ファイスブックにオリジナルで書きましたがどうにもぎこちなく、ブログに書きなおすことにしました。
お昼前に通信社の取材を受け、お昼をご一緒してと、きちきちのスケジュールにしてしまい、少し遅れて拝聴しました。休憩時間に、昨年Y市自死遺族の分かち合いで知り合った女性と偶然会うことができて嬉しかったです。旦那さんの自死を巡って、労災の認定を求めて労基署を相手に行政訴訟を起こされました。官僚制機構を相手に争うということがどれほど心身のエネルギーを消耗する大変なことか、わたし自身もよくわかったのでどうされているかと気になっていました。来月地裁での予定がきまっているとのこと。応援傍聴に行くことを約束しました。がんばっていただきたいです。
後半のパネルディスカッションのお話からメモったことを書いてみたいと思います。休憩時間に来場者が記入した質問シートに基づいて、前半で講演をされた3名の方が答えるという形式でした。特に言葉が耳に残ったことを断片的に書きとめました。そんな中からの羅列です。
・パワハラと長時間労働の土壌は同じだと言える。表裏一体。
・企業のトップのメッセージが大きな影響を与える。ここを変えていく必要がある。
・パワハラをした人の研究が必要。パワハラ的な業務指示によって業績が上がることがある。Aさんにパワハラした人はBさんにもパワハラする。パワハラしてはいけないことなのにやってしまうことに問題がある。
・コンビニの店員の小さな間違いを許すななど許容度の高い社会になっていくことが大切。
・労働の質にも注目していく必要がある。労働時間は短くても多重業務で負荷がかかることも多い場合、定量化か難しい。変則的な勤務、出張が多い、ノルマがきつい、期限が決まっている等。不規則性としてたとえば月末だけ長時間労働になり、月平均の労働時間では過重労働ではないが、月末だけストレスが高くなる。こうした状況においては、労働時間のインターバルをきちんと取り、睡眠の質をあげることが重要。
最後に過労死ご遺族の方4名が登壇されました。20代のお子さんを自死で亡くされたお母様がお二人、お父様がお一人、40歳の旦那さんを過労死で亡くされた女性がお一人でした。
みなさま何年も闘い続けて、労基署の労災認定を勝ち取られたようでした。ようやく認定を勝ち取っても亡くなった人が戻ってくることはありません。家族を死なせてしまった苦しさをずっと背負っていかなければならないのです。私自身が自死遺族という立場であることと、会社を相手に労働紛争とならざるを得なかったことのどちらも、当事者のご苦労がより深く偲ばれるだけに、涙が流れてしかたありませんでした。
労基署で過労死と認定されるには申請者側(ご遺族)に立証責任があるため、ほとんどの人が泣き寝入りせざるを得ないという家族会代表中原さんのお話でした。私自身の経験から深く頷きました。13年派遣で働いた会社から正当な理由なく契約を打ち切られた際、一人で労働局・労基署を奔走しても結局ほとんど意味がなくユニオンに加入しました。
その後会社側と争いとならざるを得ませんでした。(私が追いかけたかったのはもちろん働いてきた会社でしたが、派遣の場合は働いてきた会社=派遣先の責任が行政のどこにも現れてきませんでした。)争いになった時、私が作成してきた膨大な書類やメールなど働いてきた足跡はすべて会社にあるので、違法状態だったことを示すための証憑を私が揃えることは、会社側に対して圧倒的に不利な状況でした。
はじめて労働局を一人で訪れた時、職員の方に「行政は公平な立場だから労使双方の話をきかなければならない」と言われました。でも私自身の経験を重ね合わせながら思います。
そもそも会社側に対して労働者の立ち位置は弱いのです。そこへさらに何重にもゲタをはかせて、違法だった労働の実態を証明するための証憑を労働者側が揃えなければならないという、果てしない苦労を強いる仕組み自体がおかしいのではないかと思います。 派遣法改悪、労基法見直しと目先の効率性にとらわれてばかりいては社会全体として生産性が落ちるばかりで、貧困の拡大、社旗保障費の削減、介護報酬引き下げ等、負の連鎖は止まらないと思います。
弱い立場の労働者をほとんど守れない労働局、労基署の役割とはなにか。そもそも労働法制とは何のためにあるのかという労働者の根源的な問いかけに、日本株式会社は真摯に答えるべき時ではないかと思います。働く人を大切にする社会へと転換していかなければ日本は本当にダメになってしまうという危機感を持たざるを得ません。
