年の瀬の今日、日光街道・古河宿を散策しようと妻と二人で出かけました。
古河駅西口から日光街道(県道261号線)を南下します。
ほどなく肴町通り沿いの米銀商店の片隅に、「御馳走番所跡」の石碑が立っていました。
ここは参勤交代や日光参詣で通行する大名が、古河城主に敬意を表すための挨拶役の使者を接待し、ご馳走をふるまう番所があったところだそうです。
日光街道をさらに南下し「日本三長谷観世音参道」の石碑を右折すると長谷観音がありました。
そして長谷観音のすぐ北側に古河歴史博物館が見えてきました。
古河歴史博物館の隣には鷹見泉石(たかみせんせき)記念館がありました。
蘭学者・鷹見泉石の晩年の住まいだそうです。
泉石は、家老として、藩主土井利位(としつら)に仕えた古河藩士で「大塩平八郎の乱」などで大きな働きをした人だそうです。
鷹見泉石記念館からもう少し奥に進むと古河文学館がありました。
大正ロマンの香りが漂う洋館で、歴史小説の第一人者である永井路子、推理作家の小林久三など、古河ゆかりの作家の作品を展示しているそうです。
年末のため残念ながら博物館・記念館・文学館ともに休館でした。
文学館から細い小道を北上すると、煉瓦作りの・・・これが小学校か・・・と思えるような立派な校門がありました。
古河第一小学校です。
ところで埼玉県立浦和高校は公立高校として東大合格者数で常に全国上位に入る名門男子校です。
その浦高は文武両道をモットーとするのですが、それを表す代表的な行事として強歩大会(通称古河マラソン)があります。
この強歩大会は、浦高から古河第一小学校までの52キロの道のりを、7時間以内に走る抜けるという過酷な行事なのだそうです。
その過酷な行事のゴールがこの古河第一小学校というわけなのです。
そう言えば・・・この小学校の校門は何となく東大の赤門を連想させるような煉瓦造りですよね。(笑)
江戸町通りへ出ると古河篆刻(てんこく)美術館が見えてきました。
中国で生まれた書道芸術の一種である篆刻(てんこく)と呼ばれる書を集めた美術館だそうです。
そしてこの建物は、ここで酒類販売業を営んでいた平野家の石蔵として、大正9年に建てられ、その後古河市が改修工事を行い、現在は篆刻美術館として、保存・再生・活用が図られているということです。
国の登録有形文化財にも指定されています。
篆刻(てんこく)とは印章の一種だそうです。
街角(まちかど)美術館と篆刻(てんこく)美術館の間の洒落た路地裏を、妻が散策しています。
直木賞作家、永井路子さんの旧宅です。
修復された旧宅には、永井さんの幼少期から青春時代の写真のほか、永井さんの経歴を紹介するパネルや作品などがあります。
正定寺・隆岩寺の小道を通り抜けると、江戸時代が偲ばれる旧武家屋敷の土塀の続く通りに出ます。
旧武家屋敷から通りを東に歩いて行くと、右側に「日光道中道標」が立っています。
道標には「左日光、東筑波」と掘り込まれています。
常夜灯つきの貴重な道標です。
今日のウォーキングはここまで、約3時間のウォーキングでした。
古河駅にもどり、駅ビル内にあるロッテリアでコーヒーを飲んだあと、日光街道・古河宿に別れを告げました。
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