福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

飛行機関連の負けがつづく

2018-01-31 23:43:44 | コーラス、オーケストラ


去る1月11日(木)のアムステルダムからドレスデン便の突如の欠航以来、飛行機関連の負けがつづいている。

帰国日の1月25日(木)には、成田~関空の乗り継ぎ便が遅れに遅れ、成田空港に6時間も滞在。そもそも、アムステルダム~関空直行便を手配すれば良かったのだが、うっかり変更不可の成田便を購入してしまったところが間違いの始まりであった。勝負事と同じで、天はこういう小さなミスを見逃してはくれない。

本日は、昨夜の長岡混声からの大阪入り。新潟空港発の伊丹行きがなんと出発40分前に欠航が決定。急遽、新潟駅に引き返しての新幹線大移動となった。

昨日からの積雪を考えるなら、早い段階で陸路への変更も検討すべきであったが、そもそも、雪国の長岡はともかく、海沿いの新潟市はさほど積雪しないという認識が邪魔をした。

ANAサイトにも「定刻予定」とアナウンスされていた上、午前中の便も無事に飛んだことを確認した上で新潟空港に向かったものだが、徐々に回復するという天気予報とは裏腹に空から落ちる雪は増えるばかり。ついには、わたしの乗る筈であった大阪からの使用機が着陸できずに大阪に引き返してしまい万事休す。



偏に、我が見通しと危機管理の甘さゆえの失態である。今年の雪を甘く見てはいけなかったし、冬の空の便を信用してもいけなかったのである。

遅刻によりマエストロや合唱団各位にご迷惑をかけてしまったことを大いに反省している。

次回からは、「ラッキー」をアテにせず、最悪を想定しつつ先手を打って行動しなくてはなるまい。
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ブラームス「ドイツ・レクイエム」合唱団員募集!

2018-01-29 11:16:26 | コーラス、オーケストラ


ウィーン・シュテファン大聖堂に於ける記念碑的なモーツァルト「レクイエム」公演を終え、ブラームス「ドイツ・レクイエム」の合唱団員募集が始まりました。

演奏会は、2019年2月27日(水) サントリーホールにて。

演奏会当日の感動はお約束しますが、本番指揮者であるわたくし=福島章恭が、ほぼすべての合唱練習を指導する、というのも、最大のセールスポイントです。

呼吸法、発声法から音楽的なことまで、ひとつの演奏会を通して、皆様の音楽人生を豊かにすること間違いありません。

多くの音楽、合唱、ブラームスを愛する方のご参加をお待ちしております。

日時: 2019年2月27日(水)
会場: サントリーホール

ソプラノ: 平井香織 バリトン : 与那城敬

オーケストラ: 東京ヴェリタス交響楽団(コンサートマスター: 崔文洙、新日本フィル、東京交響楽団をはじめとするトッププレイヤーにより構成)

また、2019年6月18日(火)には、ベルリン・フィルハーモニーホールでの演奏会も予定されております。ご期待ください。

東京練習会の詳細は以下をご参照ください。
厚木、名古屋、大阪の練習会については、次の機会にお知らせ致します。



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アルベルティヌムのカール・ローゼ展

2018-01-23 23:47:44 | 美術


クルト・クヴェルナー作品と対面したのと同じ日、ドレスデンはアルベルティヌム、ノイエ・マイスター美術館の企画展「カール・ローゼ展」を観ました。というより、寧ろこちらをお目当てに訪れたのでした。



ドイツの画家カール・ローゼ Carl Lohse (1895-1965) の名前は、この度ドレスデンに滞在するまで知らなかったのですが、なんとも惹かれる色彩であり、画風です。









