医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

信仰の美風と遺伝子14

2006年08月30日 12時35分15秒 | Weblog
 以下彼のインタビューから抜粋します。

 「人が霊的な体験をするときの脳の反応には共通の反応が見られ、その際に脳にはモノアミンという化学物質が意識に変化をもたらします。

 モノアミンとは情報を処理して現実の感覚と結びつけたり、状況を認識するときに関係する脳内化学物質です。

 この物質に変化が起こると世界がまったく違って見えたり、違和感を持ったりするのです。

 霊的体験をしているときの脳の状態は麻薬を摂取しているときに少し類似しており、どちらも脳内化学物質が関与し、薬物を使って擬似霊的体験も可能です。

 全人口の50%が残りの50%より少し多くこの遺伝子を持ちます。」

ということなのです。

 でも「少し多く」って・・・? 50%が持っているの・・・?

 つまり、人間が憑依したり、お告げがあったと感じたり、宗教を何の疑念も持たずに盲目的に信じたり、それらのようにおおごとではなくても、星を見てただ単に「ああきれいだな~」だけではなくて、それ以上の畏敬の念を感じたり敬虔な気持ちになったりするのにもこの遺伝子が関与しているのでしょうか?

 より専門的な医学的知識を要求するマニアックな方のために説明いたしますと、脳内において神経伝達物質にはアミノ酸やペプチド類、モノアミンとアセチルコリンがあります。

 モノアミンというのはノルアドレナリン(ノルエピネフリン)、ドーパミン、セロトニンです。

 この神経伝達物質を貯蔵する袋がシナプス小胞です。

 神経伝達物質が手前の神経終末から神経と神経の間隙に放出されると、次の神経の受容体に結びついてその神経の過分極ないしは脱分極が引き起こされ、神経学的な興奮が伝わっていくのです。

 モノアミン受容体は多数のサブタイプが存在しますが、輸送体(トランスポーター)は各モノアミンに一種類しかないことから、モノアミン神経伝達の制御には重要な役割を果たすと考えられております。

 このシナプス小胞モノアミントランスポーター(VMAT)は、細胞質で合成されたモノアミンをシナプス小胞に貯蔵し、シナプス間隙へのモノアミン放出に備えるのです。

 つまりVMAT2遺伝子が少し多いということは、詳細な記述がないので分からないのですが、推測する限りではシナプス小胞モノアミントランスポーターが多くなり、モノアミンの貯蔵量や放出量が増えるということでしょうか?

信仰の美風と遺伝子13

2006年08月29日 11時33分15秒 | Weblog
 ところで皆様は、「VMAT2」という遺伝子をご存知でしょうか?

 ようやく遺伝子の話にたどり着きましたが、この遺伝子が信仰心の強さに関係するのだそうです。

 米国国立ガン研究所遺伝子構造・制御部門を率いるDean Hamer(ディーン・ヘイマー)氏が、
「The God Gene: How Faith Is Hard-Wired Into Our Genes」
の中で、「VMAT2」(vesicular monoamine transporter)すなわち「小胞性モノアミン輸送体」に関する遺伝子を発見したと報告しました。

 彼のチームはアメリカの国立ガン研究所で、不安や喫煙などの行動特性を研究しており、気質性格検査(TCI)という自己超越に対する考え方についての質問を含む240問の正誤判定心理テストを用いるそうです。

 このテストを行うことによって信仰心の強さを判定できるのだそうです。

 本当かしらん? (その仮定が間違ってはいないのでしょうか?

 調査対象は2,000人で、各人のDNAを採取し遺伝子を調べ、TCIによってどれだけ神を信じているかと遺伝子の相関を解析した結果、上記のことが分かったのだというのです。

 彼は、信仰心というものは人間に生来備わる脳の働きや発達と密接に関連した特質だ、と答えております。

 ディーン・ヘイマー氏はまた、宗教と信仰は分けて考えたほうがよいと言っておりますが、先に述べましたようにその意見に僕は賛成です。

 宗教は組織・系統付けられておりますが、信仰は個人が持つものだと思います。

 不完全な人間が、そして不条理にも死ぬことを運命付けられた人間が、いかに生きるべきかという命題を考えたり、人間の倫理を考察したり、生命に対して畏敬の念を持ったり、弱者に対して慮ったり・・・というような点において信仰心は不可欠であると思います。

 信仰心を持つことによって、歴史や伝統や先人・自分の先祖・父母を敬い重んじ、生命や自然そして他人に対して謙虚に慈しむ心、また人間として正しく生きるとはどういうことなのかを深く内省できると思うからです。

 以前にも東洋の思想の欄で書きましたが、僕は特定の宗教の入信者でも宗教を擁護する立場でもなく、日本人として典型的な不謹慎仏教徒(とも決して呼べないほどの不心得者)であります。

 女性の方々の中には結構好きな方が多いと思いますが、僕は占いや手相だの血液型性格分類や神託の類いはまったく信じません。

 ですが自然や生命に対しての畏れ敬う気持ちは強く持っております。

 すべてを超越した絶対的な神がいることに対しても疑念を持っておりますが、無病息災を祈願して神社にお参りに行き、厄を払い、初詣をして、墓前でお線香を上げて手を合わせ祖先を敬い感謝をいたしております。

 人智の及ばない自然現象に対しても、いずれ科学の力で解明されていくと思いますが、例えば満天の星空や元旦の初日の出を見ただけでもとても敬虔な気持ちになります。

 信仰心を深く持つかどうかは、遺伝子が関与していると彼は主張します。

信仰の美風と遺伝子12

2006年08月28日 11時22分35秒 | Weblog
 そして、アメリカ科学アカデミー会員の90%以上が無神論者だというのに、無神論者の合衆国上院議員はひとりもいないとのことです。

 どちらも同じアメリカ人による構成にありながら、その比率の差としては非常に不自然で作為的だと指摘されております。

 どちらの側が作為的かはみなさまのご想像にお任せします。

 アメリカに限ったことではありません・・・どの国の政治家も当選するためなら、何でもありなのでしょうか・・・??

