗料。油性は手軽で耐久性はあるのですが、あの臭いは苦手なもので・・。
選んだ色は、ローズウッド。思ったより濃い色で、イペのオリジナルから遠ざかったのは些か残念。しかし、眺めているうにに、これはこれで良いと思えてきました。
ここまで三日がかり。
太陽の下、風に吹かれながら塗装する作業は、運動不足解消も兼ねて気持ちのよいものでした。いまは、コーラスのレッスンができないので、目の前に少しずつ完成に向けて仕上がっていく何かのあるのは嬉しいものです。
しかし、塗る前に板の表面を磨く作業は楽しいものではありません。ネットには、サンドペーパーで磨けとありますが、この面積はとても無理。数年前に手摺りのみ塗装したときの苦労を思い出し、少々乱暴ながらスチール製のデッキブラシでゴシゴシと。汚れというより表面ごと剥がす感覚で、ボロボロと垢状のものが落ちる様は、韓国のアカスリみたいでありました。
明日には手摺り部品も磨き終わるので、注文済みの塗料が届き次第、作業に入ります。
手摺りは、気分を変えて、オークという色を選択。どんなになるか楽しみです。
さて、音楽とは関係ない話をダラダラとしてしまい失礼しました。
ここで予告です。
今月1日付けにて文春新書「新版クラシックCDの名盤」が増刷されました。先の見えない日々の中で、嬉しいニュースでありました。
これについては、旧版刊行時のエピソードなどを交え、もう書き上げてあるので、手直し完了次第、アップします。
どうぞお楽しみに。


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ミサ・ソレムニス ~ 高らかに歌える日を!

2020-04-11 11:39:03 | コーラス、オーケストラ

4月10日(金)、11日(土)の2日間はは、大フィル第537回定期演奏会、音楽監督・尾高忠明先生のタクトにてベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」を演奏しているはずであった。マエストロにとって、満を持しての「ミサソレ」初指揮。いつもの緻密なアナリーゼに基づいた十全なリハーサル、そして、渾身の気合いでもって演奏者のすべてを、遥かなる高みに連れて行ってくださっていたことだろう。

創設者・朝比奈先生のDNAを受け継ぐ、大フィルと大フィル合唱団にとって、ベートーヴェンこそ中核のレパートリー。記念碑的な演奏会となっていたことは間違いなく、このたびの中止は痛恨である。延期も検討されたが、少なくとも今シーズン中の開催はスケジュール的に不可能とのことであった。

合唱団員一同、気落ちしていたところに、尾高先生から、大フィルホームページに以下のメッセージが寄せられた。

≪尾高忠明からのメッセージ≫
新シーズンの始まりの定期公演。私にとって初めての、ミサ・ソレムニスへの挑戦。とても残念ではありますが、断念せざるを得ません。

この見えざる敵に対して、全世界が一つになって戦い、敵の終息を勝ち取り、全世界の平和につながるシナリオにしましょう。「この世に無意味な事はない。」と言う考え方がありますが、極力被害を少なく食い止め、各国間も友好関係を築くチャンスです。終息後には、また皆様の前で精一杯の演奏をさせて頂きたいと、強く強く思っています。来年の定期演奏会ではミサ・ソレムニスを、ぜひ取り上げたいと思います。

恩師サヴァリッシュ先生が「この曲は本当の平和を知ってから指揮しなさい。」と言う教えを残してくださいました。
終息を!平和を!

大阪フィルハーモニー交響楽団 音楽監督 尾高忠明

これには、救われた。ひとつ前の記事にも書いたけれど、希望を頂いたのである。

ところで、演奏会の中止を「痛恨」と書いたことは嘘ではないが、それが告げられた瞬間にホッと緊張の糸が解けたことも事実である。というのも、2月以降、新型コロナウイルスの感染者数が日に日に更新されゆくほどに、レッスンをつづけることの心理的負担は増大していたのだ。ホームグラウンドである大フィル会館は一般の練習会場より天井の高い大きな空間であるとはいえ、100人を超す人間が一斉に飛沫を飛ばすことに変わりはない。団員の前後左右の間隔を大きく開けるなど、感染リスクの軽減を模索しながらのレッスンをつづけたが、効果は疑わしい。

わたし自身、東京~大阪間の新幹線や飛行機の往復、大阪のホテル滞在や外食など、常に感染のリスクに晒された状況にあり、それをレッスン会場に持ち込まないという保証もない。

さらには、世情の不安から団員の出席の奮わないのも致し方のないところで、大フィル合唱団としてのベストパフォーマンスを示すには厳しい状況にはあった。本番一発の瞬間芸ではなく、レッスンの積み重ねこそが演奏の尊さであろう。

というわけで、感染への恐怖と音楽的な完成度への不安、この二つから解放されたことにより、心理的な安心がもたらされたのである。


http://rose-theatre.jp/wp-content/uploads/2014/05/vol.44.pdf

ミサ・ソレムニスは、わたしにとって最も大事な音楽である。大学生時代(1983年)、新星日響の定期演奏会にて朝比奈先生の指揮で歌わせて頂いた感動は、37年を経た現在もこの胸に生きているし、井上道義先生との出逢いもこの作品に於いてであった。2003年、静岡県富士市のロゼシアター開館10周年記念公演の本番が井上道義先生指揮の新日本フィルハーモニー交響楽団であったのだ。この時の手腕が買われ、井上先生に可愛がって頂くこととなり、それが間接的に大フィル合唱団指揮者就任にも繋がったことを思うと、まさに我が運命の作品と呼ぶことはできるのである。



