たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2008年『フェルメール展』‐フェルメール「ヴァージナルの前に座る若い女」

2020年07月24日 16時12分58秒 | 美術館めぐり
ヨハネス・フェルメール(デルフト1632-1675デルフト)
《ヴァージナルの前に座る若い女》
1670年頃
油彩/カンヴァス、25.2×20㎝
個人蔵

2008年8月2日~12月14日『フェルメール展-光の天才画家とデルフトの巨匠たち』より

「この作品は個人が所有していたためあまり知られず、長らくフェルメール周辺の画家の作品とみられていた。近年の科学的調査により、カンヴァスが《レースを編む女性》と同じで、使用した顔料もほかのフェルメール作品と同じであることが判明した。図柄は《ヴァージナルの前に座る女性》とほぼ同じで、衣装と背景を変えれば本作になる。しかし、黄色いドレスや平坦な顔の描き方は、フェルメールとは思えないほどぎこちなく、真筆を疑問視する研究者もいる。」

(『西洋絵画の巨匠-フェルメール』より)




(会場で購入した公式ガイドブックより)

「この魅力的な小品は、個人コレクションにあるフェルメール最後の作品である。黄色いウールのショール、白いサテンのドレスに身を包み、若い女が7分身でヴァージナルに向かい、青いベルベッドでおおった椅子に座っている。彼女は真珠のネックレスとイヤリングをつけ、アップの髪形に、薄い赤と白のリボンでとめた巻き毛をたらす。1670年頃に流行った髪形である。彼女は、演奏の構えをしつつ、頭をめぐらせて鑑賞者を見て、わずかに微笑む。本作品での音楽主題の扱いは、こうした点において、ロンドンのナショナル・ギャラリーにある2点の絵画に類似する。2作品にはそれぞれヴァージナルの前に立つ女性とヴァージナルの前に座る女性が描かれている。音楽に関する主題は数少ないフェルメールの作品群にしばしば繰り返し登場するが、《合奏》と呼び習わされている作品(ガードナー美術館から盗難され、未だに取り戻されていない)から、独奏の場面を描いた《音楽の稽古》として知られるバッキンガム宮殿の作品や、リュートやギターを演奏する女性単身像に至るまで、あらゆるヴァリエーションが含まれている。一方、本作品はフェルメールが非常に心を込めて構想した小品のうちの1点である。実際に、これはカンヴァスに描かれた最も小さい作品の1つに数えられる。ルーヴル美術館にある《レースを編む女》とほとんどサイズに変わりはない。同作品も、白い飾り気のない石膏壁を背にした全く同じ髪形の女性が一人、描かれている。

 この作品は、有名なベイト・コレクションを経て、1960年以降はブリュッセルのフレデリック・ロラン卿(2002年没)のコレクションに移ったが、その間、何年にもわたり一般にはほとんど知られず、数人の研究者だけしか見ることがなかった。当初は真作と認められていたが、A.B.デ・フリースは、1948年に刊行したフェルメール研究書第2版においてフェルメールの手から外した。彼は後になあって考えを改めたが、二度と本作を真作として発表することはなかった。その結果、古い複製でしかこの作品を知らない多くの鑑定家が本作品を退け、あるいはフェルメールの作品群の片隅に追いやって言及しなくなった。1993年にロラン卿が本作品の新たな研究に着手して初めて、専門知識を持つ研究者たちによって技術・様式の双方から再び綿密に調査されることとなった。

 科学調査が明らかにしたところによると、本作品に用いられた材料と技術は、フェルメール作品として知られている作品の制作方法と寸分違わない。比較的粗めのカンヴァス地は、糸の数や織りが《レースを編む女》に実によく似ているので、2作品の支持体はおそらく同一のカンヴァス布から切り分けられたものであろう。地塗り層の構成もまたフェルメールの個人的な制作法と一致する。検出された顔料-鉛錫黄、緑土、そして分けても高価な天然ウルトラマリン(ラビス・ラズリ)-もフェルメール作品であることを強力に裏付ける。ちなみに天然ウルトラマリンは、ほとんどもっぱらフェルメール作品に用いられているもので、彼の深く、濃い青色のよって来たるところである。支持体であるカンヴァスと地塗り層には、フェルメールが遠近法を構成する際に好んで用いたピンの穴が残る。研究者の間でなお議論が続いている黄色いショールの部分は、画家による描きなおしの跡であるとともに、保存状態をめぐる問題点を提示してもいる。つまり、この部分のつや出し(グレーズ)の層が損傷していたため修復が施されたのか、あるいはこの部分が、一時期、完成されないままに残され、数年後になってフェルメール自身あるいは後に誰か別の者に寄って仕上げられたのか、議論がかわされているのである。しかしながら、結局、技術的調査の結果、本作品がフェルメールによるものであることに疑問の余地は亡くなった。2002-03年には軽い洗浄が行われ、見栄えはずいぶんと良くなった。」