お昼前に通信社の取材を受け、お昼をご一緒してと、きちきちのスケジュールにしてしまい、少し遅れて拝聴しました。休憩時間に、昨年Y市自死遺族の分かち合いで知り合った女性と偶然会うことができて嬉しかったです。旦那さんの自死を巡って、労災の認定を求めて労基署を相手に行政訴訟を起こされました。官僚制機構を相手に争うということがどれほど心身のエネルギーを消耗する大変なことか、わたし自身もよくわかったのでどうされているかと気になっていました。来月地裁での予定がきまっているとのこと。応援傍聴に行くことを約束しました。がんばっていただきたいです。
後半のパネルディスカッションのお話からメモったことを書いてみたいと思います。休憩時間に来場者が記入した質問シートに基づいて、前半で講演をされた3名の方が答えるという形式でした。特に言葉が耳に残ったことを断片的に書きとめました。そんな中からの羅列です。
・パワハラと長時間労働の土壌は同じだと言える。表裏一体。
・企業のトップのメッセージが大きな影響を与える。ここを変えていく必要がある。
・パワハラをした人の研究が必要。パワハラ的な業務指示によって業績が上がることがある。Aさんにパワハラした人はBさんにもパワハラする。パワハラしてはいけないことなのにやってしまうことに問題がある。
・コンビニの店員の小さな間違いを許すななど許容度の高い社会になっていくことが大切。
・労働の質にも注目していく必要がある。労働時間は短くても多重業務で負荷がかかることも多い場合、定量化か難しい。変則的な勤務、出張が多い、ノルマがきつい、期限が決まっている等。不規則性としてたとえば月末だけ長時間労働になり、月平均の労働時間では過重労働ではないが、月末だけストレスが高くなる。こうした状況においては、労働時間のインターバルをきちんと取り、睡眠の質をあげることが重要。
最後に過労死ご遺族の方4名が登壇されました。20代のお子さんを自死で亡くされたお母様がお二人、お父様がお一人、40歳の旦那さんを過労死で亡くされた女性がお一人でした。
みなさま何年も闘い続けて、労基署の労災認定を勝ち取られたようでした。ようやく認定を勝ち取っても亡くなった人が戻ってくることはありません。家族を死なせてしまった苦しさをずっと背負っていかなければならないのです。私自身が自死遺族という立場であることと、会社を相手に労働紛争とならざるを得なかったことのどちらも、当事者のご苦労がより深く偲ばれるだけに、涙が流れてしかたありませんでした。
労基署で過労死と認定されるには申請者側(ご遺族)に立証責任があるため、ほとんどの人が泣き寝入りせざるを得ないという家族会代表中原さんのお話でした。私自身の経験から深く頷きました。13年派遣で働いた会社から正当な理由なく契約を打ち切られた際、一人で労働局・労基署を奔走しても結局ほとんど意味がなくユニオンに加入しました。
その後会社側と争いとならざるを得ませんでした。(私が追いかけたかったのはもちろん働いてきた会社でしたが、派遣の場合は働いてきた会社=派遣先の責任が行政のどこにも現れてきませんでした。)争いになった時、私が作成してきた膨大な書類やメールなど働いてきた足跡はすべて会社にあるので、違法状態だったことを示すための証憑を私が揃えることは、会社側に対して圧倒的に不利な状況でした。
はじめて労働局を一人で訪れた時、職員の方に「行政は公平な立場だから労使双方の話をきかなければならない」と言われました。でも私自身の経験を重ね合わせながら思います。
そもそも会社側に対して労働者の立ち位置は弱いのです。そこへさらに何重にもゲタをはかせて、違法だった労働の実態を証明するための証憑を労働者側が揃えなければならないという、果てしない苦労を強いる仕組み自体がおかしいのではないかと思います。 派遣法改悪、労基法見直しと目先の効率性にとらわれてばかりいては社会全体として生産性が落ちるばかりで、貧困の拡大、社旗保障費の削減、介護報酬引き下げ等、負の連鎖は止まらないと思います。
弱い立場の労働者をほとんど守れない労働局、労基署の役割とはなにか。そもそも労働法制とは何のためにあるのかという労働者の根源的な問いかけに、日本株式会社は真摯に答えるべき時ではないかと思います。働く人を大切にする社会へと転換していかなければ日本は本当にダメになってしまうという危機感を持たざるを得ません。