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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『モネ展』より_ヨーロッパ橋・サンラザール駅

2015年11月28日 13時38分46秒 | 美術館めぐり
「モネ「サン=ラザール駅他_光への挑戦

 モネは環境世界や風景の微妙な様相を、できるだけ忠実に具体的に表現することに努力を惜しまなかった。印象に全幅の信頼感が置かれていたのである。印象はただ単に目に映るところの印象にすぎなかったのではなく、モネが実際に体験した気分や雰囲気がひとつになった全身体的で全感覚的な印象だったというべきだろう。大気の様相や光の状態が彼にとって大切だった。モネの独特の絵画<世界>は、人間が気分づけられた存在であること、人間が独特の雰囲気的世界でさまざまな印象を抱きながら生きていることをさし示してくれる。人間がそこに身を委ねながら生きている世界と人間の生活がそこで営まれている土地は、さまざまな変化と様相を見せている。風景は生きているからである。

 モネのパリ、サン=ラザール駅の連作は広く知られているが、画家オーギュスト・ルノワールの息子で映画監督として知られるジャン・ルノワールが父親を回想しながら著した『わが父ルノワール』のなかで、モネがサン=ラザール駅で機関車の蒸気に感動し、ちょうどいい光の具合を選ぶため、汽車の出発を遅らせたいと言ったというエピソードを記述している。モネにとっては発車の際、一杯にたちこめる煙の風景はまるで夢のようなうっとりする眺めだったのである。モネは見るのか見えないのかといった瀬戸際の光のドラマに熱中したのである。

(ジャン・ルノワール『わが父ルノワール』日経ポケットギャラリー、1962年刊より)

 モネはサン=ラザール駅の鉄骨ガラス張りの大屋根のもとに姿を見せ、発車する列車や到着する列車に目を見張ったにちがいない。プラットホーム、乗客の姿、たちこめる噴煙、駅舎、かなたの風景などが、この駅を主題とした連作において描かれている。噴煙ほど劇的な効果と印象をもたらしてくれるものはなかったのだろう。

 蒸気機関車に時代の姿、文明の象徴を見ることができるのだが、モネはそれよりもむしろ噴煙や光と影に、独特の雰囲気をかもし出している風景に熱中している。噴煙は浮かび漂う雲であり、霧のようなものだ。噴煙によってものが見えなくなってしまう。彼は噴煙や霧という、空間に特別の彩りを添えてくれるものに強い関心を示している。すべては光次第なのだ。

 彼の画業は光と大気によって花開いたといえるだろう。モネにとっては、大気も外光もこのうえなくみごとなヴェールだった。」

(山岸健著『絵画を見るということ』NHKブックス、186-187頁より)


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クロード・モネ 《ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅》
1877年 油彩、カンヴァス 
Musée Marmottan Monet, Paris

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 私が昨日観賞したのは《ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅》でした。1850年代にサン=ラザール駅は鉄骨とガラス張りにより近代化されました。その駅からヨーロッパ橋をみているという作品でした。音声ガイドによれば、モネは絵を描くために、一張羅を着て駅長に会いに行き、列車を止めて、客を駅に入れずに、石炭をたかせたとか。汽車は絵の左端の方に描かれ、主役はゆらめく光の中でもうもうと立ち上る蒸気でした。近代化した駅の熱気、汽車の蒸気に心躍らせたモネの躍動感が伝わってくるような作品でした。左端に描かれた汽車も間近でよく観ると細部まできちんと描かれていましたが、モネの作品はどれも不思議と少し遠くから観ると美しいのです。睡蓮を描いた作品群は、作品に囲まれた中で椅子に坐ってゆっくり眺めるとさらに美しさを増しました。モネの描いた風景は今も生き続けているのです。








マルモッタン・モネ美術館所蔵モネ展

2015年11月28日 00時10分52秒 | 美術館めぐり
 またまた気力が失せてしまった感があるので、心のエネルギーを満たすべく東京都美術館のモネ展に行ってきました。金曜日の夜は20時まで開館しているので午後2時ごろに着いても時間を気にすることなくゆっくりと堪能することができました。ただ人は多かったですけどね。

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http://www.tobikan.jp/exhibition/h27_monet.html