公式ガイドブックの解説、長いのでもうすこし続きます。

《レースを編む女》は2009年『ルーヴル美術館展』で、《ヴァージナルの前に座る女性》は先日の『ロンドン・ナショナルギャラリー展』で会うことができました。

12年の歳月を経てようやく振り返るフェルメール作品とのはじめての出会い、幸せなひとときでした。なんだか苦しむために生まれてきたかのような人生なのかもしれませんが、幸せな時間もたくさんありました。そしてこれらかもあるはず。だから大丈夫・・・。












2018年11月26日;2018年8月『フェルメール光の王国展2018』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/ad5878646d6d3e712989f2573929c8ea

2018年12月1日;2018年8月『フェルメール光の王国展2018』(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/cd1e7bd82d15a15c718c13528bd030e3

『TCA PRESS』2019年1月号より

2020年07月23日 23時47分54秒 | 宝塚
宝塚大劇場、東京宝塚劇場、キャトルレーヴで配布されている宝塚歌劇団のフリーペーパー、2019年1月号のインタビュー記事より。

「🌸宝塚はご覧になったことはありますか。

結構、折に触れて観させていただいています。初めて観たのは「オーシャンズ11」で柚希礼音さん、蘭寿とむさんの両バージョンを拝見しましたが、お二人ともカッコよくて、宝塚の虜になる方々の気持ちがめちゃくちゃ分かりました!作品としてもすごく面白かったですね。『るろうに剣心』や『1789』も観ています。最近は「ひかりふる路」を映像で拝見しました。フランク・ワイルドホーンさんの楽曲もいいし、ロベスピエール役の望海風斗さんは歌も演技も素晴らしいですよね。大階段のフィナーレなど、宝塚のショーを見ているとすごくエンターテイメント性が高い舞台だと思います。男役の方の立ち居振る舞いは勉強になります。そういえば、前に東京スカイツリーの展望台で宝塚のイベントがありましたよね。ショーアップされていて”宝塚へようこそ”みたいな(ポーズの)ポスターがすごく印象的だなと思って。僕もやってみたいなーと思いました(笑)」

柚希礼音さんのオフィシャルインスタグラムより
https://www.instagram.com/p/CC3SUIlHp7K/


 SNSでだいもん(望海風斗さん)表紙のTCA PRESSにインタビュー記事が掲載されていることを知り、手持ちのものを再読しました。幸い、断捨離前でした。わたしのへぼい記事で申し訳ないですが、この東京スカイツリーの宝塚ラウンドシアターもご覧になったのでしょうか、映像もご覧になるほど宝塚を愛してくださっていたんですね、さみしいです。『キンキーブーツ』みておけばよかったですね。この世の苦しみから解放されて、永遠の旅路で心穏やかにお過ごしでしょうか、どうかゆっくりと羽を休めてください。御霊が安らかでありますようにと祈ります。

涙がとまらなくなりますね、さみしいです、正直・・・。

2018年3月10日;宝塚歌劇in東京スカイツリー_ラウンドシアター
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/544842ee780b7d3612db257bd27c58fb

2018年3月31日;宝塚歌劇in東京スカイツリー_ラウンドシアター(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/aa0a2a551f1951426abd606ff495fbd3

2018年12月31日;宝塚歌劇in東京スカイツリー_ラウンドシアター(3)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/18e9d82d488847c116adbe3b547eb166

2008年『フェルメール展』‐フェルメール「小路」(2)

2020年07月23日 09時17分38秒 | 美術館めぐり
2020年7月22日’2008年『フェルメール展』-フェルメール「小路」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/f6fd3c16c4a1fe383e24a2a1c50648ed

(会場で購入した公式ガイドブックより)

「フェルメールの室内を描いた風俗画の場合と同様に、本作品は多大なる熟慮と配慮のもとに構成されている。鑑賞者は、まずは、建物の強烈な垂直と水平の要素がいかに左側の家々の屋根の斜行線を中和しているかに気づかされる。そして、閉じた戸口と開いた戸口の並びがいかにファサードに変化を添え、この静かな家庭の部屋の奥へと人を招き入れるような眺めをつくり出しているかに注目する。ここでもまた、フェルメールは、わずかだが、考え抜かれた変更を加えている。彼は、初めは、母親が家の敷居のところに座っているように、女性を通路の戸口のところに座らせる予定だった。しかしこれを塗りつぶし、少し離れた場所で樽に向かってかがむ女性まで見通せるようにし、奥行き感や後退感や視覚的関心を高めた。暗い戸口と明るい戸口を交互に並べたり、すぐ前景にある通りの黄色がかった石畳の柔らかい色調と、上方のレンガづくりの強烈な赤とを仲介する部分として白い石膏を用いたりと、色彩の明暗の手際の良い配置もまた構図を豊かにしている。明るく、押し寄せてくるような真夏の空もまた、その下に広がる時間の止まった私的な都市空間の完璧な引き立て役となっている。というのも、この空は、時の流れを止めながら、影のない光を染みわたらせているからだ。

