アフガニスタンで、崇高かつ高邁な志のもと凶弾に倒れた、伊藤和也君のご冥福をお祈りするとともに、同じ日本人として伊藤君を誇りに思います。
黙とうをささげましょう・・・
本書で批判的な、日本の捕鯨活動に関しては・・・
「日本国内の世論の多数は捕鯨自体に積極的に賛成というよりは、他国による自国文化への干渉に対するナショナリズム的な反応として反捕鯨を非難することが多い。」
と書かれたHPがありました。
僕個人的にはまったくそのとおりだと感じており、同じ捕鯨国のノルウェーを攻撃しないような、反捕鯨活動家団体による行動の、人種差別や横柄さが透けて見えるやり方や考え方に腹が立ちます。
日本国内で、捕鯨で生計を立てていらっしゃる方がおられましたら、同胞といたしましてまことに申し訳ないのですが・・・
だからといって、日本人である僕が鯨を大好きで、日本人全体にとって切っても切れない貴重な栄養源で、なければ餓死してしまうような主食で、みながこれを食べるのを心待ちしている・・・モノでは実際ない、と思います。
個人的には、牛は食っていいのかよ?なんで鯨はダメなんだ?白人が勝手にルールを作るなよな!って感じで、ナショナリズムに基づく少々感情的な部分があることは否めません。
確かに日本人が乱獲して動物を絶滅に追い込むのはよくないし、食べずに生きられるなら無理をしてまで食べなくてもいいし・・・・
だけど、「クジラやイルカは牛や豚より知的だから食べてはならん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/goo.gif)
」
「捕鯨は無論野蛮で言語道断だが、羊や牡牛なら、しかもコーカソイドの俺たちならでは、神に屠(ほふ)るのだって当然だし、知的海洋動物を戦闘員化させるのも俺たちなら許されるのさ」というのも理屈としてどうか?
確かに犬やカンガルーを食べない僕たちは、誰かが犬やカンガルーを食べると聞くと、あんな愛くるしい動物、残酷だからやめろよな、って思う感情もあり、食する国民からそれは文化だからお前らは黙ってろ、という反論も否定はできません。
別に鯨を食べられなくなったとしても、大多数の日本国民はたぶん困らないのだから、全世界的に合意できるルールの上でなら捕鯨をやめても仕方あるまい、と感じているのですがいかがでしょうか?
やっぱりダメ?
でも日本も引っ込みがつかない、って感も否めない・・・のかな?
しかし、白人およびキリスト教中心社会も改めろよな、ってとこでしょうか、正直。
ちなみに、結局は資源問題のために今EUとロシアとでもめている、「グルジア」は英語で表記するとGeorgia、そう、ジョージアなので、アメリカ・ジョージア州とも一緒の名前です。
これは、ドラゴン退治で有名なキリスト教の聖人、ゲオルギイに由来します。
イングランドも白地に赤い十字架、「セント・ジョージ・クロス」が国旗になっていることは以前にも書きましたが、グルジアの国旗も似ています。
つまり、St.Georgeを、イングランド、グルジア、ポルトガルにスペインのカタルーニャ、なんとロシアも守護聖人にしているのです。
スペインだとJorge、読みがホルヘになります。