たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

「仕事が減る」インボイス制度中止求め 総理官邸前で反対の声

2023年09月26日 22時54分17秒 | 気になるニュースあれこれ

「仕事が減る」インボイス制度中止求め 総理官邸前で反対の声 - ライブドアニュース (livedoor.com)

「10月から始まる消費税のインボイス制度について、中止を求める人たちが総理官邸前で反対の声をあげました。

【映像】官邸前で中止を求める人たち

「私たちの生活を彩っているありとあらゆるものが、ともすると今回のインボイス制度で失われていくかもしれません」(クリエーティブディレクター・辻愛沙子さん)

 10月に始まるインボイス制度では、現在、消費税の納税が免除されている売上額が1000万円以下の事業者が、「課税事業者」となって商品ごとの税率を記載したインボイスを発行しなければ、取引先が税控除を受けられなくなります。

 イラストレーターなどの参加者からは、課税事業者にならないことで、仕事が減ってしまうなどの懸念の声があがりました。

 集会には約1000人が集まり、反対する署名も50万人分以上寄せられているということです。(ANNニュース)」

 

 

2023年9月26日日刊ゲンダイ、

岸田首相「国民の声を聞く」はどうした? 52万筆のインボイス反対署名を受け取らず|日刊ゲンダイDIGITAL (nikkan-gendai.com)

「インボイスは、事業者間の取引で売り手が消費税の適用税率や税額などを記載した請求書を買い手に発行する制度。インボイス発行には税務署への登録が必要で、売上高が年1千万円以下の「免税事業者」が登録した場合、新たな税負担が生じる。このため、小規模事業者やフリーランスなどから反対の声が強く出ており、オンライン署名では25日午前11時半時点で52万筆に迫る反対署名が集まった。

 大企業ばかり優遇し、中小零細、フリーランスからなぜ、新たな負担を求めるのか。まさに「弱い者いじめ」としか言いようがないが、この日の集会では、インボイス反対署名について岸田文雄首相(66)が受け取りを拒否したことに対しても怒りの声が上がった。

「聞く力、私はこれを大切にする政治家でありたいと思っています。チームの力を引き出し、国民の協力を引き出すため、リーダーには必須と心得ているからです」

 2021年9月の自民党総裁選で、岸田首相は繰り返しこう訴えていたはず。このため、SNS上では《50万人余の国民の声を聞かない岸田首相》《国民の声を聞くことを大切にしていたのではないのか。嘘つきだ》《国民の声を聞くどころか、反対署名の受け取りすら拒否するとは。人間として失格だよ》といった厳しい声が飛び交う展開となり、たちまち《インボイス》《国民の声》という言葉がネットでトレンド入りした。

岸田首相は25日夜、官邸で「新たな経済対策」についての会見を開いていたが、ちょうどインボイス反対集会の開催時間と重なっていたため、ネット上では《意図的だったのでは》《国民の声を聞かないための会見》といった投稿もあった。岸田首相は25日夜、官邸で「新たな経済対策」についての会見を開いていたが、ちょうどインボイス反対集会の開催時間と重なっていたため、ネット上では《意図的だったのでは》《国民の声を聞かないための会見》といった投稿もあった。」

 

 わたしたちの暮らしはこれからどうなっていくのだろう、日本のタイムリミットは来年5月、これ以上コロナ、コロナってやっている場合ではない。

 

 

ヤマト、配達員3万人委託を終了 24年度末までに | 共同通信 (nordot.app)

「ヤマト運輸がカタログやチラシなど小型荷物の配達を委託する個人事業主約3万人との契約について、2024年度末までに全て終了する方針であることが23日、分かった。一部は障害者支援団体へ委託していたが、これも取りやめ、新たに提携した日本郵便に委託先を切り替える。トラック運転手の人手不足が懸念される「2024年問題」への対応の一環として経営を合理化する狙いだが、個人事業主は新たな職探しを迫られる。

 ヤマト運輸が共同通信の取材に回答した。委託先には既に終了方針を伝えており、10月にも転職支援サイトを設けて求人情報を提供する。また関係者によると、契約を満了した個人事業主には委託料とは別に、ヤマト運輸が1人当たり3万~7万円の「謝礼金」を支払うという。

 ヤマト運輸は6月、住宅の郵便受けに投函する「クロネコDM便」と「ネコポス」の2種類は日本郵便の配送網を利用し、業界の運転手不足に対応すると発表。経営資源を中核事業の宅急便に集中させるとしたが、個人事業主らとの委託契約への対応は明確に示していなかった。」


コロナ検査、不正申請280億円

2023年09月26日 18時21分44秒 | 気になるニュースあれこれ

2023年9月24日共同通信、 

コロナ検査、不正申請280億円 | カナロコ by 神奈川新聞 (kanaloco.jp)

