たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

幸せな二日間でした

2019年09月16日 23時03分07秒 | 宝塚
 14日の眠いのに眠れなかった病はつらかったですが久しぶりの日比谷で無事に幸せな時間を過ごすことができました。郷里は今日も高温注意報発令。東京は涼しかったので体にこたえています。いつこの世を旅立つことになっても、あの時いっておけばよかったと後悔したくない、その一念でひとつひとつ一回一回を過ごしています。叶えられることは叶えたいという気持ちで日々を生きています。昨日はのぞみの指定席をすんなりとることができたので早めに帰宅。最寄り駅から休日は二時間に一本の巡回バスに間に合いました。実は休日は二時間に一本だということを忘れていたので危なかったです。乗客はわたしだけ。わたしが降りたらあとは終点までカラです、ほぼ間違いなく。駅前は送迎車続々で、日曜日の夕方バスに乗る人なんてほとんどいない。それでもバスを運行しているだけまだありがたいと思うべきか。隣町は利用者いなくってなくなってしまったらしい。家で着くとドラッグストアで買い物するために自転車乗ろうとしたら、あれ前輪のタイヤの空気が抜けているではありませんか。気になる音がしていたのでパンクか。購入したホームセンターに電話すると営業時間内に持ちこめば明日の昼には修理が終わり、それまでの間かわりの自転車を貸し出しますとのこと。自転車を痛めないために分解して車で運んできてほしいみたいなことを言われましたが、わたしにはそのような手段はありませんと言うより他ありませんでした。ホームセンターまで歩いて30分ほど。送迎ドライバーはいないのでオラオラビュンビュン車が走るなかを自転車ひきながら徒歩。さっそく夢からさめました。他に選べる手段がない、これしかない、別に山奥じゃないけどここで生きていくのはきびしいのだという現実をまた突きつけられました。翌日休みというタイミングなだけ幸いでした。おそろしいです。観劇のために休みたいのでこんなことで休みたくない。結果的に虫ピンという部品の劣化でしたが他にないというのはほんとにきびしいです。

 昨年の11月半ばまでは日常だった街を旅人として通り過ぎました。バスから銀座や有楽町界隈を撮りました。懐かしかったです。こうして開けているのは、ほんの一部で日本の多くは郷里と同様、車社会なんでしょうね。










終演後帝国劇場まで歩きました。色々な想いを抱えながらなんどもなんども歩いた道のり。

帝国劇場はジャニーズでした。



日比谷駅構内に星組公演と相田みつを美術館のポスターが並んでいました。
相田みつを美術館は国際フォーラムの中にあり、十数年前、河村隆一の大晦日コンサートの前に入ったことがあります。



星組公演のデザート、宿泊場所の冷蔵庫で固め直してからお風呂あがりにいただきました。
普通に甘くておいしかったです。



劇場内の愛理さんのヒガシマル醬油の広告ともこれでお別れ。



わたしにとっては、大劇場とはまた違った夢空間。



 
 思い出すのは舞台上の笑顔と客席の笑い声。ライブビューイング含めて5回観たのに目が足りなくって終わってすぐからまた観たいと思いました。回していくのはたぶんかなりむずかしい舞台を得意のコメディ力を生かして全力で回していた紅さん。顔芸も大劇場よりグレードアップしていると思いました。表情筋がやわらなくて変幻自在。サングラス半分さげたままわなわなと死にそうになっているところとか、アイリーンの料理はヤバイぞ言われてから、「おれそんなにまずいこといったのか」から、アイリーンがつくった料理を「これはなにかなー」っていうところまでの少しずつ違う表情とかすごい。リーが満漢全席の説明するのを真似っこするときやミッキーが小林寺の厳しい修業を経なければ料理人にはなれない話をきいている時とか、少しずつ表情筋が変わっていくの、すごいと思いました。アナワの時くるくると表情が変わるの見事だと思いましたが今回もほんとにお見事。それだけでも楽しくってチケット代払った価値があります。14日は久しぶりに劇場の向かい側のカフェに入って遅いお昼をいただいたし、日比谷は幸せ時間でした。ぜいたくしました。

