たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

不在者投票にいかねばと思います

2021年10月24日 00時02分05秒 | 日記
 昼間は陽射しがまぶしかった土曜日、なんとか生き延びました。入力作業、ずっと坐っているのもよくないのでしょうね、これはこれで足腰が疲れます。かといって15分以上立ったままだったり歩き続けたりすると足に痛みと痺れがきてどうしようもありません。デパートの中とか、自分の歩いている姿の全身が映ったりすると体を左右に揺らしながら歩いています。いつからなのか自覚がありませんが変形股関節症の人の特長。仕方ありません、隔世遺伝により?生まれる前から右の股関節が脱臼しているのですから、これで半世紀以上生きてきているのですから、それをこんな年齢になって知ったのですから、自分ではどうすることもできません。出勤は週に3回、一日6時間が限界と感じます。在宅でやれる仕事もみつけていかないと自分を食わせていくことができません。手術をすればだいぶ楽になるって具体的にどれぐらい?どれぐらい楽になるんですかね、逆に大変になることはないんですかね。来週の月曜日も整形外科のリハビリ、予約していますがいきたくていくわけではない。次の日ものすごく体がつらい、出勤できない、整形外科なんかいくよりも自分を食わせていくためにわずかばかりでも稼ぎたい。毎週のように医者通いなんてまっぴらごめん。全身のバランスがとてつもなく悪く体全体が常に緊張していることですごく疲れるように感じます。もし変形股関節症でなかったとしら、もう少しまだやれるのか。この体で気力でここまできたのでどの程度まで疾患によるものでどの程度が加齢によるものなのかわかりません。悔しいですけれどこれまで年金も税金も払い続けてきたのに、支給開始年齢あげられて見込み額は毎年減るばかりではこの先生きていけなくなる時が訪れるという現実がリアルにせまってきました。今すぐではないですが5日間フルタイム出勤で働くことはもう無理なので、限界がくるときは前倒しになりました。60歳になれば年金の受給資格はあるようですが繰り上げ請求すると減額率×月数分減らされてそれがずっと続くらしい。そうでなくてもこれだけ?っていう金額なのにさらに少ない。今まで私が払ってきたお金なのになんとも悔しい。

 わたしだけではないと思います、同世代、下の世代、悲鳴があがっています。長い間社会保険料も税金も払い続けてきたのに、間接的に十分貢献してきたのに、一生懸命働いてきた人が報われない社会。投票用紙が一昨日だったかな、届きました。まだ開封していませんが不在者投票にいって反対票を投じなければと思います。帰着して団地の前に設置された選挙ポスターの前で立ち止まり、はて誰に?どこに?と考えてしまいました。でも投票率が低いのは肯定することになります。現役世代、若者、忙しくても、余裕なくても投票にいかないとさらに報われない社会になる、いびつなピラミッドがさらにいびつになる、さらに大変なことになっていくと危惧します。

住まいの地区の候補者がわかるサイト、
「第49回
衆議院議員総選挙
10月19日公示 10月31日投開票」
https://shugiin.go2senkyo.com/49/

最高裁判所裁判官の国民審査もあります。
NHKの特設サイト、
「最高裁判所裁判官 国民審査 2021 ❝憲法の番人❞ふさわしいのは」
https://www3.nhk.or.jp/news/special/kokuminshinsa/2021/jd-miyama-takuya.html

日本が、世界がよくなっていくようにという思いをこめて不在者投票に行こうと思います。

秋がどこかへいってしまいました

2021年10月22日 23時52分27秒 | 日記
 10月に入っても暑く、一週間ほど前までお風呂上りには温度設定高めで冷房をつかっていたような気がしますが突然真冬になりました。夕方外に出たら冷たい北風が吹いていました。軽いダウンに一番寒い季節用のコートで買い物。明日はまた気温が少しあがるようですが朝はもう冬でしょうか。バスと電車を待つ時間がこたえます。今日と同じ真冬仕様のコートで出るつもりです。寒いと筋肉がかたくなるのでこれはまた股関節にこたえます。リハビリの翌日の辛さから脱して、体を休めたこともあってか今日はほとんど痛みを感じることなく、可動域がまた少し戻りました。どんな冬になっていくのか。