「新型コロナの無料検査事業を巡り、事業者による補助金の不正な申請が、東京や大阪など8都府県で計約280億円に上ることが24日、共同通信の8月末までを対象にした取材で分かった。これとは別に埼玉、高知、福岡の3県も精査中などの理由で金額を明らかにしていないが不正申請を確認しており、総額はさらに増えそうだ。8都府県のうち5都府県は計約68億5600万円を交付済みだった。

 事業は国の検討から3カ月ほどで始まり、都道府県には制度運用に加え不正の調査も委ねられた。複数の自治体が「制度設計の不備」を指摘し、検証と再発防止策の必要性を訴えた。

 制度は内閣官房が所管し、2021年12月〜23年5月、国の地方創生臨時交付金約6200億円を財源に実施。PCR検査や抗原検査を希望者が無料で受け、事業者に件数などに応じた補助金が支払われる仕組みだった。

 不正を確認した11都府県は金額の多い順に、東京が約183億円(11事業者)、大阪が約81億9千万円(12事業者)、神奈川が約11億3400万円(1事業者)など。」

 

コロナ騒動は最初から茶番でした。


【速報】「税収を国民に還元する」 首相が「経済対策」表明

2023年09月26日 14時26分13秒 | 気になるニュースあれこれ

2023年9月25日FNNプライムオンライン、

【速報】「税収を国民に還元する」 首相が「経済対策」表明(FNNプライムオンライン(フジテレビ系)) - Yahoo!ニュース

岸田首相は25日午後、「年収の壁」の解消策を含め、物価高などに対応するための新たな経済対策の柱を表明した。

岸田首相「今こそ、この成長の成果である、この税収増等を国民に適切に還元するべく、経済対策実施したいと考えています」 岸田首相は、新たな経済対策は、「成長の成果の適切な還元」と「コストカット型経済からの歴史的転換」が目的だとして、物価高対策、賃上げ、国内投資の促進、人口減少対策、国民の安全安心の、5つの柱を掲げた。

そのうえで、岸田首相は「経済対策を取りまとめたあと、速やかに補正予算の編成に入りたい」と述べた。

一方、年収が一定額を超えると手取りが減る「年収の壁」の解消策を表明し、「106万円の壁」については、壁を越えて働く人の手取り確保のため、企業に1人あたり最大50万円の助成金を支給する方針を表明した。」

 

 

藤井聡(@SF_SatoshiFujii)さん / X (twitter.com)

「賃金が最近ちょっとずつ上がってますが物価上昇率に比べて全然低いので…結局、賃金は”実質的”に「下落」し続けています。

…岸田さん!これをどうしたらいいか分かりますか!?!? 阿呆でなければ  

消費税減税(付加価値税減税) が答えだって分かるんですが

…貴方にそれが分かりますか!?!?!?!?!?!?」

 

なにがなんでも減税しない、企業へ補助金なんてもとは税金なので負のループは永遠に終わりません。日本は結局沈んでいきます。

心の中で血を流しながらようやく稼いだささやかな給料からどっさり天引きされた上に自分で老後の資金2,000万円貯めろとか無理、投資なんて素人では元本割れで結局マイナス、年金保険料という名の税金、事業主負担分も含めて全額返してくれよ、岸田さん。


通信教育レポート-オリエント考古学

2023年09月26日 13時04分57秒 | 日記

 

課題;エジプトの第18王朝時代の考古遺跡についてまとめよ。

 第18王朝をもって、古代エジプト史上第3の、最後の繁栄期である新王国時代が始まる。第18王朝は王朝の出身地テーベを首都とし、異民族の支配者ヒクソスを追放してエジプト統一を回復した。最初の3代のうちに、南はヌビア、北は遠くユーフラテス河畔まで支配を広げた。シリア・パレスティナでは主要な都市に守備隊を駐屯させ、現地人の王たちに朝貢させた。

 第4代トゥトモシス2世が死んだ時は、王位継承者のトゥトモシス3世は幼少であったので、継母でおばのハトシェプストが摂政となった。そして、次第に権力を増し、自らエジプト女王の地位についた。ディル・エル・バハリの葬祭殿は、彼女の治世をよく物語っている。前任者の征服事業のおかげで、北方については、彼女の治世は平和であった。その代りに紅海沿岸の経営に乗り出して、アフリカ東岸のプント地方に船団を派遣し、香料や金、珍獣を手に入れた。その様子が葬祭殿の装飾浮き彫りに描かれている。この葬祭殿は中央国の王メントゥホテップ2世のそれの北側に、同じ様式でさらに大きな規模で造営された。両者の間にあるトゥトモシス3世の葬祭殿と比較すれば、ハトシェプストのものは同時代の王たちのものの中で特に抜きん出た大きさと外観を持っていたことが分る。それは東から順に3段の岩盤上のテラスから成り、1-2段目の後方中央に斜道を持つ。この2つの斜道の両脇には列柱廊があり、下段列柱廊の背面の壁には女王の治世を示す歴史画の浮き彫りがみられる。