 今年の7月には、この11月に中間選挙を控えるブッシュ大統領が、最先端医学分野で最も期待される「再生医療」の根幹を成す、ヒト胚性幹細胞(はいせいかんさいぼう=『ES細胞』)研究の促進法案に対し、なんと就任以来初めての拒否権発動に踏み切ってしまいました。

 このことが、神が人間を創ったという理由で反対するアメリカの福音右派と、建前上はあくまで生命倫理観を固持した福音右派の支持を受けるブッシュ大統領の、果たして先見の明と出るのか、それともアメリカが「再生医療」分野で大きく後れを取って取り残されてしまうのかは、重大な関心を持って見守りたいと思います。

 それにしても現在のアメリカと同じくらい宗教が幅を利かせているのは、イランくらいのものだと述べるアメリカ人科学者もおります。

 そういえばなるほど、両国の指導者の性格や発言に、実は案外共通点が多い気がします。

 僕は以前に医者のくせにダーウィンの進化論に疑念を持つようなことを記載しましたが、これは進化論を否定するわけではなく、科学的にすべてが完全に証明されているわけではないものは(例え証明されていたとしても)、そう習ったからといって鵜呑みにせず、自らの思考を常に停止させてはいけない、という趣旨です。

 またアメリカにはWASP(ワスプ)と言う呼称があります。

 「White Anglo-Saxon Protestant」の頭文字をとったものです。

 これはアメリカのエリート階級を指す語であり、もともとは彼らとの競争的関係にあった、アイルランド系カトリックによって造られました。

 WASPは自己の優位を守るべく、そして自分たちこそが真のアメリカ人としての白人社会の地位を確立すべく、政治的・社会的に結束して、マイノリティやカトリックに抵抗してきた一面を持つために、WASPという単語は多少侮蔑の意味合いも持ちます。

 カトリックの大統領は、なんとケネディだけです。

 特にアイルランド系カトリックは、現在でもイギリスに支配されているアイルランド出身者をアメリカでは偏見が強く最下層に位置づけるため、カトリック信徒が大統領になるなどしたら、ローマ教皇にアメリカを売り渡すとさえ思われているのです。

 カトリックはアメリカでは現在約25%と言われておりますが、これまた差別を受けるヒスパニック系に多いため、WASPから見れば異教徒同然なのです。

 民主党のケリーもまたアイルランド系ではありませんがカトリックであり、また彼の父方はユダヤ教徒です。

 そして現在のブッシュは最も正統派で典型的なWASPです。

 僕たち日本人には見えにくいのですが、この宗教の問題を理解すると、国際情勢や小説、映画、絵画・・・などへの理解も深めることができるのではないかと思います。

 世界科学の中心であったアメリカは現在、宗教的に保守的な流れがあり、いずれこの問題の「つけ」が顕在化して深刻化してくることでしょう。

 またアメリカが行ってきたイスラム社会への政策によって、対立関係にあったスンナ派とシーア派が「反米」で接近してきていることも見逃せません。

一方でヨーロッパでは、神の存在に関しては否定的なクリスチャンが増えているそうです。

信仰の美風と遺伝子11

2006年08月27日 13時39分39秒 | Weblog
 さて、「ダヴィンチ・コード」でお馴染のダン・ブラウンによる、以前にもご紹介しましたが、宗教(特にカトリック)と科学の対立をとっても興味深くフィクション化した「天使と悪魔」という物語があります。

 この物語は僕にとっては、ラングドン先生があまりに超人的でやりすぎのきらいも受けましたが、ダヴィンチ・コードよりも面白く感じられ、きっとすぐに映画化されることでしょう。

 僕が大好きなイタリア、バロックの彫刻家、「ベルニーニ」が物語の鍵となり(どういうわけだか傑作のひとつ「バルダッキーノ」は出てこなかったと記憶しておりますけれども)、そのことでも大変興味深く思いました。

 それにしても西洋の宗教がかかわる読み物は、これまた以前にも書いたとおり、スケールも大きく、宗教の研究自体も系統立てて進んでいるので、かなり緻密にプロットが練られた作品が多く、とっても面白く読ませてくれます。

 日本の作品では宗教の停滞もあって、この醍醐味は残念ながら味わうことができません。

 確かにキリスト教の言う神の存在と創世記に対して、科学が解明しつつあるビッグ・バンから始まる量子力学と物理・数学・天文学を駆使した宇宙創成や宇宙膨張説の壮大なテーマ、そしてダーウィンの進化論は相容れない部分があります。

 僕は他の人が大切にしている宗教に対して、言論の自由を振りかざして、一方的に非難したり貶(おとし)めたくはしたくありません。

 しかし、本来科学が最も進歩しているとされるアメリカでは、アダムとイヴの存在や、過去一万年以内に地球が6日で創られたとそのまま信じている有権者が、なんと50%もいるといわれているのです。

 この数字が本当だとしたら驚くべきことです。

 これはアメリカ共和党における、キリスト教原理(根本)主義の持つ票田が密接に関係していることとも思います。

 キリスト教根本主義はキリスト教のうちプロテスタントの福音派右派を指します。

 このキリスト教原理主義は聖書の誤謬(ごびゅう)を認めず創世記に忠実で、聖書に矛盾する科学や進化論などは一切受け入れません。

 そしてこの原理主義はアメリカでも南部で影響力が強く、共和党の支持母体として急進しております。

 合衆国州政府には進化論を歴史教科書から削除するところも出てきている始末だそうです。

 社会的には同性愛・堕胎を一切認めません。

信仰の美風と遺伝子10

2006年08月26日 22時34分37秒 | Weblog
 そもそも子供たちに人格や考えや倫理観が違うからとって、争いや殺し合いを強いる父親がいるでしょうか?

