たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

秋の夜、雨の音を聞きながら・・・

2015年11月24日 00時02分05秒 | 日記
何日もほとんど人と話さない日が続いていくと話すエネルギーを失ってしまいます。でもその分、不安定な心のエネルギーをたまっていくので書かずにはいられません。さっき少しだけのつもりがフェイスブックで書き始めたら思いがけず長くなってしまいました。それを今すぐここに紹介することはできないのですが、もう少し先に載せてもいいのかなと思います。若松英輔さんのいう書くとはまさにこういうことなのか。書き始めると止まらなくなる私がいます。

明日も明後日も何にも予定はないんです。モネ展観に行きたいなとか、W先生がやってみたらと紹介してくださった病院のボランティア勇気をもって明日こそは電話してみようとか考えているばかりで、こうしてまた夜更かししています。

気持ちが落ち着かなくってきついです。
鉄筋コンクリートのマンションでも隣の生活音とか電話の話し声とか聞こえちゃって、そういう生活環境に疲れちゃっています。
家賃負担を気にしないですむ家に帰りたいです。
ためこんだ荷物をきれいさっぱりにしてから出直したいです。
でもそんな時間は許されないんですよね。

社会から孤立したさびしんぼの毎日。
だれからも必要とされていないさびしんぼの毎日。
本当はそんなことなくって十分社会の役に立つことしているんですけどね、
収入途絶えたままなの恐ろしくなってきたし、自己肯定がさがったままなのでついついそんな風に思ってしまう私がいるのです。

家に帰るかどうか決断する潮時なのに、ずるずるときています。
まだまだため込んだモノが整理しきれず断捨離は続いていきます。
いろいろと書きたいとおもっていたような気がしますが、フェイスブックに書き連ねてしまったので、きょうはこれでおしまいです。

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若松英輔 ‏@yomutokaku · 18時間18時間前
心にあるものを書こうとしても、きっとうまく行かない。むしろ人は、書くことによって心に何があるのかを知るからだ。自意識が捉え得る、心の表層ではなく、思いが届かない場所にある何かをどうにか言葉にするのが書くという営みだろう。真の祈願も悲願もそうした秘所に隠れているのではないだろうか。


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