たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

雪組『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』(2)

2020年01月29日 22時38分10秒 | 宝塚
 小池修一郎先生、昨日は加藤清史郎君が出演する『ニュージーズ』の制作発表記者会見に出席されたんですね、相変わらずのひっぱりだこ、清史郎君が青年ルドルフ、ヴォルフガングとして帝国劇場の舞台に戻ってくるときはぜひ演出していただきたいと勝手に願っています。この世を旅立つとき悔いがないよう、何をしていようと5月の日生劇場か6月の梅田芸術劇場に行こうと心に決めています。非日常の中に身をゆだねる時間は人生に必要、観劇はわたしの人生に必要なのだと昨日あらためて心の底から思いました。

 マックスを裏切って銀行襲撃を警察に知らせてしまった自分を責め続けながら田舎でひっそりと25年間くらしてきたヌードルスと銀行襲撃で死んだかにみえたところをジミーに助けられ高い地位にのぼりつめるも労働組合の指導者へとのしあがったジミーとの癒着をマスコミに報道されて追い詰められ最後は自ら銃を撃って果てるマックス、誰も勝っていないし、負けてもいない、勝者も敗者もいない、ユダヤ系移民という、自分では選び取ることができなかった出自による悔しさ、社会への憎しみを胸に、ただ生きづらい社会を精一杯生き抜いた人たちがいる、それだけ。いつか皇帝になる、いつか皇后になる、とでっかい夢や野望にあふれた10代の少年、少女。なににでもなれる、なんでもできるように思えた10代、誰もが通り過ぎた道。やがてそれぞれ行く道が分かれ、人生はそれぞれ全く違うものになっていきます。いつかいつかとの思いは叶わないまま、いつしか風化し、40代、50代になると自分は人生の敗者なのか、勝者なのか、自分よりも不幸な奴はいるのかを確かめるために学年同窓会などというのは開かれるものなのかはしれない、などつらつら考えていました。


第12場ベイリー長官(マックス)の書斎
陽の当たる場所へと辿り着きたい一心で、必死に生きてきた仲間たちとの日々・・・。
全てが明らかになった今、ヌードルスに確かな友情と愛が鮮明に蘇る-。

「ONCE UPON A TIME IN AMERICA

おお ダビデの星よ
迷える魂を 導き給え


振り返れば
青春は 甘く熱い思いばかり
ほとばしり 溢れ散る
二度と戻らぬ時よ

共と戯れ
愛を求め
走り叫び涙した日々
夢と憧れ
痛みと哀しみ
背中合わせの
歓びと不幸

過ぎた日々の
全て抱き締め
記憶の彼方に蘇る
ONCE UPON A TIME IN AMERICA」


 ヌードルスの歌声が広い大劇場に沁みわたるエンディングでした。

 生きることはむずかしい、生きることはたたかい、10代から50代まで、決してあっという間ではなくもがきながら必死に生き抜いた長い刻(とき)。

どんな時代だったのか、少しおさらい。

1920年:アメリカ禁酒法の実施(日本は大正9年、株価大暴落による戦後恐慌がおこる)

1923年:(日本は大正12年、関東大震災、虎の門事件)

1929年:ニューヨーク市場大暴落、世界恐慌(日本は昭和4年、4.16事件、共産党員一斉検挙
小林多喜二「蟹工船」発表・発禁に、阪急百貨店開店)

ローラ・インガルス・ワイルダーがシリーズの第一巻『大きな森の小さな家』が発行されたのは1932年、世界恐慌による厭世的な暗い社会の中で、汗水流してまじめに働くことの価値と喜び、家族のために生きるすばらしさをアメリカの人々に思い出させ大評判となりました。


キャトルレーヴ、一幕ラストシーンをイメージしたディスプレイが素敵でした。
デボラのために用意した薔薇の花びらに囲まれて、デボラが去ったあと苦悩の表情を浮かべながらソファに身をゆだねるヌードルス、宝塚ならではの、唯一無二の美しい世界観。









バスが早めに到着したので久しぶりに楽屋口の方へ行ってみました。普通にタカラジェンヌさんたちが宝塚駅の方へ歩いていく姿に出会えるのはさすが本場。星組の紫月音寧さんとすれ違いました、舞台化粧でなくても目鼻立ちのはっきりしたお顔立ち、自転車でさっそうと楽屋口をあとにされました。タカラジェンヌも自転車通勤するんだ、楽屋口からはみえないどこかに駐輪場があるんだあと妙な感動。車に気をつけていただければと思います。




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