 砂漠の民、一神教の民、エイブラハムの息子たち・・・特にコーカソイドの人々が宗教の名の下に行ってきた、略奪や破壊、人身売買に奴隷制度、植民地化政策、先住民の虐殺、その他あまたの大量殺戮による血塗られた歴史を忘れてもいけません。

 そして無駄な殺生は行わずに共存共栄していく東洋の思想を持つ僕たちは、むしろその責務を自覚し、矜持(きょうじ=誇り)を持って世界の表舞台に立つ勇気と覚悟を持たなければならないのではないでしょうか?

 こんな内容のブログを今回書いているわけですが、またしてもタイムリーなことに本日、京都で宗教者会議世界大会が開かれたそうです。

 産経新聞から引用しますが、

 「約100カ国から約2000人の宗教関係者が集い、平和に宗教が果たす役割を探る世界宗教者平和会議(WCRP)の第8回世界大会が26日、京都市の国立京都国際会館で始まった。29日まで話し合い、最終日に「宣言文」を採択、全世界に平和をアピールする。
 開会式では、渡辺恵進天台座主が「宗教が争いの原因となっていると指摘される中、宗教者が対話を通じ相互理解を深め平和実現へ協力することは緊急の課題であり、責任だ」とあいさつ。
 来賓として出席した小泉純一郎首相は「世界が抱える困難や対立を克服するため、対話で文化や宗教の違いを乗り越え信頼を深めることは可能と信じている。日本は今後も国際社会の責任ある一員として、世界の平和と繁栄のために貢献していく」と語った。
 WCRP世界大会の日本開催は、昭和45年の第1回大会(京都)以来36年ぶりになる。」

 とのことです。

 そんなに外れた主張でもないことに、何だかまた少しほっとしました。

 宗教に関しては幾分不心得者・不謹慎者でありながらも、信仰心は捨てない現在の日本人の、塩梅(あんばい)加減が実は絶妙なバランスなのかもしれません。

 しかし昨今の日本では「宗教」ばかりか、「信仰」心まで薄らいでしまってきているために、倫理観もそれに伴い著しく低下していると感じるのは僕だけではないでしょう。

 以前にテレビでやっておりましたが、一人で泣く女性に一般市民がどのような態度を取るか隠し撮りしていたのですけれど、声をかけないのは日本人だけでした・・・。

 確かにクリスチャンは一般に宗教心に篤いため、近年では相手が実際に見える場合の正義感や慈悲の心、倫理観に優れていることは認めないといけません。

 見えない場合は一転してルールを自分たちで作ってごり押しして、たとえ地球の裏側で会社を横取りされた社長が自殺しようがなんだろうが、狩猟・略奪の民と化しますが・・・

 日本は宗教に対するマスコミのアレルギーのため、宗教心ばかりか、信仰心、儒教の教えまでが薄らいでしまい、非常に深刻です。

 親を大切にすることよりも、ITやら株やらででカネを稼ぎ、ブランド物を身につけ、やれ勝ち組だのセレブだの・・そんなことを連日持ち上げ続けるマスコミの姿勢には反乱を起こしたくなります。

 心よりお金の風潮を生み出しているのはテレビです。

 そんな中、最近の12チャンネルはなぜか・・・

ガラス作りや庭造りなどの達人などの一般の人々に作品を作らせてチャンピオンを競い、ものづくりの夢のある大切さを主張したり、

大和なでしこ選手権という最近の若者の風潮に疑問を投げかける番組や、

一般人の家を改築して演技のない親子の絆や感動を伝えたり・・・

 昨今の他の民放の

オール芸能人の出演番組、

特に芸能人の他愛もない裏話や世間話、

ほれたはれたのゴシップねたやら、

安易なクイズ、

タレントのスポーツ体験もの・・

 といった制作側の苦心も主張も見えない、ただただ人気者をブラウン管に登場させて視聴率だけを競うという、実に安っぽい番組とは一線を画し好感をもてます。

 僕は今のテレビはつまらないし、興味も持てないし、お笑いばっかりで、見ると馬鹿になりそうだからほとんど見ません。

 こんな幼稚な番組ばかり氾濫させていたら、そのうち飽きる人が増えるのではないでしょうか?