そこには、先述のプント遠征の他、2つのオベリスクのアスワンからカルナックへの移動、女王誕生物語が描かれている。女王誕生物語は、父王トゥトモシス1世の姿をとったアメン神が母后アアフメスと交わってハトシェプストが誕生した浮き彫りを刻ませたもので、自らの即位の正当性を主張している。背景には、王の姿を借りた国家神アメンが、正妃と交わることによって、アメンの聖なる血を受け継いだ次王が生まれるとする第18王朝の王位継承の原理がある。中断斜道の両脇の列柱廊内には小礼拝堂がある。上段にも列柱廊があり、ハトシェプストの彫像が安置されていた。この彫像は流れるような柔らかさをもつ体型表現をもち、第18王朝の典雅な王像彫刻の原型となっていた。

次のトゥトモシス3世の治世になると、彼は母の政策を改めて、再び北方進出を心がけ、合計17回もの遠征を行なった。国内でも、中央集権の確立に向かう努力がなされていたが、その一大障害は国家の神となったアメン神官団であった。

 第18王朝王家は、アメン神官団と密接な関係にあった。テーベの地方神であったアメンは、テーベを本拠地とする王朝の成立、さらには国土統一によって王朝の守護神から国家神に昇っていた。アメン神の加護は、遠征の勝利と史上空前の大帝国の建設をもたらした。アメン神は勝利を約束し、神旗として軍隊に同行し、勝利へと導いた。王たちは、この神の恩恵に対する感謝のしるしを、はっきりと目にみえる形で、それも恩恵と感謝の大きさにふさわしく表明する必要を感じた。その最良の手段として、中王国時代に起源をもつテーベのアメン神の総本山カルナックのアメンラー神殿の拡張工事が行われたのは第3代トゥトモシス1世以降である。トゥトモシス1世は本殿の前に、ほこら、広間、囲壁をつくり、さらにその前に2つの大山門、一組のオベリスクを建てた。以後カルナック神殿の増改築は慣例となる。ハトシェプストは二組のオベリスクを建てた。トゥトモシス3世は、聖なる池、プタ神殿、広門、山門、オベリスクをつけ加えた。さらにアメノフィス3世はモントゥ神殿、ムト神殿、山門を寄進した。アメノフィス3世は、ルクソールのアムン・ムト・コンス神殿も寄進している。アムンの船を納めたほこらやアムン像のほこらの前に一連の列柱付きのホールや前庭がある。さらにその前に一辺50メートルの中庭があり、その三つの辺に沿ってパピルスの束をかたどった高さ16メートルの巨大な二列の列柱が置かれている。この二つの大神殿の他に、テーベ西岸に造営される王の葬祭殿もアメン神殿として建立されたため、王の供養のために寄進された土地も、結局はアメン神殿領とみなされた。こうしてアメン神官団は、経済的に富裕化していった。

 アメン神官団の勢力増大は、それに対する批判的傾向を王家の中に生み出した。それが頂点に達したのは、第9代のアメノフィス4世アクナトンの治世である。彼は閉鎖的なエジプトを代表してきたアメン神官たちの行き過ぎた権力を打破しようと、太陽神アテンの信仰を育成した。そして、アメンの崇拝を弾圧する一方で、対外政策と行政を180度転換しようとし、遷都を断行した。彼はテーベを去り、「日輪の住み家」(アケタテン)という新しい首都(現在のエル・アマルナ)をつくった。彼が自分の神を表すのに使った、日輪から発する光線状の腕とその先端の生命力のシンボル「アンク」を握る手のモチーフは、それ以前のエジプトの図像学と全く絶縁した、独特のものである。このような断絶は「アマルナ美術」の独特の表現様式にも見られる。「アマルナ美術」の最大の特徴は、アクナトンの醜悪な肉体的特徴の写実主義風な人体表現が、美の規範とされていることである。カルナックのアメン神殿の東側に建立されたアテン神殿の王の巨像は、異常に長い後頭部、吊り上がった眼、分厚い唇、そげた頬、長い顎、細い首、くびれた腰、大きくふくらんだ腹、太い大腿部、細長い手足など、特徴的な容貌と女性的ともいえる体型が表現されている。アクナトンの改革は、アテン讃歌に見られる王の宗教的、芸術的才能ばかりでなく、こうした像に見られるホルモン系難病とも関係があった。この改革は短命に終わり、王の死後再び遷都が行なわれ、アメン崇拝も復興した。

