医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

エッセネ派神殿の美7

2007年05月31日 06時17分28秒 | Weblog
 その瞬間に間一髪で神がアブラハムを止め、神はアブラハムの敬虔さを讃え、アブラハムとその子孫の繁栄を祝福しました。

 その、息子イサクを捧げた台が「聖なる岩」です。

 その後、アブラハム、その子のイサク、さらにその子のヤコブと続きますが、カナンの地はヒクソスに占領されてしまい、そしてさらにヤコブの息子ヨセフの子孫は、エジプトに移住して奴隷となってしまうのです。

 ヒクソスだの、ヒッタイト(ラムセス2世の宿敵)だのややこしい・・。

 阿刀田高(あとうだ たかし)氏に習えば、この旧約の最初の祖先は順番に「アイヤ~ヨ」と覚えるといい・・・

 ちなみに、アブラハムと日本のスサノオの類似点なども指摘されておりますね。

 エジプトで奴隷になったユダヤ人の祖先たちは、紀元前12~15世紀頃に、エジプトから脱出します。

 その頃日本では・・・・これが案外肝要であると思っており、世界史と日本史は別になっているために、遠い国の出来事がピンと来なく、歴史のお勉強がつまらなく感じてしまう。

 日本はその当時縄文時代の終わり頃。

 日本では紀元前5世紀~紀元後3世紀までの約800年間が弥生時代とされ、その後期に邪馬台国があったとされ、その後大和朝廷時代、(古墳時代)、飛鳥奈良時代へとつながりますから、キリストの生まれた頃は弥生時代です。

 そしてユダヤの血を引くモーセがユダヤ人を率いたのですが、脱出の道すがらモーセがシナイ半島のシナイ山で、神ヤーヴェから十戒を授かり、ここで神とユダヤ人との宇宙的な契約が結ばれます。

 それとは別にキリストと新しい契約、つまり新約を交わしたキリスト教徒から見れば、モーセの契約は古い契約なので旧約になるのです。

 ユダヤ人は旧約とは思っていないはずです(きっと)。

 イスラエルの民(ユダヤ人)は、モーセの死後、さまよいながら約束の地カナンに再びたどり着きました。

 その後、約束の地カナンでイスラエルの12部族が興りました。

 ちなみにパレスティナというのは、後のローマ人がユダヤ色を払拭するために、その地をペリシテ人の(カナン人の外敵)という意味から付けられた名称です。

エッセネ派神殿の美6

2007年05月30日 11時38分07秒 | Weblog
 「死海文書」を知るには、エルサレムを知らねばならず、エルサレムを知るには、一神教の祖であるユダヤ人とユダヤ教の歴史、そしてエルサレム周囲のパレスティナ(≠イスラエル)の歴史を知らねばなりません。

 ユダヤ人の歴史そのものが、ユダヤ教の、転じてキリスト教とイスラム教の、ひいては世界の歴史に大きく関与してきます。

 ユダヤ教については以前、「信仰の美風と遺伝子」のコーナーで書きましたが、今回は『エッセネ派』を知るためのおさらいも兼ね、そしてさらにもう少しつっこんで考えてみましょう。



 昔々の大昔、ひとりのおじさんがいました。

 名前を「アブラハム」(エイブラハム)さんといいます。

 ウィキペディアによれば、アブラハムは、「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信じるいわゆる聖典の民の始祖であり、ノアの洪水後、神による人類救済の出発点として選ばれ祝福された最初の預言者」とされます。

 そしてそのアブラハムさんが、すべてのユダヤ人とアラブ人の系譜上の祖先とされております。

 つまり、ユダヤ教もイスラム教もキリスト教も、すべてアブラハムさんから始まっているのです。

 そのアブラハムは、家を出よという神のお告げを受け、人類最古の文明が発祥したメソポタミア地方カルデアのウル(現在のイラク南部)を出て、地中海とヨルダン川・死海に挟まれた地域一帯の古代の地名である「カナン」の地(パレスティナ)にたどりつきました。

 神がアブラハムとその子孫に、その約束の地、「カナン」を与えたとされております。

 アブラハムさんは、75歳にてウルを出ましたので、カナンの地に到着した頃は相当お年を召していたはずですよね。

 そしてアブラハムさんには、子どもがいませんでした。

 しかし神は、少なく見積もっても75歳以上のアブラハムに、初めての子ども「イサク」を授けたのです。

 ある日、神がアブラハムの信仰を試そうとして、せっかくのその息子のイサクを生け贄に差し出すように命じました。

 神もずいぶんと厳しい試練を課したものです。

 敬虔なアブラハムは、神に命じられるままに、なんとわが最愛の息子を屠(ほふ)ろうとした、まさにその瞬間に・・・

エッセネ派神殿の美5

2007年05月29日 11時40分50秒 | Weblog
 んな、アホな?!ってお思いでしょ?

 僕もそう思っております。


 ヘブライ語は、みなさまご存知かもしれませんが、母音がなく、子音だけから想像して意味を探ります。

 詳しくは分かりませんが、そういう読み方なので、冷静に考えれば、予言であれ未来の史実であれ、いかようにでも都合よくとらえることができる、というようにも感じておりますが・・・でも、それでも何だかくすぐられちゃいますでしょ?

