埼玉りそな銀行の裏道には立派な足袋蔵が目白押しです。
”クリダイ”の名で親しまれている「栗原代八商店」の白壁の美しい足袋蔵です。
文化5年(1808)創業の老舗足袋商店で、「小町足袋」、「旗印足袋」の商標で手広く商売を営んでいました。
「栗代蔵」の一階は行田市内の見所や食べ物などのマップの配布や案内所になっており、二階は栗代蔵の歴史を感じられるギャラリーになっています。
「大澤久右衛門家住宅・土蔵」は江戸時代、藍染の綿布問屋を営み、行田町最大の豪商であった大澤久右衛門家が、江戸時代後期建設と思われる住宅と土蔵です。
土蔵は現存する最古の足袋蔵だそうです。
これが住宅です。
弘化3年(1846)の大火の際には、これらの2棟と、かつて南側にあった店蔵が、延焼を食い止めたと伝えられています。
「保泉(ほずみ)蔵」は、行田一の足袋原料商であった保泉商店(明治35年創業)の足袋の原料倉庫群です。
城下町特有の短冊形の細長い敷地に並ぶ、大谷石の店蔵、土蔵2棟、石蔵が表通りから1列見事に並んでいます。
棟方志功が『この饅頭 うまい! うますぎる!!』と激賞したと言われる「十万石ふくさや行田本店」です。
元々は明治16年(1883)棟上の元山田呉服店の重厚かつ豪勢な店蔵です。
後に足袋蔵に転用され、現在は埼玉県を代表する十万石饅頭の本店となっています。
他の足袋蔵にはない「なまこ壁」は改修の際に追加されたものです。
行田を代表する足袋メーカーである楽屋足袋が、昭和20年代後半に社長宅の隣に建設した大谷石の2階建ての足袋蔵です。
深い下屋を持つ長い大谷石の壁と一体となって建てられています。
戦後の行田を代表する足袋蔵のひとつでです。
武士から転身して創業し、「出世足袋」の商標で知られた森伴造商店の2棟の土蔵造りの足袋蔵です。
南側の土蔵は、佐野屋が嘉永3年(1850)に棟上した既存の土蔵を明治35年に譲り受けて足袋蔵に転用したもので、現在は私的な書斎兼民芸館「古蛙庵(こああん)」として活用されています。
北側の土蔵は明治45年(1912)に森伴造商店が棟上したものです。
次回は新町アーケード街付近の足袋蔵を見て回る予定です。
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