たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

シラーの作品と生涯(簡略)

2023年09月03日 14時59分03秒 | 日記

通信教育レポート-近代ドイツ演劇

Schillerの若き日の作品『群盗』の主人公カールは、封建的な因習と闘い、盗賊という過激な手段によって自由に生きようとするシュトゥルム・ウント・ドラング的な人物である。彼は自我の全面的な開放を志して、抑圧された自由への衝動を大胆に爆発させ、世の不正と闘うために自分自身の不正を正当化してはばからない。それに対して、道徳や良心などの見せかけの倫理を拒み、人間社会の唯物的な秩序だけを信じて、兄をおとしめることに良心の呵責を抱かない弟。二人の対比が劇的な骨組みを構成する。カールは、最後に世界の道義的秩序を回復するために、自首して己れを犠牲として捧げる。強いられるのではなく、自発的にすることが彼の自由を内面において救う。悲劇の完結がすなわち秩序の回復であり、悲劇的人物の没落はこの秩序のために意義をもち得る、という古典主義の精神はこの後Schillerの悲劇の全てに貫かれている。

 

(レポートを書くためにまとめた資料より)

=シラーの作品と生涯 (簡略)=

1759年、 ドイツの西南・マールバハ (厳密に言うとヴュルテンベルク公国)に 生まれる。

1780年、戯曲『群盗』を書き上げる。

 シェイクスピアのリチャード三世をモデルにしたような、劣等意識に凝り固まった弟が、才色兼ね備えた兄を陥れる。弟の言葉を真に受けた老父は兄を勘当する。身に覚えのない策略によって勘当された兄は、個人的な恨みを、こうした非道を許す社会への恨みに変え、束縛を好まない若者たちと盗賊団を結成 して世に報復しようとする。紆余曲折の末に、邪悪な弟は非業の死を遂げ、兄は法の秩序に身を委ねる決心を固める。

 18世紀中頃までのドイツ演劇を支配していたフランス流の優雅さや劇上の堅苦しい作法を大胆に打ち破った力強い作品である、と当時のドイツで認められた。

 この結末には、アナーキーな無秩序を認めず、正義に基づく秩序の実現を願望す るシラーの倫理感覚がよく現れている。が、それ以上に、束縛の多い封建制に刃向かおうとする青年たちのエネルギーが、瑞々しく力強い科白と動作となって発揮され、作品のもつ荒削りさがかえって迫力と説得力を高めるのであった。


1782年『 群盗』がマンハイムで初演され る。

 主人公カールは、自我の全面的な展開を志す人物で、抑圧された 自由への衝動を大胆に爆発させ、世の不正と戦うために 自分自身の不正を正当化してはばからない。正義と自由の名のもとに、不正に汚れた社会を呪い、その挙げ句盗賊団の首領 となって自ら正義の道を踏みにじる兄カール と道徳や良心などの見せかけの倫理を拒み、人間社会の唯物的な秩序だけを信じて、兄をおとしめることに良心の呵責を抱かない弟。狂信的な理想主義者 非常な現実主義者 との対比によつて、劇的な骨組みが構成されている。二人の主人公を焦点とした対する安定した劇的構図を作り上げている。比、善 と悪の明瞭な描き分け、クライマックスと破局の配置は、後のシラーを予告する。シュトゥルム・ウント・ ドラングの名作。

 劇中で牧師がカールの世界観を「絶望の哲学」と形容しているが、彼は決してアナーキーではない。「社会の秩序の犯すべからざる尊厳」への犠牲として彼はその悲劇的役割を完結する。悲劇の完結がすなわち秩序の回復であり、悲劇的人物の没落はこの秩序のために意義を持ちうる、という古典悲劇の精神が、これから後のシラーの悲劇全てに貫かれている。

 

