医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

美しくも尊い勇気

2006年01月31日 14時02分49秒 | Weblog
 なんとも痛ましい事故でしたが、JR新大久保駅でホームから転落した男性を助けようとして死亡した、韓国人留学生の李秀賢さんと横浜市のカメラマンの方がおりました。 

 ご両親や残されたご家族の気持ちを思うと、言葉にできません。 
 ご両人のご冥福をお祈り申し上げます。

 逆に僕が他国に留学していたとしたら、同じことができたでしょうか?

 李さんの勇気を心から賞賛し、その人格を尊敬し、また李さんをお育てになられたご両親に深い哀悼の念と、心よりの御礼を申し上げたいと思います。


 最近(5年も前ですが)、こんなに尊いニュースがあったでしょうか? 

 どうして日本のマスコミはもっと特集しないのかな。

 「引越し、引越し!」と騒ぐおばさんよりも、よっぽど興味あります。

 ご両親がご子息をどのようにご教育・しつけされたのか、ご子息は普段どういう性格の方だったのか?

 警視庁や消防庁、政府から色々な感謝状や叙勲が行われたようですが、その模様を見たかったと思います。 

 総理が日本国民を代表して韓国に出向かれていって、ご両親に直接御礼を申し上げるべきであったのではないでしょうか?

 僕たちももっと日本人として、僕たちの同胞のために命を投げ出してくれたことに対して、きちんと御礼を言うべきだと思うのですが。 

 みなさんもきっとそう思ってらっしゃいますよね。

 二国間にはさまざまな問題がありますが、一般市民レベルではこの事故が両者のわだかまりを大きく溶かしてくれた、と感じるのは僕だけじゃないと思います。 

 今年の1/26で5年がたちますが、本年日本でしのぶ会が行われ、ちょっと心が温かくなりました。日韓共同作業で映画も作られているようです。

 サッカーワールドカップ仏大会予選のときにも、アウェーの韓国戦でアウェースタンドの「一緒にフランスに行こう」という横断幕に我が目を疑い、じーんと感動したのは僕だけではないでしょう。 

 お互いに少しずつ譲り合って、歩み寄れば気持ちは通じ合えるはずですよね。そもそも双子の国ですから。



 他にも電車に乗り間違えた受験生のために、乗客のみなさんや運転手や鉄道会社が機転を利かせて、受験生が受験に間に合うようにみんなが協力して助けてあげた心温まる話。 

 鉄道会社でも、悪いときばかりではなく、いい部分をもっともっと取り上げて欲しい。

 さらに最近では雪国の雪かきのボランティアに自分の休みをなげうって、一人暮らしの困っているお年寄りのために駆けつけている普通の人々。 

 世の中まだまだ捨てたもんじゃありません。 

 心の優しいいい方がたくさんいらっしゃいます。 

 そういう話を聞くだけで、ほっとして心が休まり、暖かい気持ちになれます。

 そういう純粋で「美しい」感動する話や人物を、マスコミにもっともっと取り上げて欲しいとは思いませんか? 

 人々の「義理人情」や「愛」や「慈しみ」が、経済や殺人のニュースに先んじてはまずいのでしょうか? 

 結局インパクトは「カネ」「エロ」「グロ」「バイオレンス」なんでしょうかねえ。 

 これじゃあタランティーノの「ナチュラル ボーン キラーズ」になっちゃうよ。

欧州製手術道具の美

2006年01月30日 11時17分45秒 | Weblog
 日本製手術道具は優秀です。 

 ところがもっと優秀だと思うのが、スイスやドイツ製の機器です。(もちろん物にもよりますが
 
 手術をするときに、縫合するための糸のついた針を持つ機械を「持針器」と言います。

 医師の中でもこの「じしんき」を間違えて、「じゅしんき」と呼ぶ人がいますが、僕はあえて指摘するのもおとなげないので、一人で「トランシーバーじゃないんだから」と突っ込んでおります。 

 それは置いておいて、僕たち形成外科医は骨や筋肉などの組織を離れた場所に移植をする際に、その組織の血行を確保するために、顕微鏡を覗きながら、直径が1-2mmの血管(動脈と静脈の2本)を8-12針くらい縫い合わせて、そこを血液が漏れなく流れるようにする、という難易度ウルトラC の手術があります。

 この手術法は日本人医師の開発です。

 この持針器ですが、日本製のものはチタン製かなにかで軽くて、さらに針を持ったり離したりするときの、じゃきじゃきっていう、止め具があるのですが、そこのばねも軽くて柔らかい。