信仰の美風と遺伝子9

2006年08月25日 08時32分40秒 | Weblog
 一方アジアにはまったく異なる体系の仏教があり、そして日本には日本独自の神道もあります。

 アブラハムの信徒からすれば、この多神教あるいは絶対神が存在しない東洋の思想は、まったく認められません。

 ムスリムは、「釈尊は人間であり神ではない」といいます。確かに・・・。

 仏教は神を論ずるのではなく、いかに生きるべきかを説く、個人の解脱、つまりは人間に対する哲学であると僕は考えております。

 神道に関しては前に、イザナキとイザナミそして天照大神やスサノオ、伊勢神宮や氷川神社などについて少し触れました。

 僕は学校では教えてもらえませんでしたが、日本の歴史の始まりや神話、言及すれば戦争の話、戦後の政治だって事実を学校で教えてもいいのではないのかと思いますが・・・。

 始まりがあやふやでは、個人の史観も育ちません。

 都心にあれほど広大な敷地を持つ、明治神宮がどなたを祀られた神社なのか、知っている日本国民あるいは東京の小学生が一体どれほどの割合か・・・。

 確かに特定の「宗教」に肩入れするのは問題ですが、日本国民の「信仰」心を絶やすことのほうが問題は多いと思います。

 後述しますが、「宗教」と「信仰」は似て非なるものだと僕は思っております。

 神道には微妙な問題をはらむことは自覚しておりますが、解釈は別にして歴史の事実は事実として感情的にならずに、また隠し立てしたりすることもなく、「その時代にはそのように考えられていたのだ」とそのまま伝えればいいんじゃないかなあ・・・

 それに関してどのように受け止めるかは個人、あるいは両親に委ねればよいのではないでしょうか?

 少なくても記紀(古事記と日本書紀)を学校で子供たちに紹介することくらいはしてもいい、しなくてはならないのではないでしょうか?

 神道や記紀の記載にまで、わが国の戦争における国家全体主義に対しての、国内マスメディアと教育者の、また隣国の特殊なアレルギーを目くじらを立てて持ち込む必要もないと個人的には思います。

 南米チチカカ湖で、トトラという葦を編んだ、わずか厚さ3cmの浮島の上で湖上生活を営む、人口たったの2,500人しかいないウル族の小学校でも、まずは民族の成り立ちに関して大人が子供たちに誇りを持って神話から教えるそうです。


 そして日本には信仰心があります。

 以前にも書いたように山は征服の対象ではなく、拝んであがめる文化です。

 自然や動物は人間のためにあるのではなく、それらを慈しんで、共生することを説く信仰心です。

 仏教や神道などの多神教は、万物に精霊が宿ることを信仰する「アニミズム」(精霊信仰)や呪師(じゅし、ずし、のろんじ)を介して霊と交信する「シャーマニズム」などの原始宗教にカテゴライズされ、一神教文化から見れば遅れていて野蛮だと認識されることもありますが、僕は決してそうは思いません。

 インディアンもインカ人も、イヌイットのエスキモーやケルト人に北欧人だって・・・。

 みんな平和主義者でおとなしい民族じゃないのかな・・・。

 契約する絶対神はいません・・・確かに系統立てられてはいないし、単に自然現象に対して恐れていただけで非科学的かもしれませんが、アニミズムはこの地球が単なる人間と神だけの契約ではなく、霊感をもって人間が自分以外の生命や自然に対して謙虚につつましやかに生きることを教えてくれます。

 ちなみに漫画の「アニメ」はanimation、絵に生気を与えるということですから、この霊をあらわすanimismとつながりのある言葉だと思います。

 そして多神教の僕たち日本人は不謹慎な分(良し悪しだと思いますが)、固執もしないので、科学に対してもそれはそれとしてわりと抵抗心なく受け入れることができます。

 違う宗教に対しても比較的寛容に共存することが可能です。

 ナショナリズムは時にセンチで暴走しやすい傾向もありますが、歴史と伝統および信仰心は大切に子供たちに継承することもその国のオトナの責任ではないでしょうか?

 振り返ってみて、世界的な戦争や植民地主義にしたって、コーカソイド社会が作り出したものが多く、あるいはキリスト教+ユダヤ教社会対イスラム教社会といった攻撃的な一神教宗教における対立軸が昨今の社会不安を作り出していると感じます。

 これからはそういう対立軸に対して、仏教や東洋の思想や信仰が自ずとクローズアップされてくるのではないでしょうか?


信仰の美風と遺伝子8

2006年08月24日 17時46分26秒 | Weblog
 イスラム教でも多数派のスンナ(スンニ)派とシーア派との二大宗派があります。

 シーア派のシーアは「党派」という意味で、イスラム教の開祖ムハンマドの後継者が、従兄弟で娘婿でもあるアリーとその子孫のみとするアリー派の「派」から来ています。

 対するスンナ派は、アリーに先立つ三人のカリフをも、正統カリフとして認めた大多数派、ということになります。

 堅苦しく言えば、シーア派は神と人間を仲介する神聖なイマームと呼ばれる教主・首長の指導を重視しするのに対して、スンナ派の場合は教主はカリフと呼びますが神聖視はされずに、あくまで預言者ムハマンドの言行(ハディース)を通じてスンナという慣行の解釈を行うことで預言者の意思を体現しようとする、ということです。

 シーア派と比較した場合のスンナ派の大きな特徴は、イスラム共同体(ウンマ)間の「合意」を重視する点であるそうです。

 シーア派はイスラム全体では1~2割程度とされておりますが、イラクでは60%が、そしてイランではシーア派が国教とされ95%がシーア派です。

 メソポタミア(イラク)・ペルシャ(イラン)という古代文明国においてはもともと文化が発達しており、アラビア半島のムハマンド率いる元祖イスラム教が支配して改宗させる過程で、後継者争いが加わってシーア派として分派していったということのようです。