 人間の存在も、ここではなくてはならないものだが、個人の住まいの枠にしっかりと組み込まれている。女性たちは縫い物や家庭の雑用に専心し、二人の子供(1ダース前後の子供を持つ父親・フェルメールによって描かれた唯一の子供たちである!)は静かに、ほとんんど気付かれることもなくベンチの側の歩道にいて、遊びに興じる。これらの人物は、都市空間を住まい、さらには家庭的なものに変貌させ、建物を単なる「家」から「家庭」へと変える。こうしたコンテクストにおいて、左側の家に生い茂る蔓植物は、詩篇128;11の次のような言葉を思い起こさせるかもしれない。「汝の妻は家の脇で成長する蔓のようであれ。汝の子らは円卓を囲むオリーブの若木のようであれ。」」

「かつてデルフトは、周囲に堅固な市壁を巡らした典型的な中世都市だったが、フェルメールが結婚した翌1654年に、火薬庫の爆発でほぼ壊滅状態となった。失われた故郷へのオマージュともいえる作品が「デルフトの小路」である。ここに描かれた階段状の破風をもち、かつ銃眼を備えた建物は、現在のデルフトには皆無である。それはスペインからの独立戦争の名残りであり、この絵が描かれた1658年頃にはすでに消滅してしまっていた。画家は、独立戦争を戦った故郷の古き景観を心に留め置くために、この絵を描いたとも考えられている。」

(『週刊世界の美術館-アムステルダム国立美術館』より)



 
 2008年8月2日から12月14日まで上野の東京都美術館で開催された『フェルメール展-光の天才画家とデルフトの巨匠たち』。気がつけば12年の時を経ようとしていますが、この会場の空気を今も思い出します。パリのルーブル美術館で『モナ・リザ』、オランジュリー美術館でモネの睡蓮の連作に出会い、絵と対話するという体験をしてからの絵画展はより心に深く沁みるようになりました。

 フェルメール;1632年-1675年、レンブラント;1606年-1669年、

 生涯にわたって自画像を描き続け、今わたしたちはその自画像を通して画家の素顔を知ることができるレンブラントに対して、素描も自画像も手紙のたぐいも全くなく、素顔がみえないフェルメール。今フェルメールの作品として確認できるものは30点余り、不思議ですね、画家の生の姿は全く知らないのに、作品を通して伝わってくる画家の心意気、人をみる温かさのようなもの。フェルメールの作品はどこまでも穏やかで心を落ち着かせてくれます。ずっと振り返りたいなと思っていた『小路』、12年越しでやっと書けました。





2008年『フェルメール展』-フェルメール「小路」

2020年07月22日 09時41分56秒 | 美術館めぐり
ヨハネス・フェルメール(デルフト1632-1675デルフト)
《小路》
1658-1660年頃
左側、窓の下に署名
油彩/カンヴァス、53.5×43.5㎝
アムステルダム国立美術館

(会場で購入した公式プログラムより)

「フェルメールは熟達した風俗画家であるのみならず、都市風景がの独創的な先駆者の一人でもあった。低地地方オランダは、17世紀において、おそらくもっとも人口密度の高い都市地域であったが、その事実を考えれば、オランダが都市景観画を創始するのにふさわしい場であることが理解されよう。とはいえ、このジャンルは、ネーデルランドおよびオランダの画家たちが考案した様々な専門的画種のなかで最後に手掛けられたものだった。風景画の下位ジャンルである都市景観画が、風景画、そして地図や地誌を絵画化した作品(風景画に描きこまれた都市の側面像は、主として地図の伝統を汲んでいる)と区別され、独立したジャンルとしてデビューを果たすのは、ようやく17世紀中頃のことである。こうした都市景観画の展開には、デルフト、アムステルダム、ハールレム近隣地域が主に中心的役割を果たしたが、デルフトはなかでも他に先んじていたようである。(略)

 都市景観画は、観察者を都市の外側から都市内の公共空間へと移動させ、広場、公園、教会、通り、運河を記録した画家たちによって始められた(略)。

 しかしながら、特別な貢献をした画家となればフェルメールの名を挙げねばならないだろう。フェルメールの都市景観画は、《小路》として知られる本作品と《デルフトの眺望》の2点しか現存しない。(略)フェルメールがさらに多くの都市景観画を描いていたと推測する理由はほとんどない。というのも、これら2作品は、どちらも1696年に開催されたかのディシウス競売で売り立てられているからである。このオークションでは21点を下らないフェルメール作品が売りに出されたが、そのなかには《デルフトに建つ家の眺め》、《何軒かの家々の眺め》、そして《南から眺められた、遠近法によるデルフトの街》という3作品が含まれていた。その簡潔なタイトルは、いずれも、われわれの都市景観画という考えに合致する。競売目録に登場する一連のこうしたタイトルからは、フェルメールは都市景観画を多くは手掛けなかったものの、デルフトの一軒の家を描いた(失われた)絵画から、本作品の数軒の家の眺め、そして都市全体の眺めに至るまで、テーマの枠内で一定の範囲の可能性を開拓したということが推測できる。