 軽いと使い易いようでいいんじゃないって思われるかもしれませんが、軽すぎるのは実は不安定で使いづらいこともあるのです。 

 ところが、スイス製のものは、適度に固くて重いのですよ。

 この適度にが絶妙でこれ以上重量が重かったりばねが固いと、なにせ顕微鏡下で息を止めてやる作業ですから、かえって使えない。

 持った感じも実に手にフィットする。

 またそれが操る髪の毛よりも細い糸が付いた米粒よりも小さい針が、その会社のものはとってもしなやかで、切れが良い。 

 下手なうちは曲がりやすく使いづらいのですが、上達してくるとそのしなやかさが実に扱いやすい。

 ピンセットも値段は高いが実にシャープにできております。

 恐るべし、ドイツ由来のマイスター魂。

 そういう機械を手にすると、これがまた実に「美しい」形をしているものです。 
 
 まさに「機能美」です。

 実験の合間などに、一人深夜の実験室で手にとって、蛍光灯の下にかざしたりして、いろんな角度から見上げてニヤニヤしたりしていたわけです。

 以前研修医時代、まわった消化器外科の先輩には、開口一番、「ミズさんはどのはさみが一番美しいと思いますか?」って聞かれました。

 あーこの人もビョーキだな、と妙に感心してうなずいたものでした。 

 旅客機や新幹線も曲面がかっこいいもんね。 

 こういう感覚は男性特有かなあ。

 蛇足ですが、ドイツ映画の「ブリキの太鼓」(こういう戦争映画もあるんですね・・・ロック的だ)や「ベルリン天使の歌」もなかなか良いです。

 一度ご覧ください。

美学デニーロ・アプローチ

2006年01月28日 21時01分15秒 | Weblog
 アメリカの俳優にロバート=デニーロがいます。 

 どう見てもイタリア系かと思っておりましたが、実はアイルランド系なんですってね(イタリア系説もあり、どっち??)。 

 彼の出演した「レナードの朝」「ミッション」「タクシードライバー」「ゴッドファーザー」「アンタッチャブル」・・・

 文句のつけようがなく、まぎれもない世界一の俳優ですね。 

 特に「ディア ハンター」は大好き。 

 アメリカの作る戦争映画は(コッポラの「地獄の黙示録」やローランド=ジョフィの「キリング フィールド」という例外はありますが)キリスト教の影響からか、善か悪かの二者択一か勧善懲悪ものが多いのですが、この映画ではベトナム戦争の悲惨さと狂気をちょっと違う視点から深く深く掘り下げたものです。
 
 ところでデニーロ・アプローチってみなさんご存知ですか?

 デニーロは役作りのため、年齢よりも老けて見せさせるには自分の前髪を抜いておでこを広くしたり、体重を増やしたり、実際にタクシードライバーを数週間も勤めたりして役作りに努めるものです。 

 現在の日本人の俳優でここまでプロ意識を持った方がいるでしょうか?

 また、彼の「エンゼルハート」や「ケープフィア」での悪役ぶりがまたすさまじい。

 寒気がしました。 

 僕は俳優の演技力を見るときに、いかに悪役や変態や狂人、うだつの上がらない役を演じきれるか、をひとつの物差しにしております。 

 だってかっこいい主役なら、ある程度誰がやったってかっこいいものです、ストーリー上。

 悪役をいかに残忍に、心理的に怖く演じれるか?

 変態をより変態にいっちゃえるか?

 かっこ悪い役をいかにかっこ悪く見せられるか?

 これは演技力が問われるかと思うのです。 
 
 例えば変態を演じたら世界一なのは「ブルーベルベット」でのデニス=ホッパーか、「羊たちの沈黙」でのレクター博士ことアンソニー=ホプキンスでしょう。 

 レクター博士がのどを噛み切るシーン・・・思わず声が漏れてしまいました。 

 鬼気迫るいっちゃった人の目。狂人ぶり。 

 また、ダスティ=ホフマンの「レインマン」での演技。

 日本の俳優の方にも挑んで欲しいなあ・・・あの領域。

 「野獣死すべし」で奥歯を抜いたといわれる松田優作さんを亡くしたのは本当に残念ですね。 

 話はそれますが、ちょっとB級かもしれないんですけれど、「竜二」というやくざ映画、好きなんですよねえ。 

 主演の金子正次さんが命を懸けて撮った映画だからでしょうか?

テレビ番組の美意識

2006年01月27日 10時04分56秒 | Weblog
 テレビ局は電波法により許認可制ですよね。

 近年、地上波デジタルが導入されることが、法律で決まったようですが、法律で決める必要があるのでしょうか?なにやらきな臭いぞ。

 ホリエモンのテレビ局買収騒ぎの際(ちょうど法案通過の時期)、自民党と民主党の反応のあまりの温度差も怪しい・・・ 

 そして彼の立候補とあんなに怒っていた政治家による選挙支援。。

 におうぞ、におうぞ。 

 地上波デジタルは双方向といいますが、PCではなぜいけないのでしょうか? 

 こちらの方が有線だから電波ではないので受信状態に左右されず、かえって安定しているのではないのでしょうか?

 しかも双方向だし、デジタルだし。

 ラジオだってそうですよね。

 なぜ政治が介入して無理やり地上波デジタルなんだろう・・?よーく考えてみてみよっと。

 通信と放送の融合の実現を言っていた竹中大臣が、いよいよ通信・放送の在り方に関する懇談会を設置しましたから、本気で聖域に風穴を開ける覚悟なのでしょうか?

 それは置いておいて、僕はほとんどテレビを見ません。理由は簡単。面白くないからです。

 見るのはサンデープロジェクトとスポーツ中継、ニュース、たまに「世界の車窓から」くらいです。

 どの放送もお笑いばかり。

 似たような番組ばかりで、僕にはちっとも面白くありません。

 同じお笑いにしても、ドリフやひょうきん族のようなプロ根性というか芸人魂が感じられません。

 大体始まりの時間が中途半端でよく分からないし、どれがCMか予告か本編なのかも分からないし、さっき見たシーンがCM後も延々繰り返されたり、いらいらするだけで逆効果。 

 ドラマにしてもしかり。

 俳優の個性で1時間を見せてしまう力があるのは、田村正和さんくらいではないでしょうか?

 「ムー」という郷ひろみさん主演のドラマがありましたが、これは生ドラマをやってみたり、オール中国語でやってみたり、ドラマの中で視聴者の意見を読んでみたり、実験的テーマにあふれており、製作者や出演者のプロ魂を見せてくれました。 

 また伝説の「傷だらけの天使」では、ひたすらショーケンが個性的でかっこよくて、絶対的存在感がありました。 

 ああいう番組は作れないのでしょうか?

 お笑いだけではなく、世界の美術とか、他国のすぐれた番組とか、スクープとか・・・大人がまともに見れる番組はダメなのでしょうか?

 やっぱりNHKは必要だと思うのです(「おかあさんといっしょ」もないと困るし)。

 それとも僕たち日本人みんなが子供になっちゃったのかな? 

 サンプロにしたってその他だって、「ほりえもん」を出演させて利用した番組はどうなっちゃったの?

 田原さん、利用しておいていきなり呼び捨てはいかがなものでしょうか?

 国交省の大物の幕引きでしょうか?

 先日もたけしさんの番組で、せっかくグラハム=ハンコックが出演したのに、結局程度の幼稚な宇宙人なんか出して、お笑いにしたもんだから、彼は日本なんかに来るんじゃなかったと露骨に不快な表情でした。

 彼の夢物語を否定するにしても、相手が真剣に語ろうとしているのだから、まじめに議論するのが大人のマナーじゃないのでしょうか?