 アクナトン一家の墳墓は、エル・アマルナから62キロメートルの一涸河内に位置している。そこには、妃ネフェルティと二人の娘メリタテンとメケタテンと共に王自身も葬られた。岩窟墓の入口から墓室までまっすぐな通路がのびているが、これは第18王朝の他の王たちの墳墓の伝統からはずれている。

 アクナトンの子ツタンカメンは父の死後すぐに、諸神殿を復興し、神像を再奉納した。また、ルクソールのアメン神殿の建築活動も再開した。しかし、彼は若死したため、これらの復興事業を見届けることはできなかった。1922年に発見されたツタンカメンの岩窟墓は、王墓としては異例の小規模であったことが幸いして、墓泥棒の被害を免れた「王家の谷」唯一の墓として、王のミイラと豪奢な副葬品をほぼ完全にとどめていた。

 新王国時代の王墓建築は、古王国以来の王墓の伝統であった「ピラミッド複合体」の形はとらず、上エジプトの伝統的な岩窟墓形式が採用された。供養施設のうち墓に接する葬祭殿と参道は廃止し、流域神殿のみ残して、これを葬祭殿として用いた。第3代のトトモシス1世の治世には、新王国時代における王墓とその供養の基本的な姿が完成した。王墓の場所として、テーベ西岸砂漠丘陵の北端近くに開くワディ(涸れ谷)の行き止まりで、ディル・エル・バハリの断崖を越えた背後にある「王家の谷」が選ばれた。

 岩窟墓の基本的な構造は次の通りである。方向はまちまちであるが、まずは切り石で囲んだ入り口があり、次に下方へゆっくり下る長い通路がつけられるが、それは一回または二回直角に曲る。通路は短い階段のついた扉に行き当る。その両側には、番人の像をおさめるための壁龕(がん)が並ぶ。奥へ進むと、前室や側室を伴った墓室に至る。その壁面は文字や絵画で飾られ、石棺は床に設けられた浅い穴に置かれている。その代表的なものはトトモシス3世や後のセティ1世の岩窟墓である。

 異例の小規模なツタンカメンの岩窟墓は、まず東側から階段をおりて行くと、約8メートルの通路(廊下)があり、すぐに前室に至る。この部屋は一部が墓荒しによって手をつけられていたが、そこには王の日常生活に使われた備品の他、三つの儀式用長椅子と一組のライフ・サイズの番人像が見出された。この部屋の左手奥には、やはり墓荒しが一部手をつけた小部屋があり、そこには日常生活用品、ブドウ酒やオリーヴ油、食料などが収納されていた。前室の右手には手つかずの墓室に通じる漆喰塗りの戸口があった。墓室内は金覆いをされた四重の厨子によって占められ、その下から珪(けい)岩製の棺が現われた。その中には三重の黄金の棺があり、最後に王のミイラが収められていた。この墓室の右奥には小室があり、そこには王の内臓を納めるためのアラバスター製カノポス壺と王や神々の小像を納めた小箱があった。

 ツタンカメンの後に相次いで王位を継いだアイとホレンヘブの葬祭殿はメディネットハブのラムセス3世の神殿の北西偶にあったが、破壊が著しい。アイは最初、エル・アマルナにアテン讃歌が記されたアマルナ的な墳墓をつくりつつあったが、王位についた後には、王家の谷の伝統的スタイルの墳墓を造営した。ホレンヘブも同じように、一将軍であった当時にはサッカラにアマルナ的スタイルの浮き彫り付きの墳墓をつくりつつあったが、自ら王となってからは、王家の谷に別の墳墓を造営した。ホレンヘブを以て第18王朝は終り、彼が後継者に指名したラムセス1世を始祖とする第19王朝が始まる。

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参考文献

『世界の歴史Ⅰ-人類の起源と古代オリエント』

大貫良夫・前川和也・渡辺和子・尾形禎亮

(中央公論社 1998年)

 

平成14年に書いたレポート、評価はA

講師評は「レポートとして内容、形式共によく整っている」でした。

 

いつかの『大英博物館-古代エジプト展』

2018年『ルーヴル美術館展』-古代エジプトより

渋谷deミイラ!

渋谷deミイラ!-2021年『古代エジプト展-美しき棺のメッセージ』より(2)

2018年宙組『天は赤い河のほとり』-オンデマンド配信で視聴

ルーブル美術館展に行ってきました

2018年宙組『天は赤い河のほとり』