医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

信仰の美風と遺伝子6

2006年08月22日 13時35分30秒 | Weblog
 現在でも男性幹部しか認めないカトリックは、中世に魔女狩りを行って優秀な女性をも拷問・殺害しました。

 その手引書がダヴィンチ・コードにも出てきた『魔女に与える鉄槌』という書です。

 また古くからグノーシス(=知識)思想という神秘主義があり、それは認識(知識)によって神に至れるという思想でしたが、それがキリスト教的グノーシスを生み、それを異端としてカトリックは他の敵対思想まで次々に排除、排斥、迫害、弾圧、壊滅、火刑、殺害していった歴史を持ちます。

 よく映画や小説などで教皇や枢機卿が「○○君、その発言はグノーシス的で危険な発想だから注意なさい!」みたいな一節を散見しますでしょ。

 改革者マルティン・ルターは、贖宥状(しょくゆうじょう=免罪符)を乱発して献金の名の下に資金稼ぎに走るカトリックに対し疑問を持ち、それが宗教改革、その後のプロテスタントという大きなうねりを呼ぶことになったのです。

 そもそもキリスト教で信者が罪の赦し(ゆるし)を得るには、自己が悔い、告解し、贖う(あがなう=罪を償う)という三段階の必要があります。

 広く用いられる「免罪符」というと罪をまぬかれることになってしまいますが、この場合厳密にはそうではなく、罪をまぬかれることはできないけれども、献金すれば罪の贖い(あがない=つぐない)が軽くなるという趣旨であったため、贖宥符(しょくゆうふ)と呼ぶのが正しいそうです。

 どこかの国の、戒名やお布施の値段ばかりに熱心な宗教も戒めないと抗議者が激増しますぞ・・・!

 さて一方イギリスではピューリタン(清教徒=潔癖な人)といって、イギリス国教会に異を唱えたプロテスタントのグループがあり、その後のイギリスにおけるクロムウェルらの清教徒革命の母体ともなりました。

 またこのピューリタンは英国内の弾圧から逃れるために、メイフラワー号に乗ってアメリカに移住したりもしました。

 イングランド国教会は通常プロテスタントに分類されますが、事情は複雑で、教義的ではなく政治的理由でローマ教皇庁から分離独立し、ピューリタンとも対立しておりました。

 イギリス国教会の首長はイギリス統治者が務めます。

 イギリス国教会から派生した各国の教派を「聖公会」といいます。

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