 作り方があまりにイージーで取材も適当だし、卑屈に見えてしまい、日本人として恥ずかしく感じ、彼にお詫びをしたくなりました。 

 同じたけしさんでも「ダヴィンチコード」に便乗した「モナリザ」と「マグダラのマリア」は精力的な取材で誠実さを感じましたが。
 
 テレビスタッフの「美意識」が問われてくるのではないでしょうか 

 いざ乗っ取られようとされると「公共性」という言葉を使うのはいかがなものでしょうか? 

 僕たち庶民は誰かさんが言うほど馬鹿じゃありませんよ。 


 まさか許認可制であるがため、報道の自由度も許認可をもらっているのではないでしょうね?

ストーンズ流の美学

2006年01月26日 20時01分11秒 | Weblog
 以前世界中のロックアーティストが集まって、戦争反対!という会合を開いておりました。 

 普段社会に反逆している不良のロックアーティストが、革ジャンにシルバーのアクセサリーをじゃらじゃらさせているくせに、いきなり優等生になって「平和を」と歌っても説得力に欠けるなあ・・と思っていたところ、ストーンズの出してきたメッセージは強烈でした。 

 彼らは全員黒のロングコートで、俺たちは武器屋だと。 

 金のためなら人殺しの道具を売りさばいてやるぜ。 

 というような歌を歌っていました。

 この感性が素晴しく「カッコイイ」。 

 まさにストーンズの「美学」を貫いておりました。

 こういうところはほんと憎い、というかほんとカッコイイんだよな・・・イギリス人のあの不良中年オヤジ達は。 

 自分たちはあくまで悪に徹して、逆に正義を強調するという手法、参りました、一流です。 

 さすがは日本が誇る頭脳、あの中沢新一(「チベットのモーツァルト」の著者)をして、「20世紀最大の文化人はローリング=ストーンズだ」という社説を、メジャー新聞に載せしめただけあります。 

 もちろん戦争は無い方がいいに決まってます。 

 しかし、もしも万が一家族を目の前で惨殺されたら、僕は銃を選んでしまうと思うのです。 

 どっちがいいとか悪いとか、当事者はそんな簡単な問題ではないのではないでしょうか? 

 第三者が反対したからといって、聞ける問題ではないでしょう。
 
 日本からは遠いエルサレムに平和が訪れない限り、世界に平和は来ないのではないでしょうか?(もっともっとイスラエルとパレスチナに興味を持ちましょう!)

 そして世界中の子供たちが、しっかりと教育を受けて、憎しみの連鎖を少しでも和らげ、貧困の格差をなくさない限り。
 
 それよりも、兵器を売るために戦争を道具化している死の商人、国家戦略の名の下に個人の利益を誘導しようとしているだけのstupidな指導者たち、彼らを見張りましょう。 

 骨のあるジャーナリストよ、そういうスキャンダルをすっぱ抜いてくり!!

耐震偽装に思うプロの美意識

2006年01月25日 19時42分00秒 | Weblog
 最近テレビをにぎわせているこのニュース。

 心の貧しい人は、お金を持っていても、人相や振る舞いにでるものですね。

 エイブラハム=リンカーンはかつて、「男は40過ぎたら、自分の顔に責任を持て」 と言いましたが、名言です。

 心は本当に顔に反映されるものです。

 朗らかな人は顔も柔和で笑みをたたえ、誠実な方は受け答えも誠実だし、覇気のない人は顔もよどんでいるものです。

 僕も気をつけなければ。

 しかしこの事件は良く考えると、現代に生きる僕たち全員にはびこっている病巣の一部ではないでしょうか? 

 彼らは実は僕らの一部であり、お金のためならやってしまう、ばれなければいいだろう・・・そういう歪んだ価値観の顕在ではないでしょうか。 
 経済効率ばかりを求めるがあまりに、迷い込んでしまう袋小路。

 実はどの業界にもことの重大性の大小はあっても、また日本に限らずどの国にもはびこっているのではないでしょうか。

 もちろん踏み越えてはいけないところを越えてしまったので、決して許される行為ではないですが。

 「経済至上主義」、「お金至上主義」、本当はもっと大事にしなければならないものがあるはずですよね。 

 「人に喜んでもらえる行為」、「社会に貢献すること」、これらが「お金」より大切なことではないでしょうか?

 「経営は慈善事業じゃない」、「会社である以上は儲けなきゃダメだ」、「勝たなきゃ意味がない」、理屈は一理あるかもしれませんが、僕には馴染めません。 

 優先順位を履き違えてはいないのでしょうか?