 来週はまた相談窓口にも行かねばなりません。ほんとうは整形外科なんかいっている場合ではない、毎週医者などいきたくない、自分を食わせていく手立てを考えることの方が先決。保険適用なので何千円とかかるわけではないですが、手術をしないかぎり死ぬまで通い続けなければならないとなるとずっとこの医療費を払い続けなければならないのか。

  今年は気温差がいちだんとすごいです、春がなかったような気がしますが秋もなくなってしまいました。これからどうなっていくのか、考え始めると不安と絶望ばかり、もう休みましょう、未来を思い患う頭と心を無理にでも休めましょう。明日の朝はまた無事に出勤できますように、5時間ぐらいは眠れますように・・・。


 



宙組『シャーロック・ホームズ』『デリシュー』-ナウオンステージより(1)

2021年10月22日 16時31分33秒 | 宝塚
宙組『シャーロック・ホームズ』『デリシュー』-東京宝塚劇場千穐楽ライブ配信(3)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/660c5e8b33af3c431be18294e6cac78e




オンデマンド配信中の『『シャーロック・ホームズ』『デリシュー』のナウオンステージより、配信終了前に抜粋して文字起こし。コロナ禍で二手に分かれての収録。

ライブ配信2回、東京宝塚劇場で2回、楽しかったあの時間に戻りたい。現実を忘れて幸せなひとときでした。

『デリシュー』、

🍰まかキキじゅんはなちゃんチーム

プロローグ、
真風さん「ゴンドラの乗り心地はいいよ」「あがったら可愛い世界がひろがっている、ぱあっと大階段があるのが素敵」
キキちゃん「せり下がりながらパティシエがふってくる、パティシエの衣装お気に入り、久しぶりのショー、こんな感じだったっていうのがすごく楽しい」

カンカンの場面
じゅんはなちゃん「みなさんがいろいろな技を披露されいてすごい」
真風さん「初舞台生がいてくれるので人数もすごい、みんなの熱気とお客様のエネルギーとでかなりの名場面になっていると思う」

王妃のお茶会の場面、
真風さん「カンカンが終ったら姫の登場」
キキちゃん「ご紹介にあずかりましたマリーアントワネットでございます。輪っか使いもだんだんうまくなってきちゃってるんだな、これが。ダルマになってからもラブリー系、リボンいっぱいついていて可愛い」
真風さん「頭にもいっぱいお花咲いていて、いろんなイケメンたちが出て来て」
キキちゃん「みんなどんどん面白くなってきている、いろんな反応があって楽しい」
真風さん「久しぶりのフェルゼン、アイスもって登場する、宮廷服を着させていただいている」
キキちゃん「素敵💛」

フォレ・ノワールの場面、
じゅんはなちゃん「ベロア軍服の開襟、わたしは偽りながらがんばっている、本当だったらはあ💛ってなる」
キキちゃん「パンチのきいた女が一人いる」
じゅんはなちゃん「ぜったいに(真風さんを)とられるがまいと思ってがんばっている、桜木さんも本気なので、毎日睨み付け方がどんどんヒートアップしてくる、ゆりかさんに手をとられる瞬間わたしは勝ったって思う。」

キャンディーケーンの場面、
キキちゃん「巴里のアメリカ人、みんなでポップな感じを出している、退団する星月梨旺ちゃんがタップでいい音を出している」

虹の場面、
真風さん「パティシエソング、もう一回パティシエだったよって思い出してもらって、メッセージのある素敵な歌を歌わせていただきながらみんなが出て来てくれる」
キキちゃん「客席からみたい場面」
じゅんはなちゃん「ゆりかさんがくださったという設定のスィーツを持っている」

初舞台生のロケット、
キキちゃん「初舞台ロケットをいいものにしてあげたいという先生の愛を感じる」
真風さん「みんなのがんばりとお客様のあたたかい拍手とでじいんとくる」