 本作品に関連するタイトル、《何軒かの家々の眺め》は、この場面がデルフトであると特定していない。このことは特筆すべきであろう。(略)フェルメールのねらいは、地誌的な正確さや、その土地の建物の記録ではなかった。むしろ親密な、感情に訴えかける街の肖像、近隣とその静かな家庭的雰囲気を描こうと努めていた。

 《小路》は、長い間、「メールヘレン」と呼ばれるフェルメールの実家1階からの眺めだと思われてきた。すぐ外にはフォルデルス・フラハト運河が続き、その向かい側には、1661年から聖ルカ組合が事務所を構えた「救貧院」があった場所である。この建物は、18世紀の図版を見ると、アーチ型の戸口のある低い壁によって左側の老人ホームとつながっていた。その戸口は、本作品の左側の小さい壁に穿たれた戸口にいくらか類似するが、聖ルカ組合の建物は、右側の破風(はふ)づくりのレンガの建物と似ても似つかない。

 この破風づくりのレンガの建物は、どこか他の場所で観察された現実の建築物に基づいているかもしれないが、間違いなく創造的な操作が加えられている。レンガと漆喰のファサード、驚くほどむらがある石膏や水漆喰が塗られた1階部分などは現実を記録したと思わせる。にもかかわらず、建物の建築的構造をつぶさに調べてみると、描かれたとおりに存在するなど、とうていありえないことがわかってくる。2階の2つの窓は、背の高い中央戸口から同じ距離にはない。その非対称性は下階でも変わりない。左側の緑色の雨戸は、右側の赤い雨戸よりも幅が広い。つまり、ありそうにもないことだが、戸口の両側にある縦長の背の高い窓は、それぞれ幅が異なっているのだ。フェルメールが純粋に構図的な理由からこうした調整を行ったのは明らかだ。X線写真によれば、赤いよろい戸は白い漆喰の上に描かれている。つまり、フェルメールは、初めは斜めに開けたよろい戸を描こうと考えたが、その後押し返し幅を広げ、壁の上にかぶせることにし、建物のファサードの平面性を強調しようとした、ということなのだろう。」

 公式プログラムの解説文、長いのでもう少し続きます。画像はイヤホンガイドを写メしたものですが、あまりにも有名な絵なので、検索すると素敵な画像がたくさん出てきます。










2017年10月5日;2008年8月‐12月『フェルメール展』_光の天才画家とデルフトの巨匠たち
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/efc0a93d13fbc7ecf00fde39bd8d58ab


茂木健一郎『「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法』より_仮想が新たな価値を生む

2020年07月21日 09時57分47秒 | 本あれこれ
2020年6月13日;茂木健一郎『「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法』より_仮想と現実のずれ
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/968aaa390e9f552b599ca5433455ebd2

「しかしここに、その「ずれ」こそが、新たな価値を生み出すケースがあります。
『ウェブ進化論』の著者である梅田望夫氏から聞いた話なのですが、アメリカのITの進歩を支えてきたのは、「怒り」なのだそうです。

 梅田さんのメンター(指導者)で、アメリカのイノベーションを推し進めてきたある企業家がいます。彼は、まだ世の中がフロッピーディスクが主流だったころに、あるソフトウェアを注文したそうです。そして、そのソフトウェアが自宅に届いたときのこと、中身はフロッピーディスク一枚のはずなのに、とても分厚く何重にも梱包されていた。それを見た彼は、梅田さんの見ている前で、その箱をナイフでズタズタにしたそうです。そして、フロッピーディスクを取り出して、「本当に必要なのはこの中のデータだけなのに、なんで、こんな箱に包装してこんな無駄なことをしているのか」と、止められないほど怒ったと言います。

 ここには、自分が想像している「仮想」の世界と、今ある「現実」の世界との「ずれ」に対する、「怒り」があります。本来なら、こうあるべきだという理想の世界があるのに、それにたいして「現実」の世界は追いついていない。まだこんなところで留まっている、そういうまどろっこしい思い、「ずれ」に対する「怒り」が、シリコンバレーのITイノベーションの動機となっている。そう梅田さんは仰いました。

 つまり、「想像力」には功罪二つの面があるのです。

 あるときには「想像力」が行き過ぎて、困った状況に陥ることもある。それはアンのように、お菓子に薬を混ぜてしまうとか、物語のヒロインになったつもりでボートに横たわって流れていったところ、水が入ってきて溺れそうになったりとか、時が経てば笑い話になるようなものから、場合によってはひとつの宗教の体系すらも変革、揺るがしかねない力を持つこともある。それが「想像力」の持つ力の恐い面でもあります。

 しかし一方では、孤児院暮らしにあってもつらい現実に押しつぶされないための逃避の力、あるいはよりよい境遇にあっては、さらなる未来を待ち望むための力としての「想像力」がある。しかしそれは、たったひとりの未来を変える力だけではなく、ときには社会そのものを変革・改革する力を持つ場合があるのです。

 モンゴメリーは、アン・シャーリーというひとりの少女を描くことによって、見事にこの二つの「想像力」の、功罪合わせた二面性を描き出したのです。」





星組『鎌足-夢のまほろば、大和し美しー』_思い出し日記(8) 

