たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2008年『フェルメール展』‐フェルメール「ヴァージナルの前に座る若い女」(2)

2020年07月25日 21時55分51秒 | 美術館めぐり
2020年7月24日;2008年『フェルメール展』‐フェルメール「ヴァージナルの前に座る若い女」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/6440715143d67e6cd183f48ef0639025


「本屋と印刷屋を営んでいたヤーコブ・ディシウスは、21点のフェルメール作品を所有していた。おそらくフェルメールの主要なパトロンであった義父ピーテル・ファン・ライフェンから相続したのだろう。それら21点は1696年にアムステルダムで競売にかけられ、そのうちの競売番号37番、《クラヴシンベルの前に座る若い女》は42ギルダー10スタイフェンで売却された。この大雑把な記述だけに頼れば、これは音楽主題を描いたロンドンのフェルメール作品2点のうちのいずれかであると早合点する者もいよう。しかしこの2点はサイズがより大きく、かなり高い完成度を誇っている。オークションということを考えれば、これら2点には、37番に付けられた値段よりもはるかに高額が見込まれよう。それゆえ、この37番はまさに本作品のことであると信じるに足る理由があるのである。

 1814年にアムステルダムで開かれたウェッセル・レイエルスの競売目録で、37番は25.4㎝×20.32㎝の大きさと記されている。この小さなサイズもまた、37番を本作品と特定する証拠となる。20世紀初頭には、本作品は南アフリカのダイヤモンド王であるアルフレッド・ベイトが所有していた。この人物は《手紙を書く婦人と召使い》(本展覧会、特別出展作品)の持ち主でもあった。彼のコレクションの多くの作品と同様に、《手紙を書く婦人と召使い》は、彼と同名の孫によってアイルランド・ナショナルギ・ャラリーに寄贈された。しかし《ヴァージナルの前に座る若い女》は孫の若きアルフレッド卿により1960年に売却された。

 本作品は、従来から《レースを編む女》と構図及び様式の面で類似すると指摘されてきたが、他の細部もフェルメールの真作が呈する特徴に似ている。柔らかな光や大気の処理とハレーションを起こしたハイライトとの組み合わせは、ケンウッドにある《ギターを弾く女》の似たような細部を思い起こさせる。同作品は、はるかに大きいサイズだが、ほぼ同じ髪型の女性(モデルは同一人物だろうか?)を描き、しかも黄色を基調とした同じような色構成をとる。これら2点の絵画は、ロンドンにある音楽を主題とした2点の作品よりも若干前に描かれたものであろう。後者2点の仕上がりがより艶やかで、筆遣いも歯切れがいいからである。一方、これらの作品のモデル(たち)がフェルメールの娘であると推測する根拠はどこにもない。それは、レンブラントやステーンといった他のオランダ画家たちの批評的研究を何世代にもわたり妨げてきた事実無根の推測である。最後に、本作品には《牛乳を注ぐ女》から《絵画芸術》に至るまでのフェルメール芸術で繰り返し目にする特徴、つまり主たる焦点面として奥の壁を利用する手法が含まれていることも指摘しておきたい。その結果、石膏の小さな傷跡や不規則な塗りがすぐ前景の物体よりも詳細に観察されている。前景は焦点が甘く、描き方も大雑把である。こうした制作法こそが、フェルメールをデルフトの画家仲間たちのみならず、あらゆるオランダの画家たちとも異なる存在にしているのである。」

黄色を基調としたフェルメール作品と対話するひとときは、やさしく穏やかな光に包まれるような時間。



《手紙を書く婦人と召使い》(本展覧会、特別出展作品)
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