フィナーレ、
キキちゃんと娘役さんたちの群舞は、娘役さんみんながマリリン・モンロー。

まかキキ、黒燕尾、タンゴのデュエットダンス、
キキちゃん「すごい集中力がいる、タンゴだからステップがシャープにみせないといけないし早いし、二人で息もあわせながらがんばっている」
じゅんはなちゃん「なんておっしゃってるんですか?」
キキちゃん「それはもう絶対に言えない、わたしたちの秘密💛」
じゅんはなちゃん「毎回ちがうんですか?」
まかキキ「毎回ちがうよ」
じゅんはなちゃん「エーッ!!」
真風さん「このリアクション王」
まかキキ「野口先生のオーダー、あの振りをしながらちょっと吐息まじりの掛け声もむずかしい、いっそばっと出したいけどダメなの」

デュエットダンス、
じゅんはなちゃん「大階段に登場して、わたしからみる景色がとっても素敵、毎回幸せと思う」
キキちゃん「二人が銀橋に行く時二人に向けて歌っている、素敵でじいんとする」
真風さん「三人の素敵なシーンをつけていただいたので心してやっている」


🍰ずんそらチーム

プロローグ、
すんそら「じゅんはなちゃんの変身から始まるの可愛い、チョンパ風、手羽根はホィップクリーム」
そらくん「すぐにキャンディーケーンを持って出て来るのに二段飛ばしぐらいで階段をあがってダッシュしている」
ずんちゃん「ショコラケーキのカンカン帽をみんなでかぶって「さくらんぼの実るころ」を歌っている、歌いつぎのあと客席参加型、マカロンペンライトがきれい、お客様がけっこう参加してくださるのがうれしい」

カンカンの場面、
「技がすごい。盛り上げて囃し立ている。そこからのマリーアントワネット様、コメディ場面、またゆりかさんのフェルゼンを見られる日がくるとは思わなかった」

フォレ・ノワールの場面、
ずんちゃん「美月悠さん演じるオーナーのクラブに通っている僕、そこにいちばん大好きなべラミも通っている、べラミは気紛れだから相手にしくれる日があったり相手にしてくれなかったりする、最初から勝ち誇っているじゅんはなちゃんのアメリカンチェリーはゆりかさんの好きな食べ物。レザンはレーズンと(愛称の)ずんをあわせてくださったみたい。レザンとアメリカンチェリーがたたかう」

ベサメムーチョではじめて男役の群舞の場面、「たぎる」

虹の場面、「舞台稽古でみたらすごくお衣装がきれいだった。耳で聴きながら大急ぎで着替える」

初舞台生のロケット、二人で登場する
「とにかくフレッシュにと言われた、クールな人がピンクのお衣装を着させられているみたいにみえてはいけないと。稽古から初舞台生と一緒なので他の宙組生と違った気持ち、親心が生まれた」

フィナーレ、男役の黒燕尾、
「いつもの黒燕尾よりアンニュイ、憂いを帯びている、失恋のうた、思い出とかそうなった直後とかキャラ設定はいろいろ、男役同士がカップルになる、わたしたちも少しだけ汲ませていただいている」

デュエットダンス、
「じゅんはなの衣装がすごく綺麗、ゴールデントリオがすごくよくわかる。
お披露目で素敵なデュエットダンス、きれいな踊り方するからもっといろんなデュエットダンスをみたい」



終わりのみえないたたかい

2021年10月21日 22時44分55秒 | 日記
 急な寒さがこたえる木曜日、なんとか無事に出勤できました。寒さと緊張で2回も目がさめながら5時間近く眠れたでしょうか。システムへの入力作業、面白い仕事ではないですが心は疲れません。間があくと頭ぼけていて最初コードを間違えてしまっていました。気がついて修正しましたがあっているかな。少し心配です。明後日また出勤したい。これで6時間×2日で一週間に12時間労働。本当はこの3倍働かなければ到底お給料足りません。4月末まで7.5時間×5日で一週間に37.5時間、ボランティアも含めると40時間ほどの時もあったでしょうか。あと2年はフルタイム、そのあとも3年は週4日、そのあと2年たつと週3日でもなんとかなるのか。考えると不安の波におそわれて眠れなくなります。かといって考えないわけにはいかない。自分がこの世にいる間にあといくら必要なのか、自分の末路なんてとっくにみえているとわかっていなかった頃は考えたことがありませんでした。帰省して自分の帰る場所はとっくになくなっていたのだと知るまで、いざとなれば帰ればいいやという甘えがどこかにあったので考えたことがありませんでした。

