福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

長岡市民音楽祭に寄せて

2014-11-09 05:07:49 | コーラス、オーケストラ
本日は長岡市民音楽祭。
わたしの指導した総勢200名を越す祝祭コーラスはベートーヴェン「第九」のほか、「大地讃頌」「花は咲く」を歌う。「大地讃頌」のみ福島章恭の指揮(ピアノ: 小山恵)、残りはこの企画のために結成された祝祭オーケストラ演奏との共演となる。

市民音楽祭といえば、文字通り、市民による市民のための音楽の祭だ。常設団の定期演奏会のような格式張った重さはなく、華やかだったり、楽しかったりといった祝典的要素はあって当然である。
しかし、本番に至るまでのレッスンに、気の緩みや妥協があってはならない。
スポーツに於いても、真剣に取り組めば勝利の歓びもひとしお。反対に、ちゃらんぽらんな練習に終始していたなら、勝っても負けても、嬉しさも悔しさもほどほどで、試合後の飲み会がメインだったりする。

世の中にそういう種類のお楽しみもあって良いが、殊ベートーヴェンの音楽を歌う、演奏するにあたって、そのような安易な姿勢で臨むのはあまりに勿体ない。人類の至宝たる音楽、しかも技巧的難易度の高い作品と取っ組み合いをするわけであるから、常に全身全霊を傾け、ときには心に血を流さねばならぬこともあるのだ。音程、発声、発音、バランスやアーティキュレーションなど音楽づくりのいずれに於いても、アマチュアだからこの程度で良いということはない。

然るべき努力と苦労の先にこそ、真の歓喜があり、自由があるわけで、そこそこのレッスン回数で本番には大きな声を出してスッキリした、などという態度は最も戒めるべきことであろう。

と書くと、わたしのレッスンが鬼監督さながら血も凍るようなものと思われるかもしれないが、実際レッスン会場は終始にこやかで円満。為すべきことを無駄なく的確に為した充足感に満たされ、毎度毎度、皆さん笑顔で帰宅の途につかれたものだ。

昨夜のゲネプロを聴き、まだまだ修正すべき点や本番直前の高揚による勇み足なども散見されたが、トータルとしては、5ヶ月もの間レッスンを共にした連帯感溢れる爽やかなパフォーマンスであった。プロオケと共演しても恥ずかしくない出来栄えだと思う。

本日のステージも熱く、真摯で、歓びに溢れた歌声となることを信じているところである。
コメント (3)
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