 イラクではフセイン政権下ではスンニ派が主流でしたが、現在の暫定政権の国民議会選挙ではシーア派中心の統一会派「統一イラク同盟」が第1党になりました。

 イランはアーリア人のという意味であり、古代からとても優秀な民族であり、ペルシャ帝国以来ペルシャの素晴らしい文化が連綿と受け継がれており、建築物も文学も音楽も映画も卓越しているのに、核開発疑惑やヒズボラへの支援などにより、アメリカから悪の枢軸と名指しされ、国際的に非難され続けているのが残念でなりません。



 そして、全世界的な流れとして、このイスラム教VSキリスト教+ユダヤ教・・・という同じ「エイブラハムの息子たち」による対立軸がテロや戦争といった暗い影を落としております。

信仰の美風と遺伝子7

2006年08月23日 12時38分15秒 | Weblog
 だいたいこの「イギリス」というのが複雑で、イギリスといった場合、正式名称は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」と言い、

主たる島であるグレートブリテン島の

① 南部2/3を占める『イングランド』
② 北部の『スコットランド』
③ アーサー王物語でも有名なケルト人色の強い西部の『ウェールズ』

以上のグレートブリテン島の3国に
 
④ アイルランド島の北部の『北アイルランド』

を加えた4つの非独立国の総称であり、「UK」とも言われます。


 日本ではイギリスとイングランドが混合されますが、イングランドはもともとがアングル人のという意味であって、イングランドと呼んだ場合は上記①ですから、グレートブリテン島の一部を指します。

 サッカーのワールドカップではベッカムはイングランドとして出場してきて、ユニフォームもUKの国旗であるユニオンジャックではなく、イングランドの白地に赤の十字架ですよね。

 またアングロサクソン人に支配されたことのないウェールズではケルト人としての誇りも高く、スコットランド人も「私はイギリス人ではなくスコットランド人だ」とよく言います。

 以前にも少し触れましたが、IRA(アイルランド共和軍)による対英独立闘争によるテロは、アイルランド全島のUKからの独立という民族的な理由と、クロムウェルらが行ったプロテスタントによるアイルランド系カトリックに対する弾圧に対しての反発という宗教的な側面もあります。

 ジョン・レノンの有名な曲に「イマジン」があります。

 平和の象徴として世界中に愛される曲なのですが、先ごろ祖国イギリス国教会系の小学校が「反宗教的」との理由で児童が歌うことを禁止しました。

 「え?」

 歌詞の中での「宗教(対立)の無い世界を想像してごらん」というのがイギリス国教会にふさわしくないというのが理由だそうです。

 「え???」

 僕には滑稽なんですが、みなさまはどう思われますか?

 プロテスタントはイギリス、アメリカを始め、英語圏に多いです。

 ドイツ、オランダ、スイスおよび北アイルランドはカトリックとプロテスタントがほぼ同数と言われております。

 カトリックはラテン諸国のフランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、南米諸国に多く、非ラテン諸国ではアイルランド、オーストリア、ベルギー、クロアチア、チェコ、スロヴァキア、ハンガリー、ポーランドなどです。

 ちなみに神父様はカトリック、プロテスタントでは牧師様です。

信仰の美風と遺伝子6

2006年08月22日 13時35分30秒 | Weblog
 現在でも男性幹部しか認めないカトリックは、中世に魔女狩りを行って優秀な女性をも拷問・殺害しました。

 その手引書がダヴィンチ・コードにも出てきた『魔女に与える鉄槌』という書です。

 また古くからグノーシス(=知識)思想という神秘主義があり、それは認識(知識)によって神に至れるという思想でしたが、それがキリスト教的グノーシスを生み、それを異端としてカトリックは他の敵対思想まで次々に排除、排斥、迫害、弾圧、壊滅、火刑、殺害していった歴史を持ちます。

 よく映画や小説などで教皇や枢機卿が「○○君、その発言はグノーシス的で危険な発想だから注意なさい!」みたいな一節を散見しますでしょ。

 改革者マルティン・ルターは、贖宥状(しょくゆうじょう=免罪符)を乱発して献金の名の下に資金稼ぎに走るカトリックに対し疑問を持ち、それが宗教改革、その後のプロテスタントという大きなうねりを呼ぶことになったのです。

 そもそもキリスト教で信者が罪の赦し(ゆるし)を得るには、自己が悔い、告解し、贖う(あがなう=罪を償う)という三段階の必要があります。

 広く用いられる「免罪符」というと罪をまぬかれることになってしまいますが、この場合厳密にはそうではなく、罪をまぬかれることはできないけれども、献金すれば罪の贖い(あがない=つぐない)が軽くなるという趣旨であったため、贖宥符(しょくゆうふ)と呼ぶのが正しいそうです。

 どこかの国の、戒名やお布施の値段ばかりに熱心な宗教も戒めないと抗議者が激増しますぞ・・・!

 さて一方イギリスではピューリタン(清教徒=潔癖な人)といって、イギリス国教会に異を唱えたプロテスタントのグループがあり、その後のイギリスにおけるクロムウェルらの清教徒革命の母体ともなりました。