 リハビリの翌日、やはり体がつらいと感じました。マッサージの翌日揉み返したがきたりスパの翌日だるさがきたりしますがその何倍もつらい感じでしょうか。なんとも足元がふわふわとします。倒れるのではないかと一瞬おそろしくなります。全く施術を受けないのは不安だし、総合病院の整形外科で悪いことではないというお墨付きもでたので再開しましたが、体が自覚してしまうことでかえってつらくなってしまうのでしょうか。昨日かかりつけ医に話したところ、担当のPTにそれを話した方がいいと言われましたが、この体の感覚を言葉にするのはむずかしく、伝わりづらく、生まれつきの股関節脱臼による変形股関節症なんて整形外科の医師やPTにとっては珍しくもなんともないみたいだし、こんな思いしたことのない医師やPTにはわからないだろうと思ってしまいます。ひとまず緊急性はないとわかったものの、手術をしないかぎり死ぬまでリハビリを続けなければならなくて、死ぬまでこのつらさは続くのでしょうか。自分で選び取ったわけではない、生まれる前から死ぬまで股関節脱臼による変形股関節症でいなければならないのでしょうか。終わりのみえないたたかいはつらいです。

 朝の出勤は時間をおそくすることでバスも電車も坐ることができますが、帰りはいちばんのピークを過ぎても人の波が絶えることはないのでむずかしいです。電車の中は満員ですか?とPTにきかれたので大きな駅がいくつもあるので当然混んでいます、帰りに30分間全く坐ることができないとかなり足がつらいことになりますと話したら、アピールするために折りたたみ杖を使う手はある、できるだけ負担をかけないことだというアドバイス。本格的なものは必要ないのでホームセンターやショッピングモールで売っている安いものでいいと。アマゾンをみてみると花柄のデザインのものもありますね。たしかにわたしと同世代か少し下ぐらいかと思われる年齢の女性が杖を使っている姿をみかけます。30代か40代とおぼしき男性もいます。席必要なのがヘルプマークつけている人と高齢者だけでないことはたしか。かといって席譲ってほしいみたいな顔するのはすごく抵抗があります。運よく空いて坐りたい。かといって電車の中で立ち続けてそのあと買い物もしてそのあとバスを待ってだとかなりつらいことになります。

 リハビリしながらの出勤は週3日が限界と感じます。頭はまだ動いています。出来高払いでリモートワークの仕事があるのか、折りたたみ杖を上手に使えばもう少しやれるのか。40代の頃大会社で貯時間労働していた日々がうそのように思えます。もうそんな無理はききません。確実に衰えてきています。まだまだと言われても、変形股関節症でなくても同じようにできはずなどもうありません。年金前倒しだと減額率すさまじいし、減額された金額のままずっと続くらしい。なんと残酷な仕組みよ。

 直接命に関わることではないし、生まれつきもっともっと大変な疾患を患っている人が世の中にはたくさんいることも知っていますが比較で考え始めたらきりがありません。わたしはわたしの中でつらい。もうそんなにいいですがそんなわけにはいかない。自分を食わせていくために働き続けなけれなりません。もう少し先に少なくとも週3日、いやほんとは少なくとも雇用保険には加入できるようにしなければなりません。折りたたみ杖を使えば可能でしょうか。

 明日はまた気温がぐっと下がって雨の予報。目先のバラマキ合戦みたいな話ばかりで希望がもてないのはよりいっそう心にも体にもこたえます。引きこもって観劇録など楽しい思い出を振り返る一日にできればいいなと思います。