 僕ももう一度胸に手を当てて、よく考えてみよう。

 プロとして、どこに出しても恥ずかしくない仕事をきっちりやって、額に汗をしっかりかいて、それに伴ってあとづけで社会に評価をしていただく。

 最初から利益だけを求めない。

 恋愛と一緒ですよね。 

 手を抜いてしまった場合、たとえ他の人はだませることが仮にあったとしても、でも自分だけは絶対にごまかせませんものね。

 僕も反面教師として戒めようと思います。


 論法としては前半とは逆説的になるかもしれませんが(結論は一緒ですけれども)、医者になった当時、先輩から言われました。

 「プロを目指せ。プロとアマチュアの違いは何か?プロはお金を取るんだ。」と。 

 今でも忘れることはできません。

 アマチュアである学生時代は遅刻しても、落第しても、ある程度笑い話で済ませられます。

 でもプロは遅刻はできません。

 例えばきっと、イチローは打てない理由を監督やコーチのせいにはしないでしょう。

 もちろん、チームが弱いからだ、なんて責任転嫁もできないでしょう。

 つまり、ふがいない自分を上司や会社のせいにはできないのです。

 試合に遅刻はしないでしょう。

 また風邪を引いても打てない理由にはしないでしょう。 

 ましてや二日酔いのせいにもしないはずです。

 当然、練習という努力を怠らないはずです。

 4打席中、手を抜く行為もせずに、全力で集中した結果があの成績なのだと思います。

 成績を出せなければ、減棒・引退が待っているだけです。


 僕は人一倍未熟な人間なので、せめてプロの医師として、心構えだけでもイチローに負けないようにしたいと思います。 

 書いてしまえば自分に言い訳ができなくなるので。

 でもあまりに未熟だからなあ・・

忌野清志郎の美しさ

2006年01月24日 16時02分33秒 | Weblog
 僕のお気に入りに忌野清志郎という人がいます。元RCサクセションのボーカルです。

 この人の「美しさ」は、第一に物事の真実を見抜く目と知性と感性の素晴しいところ、それと何といっても歌がうますぎるところ、かつ個性的なところです。 

 また言動がぶれないところも凄い。

 大衆に迎合して売れそうな路線に自分を合わせるのではなく、自分のスタイルや主張したいことをずっと変えておりません。

 そのためにとっても「カッコイイ」。

 日本人では一番カッコイイのではないでしょうか。

 ミュージシャンは芸術家であるから、凡人ではいけません。

 詩人でなければいけません。

 ロックはNo!と言い続けなければなりません。

 すべて合格です。 

 そしてロックは所詮大人になれない子供の音楽です。

 清志郎は自分の仕事を「子供だましのモンキービジネス」だとコンサートの最初に歌ってしまいます。 

 「まともなヤツは俺しかいねえ」と。

 痛快な話です。 

 ファンを突き放す距離感が気持ちいい。

 日本のミュージシャンにありがちですが、僕はコンサートなどでミュージシャンから手拍子を強要され、みんなで同じしぐさをしたり、仲良く手拍子をするのが大嫌いです。

 お遊戯会じゃあるまいし。

 ましてや隣の人と手をつないでなど言語道断。

 またミュージシャンに「夢を失うな」だの、「頑張れ」などと歌で説教されるのはもっといやです。

 余計なお世話ですよね。 

 あなたは表現してくれ、その感性に共感や感動をするかしないかは僕が自分で判断させてくれ、お互い大人なのだから。

 ここで泣いてください、驚いてください、笑ってください、ではディズニーランドかハリウッド映画で、あの国のメンタリティです。

 また、恋愛ソングにしても「君と出会うために生まれてきた」とか「君こそが人生のすべてだ」とか、大仰過ぎるのは真実味がまったくありません。 

 人生に大切なものは恋愛だけではあるまい。

 清志郎は、「一番大切なものは自分なの、二番目は勉強で、三番目があなたなのお」 と歌っていました。

 たい~へん共感しますが、これではしかし売れはしません。

 なにせ世間が四畳半フォークだとかいって、不潔な長髪で銭湯の歌なんかをもてはやしていたころに、かの清志郎は髪をつんつん立てて化粧をして、変なひげ生やして、真っ赤なスーツにファー巻いて腰を振りながら「バッテリーはビンビンだぜえっ」って歌を歌っていたんですから。

 近年、やっと時代がついてきました。

 また、「ただ僕を分かっていてくれればいい、コーヒーを僕に入れてくれ」みたいなラブソングを歌ってました。

 最高のラブソングだ。 

 そして「君は嘘つきだから甘いメロディを知ってる」とも。

 実に素晴しい。

 「俺はよそものだからそんなに親切にしてくれなくていいんだぜ」と。

 その疎外感、孤独感が好きです。

 そしてロックで忘れてはいけない、反逆の心、彼だけでしょう、タブーを恐れず原発、オウム、君が代、阪神淡路大震災と、絶対触れちゃいけないテーマなど、世間を震撼させた出来事にきちんと対峙して歌うのは。 

 先日もあるコンサートで微妙な時期だから「ロック君が代」をやるな、と主催者側に依頼されており、リハーサルではおとなしくしていたようですが、本番ではやっぱり思いっきりやってしまい、その後のコメント。

 「だったら俺に出演させるな」。

 ごもっとも。ロックミュージシャンのかがみだ。

 だから今でも日比谷の野音のチケットは僕たちマニアにとって超激戦なのです。

 ダフ屋のおじさんもびっくりしてました。

 RC復活時が20万円に跳ね上がっていました。

 でもね、清志郎にはやっぱりチャボがお似合いです。 

 また一緒にやってくださいよ。

 それから最近は歌を安売りしすぎています。せっかくの才能なのですから、昔のように1曲1曲に魂をこめてください。

スポーツ観戦で感じる美

2006年01月22日 16時12分17秒 | Weblog
 スポーツもまた、人に大きな感動を与えますよね。なぜなんでしょうか? 

 日ハムファンの僕が、近年のロッテファンを見て胸を打たれ、「美しい」なと思ってしまいます。 

 昨年のロッテの優勝は、ボビー=バレンタイン監督と選手の活躍はもちろんですが、ファンのみなさんがもたらしたものだと思います。

 例え雨に打たれても、必死になって選手を応援してますもんね。

 心から祝福します。

 それとロッテの場合、他の球団とは違って、球団職員の方がファンに誠意を持って応えた結果だと思います。 



 浦和レッズに惹かれたのも、もともとは福田選手がいたからですが、それに加えてサポーターの姿に感動したからってのも大きいです。

 スタジアムに行ったら感動しますもん。

 5万人以上、真っ赤になるんですよ。



 今までに一番感動したスポーツ中継、これは女子テニスでの伊達対グラフの決戦でした。 

 これは本当に名勝負でした。 

 僕は高校時代と大学途中まで(途中からヨット部に移りました)、硬式テニス部だったせいもあってか、興奮しすぎて鼻血が出そうになりました。 
 96年のフェドカップ日本対ドイツでしたかね。

 当時のグラフと言えば、女王中の女王。

 それを倒したのですから、好不調の波は大きいが伊達公子さんはやっぱりすごかったですね。

 あの松岡修造さんが一般の観衆に混じり、スタンドで日本の国旗を振り回して走り回って応援してましたもんね。 

 途中で足をつった伊達さんがまた痛々しくて。

 凛とした「美しさ」を感じました。



 それから去年の女子ゴルフのワールドカップ。 

 優勝ですよ、優勝。

 ワールドカップで。

 サッカーだったらどうです?考えられませんよね。 

 今年は苦戦していますが。藍ちゃんがすごいのは誰もが認めるところ。

 でも僕が強く感動したのは相棒の北田瑠衣さんでした。 

 パットの名手なのにパットを外しまくり、藍ちゃんの足を思いっきり引っ張ってしまいました。

 不調なのですからいかんともしがたい。

 逃げ出したかったそうです。

 日本にも帰れない、と本当に思ったそうです。

 もう半泣きです。

 ところが17番でしたっけ、起死回生の超ロングパットがなんと決まってバーディ!