肖像画も味わい深いものがありますが、風景画もとても心に残ります。









生前はなかなか正当な評価を受けることができなかったと言われるカール・ローゼのこと。もっと知りたくなりました。

https://albertinum.skd.museum/en/exhibitions/carl-lohse-expressionist/

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マルティン・ヘルムヒェン ピアノ・リサイタル

2018-01-22 22:36:41 | コンサート


ドレスデンからの帰途、アムステルダムに2泊することにした。そもそものお目当ては、明日23日夜のLes Musiciens du Louvre / Thibault Noally - ヴァイオリン&指揮によるによるバッハ「ブランデンブルク協奏曲全曲」演奏会であるが、今宵、コンセルトヘボウ小ホールに於けるピアノ・リサイタルも素晴らしいものであった。

マルティン・ヘルムヒェンという今年36歳となる俊英。ヨーロッパでは、ブロムシュテット、ゲルギエフらとの共演が絶賛され、わが国でも、N響やユリア・フィッシャーとの共演ほかでも高い評価を受けているようだが、わたしは初めての体験。

下記のようにシューマンを軸としながらシェーンベルクに揺れ、バッハ、メシアン、ショパンへと旅をしながら、全体にひとつのストーリー性を持たせるというスタイルの一夜で、例えばクライスレリアーナの8曲をドカンと置くとか、ソナタを全楽章演奏するというのとは大分趣が異っている。

まず、音がいい。
ホールの良さもあると思うけれど、ホールの鳴らし方を心得ている、とも言えるだろう。まるで、ピアノを乗せているステージそのものが、もうひとつの響板のように響き渡り、広がりと奥行きのある音の宇宙を作りだすのだ。

シューマンでは、情緒に溺れず、確かなタッチによる強靭な造形美をみせ、シェーンベルクでは、まるで禅のように静寂な瞑想性を創出する、など、作曲家による個性の違いを明確にしながらも全体の流れの美しい点に大いに感銘を受けた。

アンコールはメランコリックな小品と超絶技巧の絢爛たる作品。曲名が聞き取れなかったのが惜しまれる。日本のホールのように、会場出口付近に「本日のアンコール曲」などの掲示が張り出されることはないので。



プログラム

R. Schumann - Markiert und kräftig in F gr.t., nr. 1 (uit 'Noveletten', op. 21)

C. Schumann - Toccatina, nr. 1 (uit 'Soirées musicales', op. 6)

C. Schumann - Notturno, nr. 2 (uit 'Soirées musicales', op. 6)

R. Schumann - Ausserst rasch und mit Bravour in D gr.t., nr. 2 (uit 'Noveletten', op. 21)

Schönberg - Langsam, nr. 2 (uit 'Sechs kleine Klavierstücke', op. 19)

Schönberg - Sehr langsam, nr. 3 (uit 'Sechs kleine Klavierstücke', op. 19)

Schönberg - Rasch, aber leicht, nr. 4 (uit 'Sechs kleine Klavierstücke', op. 19)

Schönberg - Etwas rasch, nr. 5 (uit 'Sechs kleine Klavierstücke', op. 19)

Schönberg - Sehr langsam, nr. 6 (uit 'Sechs kleine Klavierstücke', op. 19)

R. Schumann - Leicht und mit Humor in D gr.t., nr. 3 (uit 'Noveletten', op. 21)

J.S. Bach - Sarabande (uit 'Vierde partita in D', BWV 828)

R. Schumann - Ballmässig, Sehr munter in D gr.t., nr. 4 (uit 'Noveletten', op. 21)

休憩

R. Schumann - Rauschend und festlich in D gr.t., nr. 5 (uit 'Noveletten', op. 21)

Messiaen - Regard des hauteurs, nr. 15 (uit 'Vingt regards sur l'Enfant-Jésus')

R. Schumann - Sehr lebhaft in A gr.t., nr. 6 (uit 'Noveletten', op. 21)

Chopin - Wals in a (uit 'Drie walsen', op. 34)