 またこのピューリタンは英国内の弾圧から逃れるために、メイフラワー号に乗ってアメリカに移住したりもしました。

 イングランド国教会は通常プロテスタントに分類されますが、事情は複雑で、教義的ではなく政治的理由でローマ教皇庁から分離独立し、ピューリタンとも対立しておりました。

 イギリス国教会の首長はイギリス統治者が務めます。

 イギリス国教会から派生した各国の教派を「聖公会」といいます。

信仰の美風と遺伝子5

2006年08月21日 13時40分56秒 | Weblog
 キリスト教には皆様もご存知のように、主にカトリックと東方教会、そしてプロテスタントがあります。

 カトリックと東方教会は協力しておりますが、同じキリスト教でも実は違う宗教といっても良いくらいにカトリックとプロテスタントでは対立している場合もあります。

 東方教会はコンスタンティノープル(現在のトルコのイスタンブール)にエキュメニカル総主教(世界総主教=カトリックのローマ教皇)がおります。

 東方正教会はギリシャ正教、ロシア正教、単に正教とも呼ばれることがあります。

 東西教会、つまり東方正教会とカトリックは、お互いが正統を主張しております。

 東方教会では、カトリックでの「イエス・キリスト」が、ギリシャ語・ロシア語由来のために「イイスス・ハリストス」となります。

 以前高田屋嘉兵衛のコーナーで書いた御茶ノ水のニコライ聖堂は、ロシア正教由来ですから、正式名称は「日本ハリストス正教会復活大聖堂」となります。

 東方教会ではグレゴリウス暦ではなくユリウス暦を採用しており、断食が厳守されているところなどがローマカトリックとの大きな違いです。

 そもそもローマ帝国が西ローマとギリシャ語圏の東ローマに分裂し、西ローマは早々と滅亡してフランク王国を中心に西ヨーロッパが独自に近代化して行きました。

 そのためローマ教皇の独立性も進み、また東ローマ帝国の東方教会には一時的にイスラムからの偶像破壊の影響があったり、さらには西側の十字軍による東方教会への迫害などもあって、お互いが分離して行きました。

 東方教会はその後、スラブ地域に宣教を広め、コンスタンティノープル以外では、エジプトのアレクサンドリア、トルコのアンティオケイアおよびシリアのダマスカス、グルジア、セルビア、ロシア、ブルガリア、ルーマニア、ギリシャ、キプロス、アルバニア、ポーランド、アメリカ、日本・・・等に広がっております。

 僕は東方教会といえば「イコン」を連想しますが、PC用語のアイコンは恐らくこのイコンに由来しており(たぶん)、絵が小さいものでかつ意味を持つという共通点があります。

 スコットランド人のビル・ネイピアの著書、「聖なる暗号」はこのイコンとグレゴリウス暦、イギリス国教会とギリシャ正教がテーマとなっております。

 それにしてもイギリスの小説はこの「聖なる暗号」もそうですが、「クリスマス・キャロル」で有名なイギリスの文豪ディケンズを始め、大作「五輪の薔薇」(お薦め)にしても、また「パナマの仕立て屋」等スパイものの大御所ジョン・ル・カレでも見られるように、アメリカもののスピーディで華やかな物語、横の広がりに比べ、独特の深みがあって、一人の人物の深い考察によって成立しており、縦の深みといいますか・・・これが文化と歴史の違いでしょうか??

 また、プロテスタントとは抗議者という意味ですが、そもそもドイツ人のマルチン・ルターがカトリックの腐敗に対して宗教改革という革命を起こし、カトリックから分離していったのです。

 そしてプロテスタントは福音主義といって聖書に立ち返ることを理念とし、西欧における近代化はこのプロテスタントが担ったとされており、またカトリックのように団体で何かを行うのではなく、個人で聖書に向かい合うために、個人主義の発達にも貢献したとされております。

信仰の美風と遺伝子4

2006年08月20日 15時22分21秒 | Weblog
 ちなみに「聖典の民」の始祖アブラハムは共通ですが、ユダヤ教はトーラーを遵守し、ユダヤ人が救われるための思想、キリスト教はキリストが復活したことに超人的な意義を持ち、その後の使徒が広めた思想、イスラム教は六言五行というアラビア語で書かれたクルアーンを実践し、ムスリムの共同体の相互扶助関係や一体感に重きを置き、偶像崇拝を一切禁じる宗教です。

 3つの「アブラハムの宗教」は預言者や教典は異なりますし、信仰する神の呼び名も異なりますけれども、基本的には同じ神を信仰し、みな同じアブラハムからの流れを汲むものです。

 なのにどうして殺しあうのでしょうか?

 いつの日か新たな超人的預言者が現れて、3者が平和的に共存できる世界が実現すればいいのに・・・。

 ちなみにイスラムの素晴らしい建造物や、巡礼の敬虔さと圧倒的・神秘的な力・・・に多少触れましたが、イスラムの世界では偶像崇拝は硬く禁じられており、またサウジアラビアでは観光ビザは発給しておりませんし、巡礼はイスラム教徒しか見ることはできません。

 どうしても見たい場合はイスラム教徒に改宗するしかありません。

 近代はキリスト教国、または白人の文化が世界趨勢の大勢を占めておりますが、ついこの間まで(ルネサンス~産業革命頃まで?)は、イスラム(アラブ)国家の方が文化において勝っており、白人国家はむしろ野蛮であったり大きく遅れを取っておりました。

「アラビアのロレンス」というとてつもなくスケールが大きく、現代映画では制作が不可能とまで言われているイギリス映画の大作があります。

 遺跡好きであることとさまざまな本での体験以外に、あくまでイギリス人からの視点ではありますが、僕がまだ生まれる前に撮られたこの映画を見たことが、中東問題に興味を持つきっかけのひとつになりました。

 今日のエルサレムをめぐる混乱は、現地の宗教的・民族的な対立ばかりではなく、欧米や国外ユダヤ人の既得権益や私利私欲が深く根強く反映されている結果であることをしっかり認識しなければなりません。