 そのときの北田選手の半べそ+笑顔、忘れられません・・・

 あんな美しい笑顔は。 

 それまでの調子では入る余地が微塵にもなかったのに・・・

 勝利の女神が微笑んだ瞬間、というのはああいうシーンを指すのでしょう。 

 中継を見ていてとっても良かった。



 最もショックだったのは、やはりなんと言ってもドーハの悲劇でしょうね。 

 あのイラクの同点ゴールが入った瞬間、真夜中なのに日本の国土が1cm沈みましたものね。 

 逆に岡野の決めた1発は会心でしたね。



 野球でしたら僕は1988年の近鉄対ロッテ戦のダブルヘッダーをあげます。 

 西武に逆転優勝するには残されたこの2試合に連勝しかない近鉄が、若干2年目のエース、細身の阿波野の連投。

 やはり名将仰木監督の采配です。

 第一試合は激戦の末、4-3で近鉄が何とか勝利。

 続く第二試合、細身の彼が連投にもかかわらず、若い闘志をみなぎらせ、腕も引きちぎれんばかりの熱投を見せますが、あと一歩、いや半歩及ばず力及ばず涙しました。 

 ロッテはもう優勝に関係ないんだからやめなさいって、みんな思ったと思いますが、そこはプロの意地。

 見ていて迫力がありました。下記を参照してください。

http://number.goo.ne.jp/baseball/npb/626/20050428-f3-1.html



 また、日ハムファンの僕には、阿波野とわが日ハムが誇った西崎の新人からのライバル対決がとっても面白かった。 

 宿敵も大切な要素ですね。こちらも下記をご参照に。

http://www.hawksnavi.com/pacific/mankistu/vs_1.htm



 やっぱりがちんこの本気勝負だから燃えるのでしょうか?またその戦いはライブで、1回限りですから、そのはかなさが花火のように「美しい」のでしょうか? 

 1月から3月はスポーツ中継が少ないのでさびしくなりますね。

「間」(ま)の持つ美しさ

2006年01月20日 18時43分48秒 | Weblog
 間(ま)について思うことが良くあります。 

 間が抜けたとか、間に合ったとか、間が悪いだとか、間延びしているだの、あるいは剣道の相手との間合い、相撲の立会いの際の両こぶしが一瞬地面に触れるか触れないかの間、歌舞伎で見得を切ったときの間・・僕たち東洋人ほど「間」を大切にする人種はいないのではないでしょうか?

 間とは、拍子の間、何もない空間ですよね。

 日本には空(くう)の思想を根本におく大乗仏教の影響があります。

 ちなみに東アジアに伝播した大乗仏教は新興宗教、南アジアに伝わった元来伝統的な小乗仏教は小乗というと怒るそうです。

 般若心経(パンニャー=智慧)の有名な「色即是空」「空即是色」というように、万物は変化し、因と縁によるものであるから固定的な実態があるわけではなく空だ、しかし虚無ではない、この世の現象の姿が空である、ということが大脳に沁みこんでいるのでしょうか?

 「変化」という事象から、西洋のアウグスチヌスは「時間」という概念に向かい、時間を神が作りたもうたとしておりますが、仏教ではそこから「空」に向かいました。

 竜樹(ナーガルジュナ)恐るべし!

 例えば、キースリチャード、ローリングストーンズのギタリストですが、彼の「間」は素晴しい・・イギリス人ですが、これはもう悟りの境地です。 

 「start me up」でのイントロの空。

 絶妙すぎます。ためてためて・・・うっ悶絶。 

 「honky tonk women」でのルーズさ。解脱してますな。


 他にギタリスト布袋さんのカットするリズム。

 ここにもセンスの良い「間」を感じます。

 センスの悪いヘビメタの早弾きでは音符が詰まりすぎて美しくないんですよねえ。


 元ロキシーミュージックのブライアン=フェリーの美しい名曲「slave to love」や「more than this」での歌っているんだかいないんだかわからない、「間」。

 ダウンタウンの松本さんの、受け答えの「間」。あの時間にしてコンマ何秒かの「間」が笑いを爆発させます。


 みなさん「間」を感じて、「間」をつめすぎずに、ちょっとだけ日常にゆとりを持ってみませんか?

幼き美しい心に涙した日

2006年01月19日 19時20分05秒 | Weblog
 3日前このブログに「ほりえもんさん!」と書いたらライブドアがこの騒ぎだ・・・

 これは書くかどうか迷ったのですが。話題が重いし・・長くなるし・・それに実際にこの番組を見ていない方にうまく伝える自信がないからです。
 
 偶然NHKのBS放送で『アジアに生きる子供たち「お母さんに会いたい ~フィリピン・ムスリムの兄と妹~」』という番組を見ました。

 この番組を見て恥ずかしいことに、溢れる涙の止め方が分かりませんでした。

 同じ人間に生まれて、こんな不条理が許されるのでしょうか?