R. Schumann - Ausserst rasch in E gr.t., nr. 7 (uit 'Noveletten', op. 21)

Liszt - Bagatelle sans tonalité

Liszt - Nuages gris

R. Schumann - Sehr lebhaft in fis kl.t., nr. 8 (uit 'Noveletten', op. 21)

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ドレスデン最後の夜 コルンゴルト「死の都」

2018-01-21 21:45:54 | コンサート
ティーレマンがクナッパーツブッシュ以降最高のワーグナー指揮者のひとりである。そう確信させてくれた充実の「リング」第1チクルスを終えた翌日、同じくゼンパーオパーにて、コルンゴルト「死の都」を鑑賞した。この劇場では、はじめてのロジェ席にて。



「死の都」については、4年前の3月に新国立劇場での2公演を観ており、その記憶がまだ朧気にある。
かなり乱暴に要約すると・・。
舞台はブルージュ。自ら死の都と呼ぶその街の館で、死んだ女房マリーの幻影、記憶とともに生きる男パウルが、マリーに瓜二つの若い娘マリエッタに出会い、錯乱のなか一度は結ばれるものの妻の幻影を追い出すことができ
ず、ついにはマリエッタを絞殺してしまう。が、最後にそれが夢であったことが分かり、死の都ブルージュを捨て、新しい街で生き直そう、と決意する物語。

公演はとても充実していた。
まず、パウル役のブルクハルト・フリッツとマリエッタ/マリー役のマヌエラ・ウールの声、演技に申し分がなく、特に有名な「マリエッタの歌」の陶酔的な美しさはいつまでも記憶に残りそうだ。
ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスに定評があるというウールの声量と美しい声質は特筆すべきもの。
わが国では新国立劇場「ローエングリン」への出演歴もあるようだが、本年5月、チョン・ミュンフン&東京フィルによる「フィデリオ」公演にて、レオノーレ役を務めるようなので楽しみだ。しかし、いつか彼女のブリュンヒルデも聴いてみたい。

ドミトリー・ユロフスキ指揮のオーケストラは、変拍子や複雑なリズムのところで、やや歯切れの悪さはあったけれど、そのサウンドの深さと格調高さは一流。

演出で目を引いたのは、映像の重用。第1幕の後半、舞台裏から聞こえる死せるマリーの声が、マリエッタに惹かれゆくパウルを苦しめるとき、背面の壁に揺らめくマリーのシルエットが大きく投影される様のなんと幻想的なこと!



とまれ、「神々の黄昏」翌日に、これだけレベルの高い公演をサラリと成し遂げてしまうゼンパーオパーの底力には恐れ入った。

このクロークの風景ともしばらくのお別れだな。

https://www.semperoper.de/spielplan/stuecke/stid/tote-stadt/61061.html

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クルト・クヴェルナーに再会

2018-01-21 14:15:56 | 美術




2年前のドレスデン滞在時にわたしを虜にしたクルト・クヴェルナー(1904 - 76)の油彩3点と対面してきた。

上の2点、「帽子を被った自画像」「画家の両親」は、アルベリティヌムのノイエ・マイスター美術館にて。

もともとは、街中のポスターなどで気になっていたカール・ローゼの企画展がお目当ての訪問ではあったが、「土地柄、常設展にクヴェルナーがあるかも知れない」という期待が叶えられたものである。

ここでも、全く虚飾のない、真実だけを描こうという筆致が胸に迫る。



お昼を挟んで出掛けたのは新市街地のガレリー・ヒンメルである。明日のドレスデン空港までの乗り換えの下見に、ドレスデン・ノイシュタット駅まで出掛けたついでに訪ねることにしたのである。



日曜日のため、新市街地中のお店が閉まっており、ガレリー・ヒンメルも例外ではなかったが、それでも歩いた甲斐はあった。ショーウインドウに飾られていたのは、「天使の燭台を持った農婦」。たしか、二年前にも見た記憶がある。作品に大きな力があって圧倒される。



ただいま開催されているのはフリッツ・トレーガーという人の個展。全く馴染みのない名だが、展示室をウィンドウ越しに覗くかぎり、とても趣味が良さそうだ。
明日のアムステルダム行きのフライトが午後発のため、明朝、再訪することは可能かな。