『アナスタシア』、著作権が切れるのでしょう、11月6日で円盤以外は販売終了となるので心残りがないかチェックしないとです。





『ニュージーズ』、まだチケット引き換えていない。明日こそはセブンイレブンにいかないとです。




日比谷シャンテステージ衣装展-雪組

2021年10月20日 23時35分49秒 | 宝塚
2021年10月5日(火)日比谷シャンテ、


『シルクロード』より



咲ちゃん(彩風咲奈さん)は「大世界(ダスカ)」の場面の衣装、





朝月希和ちゃんは「夢幻蜃気楼」の衣装、咲ちゃんからのお手紙を読んで胸にしまい、デュエットダンスを踊る素敵な場面でした。







全国ツアー、『ル・ポアソン』の衣装、雪組カラーが鮮やかです。














小道具は『シルクロード』のシャンシャン、作品テーマの青い宝石があしらわれていました。





『Fire Fever』で2回目のデュエットダンスだったかな、希和ちゃんがちょっと足を滑らせてしまったかなと一瞬ひやっとしましたが咲ちゃんが大丈夫だよっていう感じでしっかり支えていました。かえって幸せな気持ちになるのが宝塚。『ひかりふる路』で夫婦役をやった時、花組から組替えしてきた希和ちゃんはまだ本当の自分をみせてくれていないと思うって、ナウオンステージで咲ちゃんが話していました。信頼関係もできて素敵なコンビになりました。



まったくどうでもいいひとり言ですが、リハビリの翌日はやはり体がつらく、急に寒くなったので年齢も年齢だしひじょうにこたえます。明日の朝はまた起き上がって無事出勤できますように・・・。

日比谷が心の糧。ここには夢と希望がある。


小原麗子『自分の生を編む-詩と生活記録アンソロジー』より-姉は国と夫に詫びて死んだ(1)

2021年10月20日 15時09分45秒 | 本あれこれ


「-姉を弔う-

 姉は、1945(昭和20)年7月2日、鉄道自殺をした。数え俊23歳だった。

 遺書の末尾には、「非常時に死んでゆくのは申し訳ない。戦地にいる兄(あに)さんに申し訳ない。」と、書かれてあった。兄さんとは、自分の夫のことである。

 姉は19歳の年に、康夫兄の元に嫁いだ。婚家先は、小さい坂を下るとすぐ見える。

 姑さまになる人は、坂を何度も登って来て、「嫁にけでこねぇ」と頼んだ。母は迷った。が、同居していた叔父たちが取り決めてしまう。姑さまと、家から出た人が従兄なのだというのが決め手だった。式まで決まってしまい、母は自分の着物を染め替え、作り替えて持たせた。

 姉の気持ちはどうだったのだろう。姉は、川で洗ったようなと、人にホメられるほどの色白で、村の演芸会の花形だった。康夫兄も踊りがうまい。

   (略)

 親類や、親が決める結婚、いや、決めてくれる結婚なのだ。

 誰よりも熱心に通い詰めた姑さまは、それで嫁を大事にするのかというと、そうではない。冬の土間で、姉は俵を編む。姑さまは炬燵に当たれとも言わなかった。

「よく我慢したものだ」と、リワ姉は言う。

 康夫兄は出征した。海軍兵だった。横須賀にいる康夫兄に面会に行く日、姉は、長いコートを着ていた。くすんだ緑地に濃い薔薇の花が刺しゅうされてあった。姉はうれしいのだとわたしは思った。袖は元禄袖にちぢめていた。長いタモトは、「ぜいたくだ」と言われていたのおで、そうしたのだろう。亡くなった後も、タモトの仮縫いはそのままだった。

   (略)

 姉は入院した。誰も看病に行く者はいない。

 「挙国一致」「銃後を護れ」と言われた戦時下、人一倍、働かねばならない嫁の身である。これ以上、人の重荷になるなど許されることではなかった。

   (略)