 焦点はイスラム教徒とクリスチャンの対立でしたが、それ以上にせつなかったのは貧困です。


 
 ~お兄ちゃんのノラルディン君はたったの10歳、妹は8歳。

 まだまだあどけない2人が(なんと)家に仕送りをするために、親元から離れ遠く離れた親戚に身を寄せております。

 二人は市場で買い物客にビニール袋を売って家族の生活を支えているのです。

 そんなことをさせなくてはならないゆがんだ社会が現実としてあるのです。

 その上さらに幼い兄妹はムスリムであることで差別をされます。

 ノラルディン君は差別と、お金をもっと稼ぐためとの理由から自分は学校を辞めてしまいました。

 それでも妹だけには学校へ行かせたくて、毎日食べるのも食べていないのに、さらに自分の食べ物や必要なものまで我慢して健気に妹の学費までを稼ぐ10歳の兄。

 自分の靴や食費を削っているんです、まだ10歳の子供が。

 しかし待っていたのは妹への差別でした。


 
 ある日お母さんから入院してお金が足りないと手紙をもらい、叔父さんに船賃を貸してくれと相談しましたが断られてしまいました。

 ノラルディン君はさらに仕事を増やして、なんとか、どうにか、やっとの思いで船賃をかせいで2年ぶりに帰郷しました。

 こんな幼い兄妹が2年も家族と離れ離れなのです。

 やっと帰郷できることに2人はもう、うれしくてうれしくて帰る道中から涙が止まりません。僕の涙も止まりません。
 

 家に帰るとお母さんは手術後の傷が膿んでしまい、でもお金がないので抗生物質も入手できず苦しんでいました。

 それでもお母さんから「一緒に暮らそう」と言われ、無邪気にそしてやっと子供らしい笑顔でお母さんに甘える幸せそうな幼い2人。
 

 しかし、せっかくの親子だんらんでしたが、そんな小さな小さな幸せさえもつかの間でした。

 金貸しがさらにお金を返せ!と母親に迫ります。
 

 事情を察したノラルディン君は、また戻って働くことを決意したのです。

 10歳の子供がですよ。

 妹はまだ8歳ですから、せっかく会えた母親の元を去りたくなくて、母親に必死にしがみついて泣きじゃくります。

 ノラルディン君は気丈にも、だけれども自分だって泣きながら「泣かないで。行くよ。」と声をかけ、手を引っ張っていきます。

 自分だって悲しくて泣いているのに。バスに乗り込んだとたんに、今までなんとか我慢していたお兄ちゃんも、さびしくて悲しくって、こらえきれずに泣いて泣いて泣きじゃくります。

 だってまだたったの10歳ですよ。

 最後は船の上で「お母さん、まだ泣いてるかな・・」とそれでも大人を気遣って心配する幼い2人・・・~

 
 
 いかん、書いているだけで僕の涙腺がまた緩んできた・・・。 

 最初から最後まで涙が止まりませんでした。 

 こんなに心が悲鳴を上げ、こんなに泣いたのは久しぶりだ。 
 
 この番組はぜひ日本の国民全員に見ていただきたいと思います。

 こんないい番組がなぜBSなんだ?

 制作会社はすごすぎるぞ。

 NHKにもメールを投書したのですが、何とかNHK総合で再放送してもらえないものかなあ(したのかな?)。

 こういう番組はやはり民放では無理かもしれませんね。

 NHKは必要だと思います。



 文科大臣も文部省の官僚の方々もぜひ全員がご覧になって学校教育に使っていただき、子供たちにも見てもらいたいと思います。

 民放でも放映権をお借りして、ゴールデンタイムに放送していただきたい。

 くだらないお笑い番組よりよっぽど視聴率取れますよ。

 これを見て何も感じない人はどんなに悪い人でもいないと思います。

 そう信じたいです。



 僕たち日本人は大人も子供もこれでいいのでしょうか?

 日本にも問題はたくさんありますが、人間として、同じアジアの一員として、何とか彼らの力になれないのでしょうか?

 僕たちの閉塞感の原因はこういうところにも一因があるのではないでしょうか?

 個人は自分だけの幸せやお金を追い求め、各国はそれぞれの国益、国益と自分の主張ばかりを優先し、結局しわ寄せは弱い国へ、そして一番無垢な弱者へと収斂します。

 あんなに必死で生きている正直者が馬鹿を見てしまう現代。

 日本は豊かになったのだから、国内の道路よりも、郵政よりも、消費税よりも、僕はちょっとの間我慢しますから、こっちを優先させてもらえないでしょうか?

 おかしいでしょ、だって、10歳と8歳が出稼ぎなんて、そもそも。

 子供たちに罪はないはずでしょ?

 フィリピンの大人たちはいったい何をしているんだ?って言ってもマネーゲームの現代、それが現実なんですよね。

 彼らを援助すべきではない、現実を受け入れ自分で何とかすべきだ、という意見があればそれにも一理はありますが、平和にとって大切なのは地球上のすべての子供たちの教育でしょ? 

 地球上すべての子供に生きる権利と教育を受ける権利はないのですか?

 こんな貧困や悲しいことが放置される地球があってもいいのですか?

 ODAはどうなっているんですか?ユニセフは?国連は?


 外務省の方々も全員ご覧になってください。

 サンデープロジェクトの田原さん、どんな手段を使ってでもいいから、ぜひ番組でこれについて討論してください。

 小泉総理も武部さんも安倍さんも前原さんもぜひご覧になってください。

 刺客を放つよりよっぽど人間として何とかしなきゃ、とお思いになられるはずです。

 テリーさんも、タモリさんも、たけしさんも、ダウンタウンも、ボノもビル=ゲイツも、すべてのアメリカ人も、他の先進国の人々も、他にも経団連のお偉いさん方、それから社会的影響力の強い誰か熱い心を持った真摯な方、そうだ松岡修造さんもぜひ見てください。
 
 幸いなことに僕と同じ意見の人も下記のようにたくさんいるようです。みんなで何とかしましょうよ。日本人全体で考えましょうよ。

http://www.sakura-kai.com/mt/mt4i.cgi?id=1&mode=individual&no=4&eid=38
http://blog.alc.co.jp/d/2000520?theme=221
http://www.tabi-suru.org/kyou050103.htm
http://2ch.dumper.jp/0005343550/
http://www.nhk.or.jp/awards/award/050925.html

生命の美しさ

2006年01月18日 17時27分14秒 | Weblog
 僕はこういう仕事をしておりますので、生命に対峙する機会があります。

 医学は進歩を遂げ、DNAや遺伝子であるとか、体外受精やクローン技術、臓器移植、テロメア・アポトーシスや細胞寿命、シグナルたんぱくの発見によってわずかながら薬剤のデリバリーのメカニズム、ミトコンドリアを介した電子のやりとりでエネルギーを産生していることがわかってきました。 