2020年07月20日 09時05分59秒 | 宝塚
2020年7月5日;星組『鎌足-夢のまほろば、大和し美しー』_思い出し日記(7) 

https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/91056162e7000a4e22661c3ab72de765


一樹千尋さん演じる僧旻先生と天寿光希さん演じる船史恵尺(ふねのふひとのえさか)とのエピローグのやりとり。

僧旻(そうみん)
「藤原の名を賜り、ほどなくして鎌足はこの世を去った、鎌足の死後、天智(てんじ)の御世は大いに荒れた」
船史恵尺(ふねのふひとのえさか)
「しかし、その嵐の中を生き抜いた鎌足の子、藤原不比等(ふじわらのふひと)はやがて藤原氏の繁栄を築き上げた」

僧旻「わしの話は終わりだ、満足か?」
恵尺「はい、十分すぎるほどに」
僧旻「どうやら長居がすぎたようだな」
恵尺「ええ気がつけば残ったのはわたしたちだけ」
僧旻「ではわしも・・・」
恵尺「どちらへ」
僧旻「帰る」
恵尺「そうですか」
僧旻「そなたは?」
恵尺「まだここに、人の世の続くかぎり、歴史を記し続けるのがわたしのつとめ」
僧旻「そうか」
恵尺「よろしければいつでもまたいらっしゃってください」
僧旻「考えておこう」
恵尺「お待ち申し上げております。ところでせっかく語っていただいたのですが」と歴史をしたためてきた巻紙を破る恵尺。
僧旻「なにをする?」
恵尺「消しました」
僧旻「なにゆえ?」
恵尺「哀しみ、苦しみ、悦び、大変に面白いお話でしたがこれでは歴史とは言えません。歴史とはそうした人の情けとは遠く離れて語られるべきものです」
僧旻「さみしいものだな、歴史とは・・・」
恵尺「さあ、どうでしょう」
僧旻「せっかく語ったというのに、恵尺、考えは変わらぬか」
恵尺「なんでしょう」
僧旻「希望と絶望とではつり合いがとれぬものか」
恵尺「希望がなければ生きてゆけぬものでしょうか」
僧旻「わからぬ」
恵尺「わかりませぬ、わかりませぬが」
僧旻「すべては後の世に」
僧旻・恵尺「うつし世に、人から人へ、志は受け継がれる、人は生きる。そして、歴史は作られる」

 あくまでも傍観者として不遜な笑いを浮かべる恵尺、恵尺を演じる天寿光希さんの声にエコーをかかってますが天寿さんの芝居役者ぶり、お見事。このあと、紅ゆずるさん演じる凛々しい鎌足が登場して「大和は夢のまほろば~♪」と美しいテーマソングを歌い、僧旻と恵尺の語りによって幕をあけた舞台は幕を下ろしました。

 文字起こししてみるとひとつひとつの言葉が深い。オンデマンド配信で全編視聴してやっと物語の全体がみえました。紅ゆずるさん、綺咲愛里さんのプレ退団公演作品として秀作でした。

 ナウオンステージのこぼれ話、美希千種さん演じる蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわのまろ)、蘇我一門でありながら鎌足に誘われて入鹿を討つことに加担、朝鮮半島から使者を迎える儀式の場面で入鹿を表に誘い出す役割を担いますが、全身ブルブルさせて声がひっくり返ります。それがおかしくってしょうがないと入鹿を演じた華形ひかるさん、真面目にやっているのに笑わせられるってすごいですよね、ってせおっち(瀬央ゆりあさん)。新年号は「大化」の場面で、「令和」さらに「千穐楽」、三度目にようやく「大化」、笑いをとってほっこりさせてくれる次期星組組長さんでした。



 一年前の今頃、宝塚大劇場で退団公演が始まっていました。お金使ってしまいましたが行ける時に行っておいてほんとうによかったと思います。退団後に知って会員になった方もたくさんいらっしゃるというファンクラブの会員に「わたしは元気に生きていますよ、この状況で会えないけど、一人じゃないよ、いつもそばにいるから」とメッセージをコンスタントに送ってくれるの嬉しい。「苦しみがあるからこそ、楽しいを楽しいと感じることができる」。

 心のエネルギーを満たしてくれる推しメンたちが元気に生きている、お互いに生き延びている、それだけで奇跡、どれほど尊いことかと思います。死んではいけない、死んでしまったらそこで終わりなんです、消えない苦しみを残してしまうんです。苦しいときは続いていますが、一人じゃないよというメッセージに胸になんとか生き延びていきたいです。

2020年7月14日:星組『GOD OF STARS』『エクレールブリアン』_ひとかけらの夢
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/53dcc75d21b6acfaee81ecc35d753a2d

2018年『ルーブル美術館展』-「レンブラント」

2020年07月19日 16時19分11秒 | 美術館めぐり
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン(1606-1669)
《ヴィーナスとキューピッド》
1657年頃
油彩/カンヴァス
118×90㎝
絵画部門