 康夫兄が「戦死したそうだ」という噂が流れた夜、姉は病院を抜け出したのだという。

 「戦争さえながったら、康夫さえ帰って来るごとわかっていれば姉(あんね)、死なながったのよ」と、母は呪文のように言いつづけた。母の言う通りであれば、姉もまた戦争の犠牲者なのだ。犠牲者でありながら、犠牲を強いた国に詫びて死んだ悲劇。もちろん、姉は犠牲などとは思わなかったろう。

 戦争は負けて集結し、康夫兄は帰還した。妻への土産は、闇市で買い求めたかかとの高いよそ行きの草履だった。」

「-名誉な死と不名誉な死-

 姉は遺書に「非常時に死んでゆくのは申し訳ない。戦地にいる兄(あに)さんに申し訳ない。」と書いた。非常時とは「国の非常時」ということである。「名誉な死」の賞賛される時代、自分の「不名誉な死」を、国と夫に詫びたのだ。詫びる必要などなかったのだ。なぜなら、人の死に「名誉な死」と「不名誉な死」などあろうはずがない。

 この地区に住んでおられる小原ミチさんは、戦争未亡人だ。姉と同世代でもある。

 戦争が終わって間もなく、村役場の係の者が、「戦死者の家」という標札を付けに来て、ミチさんにこう話す。「『この札は国のために尽した名誉な家の標しだ。世間の人達がこの名誉な家にお礼の気持を忘れないようにするために付けるのだ』ってナス。そしてまたその次さ、『遺族の人たちは、国のために立派に命を捧げた家族の名誉を、傷つけねェように、その名誉さ恥じねえ暮らしをするように』ってナス」と。

    (略)

 役場の標札係は、国の使いである。戦時中、働き手を出征させた農家の門口に、「名誉の家」という標札を付け、戦争が終結した後もまた、標札を持って現われ、名誉の意味を説く。一枚の「札」は、外に向けては名誉をたたえる心を強制し、内に向けてはその名誉を傷つけるなと強制した。」

          (2012年1月6日、日本経済評論社 発行『自分の生を編む』プロローグ、3-8頁より) 
                                  
                                      →続く
                             

「コロナ治療薬なるか 「イベルメクチン」治験開始」

2021年10月19日 12時54分33秒 | 気になるニュースあれこれ
2021年7月1日付テレ朝NEWSより

「「興和」は北里大学と共同で新型コロナウイルスに感染した患者を対象にイベルメクチンを投与する最終段階の治験を始めると発表しました。

 ノーベル医学生理学賞を受賞した北里大学の大村智特別栄誉教授が開発に貢献した抗寄生虫薬です。」

https://news.tv-asahi.co.jp/news_economy/articles/000221116.html


COVID-19対策北里プロジェクト

「2019年より、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的な感染拡大が続いている中、本学では今から130年以上前の1889年、世界で初めて破傷風菌の純粋培養に成功し翌年には血清療法を確立し、人類の伝染病との闘いに新たな成果を挙げた学祖北里柴三郎から、2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智へと続く感染制御の伝統や創薬の実績を踏まえ、学校法人北里研究所の理念に則って一刻も早く行動すべきと判断し、2020年3月19日より新型コロナウイルス感染症(COVID-19)治療薬を早期に見出すためのプロジェクト「COVID-19対策北里プロジェクト」を立ち上げました。」