 でも、まだまだ分かっていないことも多く、例えば「意識」がどこにあるか、「記憶」のメカニズム、細胞間の「情報」のやりとりなどまだまだ解き明かされていないものがたくさんあります。

 小説、藤崎慎吾の「ハイドゥナン」では鉱物や微生物にも記憶と情報のやり取りがあるという前提だったり、夢野久作のカルト奇作、かの「ドグラマグラ」では確か細胞ひとつひとつ、ミトコンドリアに意識があるという話だったと思います。 

 特に「ハイドゥナン」は、日本人の文壇では珍しく、科学的で大胆な仮説をもとに展開されていきます(ナナさん、「ニライカナイ」がでてきますよ)。

 小松左京以来かな。



 医学はまだまだこれからです。 

 特に日本ではエビデンスのない治療や薬剤が多すぎます。 

 やっと黎明を迎えたと言ってもいいと思います。



 僕は生命が「生きようとする力」、これは「本能」という言葉で説明されることが多いのですが、この力に畏敬の念を感じずにはいられません。

 どんな単細胞の生物でもおよそ生きとし生けるものに共通するこの力にプラスして、さらには意識の彼方にある、見えざるがしかし確固たる力、先祖代々脈々と続く「愛」や「慈しもう」とする意思、「正しく」生きようとする力、そこに神秘的な力を感じるのです。

 
 どうして生命はそこまで種を保存しようとしたがるのでしょうか。(それが淘汰だよ、なんて夢のない話は言わないでね

 その見えざる生命の生きようとする「本能」としての力、

 「正しく」生きようとする「意思」の力、

 に感動し、「美しさ」を感じ、その2つの力にひょっとしたら「神」の介在する余地があるのかな・・・ 


 なんて形而上学的な空想をして楽しんだりしてます。

美しき孤高なデビッド=ボウイ

2006年01月17日 14時17分25秒 | Weblog
 僕がもっとも傾倒した人物です。 

 イギリス人。彼には「妖艶」という形容詞がぴったり。 

 妖しすぎ 

 ジャンルで言えば、グラムロック。

 でも意外ですが、聴けば分かりますけれど、誰よりもロックンローラーかも。 

 今でこそオジサンになってしまいましたが、若き日の彼の「キレ」には舌を巻くばかり。 

 その「狂気」と「テンション」と「美しさ」・・・

 しかも外貌だけではなく、ひたすら孤高のミュージシャンとしてロック界の先頭を走り続け、時代とファンの期待を変化や進化という形で常に裏切り続けました。 

 これまた困難至極ですよね。

 変わり続ける宿命ですよ。 

 売れたら普通現状維持じゃないですか?

 それに加えて、時代が後から彼の背中を追い続けるという宿命を、たった一人で背負ってしまった男。美しすぎる・・・


 何なんでしょうかね、あの緊張感は。

 ピーンと張った糸が切れたら、どっかに飛んでいってしまう凧のような。 

 僕も高校生のときに実際に彼の曲を聴くまでは、ミーハーな印象だったのですが、聴いてびっくりですよ。 

 世界で最もカッコイイじゃありませんか。 



 「The man who sold the world」や「僕はDJ」などをぜひ聴いてください。

 凄まじい「美しさ」と「狂気」に満ち溢れかえっております。

 バイセクシャルだなんてどうってことなくなっちゃいますよね。



 また彼のすごさは、カバーが原曲を超えてしまうところ。

 ストーンズの「Let spend the night together」ではストーンズよりも緊張感があります。

 彼くらいじゃないでしょうか、ストーンズを超えられるのは。

 個性強いですからね、ミックもキースも。 

 またレノンの「Across the universe」では、なんとカバーのくせにレノンをバックボーカルに起用しているのですから・・・

 でも美しき孤高のボウイが嫉妬した男がいるんですよね。

 その名はイギーポップ。 

 彼に関してはまたいずれ機会があれば。

東洋の美意識

2006年01月16日 14時38分58秒 | Weblog
 みなさん、東洋の美意識を意識したことがありますか?

 昨今、西洋の価値観ばかりが目につきますが、僕たちはアジア人ですよね。 


 聖書は創世記から始まり、終末記で終わる、言ってみれば「直線」的な文化だとよく言われます。 

 さらに神を頂点に人間、その下に動物、自然という「生命のピラミッド」があります。

 また砂漠の民やヴァイキングの「略奪」の文化が現在でも見て取れます。



 一方、東洋の価値観はどうでしょうか?

 西洋の直線に対し、東洋は輪廻という「円」の文化ですよね。

 さらに、こと日本では和をもって尊しとし、奴隷のいない、森の文化、「調和と共生」の文化です。 



 西洋の絶対神に対しては東洋の多神教。

 そして天才、兼好法師の「定めなきこそいみじけれ」という哲学と覚悟。 

 西洋の「絶対」なもの(神)への畏敬に対し、東洋の「不確定」なものに対するもののあわれ感。

 東洋では言ってみれば、自然、神、人間がそれぞれ輪を描いていて、それぞれ内包しあっているというか・・・自然を征服するよりも、僕たちは拝んであがめる文化。



 そして僕たちは「略奪」ではなく、「ものづくり」に幸せを見出します。 

 額に汗をかいて、ものをつくり、労働の証として報酬を頂戴し、つつましやかに過ごす日本人を僕は「美しい」と思います。 

 ちょっとくらい貧乏で、でも義理人情を大切にする文化を誇りに思うのです。

 物を奪うのではなくて、作りましょう。



 アメリカの押し付けるグローバルスタンダードなる名の、経済至上主義や拝金主義、略奪のゲームやマネーゲームが果たして東洋に相応しいのでしょうか? 

 それが世界の認めたルールであるならば、受けて立たねばなりませんが。



 トヨタの代表者が、アメリカでの格付けにおいて、日本的な雇用形態であるがゆえに、ランクを下げられたときに記者会見で言っておりました。

 それがトヨタのやり方です。

 従業員は家族です。

 それでわけのわからない格付け屋が、勝手にわが社の格を下げようが、一向に気にしません、と。

 よくぞ言ってくれました。 

 トップにこう言われたら、下は燃えますよね。

 他人を思いやり譲り合えばこそ(『恕する』=じょする)、思いやってもらえるものです。


 ホリエモンさん、こんな考え、遅れてますかねえ??