実は50代のレンブラントを支えた内縁の妻と子供を描いているという解説でした。

28歳で出会った妻サスキアは、「夜警」の完成とほぼ同じ時期に30歳で、幼い末の子を残して病で他界。レンブラント、36歳の時でした。

レンブラントは、妻の死後、息子の乳母と関係を持ったり、家政婦を内縁の妻にしたり女性との仲が絶えなかったそうです。

「オランダ西部、ライデンの製粉業者の家に生まれたレンブラント少年には、3人の良き理解者がいた。勉強もせず、ひたすら絵とデッサンに明け暮れる息子を絵画の道に進ませようと決心した父親。光と影、明暗法による奥行きなどの技法を伝え、20歳に満たない弟子を、色調と明暗の配合によるドラマチックな画面づくりの虜にした師、ラストマン。そして新進の画家の才能を見出し、ヨーロッパ中に紹介した総督秘書官ハイヘンスである。3人の期待にこたえて、レンブラントは名声を獲得していく。25歳でアムステルダムに活動の場を移した画家。その未来を約束したのは、翌年描いた集団肖像画『チュルプ博士の解剖学講義』だった。当代最新の解剖学をテーマに、受講者が名士ばかりだったこの絵は評判を呼び、集団肖像画の注文が殺到するようになったのだ。

 多忙になったレンブラントは、さらなる幸運にめぐり合う。サスキアとの出会いだ。彼女と結婚し、人生の絶頂期を迎えるレンブラント。だが、最愛の妻は画家を残して30歳の若さで世を去ってしまう。そして、この時期の大作『夜警』を描き上げた頃から、画家の運命は次第に暗転していくことになるのである。

 「レンブラントが再婚した場合、息子ティトゥスに残した遺産は私の姉へ」。サスキアはこう遺言した。

 その妻の死後、息子の乳母ヘールトヘと愛人関係に陥ったレンブラントだったが、遺産を失うのを恐れてか結婚しなかった。その後、若い家政婦を愛し、ヘールトヘに婚約不履行の裁判を起こされる。ヘールトヘは精神のバランスを崩して施設へ。そして家政婦ヘンドリッキュは女児を出産。教会から不道徳をとがめられ出入りを禁じられるが、終生、伴侶として尽くし、晩年には内縁の妻として教会に認められている。ヘールトヘも自身の遺産をティトゥスに遺した。3つの人生は、一人の女の遺言に翻弄されたのである。」

(『週刊世界の美術館-アムステルダム国立美術館』より)



2020年7月17日;2018年『ルーブル美術館展』-「マリー・アントワネット」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/e26be63e18364741739a46f04bfd29f0






「ここでレンブラントをイメージしながら絵画の根底にアプローチしたいと思う。シュポール(キャンパスなどをさす)とメティエ(技法)を切り離すことはできない。シュポールを丁寧に整えるために時間がさかれる。綿密な手順を踏みながら、舞台がかたちづくられてゆく。どのような絵を見るときにでも、創造を目指す行為のために経過した時間、画家の時間体験を思い浮かべてみる必要がある。時間も、画家の<生>も、作品に、シュポールに住みついているのである。その大小にかかわらず、作品とは空間そのものであり、それとともに、時間そのものだ。行為、制作、創意工夫、試み、ためらい、展望、想像力、記憶、モチーフ、見ることに集約された行為、技法を伝える手などが、作品に住みついているのである。

 作品とは、時間の経過のすべてを表現するものであり、持続的経過、たえまなしの試み、進行中の創造的行為そのものである。

 画家は描きつづけないわけにはいかない。一点の作品の制作にピリオドが打たれたとしても、作品はなおも持続的である。ある制作の終止符はつぎの仕事のスタート地点の確認といえるのではないだろうか。先へ先へ、はるかな地平へ、画家は突き進む。絵画はまことに意欲的で創造的な試み、このうえなく人間的なドラマなのである。なぜなら、芸術作品を体験するということは、疑いなく人間への回帰だからだ。そうした体験は人間の発見と理解、宇宙的な広がりをもつ世界そのものの発見と理解に深く結びついているといえるだろう。人間と世界との結び目に花開いた光景、それが絵画なのである。

 エッチングに見られるレンブラントの線、光と影、それらは微妙な状態で空間の表情を表現しており、驚くほどすばらしい。彼は自画像の人であり、各年代の自画像に年輪の深まりが見られる。彼ほど鏡と向き合った画家はいないだろう。なかでも「夜警」はレンブラントの最大の自画像であり、絵画史を彩る記念碑的な作品である。」

(山岸健『絵画を見るということ-私の美術手帖から-』より)




 『ロンドン・ナショナルギャラリー展』ではレンブラントの34歳の自画像に会うことができました。この世にいる間にオランダのアムステルダム国立美術館を訪れることはできそうにないですが、2018年の『フェルメール展』で「牛乳を注ぐ女」に会えたし、こうして来日してくれたレンブラントにたびたび会えることができているだけでも十分すぎるほど奇跡でありがたいことです。363×437㎝の「夜警」にはオランダまで行かないと会えないですけどね・・・。

