原稿の締切に追われているので、以下、ほんの覚え書き程度に(写真上はゲネプロ開始前)。
昨夜の大フィル第51回東京定期。
尾高先生によって変貌を遂げつづけている大フィルの「今」を伝える素晴らしい演奏会だった。
音楽監督として各セクションの能力を向上させるのは第一条件。その上で、個々の楽曲では、アーティキュレーションを明瞭にし、パート間のバランスを見つめ、楽曲の構造を明らかにするのは当然のこととして、尾高&大フィルには、朝比奈時代から受け継がれた熱さがそこにある。これがオーケストラの伝統というものだろう。
冒頭の武満こそ、もっと透徹した管のアンサンブルを求めたくなる場面もあったが、メインのエルガーではマエストロの智と大フィルの情熱が渾然一体となって大きな魅力となっていた。この名曲を生で聴く機会が少ないだけに、大いなる至福の時間であった。
ただ、個人的には、朝比奈先生のブルックナーから受けた感動には及んでいないことを正直に告白せずにはおれない。その理由は、わたしには分かっているつもりであるが、いまは書かずにおく。
なお、2曲目のブルッフ: ヴァイオリン協奏曲第1番では、神尾真由子が入魂の独奏。解釈云々より、楽器の鳴りっぷりの良さに魅了される。もちろん、音色も含めての魅力だが、その存在感が素晴らしかった。
ソロ・アンコールは、ハガニーニ: 24のカプリースから第24番。鬼気迫る気迫に女王の貫禄。恐れ入りました。