たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

住み慣れた街がいいんだね

2019年12月13日 20時46分25秒 | 日記
 来週のことは来週のわたしにしかわからない。今だけ、全ては一期一会、なので荷物が気になりますが予定どおり、無事新幹線に乗り30年間暮らした街へ旅人として戻ってきました。昨夜も眠剤一錠のみましたが冷えと緊張感で6時間ほどの睡眠。4日間稼働したあとだし疲れてきてつらかったですがなんとかやってくることができました。さすがの人混み、さすがの歩く速さ。真っ暗な田舎にいると首都圏で暮らした日々は夢幻だったような気がしてしまいますが、新幹線を降りて広い駅構内を歩いていると、地下街を歩いていると、たしかに自分はこの街に暮らしていたのだという感覚がよみがえってきました。そこそこの家賃を払う力がないかぎり戻ってくることはできないと思うと懐かしさとさみしさが交錯しますが戻りたいです。車社会から解放された安堵感。明日は一日日比谷で過ごすことができます。たくさんの人が行き交い、活気のある街がいい、電車がたくさん走っている街がいい。わたし、30年間暮らしてもあか抜けないままで外見は完全に田舎の人ですけど、足元から活気が伝わってくる街の方が好きみたいです。そういえばパリにいったとき、現地の日本人ガイドさんが、シャンゼリゼ通りを歩いて足元からパリを感じてほしいと言っていました。街って足元から五感に働きかけてきてくれる活気があるんですね。こうしてキラキラしているのは首都圏のほんの一部にすぎない、ディープな場所はたくさんあるとわかっていても、真っ暗でかつての商店街がシャッター通りと化した郷里はさみしすぎて気持ちがあがりません。車がビュンビュン飛ばしてる道は車が通らない時真っ暗。なんでこんなに暗いのかしらと思うと、古い二階建ての家が空き家になっているっぽかったり、かつては小さな工場だったところが今は稼働していなかったりするっぽいからかなとわかってきました。山奥じゃないけど、郷里はさみしすぎる・・・。

 コンタクトレンズを処方してもらうために、通い慣れた眼科へ行きました。1時間余りかけて調整。郷里で弱くした右の乱視を一段階もとに戻して、左は度を上げることでバランスをとってみることになりました。こうすることで近くは老眼鏡をかけたとき小さい字のブレがなくなる。遠くはよりみえるようになるそうです。みえない方がいいものがたくさんあるので、そんなにみえなくてもいいのですが、夜自転車に乗っていると真暗なところに突然猫が走り出てきたり、至近距離になって服の色が同化した人やライトをつけない自転車が突然湧き出てきたりするのでこうせざるを得ません。舞台はよりみえるようになるか。ドクターに、緊張しっぱなして瞳孔が開いてしまっている、これだけ絶えず交感神経が活発になっていたら眠剤ないと眠れないよって言われました。慣れない環境に適応できていないことを体が如実に物語っているとわかりました。

 荷物がまだまだあります。車社会に居場所はないので、未練残さずデジタル化するものはしてアカをそぎ落としてまた旅立ちたい。こんどは帰ることのない旅。わたしにその力があるでしょうか。

 今はお風呂とサウナで体を休ませましょう。日比谷がわたしを呼んでくれています。いびきがすごい人いないといいけど、いるだろうなあ。

 『スクルージ』、加藤憲史郎に会えると知り、より気持ちあがっています。さすがにティム坊やは卒業。長男と元気な街の男の子を演じているようです。前回記憶にあるスクルージに七面鳥わたす役かな。楽しみ。明日と明後日、無事過ごせますように。そのあと長いとかそんなことは今は考えない、考えない。