上記モネ展のサイトより転載させていただきます。

「マルモッタン・モネ美術館には、印象派を代表する画家クロード・モネ(1840-1926)の、86歳で亡くなるまで手元に残したコレクションが所蔵されています。本展は、息子ミシェルから同美術館に遺贈されたこのモネ・コレクションを中心に、約90点をご紹介するものです。子供たちの成長を記録した作品や友人ルノワールによるモネ夫妻の肖像画、旅先の風景画、白内障を患いながらも描き続けた晩年の作品などを通して、モネの豊かな創作の世界に迫ります。

晩年のモネは、光の変化に伴って移り変わる水面を見つめつづけました。ジヴェルニーの庭を描きながらも、睡蓮や太鼓橋の形態は次第に抽象化されていき、色彩溢れる画面が生み出されていきます。ときに荒々しい筆触をみせる最晩年の充実した作品群は、モネの眼を通した水の庭を体感させてくれるでしょう。」


クロード・モネ 《ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅》
1877年 油彩、カンヴァス 
Musée Marmottan Monet, Paris

クロード・モネ 《睡蓮》
1903年 油彩、カンヴァス
Musée Marmottan Monet, Paris

クロード・モネ 《バラの小道、ジヴェルニー》
1920-22年 油彩、カンヴァス
Musée Marmottan Monet, Paris

http://www.ntv.co.jp/monet/highlight/

上記サイトより転載させていただきます。

 クロード・モネ(1840-1926)は、生前に成功した画家で、晩年のものを中心に多くの作品を最期まで手元に残しました。これらは息子のミシェルが相続しましたが、その後、ミシェルの遺志でマルモッタン美術館に遺贈されました。その数およそ150点。モネが晩年に何度も取り組んだ「睡蓮」や「日本の橋」だけでなく、10代後半で描いたカリカチュア(風刺画)や30代から40代の風景画も含まれ、モネの画業を辿ることができる画家本人によるプライベート・コレクションです。この特別な作品群を譲り受け、マルモッタン美術館は、「マルモッタン・モネ美術館」と名称を変えました。

本展では、このモネ・コレクションから選りすぐりの約90点を展示。うち約7割がモネ自身の手によるもので、ほかにはモネ自身が収集した作品やモネ愛用の品をご紹介します。マルモッタン・モネ美術館だからこそ実現できた“究極のモネ展”、どうぞご期待ください。

《ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅》東京展 10月20日(火)~12月13日(日)展示

1912年、72歳になったモネは右目に違和感を覚えます。白内障を患っていたのです。少しずつ目に映る色も描く色彩も変化していきます。失明を恐れて手術を拒否していたため症状は悪化し、1915年には、「赤が泥のような色に見える」と話しています。1922年になると、右目は光しか認識できない状態となり、左目も読み書きが難しい状態にまで悪化、ついに手術を決意します。

 本展では、モネが白内障を患い始めた1912年以降に描かれた作品も多く出展されます。悪化する白内障のためか、モティーフは少しずつ輪郭を失い、色調は鮮やかで大胆なものへと大きく変化していきます。その力強い筆遣いからは、色感を失う恐怖を抱えつつも、衰えることがなかった絵画制作への情熱が伝わってきます。

 さらに、本展ではモネが晩年使っていた黄色のメガネが展示されます。ある眼科医は「白内障の手術後、世界が極端に青みがかって見えるのを嫌って黄色いレンズを使用した可能性が高い」と指摘しています。

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 詳しいことは明日書けたらいいなと思いますが、パリのオランジェリー美術館で過ごした、モネの睡蓮の絵に包まれている幸せ感に満たされた時間を思い出したひとときとなりました。

 1926年に86歳で亡くなったモネは86歳までキャンパスに向かい続けました。最晩年の作品群は、花や木の輪郭はほとんど描かれておらず間近でみるとなにが描かれているのか分からないのに、なぜか遠くから観るとふりそそぐ光のゆらめきと輪郭がわかり美しかったです。ジヴェルニーの自宅の庭の「日本の橋」「しだれ柳」「バラの庭から見た家」の連作は、同じ景色なのに季節や時間によって光のゆらめき、色合いが全く違っていました。70代で二番目の妻と次男に先立たれた失意の中で2年間は絵を描くことができなかったモネは、再び筆を採ってオランジェリー美術館の睡蓮の絵を描き上げました。そんなモネの生命の息吹を感じました。キャンパスに向かったモネがそこにいるような、対話しているような時間でした。

まだまだ書きたいですがおそくなったので今日はこれでおしまいです。
読んでくださりありがとうございました。





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