実のところ、この5月2日から来年2月25日への延期が決まったヴェリタス・クワイヤー東京と混声合唱団ヴォイスの紀尾井ホール公演も、当初計画されていた演目は「ミサ・ソレムニス」であった。諸事情により同じベートーヴェンの「ミサ曲ハ長調」となったわけだが、ここへきて「ミサ・ソレムニス」が二回連続お流れになったということになる。どちらも「まだ早い」という天の声であると受け止めることにしている。

尾高先生のお言葉通り、来年の定期演奏会にて再び挑むことができるのなら、合唱指揮者としての全てを賭すつもりである。大フィル合唱団メンバーも同じ気持ちでいてくれるに違いない。

新型コロナウイルス、即ちCOVID-19の収束の見通しはつかない。1年から2年かかるだろうという専門家もあるし、これは序の口で、次なる新型ウイルスの流行も起こり得るという人もいる。さらには、地震等の自然災害への心配や国際紛争の火種も尽きない。経済への未曽有の打撃は音楽界にも負の影響をもたらすであろう。しかし、このような困難な時であるからこそ、我々には常に最高の美を目指し、己と闘いつづけたベートーヴェンの音楽が必要なのである。

一日も早いレッスンや演奏会の再開の時、高らかに「ミサ・ソレムニス」を歌い上げられる日を待ち望んでいる。

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充電の日 ~ そろそろ再起動だ

2020-04-08 23:08:02 | コーラス、オーケストラ

今朝は、浮き(憂き)世を忘れ、しばし日向ぼっこ。
風の音、鳥の声、遠くの大工仕事の音、ご近所の生活の音・・。
陽の恵み。消耗した心のバッテリーへの充電だ。

 

  

楓、梅、白樫、山桜、ハナミズキ。
それぞれの声を聴こう。

 

コーラス・レッスンのない日々。
新型コロナウイルス騒動に心を支配され、停滞の日々を過ごしてきたが、そろそろ再起動しよう。

時間だけはあるのだから、レッスンの多忙を口実に遠ざかっていた執筆活動も再開しなくては。
さっそく、M新聞社の編集者に電話したところ、歓迎してくれた。
よし、明日は企画書を書くぞ!

 

 

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希望 ~ 再会の日のために

2020-04-07 15:45:00 | コーラス、オーケストラ

全世界の人々に、苦難の日々がつづいている。
友に、家族に、我が身に、忍び寄る健康や命への不安。
そして、明日は食べていけるのかという日々の生活への不安。

合唱指揮者であるわたしにとって何より辛いのは、演奏会のみならず、日々のレッスンすら行えないということである。合唱団の皆さんと共に音楽作りすることが生きる歓びであり、それは収入の絶たれることよりも苦しいことなのだ。

岐阜の合唱団からはクラスターが発生し、死者まで出てしまったことに胸が痛むが、この痛ましい出来事は、わたしの指導する合唱団も含め、どこで起こってもおかしくなかったことである。閉ざされた空間に、人が集い、声を発するということでしか「合唱」が成り立たないとするなら、新型コロナウイルスの収束が、かなりのレベルでなされない限り、活動の再開が難しいということになる。ここに出口の見えないもどかしさがある。

わたしの関わる直近の演奏会に限っても、以下が中止、または延期となった。

延期
1.やまと国際オペラ協会 設立5周年記念演奏会
モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」(ハイライト)、「レクイエム」
福島章恭指揮 やまと国際オペラ協会管&合唱団
2月29日(土)より8月16日(日)に延期
やまと芸術文化ホールメインホール

2.ベートーヴェン生誕250周年記念特別演奏会
モーツァルト「フィガロの結婚」序曲
ベートーヴェン「交響曲第7番」「ミサ曲ハ長調」
福島章恭指揮 東京フォルトゥーナ室内管弦楽団
ヴェリタス・クワイヤー東京 & 混声合唱団ヴォイス
5月2日(土)より2021年2月25日(水)に延期
紀尾井ホール

中止
大阪フィルハーモニー交響楽団 第537回定期演奏会
ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」
尾高忠明指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団&合唱団
4月10日(金)、11日(土)フェスティバルホール

それぞれの演奏会に対する想いは、別の機会に改めたい。

再開時期は見えず、判断も難しい。
機械音痴のわたしでも、少し勉強すれば、オンラインによるレッスンも可能となるのかもしれないが、生で息を合わせる感覚にはほど遠いものとなるであろうし、全団員の通信環境づくりも難しいだろう。自宅では大きな声で歌えない、という方だってあるに違いない。



いまは、ただただ、一日も早い収束(さらには終息)を祈るばかりである。

しかし、ただ座して待っているわけにもいかない。
合唱団員の皆さんの情熱、心の灯を消してしまわないように、できることを探らなくてはならない。

大フィル定期については、尾高先生より「来年の定期演奏会で取り上げたい」という力強いお言葉も頂いている。これは大きな希望だ。  

希望がもてる、というのは、なんと素晴らしいことだろう。

どんな暗闇にあっても、どんな谷底にあっても、人々が歌をやめることはない。
音楽を必要としない人などはいない。

音楽を愛する人よ。合唱を愛する人よ。
希望の光を胸に抱き、その灯をますます盛んに燃やしながら、来たるべきときに備えよう。再会の日は必ず訪れる。

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