https://www.kitasato.ac.jp/jp/about/activities/covid-19.html

学校法人北里研究所 法人理念

「学校法人北里研究所は、北里柴三郎博士の精神に則り、
「いのちを尊(たっと)び、生命の真理を探究し、実学の精神をもって社会に貢献する。」
ことを理念とする。」
 
https://www.kitasato.ac.jp/jp/about/overview/philosophy.html




リハビリを再開しました

2021年10月18日 23時48分52秒 | 日記
 一週間前総合病院の整形外科で、手術の緊急性はない、末期ではない、リハビリすることは悪いことではないとのお墨付きをもらったのを信じて、近くの整形外科でPTによるリハビリを再開しました。慣れない相手にまた自分の体の感覚を言葉にして伝えるのはむずかしいですね。行きたいわけではありません。隔世遺伝により?生まれる前からだと親がいなくなってから知ったので仕方ありません。骨盤体操などを続けていることによるのか股関節の痛みが落ち着いてきています。股関節よりも右膝のなんとも言えないだるさ、痛み、しびれの方がつらい感じになっていますが、膝は医師からの指示にないので対象ではないと言われました。前のPTは膝もみてくれた、よくわからないのですが股関節を脱臼している痛みなのではないのですかと言ったら、膝そのものなのか、股関節脱臼によるものなのかわからないのでということでした。リハビリ専門のところで膝のレントゲン写真も撮った、お皿がすべっていないと言われた、コピーしたCDもあると伝えたところ次回の診察で医師にそれを話してくださいとのことでした。リハビリ専門の医師から整形外科の医師に診断結果を連絡しておきますとのことでしたが、どの程度伝えられたのかちょっとよくわかりません。わたしの医師に対する説明不足でしたかね。診察といっても少し話をきくだけ、こういうものなのか。人によって言うこと、やり方が違うというのもすごく戸惑いますがこういうものなのでしょう。補装具としてインソールを作りたいならそれも医師の診察で話してくださいとのことでした。健康保険の対象になるかもしれない、補装具屋を医師は知っている、相談にのるPTはいるとのことでした。自分で知っていて質問していかないと必要な情報は得られませんね。急に寒くなったし、あとが辛いので明日体が動くかわかりませんが動かなければなりません。

 できるだけ股関節に負担をかけないように生活することがポイントだそうです。もう年齢も年齢だし、週5日フルタイムで働くことはきつい、かといって週3日ではお給料がとうてい足りたい、かといって週4日で所定の上限を超えると社会保険料の負担が大きすぎます。健康保険料はこうして使わせていただいているので必要経費ですが年金は納得いきません。これまでどっさり払ってきた分を回収できるかどうかわからないのにわずかなお給料からの天引きはもうかんべんしてほしい。いつまでどこまで自力で生き延びていくことができるのだろうと考えると不安と絶望に支配されてどうしようもありません。月曜日から、いや月曜日だからか、いい話がいっそうありません。ニュースをみると鬱にとりつかれてしまいます。木曜日はまたパートタイムの仕事にいくつもりだし、もう少しにはせめて週3日行かなければなりません。声かけてもらえて、足こんなんで朝起きるのもかなり辛い状態なのに来てくれて助かりますと言ってもらえるところがあるだけまだ幸い。なかったらもっと精神的に追いつめられてしまっているでしょう。相談員さんにはあなたがそれだけ仕事できるからなのよと言われます。期間はあるようでないのでせめて週3日続けたい。

 7月30日に姫路セントラルパークで生まれたホワイトライオンの赤ちゃんが『はじめてのお散歩練習』、ひたすら可愛いです。来園した方が撮影された飼育員さんの長靴にしがみついてはなそうとしない姿なんかも可愛いやら愛おしいやら。生まれた時点滴しながら一生懸命体をあっためてくれた飼育員さんたちのこと大好きすぎます。ホワイトライオンのタグで可愛い写真や動画がたくさんあがっているので布団に入ると可愛い顔を思い出しながら休みます。

姫路セントラルパークさんの公式ツィッターより、 
https://twitter.com/HcpSafari/status/1449991496657113088



ホムシューの「ル・サンク」をみたり、

 

雪組楽しかったし、11月もチケットあるし、12月は星組のチケット当選したし、キキちゃん主演、ライブ配信あるだろうし、



もうすぐ、舞台の清史郎君に会えるし、



心のよりどころを糧になんとか生き延びる日々。




日本の水際対策は世界一きびしい

2021年10月18日 15時09分40秒 | 日記
「帰国しました。明日から14日間の隔離に入ります」
https://kaz-yoshimura.cocolog-nifty.com/blog/2021/10/post-214bfa.html