この舞台を見るために旅行許可を得ないでマンハイムに行ったため、シラーは罰せられる。 これを機に、ヴュルテンベル ク公国から脱出す る。


その後、幾つかの土地を転々としながら、二つの戯曲を書き上げる。

1784年 、『 フィエスコの反乱』


 貴族政治下で共和制の実現を目指す市民たちの闘争を主題とする。フィエスコがゼノア公爵の専制を倒すことを企図するが、自分自身が専制主になろうという野心めとりこになって自滅 していく。

 

1784年 、『 たくらみと恋』


 身分階級の差別に対する訴えをふくんだ市民悲劇。

 宰相の息子フェルデイナントは、親が押しつけようとする結婚相手とは別の、市民の娘ルイーゼに恋をし、身分を越えた清純な愛に生きようとする。宰相はたくらみを弄して二人の仲を裂こうとする。偽りの手紙で恋人が心変わりをしたと信じ込んだフェルディナントはルイーゼに毒を飲ませ、自分も毒杯をあおぐ`死に頻 した彼女の日から真相が語られ、彼は誤解を晴らして死んで行く。悪事を働いた者たちは罪の深さを悔いる。

1785年、詩『歓喜に寄せて』を書く。(これは1823年にベー トーヴェンが曲をつけて『第九交響曲』の第四楽章になった。)

 

1787年、『 ドン・ カルロス』

 ドン・ カル ロスは、恋人エリーザベトを父に奪われて、今では彼女を継母 として尊敬しなければならない。王子を愛している公女エポリが、王子と王妃 の関係を脚色 して王に嫉妬の念を起こさせる。王子の忠実な友人ポーザ候は、王子の危機を救おうとして、自分が王妃の相手であるかのように振る舞 う。ポーザ侯は王子の犠牲となって殺される。王子もまた捕らえられ、死刑を宣告される。

 

1788年 、歴史研究にいそ しんでいたシラーは、論文『 スペイン支配からのオランダ諸州の離反史』 を発表する。
同年とゲーテ と会う。


1789年 、フランス革命が起きる。


1792年 、国民公会が共和国宣言を行う。

同年、シラーは、フランスから名誉市民権を与えられる。

 

1799年、ワイマール公国に移転.。劇作活動を再開する。


同年、 『ヴァレンシュタイン』三部作完成

 勢力が大きく、全軍の崇敬を受けているヴァレンシュタイ ンは、その名望にそそのかされて、密かにスェーデン軍と和睦して皇帝に寝がえり、ボヘミヤの王になることをもくろんでいる。ウィーンの宮廷は、彼の軍隊がスェーデン軍と戦わずにいるのを不審に思ってピッコロミニを密使として派遣する。ビッコロミニはプァレンシュタインを失脚させてその後がまになろうとするが、ヴアレンシュタインの娘テクラに恋している息子マックスは、父と恋人との間に挟まれて苦悩する。

 皇帝への寝がえりをためらい続けているヴァレンシュタインは、周囲の形勢に押されて退くに退けない立場にある。マックスは絶望の余 り戦死。皇帝から新しい司令官に任ぜられたピッコロミニはヴアレンシュタインの腹心の部下たちを味方に引き入れる。孤立無援となった部将はついに暗殺者に生命を奪われる。

 

1800年、『 マ リア・ シュトァルト』

 スコットランド王女マリア (メアリ)は 、宗教上の対立などで身辺に危険 を感じてイングランド女王エーザベトに救いを求める。政治的にも宗教的にも敵対しているマ リアを、エリーザベトはフォーゼ リンゲンの城に幽開す る。イングラン ドに対する陰謀のかどで訴えられたマリアを救うつもりでエリーザベトはマリアと会見する。が、苦難でやつれていると思いきや 、意外にもマ リアが美 しさに輝いているのを見て自尊心を傷つけられ、女性的な嫉妬にかられてマリアを断頭台にのぼらせる。後に訴えが虚為であったと知ってエ リーザベトは心痛に苛まれる。

 