2018年12月19日:2018年『フェルメール展』_牛乳を注ぐ女

https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/e809174918db11b05913f7c8c31e76f3

花組『はいからさんが通る』ライブ配信

2020年07月18日 19時14分12秒 | 宝塚
 昨日ようやく宝塚大劇場で初日を迎えた『はいからさんが通る』、宝塚初のライブ配信、オンデマンド配信を視聴している楽天TVで無事視聴しました。見逃し配信はないとのことなので電波がきれたりしないかしらとか、妙にドキドキしました。映画館のライブビューイングとはまた違う臨場感で不思議な感覚でした。宝塚大劇場まで遠征するにはお金も時間もすごくかかるし体力も必要なのでありがたいことです。

 れいちゃん(柚香光さん)、華優希ちゃん、大正ロマンの漫画世界そのままの夢々しいビジュアル、お似合いのカップル。れいちゃん、お母さんがドイツ人という伊集院少尉、怒ったことがあるのか、っていう優しいの塊のような男性、ファンにはたまらないでしょうね。みりおさん(明日海りおさん)の退団公演の時はおどおどと自信なさげが印象が残った華ちゃんが、生き生き、はつらつと元気いっぱいに、自分の意思をもっていきようとするはいからさんを演じていて安心しました。自分、年齢も年齢なのでもう親心のような心持ち?かも。音くり寿ちゃんの出番が俄然増えていたし、エトワールではパラソルを片手に美声を響かせていました。すごく可愛くて、これまた自分の意思で人生を決めていく女性を生き生き、はつらつと演じていて気持ちよかったです。

 あきらさん(瀬戸かずやさん)のダンディぶり健在、安定の色気、女性嫌いからはいからさんに思いを寄せるようになり、伊集院少尉の生死がわからなくなったあとの「おれがぜんぶ忘れさせてやる」といって抱きとめるところはどきどき、この台詞が言える、似合うのは上級生男役の色気があってこそ。マイティ(水美舞斗さん)がさらに存在感を増していました。三番手ポジなのかな。衣装の上からでもわかる筋肉質ぶり健在、鬼島軍曹がよくお似合いでした。歌も芝居も上手くて安定の存在感。音くり寿ちゃんとのカップル、よきかな。牛五郎の飛龍つかさくんも存在感マシマシ、芝居心がいい味を醸し出していました。花組から戻ってきた朝月希和ちゃんの芸者、吉次も素敵でした。着物姿の仕草が細やかで流れるように美しかったです。専科からは英真なおきさん、美穂圭子さんが出演。舞台を支えていました。

 「フィナーレが大正ロマンバージョン、楽しんでいただけましたでしょうか」「宝塚初のライブ配信、画面の向こうのみなさまも楽しんでいただけましたでしょうか」とれいちゃんが挨拶すると、客席が拍手、定員数の半分でも応援しているファンの想いは伝わっていると思います。開演前のアナウンスでは、「みなさまとお会いできる日を待ち望んでいました」と。やっと舞台に立つことができた笑顔がフィナーレには溢れていました。みなさん安堵感と責任感と緊張感といろいろでしょうね。9月5日の千穐楽まで無事に通りきることができますように・・・。

 7月31日は星組が東京宝塚劇場で初日、華形ひかるさんの退団公演、宙組の『フライング・サパ』が梅田芸術劇場で8月1日に初日、『壮麗帝』が8月14日初日、雪組の『炎のボレロ』が8月17日初日。『フライング・サパ』は首都圏が9月6日に日生劇場で初日、もともとはTBS赤坂ACTシアター公演で、TBSが冠スポンサーで制作発表した公演を梅田芸術劇場と日生劇場にふりわけた劇団の調整力のすごさよ、仕事できますね。地方からみると東京と東京近郊がまるごとあぶないようにみえていることを同級生のラインで知り、今の報道のされ方はどうなんだと疑問に思うこの頃。全ての公演が無事に上演できますようにと祈ります。

 帝国劇場は今日の夜公演から21日まで無観客ライブ配信、ファンの声は日比谷に届いています。落ち着きませんがようやく東西の大きな劇場が動き始めました。 舞台は心の灯、Show Must Go On!



再開後の最初の作品が幸せ作品なのはよかったかも。自分は遠くなりましたが、またここに観劇後の満たされた笑顔があふれる、それだけでも十分です。




















2018年『ルーブル美術館展』-「マリー・アントワネット」

2020年07月17日 23時51分00秒 | 美術館めぐり
セーヴル王立磁器製作所、ルイ=シモン・ポワゾの原作に基づく
《フランス王妃マリー・アントワネットの胸像》
1782年
ビスキュイ(素焼きの硬質磁器)
美術工芸品部門

マリー・アントワネット、どの肖像画も彫像も本当に綺麗でおしゃれ上手。ヴェルサイユ宮殿の彫像も綺麗でした。



アントワーヌ=ジャン・グロ(1771-1835)