 このぼけた頭で明日また吐きそうになりながら、慣れない、脳みそしびれそうな仕事、お昼の電話当番。持ち返ってきた資料は結局全くみていないので電車の中でみるしかないです。大丈夫かな、自分。郷里に適応できず眠剤ないと眠れなくなってしまいました。明日もまだ暑いし、色々な意味であぶないです、自分。木曜日はまた休んで花組なんですよね。大丈夫かな、自分。その前に明日給料日のはず。交通費半年分もらってしまうのかな。長いね、先はまだまだ長い。今は日比谷の幸せ時間と無事花組を観劇することだけを考えよう。ヘンテコおばさんの日比谷の夢時間は終わりました。

旅の思い出_秋田・盛岡・仙台(4)

2019年09月16日 14時30分22秒 | 小さな旅の思い出
「1984年7月14日(土)くもり時々雨

7:10 起床・食事

8:40 ~ 9:00

 高松ノ池口より盛岡バスセンターへ

9:00 ~ 9:50

 盛岡バスセンターより啄木記念館前

渋民見学、啄木記念館、宝徳寺、歌碑

12:33 ~ 13:30

 啄木記念館前より盛岡バスセンターへ


盛岡市内直利庵でわんこそばを食べる(18杯)
盛岡駅まで徒歩30分余り。
途中民芸品を買う。

15;30 ~ 16;46

 やまびこ28号で盛岡から仙台へ

17;20 ~ 17:55

 仙台駅前から市営バスで北屋敷まで。徒歩1分、仙台道中庵ユースホステル着。


今朝は7時過ぎまでぐっすり眠っていた。疲れがちょっとたまっていたのだろう。ユースホステルを出てどこへ行くか迷っていたけれどバスセンターへ行った。
ちょうど渋民方面へ行くバスがったのでそれに飛び乗り、啄木記念館前へ。
啄木の歌碑をみたり、小学校をみたり、ゆったりと過ごした。あいにく、くもり空だったけれど、雨は降らなかったのでかえって過ごしやすかった。
バスセンターへ戻るときバスの停留所をまちがえたために、一本乗り過ごしてしまった。
30分後にあったからよかったけれど。
盛岡では念願のわんこそばを食べた。あまりおいしいものではないというのが正直なところ。
想像していたほどあわただしいものではないけれど、やはりそばはゆっくり食べるものだという気がする。
薬味もいっぱいあって、どれからとっていったらいいのかわからないほど。
いくら、くるみなども薬味として出された。
18杯ぐらいまでしかがんばれなかった。ちょっと胃の調子がおかしい。
また太田胃散を飲んでしまった。
開運橋付近の民芸品店で、ちょっと古くさいなまはげを見つけた。おみやげ品としてつくられたものではなく、昔からあるもののようだ。嬉しい。
他にも人形などあったけれど、これがいちばんよかった。
大切にしよう。
盛岡からは一路仙台へ。
ここ、仙台道中庵ユースホステルは農家風の造りで木と土の香りがいっぱいする。
ベッドは畳が敷いてあって木の枠。かべは全部土。
さっきトイレに入ったらなんと戸がきつくて開かなくなってしまった。
必死でがんばったけれど開かない。
仕方なく小窓から抜け出て外から回った。
こんなハプニングもまた楽しきかな。過ぎてしまえばこんなふうに思える。
今度の旅も終わりに近づいてきた。
明日はいよいよ帰る日だ。
なんだか帰りたくないような。
だんだん仕事のことが頭にもたげてきた。
明日を大切にしよう。
Eさんに会える日だな。
雨は一日降りそうだったけれど、降らなかった。
なかなかラッキーだ。
今日一日が無事に終わることを感謝。
そして明日も一日無事に過ごせますように・・・。

おやすみなさい。

PM 8;50 ユースホステルにて。」

この時買ったなまはげ、荷物の中で行方不明中ですがどこかにあります。場所をとるものではないからお守り代わりにもう少し持っていてもいいかな。子どもの頃、初めて海をみた日に買ってもらった置物は、心の引き出しに記憶してお別れしようと思います。少しずつ、お別れ・・・。

啄木記念館も渋民小学校も思い出すことができません。盛岡市内のこじんまりとした質素な新居はおぼろげに記憶の中によみがえってきます。
HPを検索してみると、渋民小学校は近代的な建物に生まれ変わっていますね。