 写真家の吉村和敏さんがカナダより無事帰国。成田空港に到着してから出るまで3時間半を要したとのこと、日本の水際対策の厳しさは世界一といわれていることをはじめて知りました。アプリの使い方を説明するブースも設けられているそうです。コロナを機に、さくさくスマホを使いこなすことができないと海外に飛び立つことも無理な時代になりました。国際線の機内には海外航空会社も日本人スタッフが搭乗していますが、現地では日本語のわかる人を頼ることはできないものとして、横文字の表記を読みこなし、一つ一つの手続きを全部自力でやれるだけの英語力も必要。旅行会社が各個人の検査、スマホの操作などの面倒を全部みることは無理だと思うので団体旅行が戻ってくるのは何年か先、あるいはもう戻らないかも。海外渡航経験が豊富とはいえ、日本で普段英語を話しているわけではない吉村さんが全部全ての手続きを自力でクリアして西のバンクーバーから東のケベックシティ、プリンス・エドワード島と無事に往復して帰国されたこと、すごいと思います。帰国後は自宅で14日間の隔離生活、GPSで行動が監視される仕組みになっているそうです。勉強になります。

 自分がこの世にいる間に飛び立つことは経済的なことも含めてもう無理かな。この時でなければとプリンス・エドワード島に旅してよかったと思います。後悔だらけの人生ですが後悔はありません。




2008年『フェルメール展』より-「デルフトの爆発」(2)

2021年10月17日 22時41分17秒 | 美術館めぐり
2008年『フェルメール展』より-「デルフトの爆発」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/e3e766b50c12261329c2666053c916cd

エフベルト・ファン・デル・プール《デルフトの爆発》
1654年頃 
個人蔵、
油彩・パネル
33.6× 49.2㎝

(公式カタログより)

「彼がこのテーマを繰り返し取り上げたのは一種の自己療法の行為だったという説は、時代錯誤の見方としてしりぞけて差し支えない。それは、近代的なショックや悲しみを物語っているのであって、画家が生きていた頃の感性ではないからだ。爆発後の情景を描いた絵画には、他の有名な災難を描写した絵がそうであったように、買い手がいたと見て間違いない。にもかかわらず、ファン・デル・プールが後にしばしば夜の大火の様子を描き、そこに自分たちの家を破壊する火と戦う人々、あるいは焼け落ちる村を略奪する兵士を添えたりしたことに触れておかねばならない。夜の情景、花火の情景を描いて評判になった彼ではあるが、心ひかれたのは悲劇のドラマチックなイメージだったようだ。彼は、本作品に見られるテーマと構図は繰り返し取り上げたが、そのなかでも本作品、及びロンドンのナショナル・ギャラリーにあるよく似た作品は、出来上がりが最も優れていて、成功した構想に基づいている。おそらくは描かれた一連の作品のなかでも最初の作品の一つなのであろう。

 本作品の来歴には興味深いものがある。最も古くまでたどれるのはヴィンクラー・コレクションである。おそらくはライブツィッヒの銀行家でコレクターであったゴットフリート・ヴィンクラーのことだろう。続いてフランソワ・デュヴァルからシャルル・オーギュストの手に渡った。やがてモルニー公になった人物だが、後に皇帝となるナポレオン3世の義理の兄弟にあたる。彼は熱心なコレクターだったが、1840年代に集めた作品の多くを売るはめになった。そのなかには1年も経たない前にひとまとめにして購入したデュヴァル・コレクションが丸ごと含まれていた。同コレクションには、ヤン・ファン・デル・ヘイデンの≪西教会の眺め≫や、アントワーヌ・ワトーの≪ジルと彼の家族≫(両作品とも、現在は、ロンドンのウォーレス・コレクションの所蔵となっている)が含まれていた。モルニー公は後に、レンブラントの≪エウローペの略奪≫(ゲッティ美術館)、≪ヘルマン・ドーメルの肖像≫(ニューヨーク、メトロポリタン美術館)など、他の注目すべきいにしえの巨匠の作品も手に入れた。その後、名高いコレクターのベリア・ボットフィールドが、本作品をロングリートに住むバス公爵家に遺贈した。」

*この作品は、保存状態の悪化により展示が見送られることになりました。