1801年、『オルレアンの処女』

 神のお告げを受けた少女ヨハンナ (ジャンヌ)が 、劣勢のフランス軍を助けて勝利に導くが、後に悪魔の手先という汚名をきせられて追放され、イギ リス軍に捕らわれる。フランス軍は大敗して国王が捕らわれたと聞いて、熱心に祈っていると、彼女を戒めた鉄鎖が切れる。彼女は戦場に戻って国王を救う。が、彼女の命脈はそこで尽きる。フランスの国旗に囲まれ、栄光に包まれて昇天する。

 

1803年、『 メッシーナの花嫁』

 ギリシャ悲劇の形式を採用した作品。三統一の法則を守った上に、合唱隊を採用しており、ソポクレス劇の構造を思わせる。二人の兄弟が共通の女性に恋をしていて、しかもその女性が幼くして別離した二人の妹であることが判明して急転直下悲劇に至る。この構造は、夢のお告げ、近親相姦や殺害などのモチーフとともに、ソポクレスの『 オイディプス王』を思い起こさせる。 しかし、ギリシャ的な運命悲劇の再現ではなく、むしろ性格悲劇の色彩が濃いことは、この作の近代性を示している。

 

1804年、わずか六週間程で『 テル』を執筆.


 当時のスイスは事実上、中立も独立も失い、フラ ンスの属国になり果てた感があった。 これは、スイス讃歌であり、今は亡きスイスの鎮魂歌でもあった。

群衆シーンを効果的に配置 して、劇的効果に満ちたシャウシュピールである。

シャウシュピール :非劇でも喜劇でもない中間のジャンルであるが、語源的にはショー的演劇、つまり見せ場をふんだんにもった劇の意味を持つ。

 

2019年宙組『群盗』1か月限定でオンデマンド配信

タカラヅカ・オン・デマンド プレミアムプラン | 楽天TV | 動画配信/レンタル (rakuten.co.jp)

芹香斗亜率いる若手の力量を感じさせる宝塚宙組公演『群盗─Die Räuber─』
http://enbu.co.jp/takarazuka/serikatoa-soragumi-kouen/


昨年度の医療費 46兆円 2年連続で過去最高更新

2023年09月03日 00時51分52秒 | 気になるニュースあれこれ

2023年9月1日NHKNEWSWEB、

昨年度の医療費 46兆円 2年連続で過去最高更新 | NHK | 医療・健康

「病気やけがの治療のため全国の医療機関に支払われた昨年度・令和4年度の医療費は、概算で46兆円にのぼり、2年連続で過去最高を更新しました。厚生労働省は、オミクロン株の流行で新型コロナの患者数が増えたことなどが主な要因だとしています。

厚生労働省のまとめによりますと昨年度・令和4年度の医療費は、概算で46兆円で、前の年度から1兆8000億円、率にして4%増加し、2年連続で過去最高を更新しました。

このうち、主な病名が新型コロナと診断された人の医療費は推計でおよそ8600億円で、前の年度の2倍近くに増えました。

1人あたりの医療費は、前の年度より1万6000円増えて36万8000円となり、年代別では
▽75歳未満が24万5000円
▽75歳以上は95万6000円となっています。

厚生労働省は、医療費が増加した主な要因について、オミクロン株の流行で新型コロナの患者数が増えたことに加え、令和2年度の受診控えの反動で医療機関を訪れる人が増えたことなどを挙げています。」

 

1人あたりの医療費は、前の年度より1万6000円増えて36万8000円となり、年代別では
▽75歳未満が24万5000円
▽75歳以上は95万6000円となっています。

 

 75歳以上にかかる医療費は75歳未満の3倍。団塊の世代が後期高齢者になっていきます。後期高齢者の負担割合、高額療養費制度の適用年齢など、これ以上見直しを先送りにすると、現役世代は社会保険料の負担地獄で諸共に死んでしまうでしょう。高額医療が続々と保険適用になっているようですが医療だけが肥え太っても外貨を稼げるわけではない、社会全体の生産性向上になんら貢献しないどころか、人材と財源を吸い上げて国を滅ぼします。もっと未来を託す子供たち、生まれながらに障害をもっている方々のためにお金を使うべき。