バブルと美徳

2006年01月15日 16時02分50秒 | Weblog
 経済が上向き加減でほっとしております。 

 でも実はバブルという時代の経験者である僕には、もう二度とバブルはごめんだ、という気持ちもあります。 

 なぜかというと、拝金主義が幅を利かせ、お金を持っていれば偉いんだ、みたいな風潮が起きたからです。

 胡散臭い社長さんがたくさん現れ、札束で他人のほほを叩くような歪んだ社会を感じませんでしたか? 

 何だかみんなで悪乗りしていたというか、おちゃらけちゃってたような。

 商売をしている人まで客をお金で判断して、正常なサービスが提供されなくなっておりました。 

 逆に近年の不景気で、本来のお客様本位という正当なサービスが充足してきたなと思っております。



 人として生きるならば、お金よりもまず《人格》のはずです。 

 その悪しき社会現象が、バブル崩壊後も僕たちに残ってしまったような気がします。

 世の中がごね得というか、言ったもん勝ち、みたいになってはいないでしょうか? 

 他人には厳しく、自分は省みず。

 他人の失敗を「それみたことか」と叩きのめす。知らない間に目じりがつりあがって、眉間にしわを寄せていることが多くなってはいませんか? 

 本来日本人は言わないことを「美徳」とし、それが外国人に理解されませんでした。

 言わなかったために悪いことをする人が育ってしまったことは事実ですから、言わないことがすべて正しいとは申し上げませんが、あえて言わないことには相手を「いたわり」「思いやる」気持ちがあります。 

 人様に迷惑をかけてはいけない、「恥」の文化。

 僕たちの美徳や文化をむりに西洋人に合わせる必要もないと思います。

 人を『恕する』(じょする=ゆるす、思いやる)「美徳」が欠けてきているように感じるのです。 

 思いやりに欠ける行為が日常溢れすぎていて、いやになりませんか?

 自分勝手でわがままで、子供な大人たちが増えているように思いませんか? 

 駐車場で近いからといってハンディキャッップ者用になんのためらいもなく停める健常者。 

 すぐ後ろに自分の車を停めて出られないようにしてさしあげたくなります。 

 車の窓から投げ捨てられるたばこ。 

 落し物ですよ、と窓から投げ返してさしあげたくなります。 


 でもきっと僕も他人が見たら不愉快なことをしでかしているだろうから、思いやりをもって気をつけなければ・・・。

 日本にもお金持ちはいていいと思います。

 外国企業に負けないように。

 そして雇用を拡大して欲しいと思います。

 ですが、お金持ちの人たちはぜひとも品を良くしていただきたいものです。 

 成金趣味のお金持ちは見ていて見苦しいですから。 

 その上で社会貢献や福祉等に、お金持ちなりの社会的責任を果たしてもらいたいものです。

 そう思いませんか?

漫画に学んだ美徳

2006年01月13日 16時40分35秒 | Weblog
 日本を訪れた外国人にとって不思議に見えるのは、日本人の大人が漫画を読む風景だそうです。 

 それは日本には手塚治虫がいたからなんですよ、と説明したいですね。 

 「鉄腕アトム」は単にちっちゃいロボットが悪者をやっつけるだけではなく、機械と人間の心というのがテーマですから。

 それに外国には「ゴーマニズム宣言」のような、特殊な漫画もないでしょう。

 漫画、アニメ、テレビゲームは日本の文化として誇りに感じます。

 僕は少年時代から、毎週少年ジャンプ、サンデー、マガジン、チャンピオン、キングと週間漫画だけでも5冊も読まねばならず、その上学校の図書と忙しい日々でした。その他月刊誌で、小学○年生、科学と学習に冒険王、コロコロコミック、月刊ジャンプと・・・ 

 でも、漫画を通して人生において大切なことをたくさん学びました。 

 また速読も漫画のおかげだし、雑学の基礎にもなっております。
  
 僕のヒーロー像。

 ヒーローは悲しみを背負っていなければいけません、そして徹底して強くなければいけません、だけど心は繊細でちょいもろい部分もあって欲しい、その上ちょっとワルでなければいけません。 


 中でも一番感動したのが、雁屋哲原作、池上遼一画による「男組」 

 これはたまりません。 

 流全次郎はすべて○。

 敵の神竜剛次も、「実は主人公じゃねえか?」ってくらい最高。

 その上、絵も美しい。これも書に近い。


 他には「ワイルド7」(主人公ヒバちゃん=○)、「あしたのジョー」(矢吹 丈=○、ライバルの力石 徹も○)、「サイボーグ009」(島村ジョー=○)、少女マンガでは「エロイカより愛をこめて」などなど。最近では「ギャラリーフェイク」(美術鑑賞の入門編にもいいかも)「北斗の拳」(当然ケンシロウ=○)なども。

 これらを通して、法に書かれてはなくとも、人間として守らなければいけない正義、人として生きる以上優先させるべき事柄、人を思いやる気持ち・・・多感な少年の心に深く刻まれましたよ。

 最近の漫画は絵が下手であったり、ただただ内容の無い暴力ものであったりするものが多い気がします。 

 また絵にも誰の絵かすぐ書き手が分かるくらい漫画家の個性が欲しい。

 ただし「バリバリ伝説」や「がんばれ元気」のように、個性ある下手うまはあり。


 もっともいけてないのはいわゆる「ラブコメ」。

 これは苦手。 

 漫画なんだから、夢があって現実離れしていて欲しいです(「アストロ球団」とかね)。


 妙に現実的にうらぶれたものも、漫画には似つかわしくありません。

 
 そして案外漫画に学んだことも多いのが事実です。

 当時中学生だった僕は恥ずかしながら、ちばあきおさんの「キャプテン」「プレイボール」に純粋に感動し、チームワークや友情、努力の大切さを学びました。

 スポ根は現代の若者には敬遠されるらしいですが僕は大好きです。

 お兄さんのちばてつやさんの「俺は鉄兵」も面白かったなあ・・・。