ドレスデンといえば、旧市街地の街並み、建物の美しさに勝るものはないものの、多くの画廊のひしめく新市街地の創造的空気も悪くない。

2年前、どうにも咳の止まらないとき、新市街地のアポテーケ(ドラッグストア)に世話になったことも思い出した。こちらのハーブ・ティーの効き目の素晴らしさは、日本ではなかなか求められないことを知ったものである。

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ヤノフスキ&ドレスデン・フィルの「オイリアンテ」演奏会形式

2018-01-19 23:30:45 | コンサート


ベルリン・フィル定期への小澤征爾降板(ラヴェル: 歌劇「子供と魔法」)に伴い、ドレスデンに留まり、今宵はヤノフスキ&ドレスデン・フィルによるヴェーバー: 歌劇「オイリアンテ」の演奏会形式を聴くことにした。



「オイリアンテ」と言えば、序曲こそ有名なものの台本の評判の悪さから上演される機会は多くない。かくいうわたしもレコード、生演奏含めて、はじめての体験である。

ヤノフスキはこのオペラをレパートリーとしているようで、ジェシー・ノーマン、ニコライ・ゲッダ、トム・クラウセ、ジークフリート・フォーゲルら、錚々たる歌手陣を揃えたシュターツカペレ・ドレスデンとの全曲録音(1974)もある。



このコンサートのための予習は、あらすじを読んできただけ、という乱暴なもので、退屈してしまうのでは? という心配もあったが、思いのほか愉しむことができた。音楽は随所にワーグナーの先駆とも言えるべき美しい場面があり、木管の組み合わせ、ホルンの効果的な使い方など、オーケストレーションの妙をヤノフスキ&ドレスデン・フィルの充実した演奏が伝えてくれた。

歌手陣では、オイリアンテ役のエミリー・マギーと、悪玉リジアルドのバリトン、エギリス・シリンスが声も芝居も立派。
かたや、オイリアンテの伴侶アドラールを歌うベルンハルト・ベルヒトールトは、病欠のクリスツティァン・エルスナーの代役で、声は綺麗なのだが声量が全く足りないのが惜しまれた。また、オイリアンテを陥れる侍女エグランティーネを歌うカテリーネ・フォスターは、邪悪の性格をよく表現しつつも、所々ピッチに不安を残したのが残念。

さて、文句なしに素晴らしかったのはMDR(中部ドイツ放送)合唱団の歌うコーラス・ナンバーである。「オイリアンテ」という作品にこれほど合唱が重用されているとは知らなかったのだが、MDR合唱団によるまるでドイツ民謡を聴くようなドイツ・ローカルなハーモニーとディクションの美しさには、魅了され通しであった。我が指導するコーラスのひとつの目標ができた。

なお、あらすじでは第3幕に登場する村娘ベルタや騎士ルドルフの出番のなかったことをみると、台本の稚拙を補うためのカットが施されていたのかもしれない。気になるので帰国したら調べてみよう。



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これを聴きにきたのだ! ティーレマン「ジークフリート」

2018-01-18 23:53:27 | コンサート


「ワルキューレ」第2幕で火の着いたオーケストラ。今宵「ジークフリート」では最初から終わりまで、メラメラと燃え盛っていた。



ティンパニはますます激しく叩かれ、金管は容赦なく咆哮し、低弦の唸りは劇場の床を震わす。音楽は常に呼吸し、テンポは自由に揺蕩い、神秘のピアニシモから歓喜のフォルティシモまでダイナミクスの幅も無限大であった。



歌手陣には全く穴がない。
東京春祭で我々を熱狂させたアンドレアス・シャーガーは、益々輝かしく伸びる声、破天荒なスタミナでもって、聴衆を興奮の坩堝へと誘い、やはり、東京春祭で芝居巧者ぶりを発揮したゲルハルト・シーゲルも卑しくも哀しみを背負ったミーメの神髄に迫った。



ヴィタリー・コワリョフ(コヴァリョヴ?)も、さすらい人の威厳を歌い、昨年、新国立劇場の「ジークフリート」に登場したというクリスタ・マイヤーもエルダの神秘を全身に漂わせた。



