雨の降る寒い一日でしたが一年ぶりにまた友人と二人でちひろ美術館を訪れました。ずっと頭の中が休まることなく満タンになっていたので、久しぶりに心あらわれる一日となりました。
『絵のない絵本』より原画4点。インドの少女、玉座の少年、晴れ着の少女と犬たち、道に投げ出された棺。原画の前に佇んでいると描いたちひろさんと対話しているようで涙が流れてしまいました。
『おやゆびひめ』、『赤い靴』、『ことりのくる日』の原画も嬉しかったです。
『戦火の中の子どもたち』より原画6点。焔の中の母と子(母さんといっしょにもえていったぼうや)、川を渡る牛と少女、焼け跡の子どもたち、少年(あの子は風のようにかけていったきり)、表紙にもなっている戦火のなかの少女。発行されたのが1973年9月10日。ちひろさんがベトナム戦争の終結を知ることなく旅立たれのが1974年8月8日。55歳は早過ぎました。病を押して命を削るように描かれた作品の前にたつと心がふるえ、涙があふれました。
15時からの「いわさきちひろー27歳の旅立ち」上映会にも参加しました。絵を描くという神様が与えられた役割を55歳の生涯で全うされたちひろさんの人生を描いたドキュメンタリー映画です。ずっと泣きながら観てしまいました。
大手出版社に対して絵の著作権がまだ認められていなかった時代に著作権を主張し、孤立しながらも毅然として譲らず絵本画家という地位を確立させていったちひろさんの芯の強さ。若い頃のお見合い結婚が相手に自死によって終わるという過去を封印し、終戦後画家として立つことを目指して疎開先の長野から焼跡の東京に1人旅立ち、家も仕事も収入もなんにもないところから絵を描きたいという想いだけを胸に再出発していったちひろさん。どんな時もあきらめてはいけないのだということをあらためて教えられました。悲しみや苦しみの数だけ人は深くなっていくのだということをあらためて教えられました。ちひろさんへの想いは尽きることがありません。
私のような喪失や混乱を体験した人たちで、ちひろさんの絵本を読み語り合う会をやれたらいいなと思います。漠然と思っていることのひとつです。
まだ書き足りないので後日改めたいと思います。
http://www.chihiro.jp/tokyo/museum/schedule/2015/0119_1650.html
『絵のない絵本』より原画4点。インドの少女、玉座の少年、晴れ着の少女と犬たち、道に投げ出された棺。原画の前に佇んでいると描いたちひろさんと対話しているようで涙が流れてしまいました。
『おやゆびひめ』、『赤い靴』、『ことりのくる日』の原画も嬉しかったです。
『戦火の中の子どもたち』より原画6点。焔の中の母と子(母さんといっしょにもえていったぼうや)、川を渡る牛と少女、焼け跡の子どもたち、少年(あの子は風のようにかけていったきり)、表紙にもなっている戦火のなかの少女。発行されたのが1973年9月10日。ちひろさんがベトナム戦争の終結を知ることなく旅立たれのが1974年8月8日。55歳は早過ぎました。病を押して命を削るように描かれた作品の前にたつと心がふるえ、涙があふれました。
15時からの「いわさきちひろー27歳の旅立ち」上映会にも参加しました。絵を描くという神様が与えられた役割を55歳の生涯で全うされたちひろさんの人生を描いたドキュメンタリー映画です。ずっと泣きながら観てしまいました。
大手出版社に対して絵の著作権がまだ認められていなかった時代に著作権を主張し、孤立しながらも毅然として譲らず絵本画家という地位を確立させていったちひろさんの芯の強さ。若い頃のお見合い結婚が相手に自死によって終わるという過去を封印し、終戦後画家として立つことを目指して疎開先の長野から焼跡の東京に1人旅立ち、家も仕事も収入もなんにもないところから絵を描きたいという想いだけを胸に再出発していったちひろさん。どんな時もあきらめてはいけないのだということをあらためて教えられました。悲しみや苦しみの数だけ人は深くなっていくのだということをあらためて教えられました。ちひろさんへの想いは尽きることがありません。
私のような喪失や混乱を体験した人たちで、ちひろさんの絵本を読み語り合う会をやれたらいいなと思います。漠然と思っていることのひとつです。
まだ書き足りないので後日改めたいと思います。
http://www.chihiro.jp/tokyo/museum/schedule/2015/0119_1650.html