《アングレーム公妃マリー=テレーズ=シャルロット・ド・フランス(1778-1851)》

1816(1817年のサロンに出品)
油彩/カンヴァス
絵画部門(ヴェルサイユ宮殿美術館に寄託)


マリー・アントワネットとルイ16世の娘ルイーズ38歳の肖像。父母亡きあと、幸薄かった二人の子どもたちの中で革命後もただ一人生き抜き、73歳の生涯を全うしました。2016年に『1789バスティーユの恋人たち』を観劇したあと、次男ルイ・シャルルの残酷な生涯を知りました。2016年の観劇日記や、『マリー・アントワネット展』の備忘録であれこれと書きつらねました。お時間とご興味があれば・・・。

2016年4月29日:『1789バスティーユの恋人たち』より(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/e3ce64ef0b2c8c00290127dba71871f0

史実では幸薄かったルイ・シャルルを救い出しイギリスへと亡命させたのが『スカーレット・ピンパーネル』。心が救われました。





エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン(1755-1842)

《エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスキー伯爵夫人(1761-1829)の肖像》

1796年
油彩/カンヴァス
絵画部門

エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブランはマリー・アントワネット、お気に入りの女性画家。フランス革命でロシアに亡命したあとに描いた肖像画との解説でした。この絵の隣には彼女自身の彫像もありました。若くして未亡人となったようですが綺麗な方でした。



112点もの作品が展示されて盛りだくさんすぎる展覧会でした。

2020年7月15日:2018年『ルーヴル美術館展』_「27歳のナポレオン」

https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/8341aee9c8275bf8f27eadedf30b8db7

2020年『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』

2020年07月16日 23時41分17秒 | 美術館めぐり
 お正月の『ハプスブルク展』以来の上野に、日常生活として出かけてきました。国立西洋美術館で6月18日から開催されている『ロンドン・ナショナルギャラリー展』、本来は3月3日から6月14日までの開催予定でした。夕方からの時間指定は慌ただしくて時間が足りませんでした。もう少しゆっくりみたかったという思いが残りましたが、コロナ禍の中、こうして会期を変更して開催され訪れることができたのは幸いです。全61点日本初公開、よく飛行機にのって貴重な絵画がこんなグダグダな日本にはるばるやってきてくれました。この世にいる間にまたロンドンを訪れることはないと思うので本当にありがたいことです。時間が少ないから借りるのやめようと思っていたイヤホンガイド、ゆん(古川雄大さん)の名前と写真をみて思わず借りてしまいました。声の印象が舞台とは違っていました。



ゆんの隣の絵はルノワールの『劇場にて(初めてのお出かけ)』、

ピエール=オーギュスト・ルノワール
劇場にて(初めてのお出かけ)
1876‐77年
油彩/カンヴァス

 「絵は楽しいものでなければならない」と78才で亡くなる晩年まで生命力あふれるを描き続けたルノワールの、初めて劇場に出かけた少女のウキウキ、ワクワク、ドキドキした様子が伝わってくる絵でした。奥の観客はぼかして少女の表情をクローズアップしています。



 ルノワールの他に、大好きなモネの、夏の昼下がり、緑あふれ光ふりそぞく「睡蓮の池」、このフェルメールの「ヴァージナルの前に座る若い女性」、34才のレンブラントの自画像、ボッティチェリ、最近2015年『ルーヴル美術館展』で振り返ったばかりのムリョーリョ、ベラスケスなど、何度も絵画展に足を運んでいるうちにお馴染みになってきた画家たちに会うことができました。



チラシや看板に大きく使われているのはゴッホの「ひまわり」でした。間近でみると絵の具のでこぼこがわかりました。いちばん最後のコーナーにあり、ゴーガンとのエピソードなどゆっくり読みたかったですが時間切れでした。セザンヌの絵も時間切れ、10月18日までやっているのでもう一回いくこともでるかな・・・。









 館内は階段で移動が基本ですが、入口でエスカレーターに乗りますか?と声をかけられたのは、足が悪いように見えてしまったのかな、ありがたいことですがちょっとショック。一年半余りのほとんど歩かなかった田舎生活から、がんがん歩く生活に急に戻り、朝から石の階段や急な坂を歩いていた自分が、あれほど毎日歩いていた自分が歩けなくなってしまっています。訪問の仕事、きびしい。先延ばしにしていたらこうして戻ってくることも田舎生活を送ることもできなくて再起不能になっていたかも。馴染むことのできなかった田舎生活の疲れに引っ越し疲れもあるから今は仕方ない。不安と焦りがありますが、まだ間に合うと信じてひとつひとつやれることからと思います。

 お正月は工事をしていた上野駅、すっかりきれいに様変わりしていました。広いですね、駅の中だけでも歩く、歩く。近くにはパンダ橋なるものが整備されていて、橋には仕事帰りの男性がいっぱい休んでいました。上野動物園も事前に券を購入してからの入場。コロナとの共生、なかなかに慣れませんがこうして動いていること自体が奇跡、働いてくれている方々に感謝ですね。自分も「あなたを待っている人たちがいる」との相談員さんの言葉を信じて・・・。