信仰の美風と遺伝子3

2006年08月18日 13時22分26秒 | Weblog
 このシオニズムからイスラエル建国までの流れには、世界金融業で莫大な富を築いた欧州系ユダヤ人であるロスチャイルド家の多大な影響も深~く関与します。

 また現在NYはジューヨークと揶揄されるほど、米国在住ユダヤ人やロビー活動の影響が強くなっております。

 それは共和党だけの話かと思ったら、先日たまたまテレビを見ていて感じたのですが、民主党の新しい看板もユダヤ人を持ち上げておりました。

 事態を複雑化しているもう一つの原因としてエルサレムはややこしいことに、キリスト教は当然ながら、イスラム教にとっても聖地なのです。

 イスラム教の預言者ムハマンド(モハメット)が現サウジアラビアのメッカ郊外で天使ジブリール(ガブリエル)に神の啓示を受けたときに、ムハンマドが一夜のうちに昇天する旅を体験した場所がエルサレムだとされます。

 ムハンマドはエルサレム神殿上の「岩」から天馬に乗って昇天し、神の御前に至ったのだというのです。

 この、もともとはエルサレム神殿があった「岩」の上に7世紀頃建てられたイスラムの建造物が「岩のドーム」です。

 金のドームと青い八角形の建物は、およそこの世のものとは思えなくらいに美しい建築物です。

http://www.aii-t.org/j/maqha/magazine/architecture/20050816.htm

http://homepage3.nifty.com/murasakigawa/photo/israel/p08goldendome.htm

 イスラム教の聖地は第一にサウジアラビアのメッカのマスジド・ハラームの中心部にある「カアバ神殿」です。

 そして第二にメッカの500km北のメディナにあるイスラム教の礼拝堂・モスクであり、そしてそこは預言者ムハンマドの霊廟(れいびょう)でもある「預言者のモスク」です。

 下記を参照されてください。

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0209/sin_k90.html

 そして第三の聖地が、もともとはユダヤ人が建設し、ローマ帝国によって破壊されてしまった、「嘆きの壁」が残るエルサレム神殿内に建つ、この「岩のドーム」なのです。

 さらにはこの「岩」はアブラハムが息子のイサクを神のために捧げようとした「岩の台」ともされるので、事態はいよいよ深刻です。

 「アブラハム」は聖書の最初の登場人物であり、彼はユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信じるいわゆる「聖典の民」の「共通の始祖」なのです。

 洪水後の神による人類救済の出発点として選ばれた最初の預言者であり、ユダヤ教の教義では全てのユダヤ人の、またイスラム教の教義ではユダヤ人に加えて全てのアラブ人の系譜上の祖とされます。

 そのためキリスト教、ユダヤ教も聖地を主張しており問題は複雑化しております。

 当然ユダヤ人であるキリストが活動を行い、ゴルゴタの丘で磔刑に遭い、復活したのもエルサレムですし、さらにはキリスト教徒にとってはキリストの墓があるとされる「聖墳墓教会」があるために、これまたエルサレムはキリスト教にとっても聖地であります。

信仰の美風と遺伝子2

2006年08月17日 20時20分01秒 | Weblog
 ユダヤ教は文字通りユダヤ人だけのためにあり、ユダヤ教徒だけが世界終末においてもメシアによって救われるという超選民的宗教な上、とっても敬虔・厳密・厳格に教えを守りきっております。

 またユダヤの血脈を例えそれが異国の地であってでもただひたすら守り、排他的というよりもむしろ、他の国の人々や他の宗教には一切興味・関心はないのではなかろうかとすら思えます。

 トーラーは一字一句書き損じることすら許されません。

 ユダヤ人はその後、パレスチナの地に紀元前10世紀ころイスラエル王国を建国し、中心都市のエルサレムを造り、その際にソロモンの栄華で有名なソロモン王がエルサレムの第1神殿を建立(こんりゅう)しました。

 そしてイスラエル王国は現在のイラクにあたる、バベルの塔で有名な新バビロニア王国のネブカドネザル2世に滅ぼされて、捕囚されてしまいます。

 捕囚からの解放後、第2神殿が造られて、ヘロデ大王がヘロデ神殿を造りましたが、ローマ帝国に破壊されてしまい、現在ユダヤ教の聖地である「嘆きの壁」はヘロデ神殿の西の壁です。

 ユダヤ人は国家を持たず、ローマ帝国に支配されてからは、ヨーロッパを中心に、近隣国やアフリカなどにディアスポラ(ギリシャ語で散らされる)と呼ばれる「離散」をしていきました。

 離散したユダヤ人がシオンの丘(エルサレム地方)に帰ろう、という運動が「シオニズム」です。

 しかし離散した後は、アラブ人であるパレスチナ人がすでにエルサレム近辺に居住しておりましたので、入植しても争いが絶えないのです。

 第一次世界大戦中にイギリスが行った有名な二枚舌外交がその原因とされております。

 つまりオスマントルコの領土であったエルサレムを、キリスト教国であるイギリスはイスラムから奪還したいがために、アラブ側にはマクマホン書簡で、またユダヤ人にはバルフォア宣言を使って、両者の協力を得る見返りに両者の都合のいいように取り計らうと約束したのです。

 そればかりかイギリスは三枚舌外交を行っていたとも言われ、バルフォア宣言に先立ちフランスと、崩壊間近なオスマントルコ領土中のアラブ人領域に関し、北をフランス、南をイギリスが支配すると密約していたとさえ言われております。