ペトラ・ラングは、「ワルキューレ」のとき娘であったブリュンヒルデが、女となりゆく様を本当に美しく表現した。炎を越えて訪れたジークフリートにより眠りから醒まされ、起こした主がジークフリートであることを知ったときの歓喜の瞬間が今宵の頂点であったことは間違いない。



そう、これを聴きにきたのだ!
としみじみ思わせてくれる会心の公演であった。





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ティーレマン「リング」いよいよ後半戦

2018-01-18 12:02:04 | コンサート
今宵(1月18日)からはいよいよ後半戦。「ジークフリート」である。

「ラインの黄金」(13日)は、ティーレマンならもっと凄くてもよいのでは? と思ってもみたが、それは我が座席のせいかもしれない。パルテレ(平戸間)の前から16列目中央は頭上がロジェ(下の写真参照)、つまり頭上に低い屋根がある状況で、わたしの知るゼンパーオパーの音とは違ってたからだ。



これはいかん、というわけで、残り3公演のチケットを取り直すことに。そのロジェよりやや左の座席を確保して聴いた「ワルキューレ」(14日)は素晴らしいものであった。

数日前まで完売と告知されていた公演で、このような特等席が当日に入手できたのも、VIP客、招待客用の座席に空きが出たからであろう。

第1幕こそ、2年前の衝撃を超えなかった(あのときは、クナのレコード以上に感動した)が、第2幕ではティーレマンの棒に何かが降りてきたかのようで、オーケストラのサウンドに命の灯が宿り、最後まで最高の連続であった。

2年前、ここでジークリンデの究極の幸福を歌ってわたしを虜にしたペトラ・ラングが今回はブリュンヒルデを演じている。声、芝居ともに抜群で改めて惚れ直した。

第1幕の感動が2年前を超えなかった理由は、ティーレマン云々より、そこにペトラ・ラングが居なかったからかも知れない。



いずれにせよ、ゼンパーオパーの歴史とティーレマンの優れた劇場感覚に感服する日々。稀少な体験をさせて頂いている。
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ヤノフスキ&ドレスデン・フィルのブルックナー9番

2018-01-15 12:32:06 | コンサート


13日夜、ゼンパーオパーでティーレマン指揮の「ラインの黄金」を鑑賞し、翌14日の午前11時からは新装なったクルトゥーア・パラスト(芸術の宮殿)にて、ヤノフスキのブルックナー9番を聴く。さらに同じ日の16時からは再びゼンパーオパーで「ワルキューレ」を鑑賞する、というようなことは日常ではあまりないが、ドレスデンではあり得る。実に濃厚な2日間。



プログラム前半は、バルトーク: ピアノ協奏曲第3番。ピアノ独奏: フランチェスコ・ピエモンテージ

ヤノフスキの抑制された情感によるアプローチはバルトークの厳しさに似合っている。一方、ピエモンテージはやや過多とも思われる情感をバルトークの音に乗せる。両者のバランスは悪くなく、特に第2楽章の張り詰めた透明な抒情が美しかった。

後半はブルックナー「9番」。ヤノフスキのブルックナーでは、2015年にベルリン放響との「8番」をサントリーホールで聴いたが、今回はその何倍も素晴らしかった。

極めて小さなアインザッツによる指揮のため、オーケストラのアンサンブルはたびたび乱れるのだが、そんなことを超越した究極の美への想いがひしひしと伝わってきた。
いつまでも余韻に浸っていたいブルックナーであり、この想いを文字にできない、というよりは、したくない、といった類の感動であった。



新装されたクルトゥーア・パラストは写真で見るほどの高級感はなかったものの、音響は見事。独奏ピアノがあんなにクリアに聴こえるホールを日本で探すのは難しかろう。
ただし、空間は大きくないので、シカゴ響やフィラデルフィア管がバリバリ鳴らすためのホールではない。ヤノフスキも心得ていて、ブルックナーの最大音量も理性的にコントロールされていたように思う。
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