 その後イギリスは手に負えなくなって、この問題を国連に丸投げしてしまうのですが、そのつけが今でも残っているのです。

信仰の美風と遺伝子1

2006年08月16日 22時09分30秒 | Weblog
 以前、美しい西洋の宗教ものフィクションについて書きました。

 またこれも以前述べましたが、遺跡オタクの好奇心が助長されると、どうしても宗教の理解という難解な壁に遭遇します。

 さらには例えば西洋の美しい建造物や美術や映画ばかりではなく、ロックですら鑑賞するときに、宗教的知識はなくても直感的に楽しめるかもしれませんが、あったほうがより堪能できると感じたため、必要性があって哲学と宗教を手探りで勉強した時期がありました。

 僕は特定の宗教の信者ではありませんが、医師にはある程度の宗教観や信仰心、哲学も大切な素養となることも多く、国際情勢や海外の文化にも明るくなり、勉強した甲斐があったかなと思っております。

 このところ中東情勢がきな臭かったり、加えて参拝問題を考える上で少しでも役立つかもしれませんので、宗教について考えて見ましょう。

 世界の三大宗教はみなさまもよくご存知のとおり、キリスト教・イスラム教・仏教です。

 Wikipediaによれば現在、キリスト教20億人 (33%) 、イスラム教13億人 (22%) 、ヒンドゥー教9億人 (15%) 、仏教3億6000万人 (6%) 、儒教・道教2億3000万人 (4%) 、無宗教8億5000万人 (14%)、その他(5%程度)だそうです。

 やはりユダヤ教から始めなければなりませんが、紀元前13~12世紀にモーゼがラムセス2世の統治していたエジプトを出国し、シナイ山で十戒を授かり、約束の地カナン(ヨルダン川と死海付近の土地)を目指し、そこからユダヤ教が生まれます。

 『モーセ五書』は、『旧約聖書』の最初の5つの書を指します。

 「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」の総称です。

 新しい契約のキリスト教徒から見れば神と交わした古い契約のため「旧約」と呼ばれますが、ユダヤ人から見れば決して旧約ではないために、「律法(りっぽう)」、「トーラー」とも呼ばれます。

 それ以外の口伝の律法が「タルムード」と呼ばれ、その中でもヘブライ語でかかれたものだけを、現代のユダヤ教の主要教派のほとんどが聖典として認めており、ユダヤ教徒の生活、信仰の基となっていると言われております。

 ユダヤ教徒は「シナゴーグ」と呼ばれるユダヤ教の会堂で祈りを捧げ、ユダヤ教の宗教的指導者を「ラビ」と呼びます。

8/15にまつわる美感-2

2006年08月15日 11時50分04秒 | Weblog
 日本では、本日8/15は「終戦記念日」です。

 まさに今朝のように、近隣2(+1)カ国と日本国内のマスコミでは、首相の靖国参拝が問題となります。

 僕たちがよく考えなければなりませんよね。


 また8/15という日はWikipediaによれば、「8月15日の前日、または前々日はペルセウス座流星群の極大日に当たり、1年の内、最も流れ星が多い時期でもある。人の魂を星に喩える事もある為、これらも時期に影響を与えているかも知れない。」

 さらには、「なお、8月15日はキリスト教(カトリック)の重要な祭典「聖母の被昇天」でもある。 この祭りもカトリック教徒が主な南ヨーロッパや中南米では(多くの場合世俗化しているが)盛大に開かれる。」とのことです。

 聖母マリアは14才でキリストをみごもり、15才で出産したとされます。

 キリストが磔刑に遭って昇天するのが33歳とされており、母マリアのほうがキリストよりも12年間長生きした結果、60才でこの日に亡くなられたとされております。

 イエス・キリストについては「昇天」と呼ばれますが 、聖母マリアについては「被昇天」と被がつくのをご存知ですか?

 その理由は、「神の母」といえどもマリアは人間ですから、キリストのように自分の力で天に昇ることはできず、神によって天に召し挙げられたからだそうです。

 以前にもこのブログで書きましたが、キリスト教ではニケーア公会議においてアタナシウスらによって三位一体の教理が採択され、「父なる神」と「子なる預言者キリスト」と「使徒などに下された聖霊」に神性が与えられております。

 さらにはプロテスタントではそういう風習はないらしいですが、カトリックではマリア信仰もあるために8/15は記念日「聖母マリアの祝日」となるそうです。

 「聖母マリアの被昇天」は以前このブログにおける、西洋の建築・美術シリーズの中でスペインのトレドを書いた際に紹介した、「エル・グレコ」の絵が有名です。

 彼はその名が示すように(エル・グレコはスペイン語で、文字通り「ギリシャ人」の意味)ギリシャのクレタ島出身ですが、最初に移り住んだイタリアよりも、むしろその後に渡った聖母信仰の強いスペインのトレドで宮廷画家として活躍しました。

 彼の特長は大胆な構図と、おどろおどろしいほどの暗いトーンとそこに浮かび上がる独特の青や赤の色彩、そして何よりも人物がずいぶんと縦長にデフォルメされるマニエリスム(イタリア人のエコール・ド・パリ(パリ派)であるモディリアーニの首もこのマニエリスムの影響を受けているのかなあ・・・)でしょうか・・・。

 好き嫌いは分かれるでしょうけれども、かなり個性的ですから、芸術家には一目で誰の作品か分かるくらい強烈な個性が重要であると信じ込んでいる偏屈な僕の評価は○です。

 下記をご参照に。
http://www.salvastyle.com/menu_mannierism/elgreco.html


 8/15はどういうわけか、地球的規模で特別な日のようです。

 以上8/15にまつわるウンチクでした。