 疑いが強くとも、ちょっと気になる方は、下記をどうぞ。

http://www.246.ne.jp/~y-iwa/yobichishiki2.htm

 ですから暗号解読のためにも、トーラーの写経の際、万が一、一文字飛ばしてしまっても大変なことになるわけですから、一字一句間違えることは許されないわけです。

 数学の確率という概念は実は、旧約聖書解読のために進歩したという側面もあるとも言われ、またコンピュータを開発したのは、それを解読するためのユダヤ人によるという話も有名です・・・ホントかなあ?

 でもイスラエルは医学を含め(医療用レーザーなどはイスラエル製が多い)、科学技術は最先端です・・・たぶん。

 聖書の暗号解読のための、デコーダーもパソコンでダウンロードできます。

 その手のトンデモ本(?)もありますよ・・・当然読みましたが。



 さてエッセネ派・・・彼らは各地に散らばり、その中でも死海のそばのクムラン洞窟で隠遁して営みを続け、「死海文書」を記した宗団をクムラン宗団と呼びます。

 現在、ある意味世界の中心でありながら、世界で最も平和から見放されてしまっているといっても過言ではない、皮肉にもその名が「イール・シャローム(平和の町)」に由来するエルサレム・・・

エッセネ派神殿の美4

2007年05月28日 12時59分21秒 | Weblog
 「エッセネ派」は、現在は消滅したとされております。

 彼らは入会に際し秘儀を与え、世間と隔絶し、共同体を営み、自給自足で、厳しい戒律に基づき、ただひたすら経典の写字を行い、水浴して身を清め、終末にそしてメシアの到来に備えました。

 この入会の秘儀というのが、神秘さを強調しますでしょ?

 エッセネ人たちは、「光の子と闇の子による戦い」という、二元論を深く信じていたようです。

 そこいらへんは、ペルシャ(現イラン)での善と悪の二元論、ゾロアスター教による光明神と暗黒神、マニ教による二元論からも影響があったんだろうなと思われます。

 そしてユダヤ教の経典は一字一句、間違えることが許されないきわめて厳格なものなのです。

 ヨハネの福音書は語ります。

「初めに言葉があった。

 言葉は神と共にあった。

 言葉は神であった。

 この言葉は、初めに神と共にあった。

 万物は言葉によって成った。

 成ったもので言葉によらずに成ったものは ひとつもなかった。

 言葉のうちに命があった。

 命は人間を照らす光であった。

 光は暗闇の中で輝いている。

 暗闇は、光を理解しなかった。」

 ユダヤ教徒にとって言葉は神であり、特にエッセネ派の写字生は、羊皮紙に全神経を集中し、自らの全人生をひたすら正確で忠実な写本に捧げたのです。

 ちなみにこのユダヤ教経典を、決まった一定の字数で飛ばし読みすると、予言が現れるという説があり、例えばケネディ暗殺も記されていたなどとされているのをご存知ですか?

エッセネ派神殿の美3

2007年05月27日 09時44分41秒 | Weblog
 その死海()、塩分濃度はなんと25%(通常の海は4%)もあり、人が浮くのも当たり前。

 当然ながら注ぐ川もなく、湖面は地表で最も低い場所(海抜マイナス418メートル)、ほらやっぱり地球のへそだ。

 やっぱりここが、天の世界とへその緒を通じてつながっていたのでしょうか?

 余談ですがエルサレムはもちろんのこと、ヨルダンの「ペトラ遺跡」、インディ・ジョーンズにも出てきた岩のエル・カズネ(宝物殿)、いつか行ってみたいですねえ・・・。

http://cuzco75.hp.infoseek.co.jp/syria/syria7.html

 この死海のほとりのクムラン洞窟から発見されたのが、今回のテーマのひとつ「死海文書」。

 そして「死海文書」はユダヤ教徒の中で、「敬虔な人」という意味の、今回の主役『エッセネ派』が隠したとされます。

 60年前、ベドウィンの羊飼いの少年によって偶然発見された・・・ということになってはおりますが、ホントかどうかはまったく怪しいもんです、はい。


 「死海文書」に何が書かれ、どうして大発見なのかその重要性、エッセネ派とはいかなる集団なのか、ということは追々掘り下げてまいりますが・・・。

 奇しくも死海文書発見が1948年、それがイスラエルの建国の年とは、運命のいたずらでしょうか、作為的なものでしょうか?

 この、どう考えても不自然な合致がこれまた不思議だ・・・。

 エルサレム神殿の再建、ひいては真のユダヤ国建国を究極とするエッセネ人の「死海文書」発見が、イスラエルというユダヤ国家の再建の年と、時間として二千年以上もある中で、ぴったり一致するなんて確率的にも不自然でしょ?

エッセネ派神殿の美2

2007年05月26日 06時23分14秒 | Weblog
 砂漠に囲まれた、人間にとってむしろ過酷なあの一帯がなぜ?

 考えすぎて寝る時間を失うこともあります。

 とてもとても、人が住むのにもってこいの素晴らしい気候や条件だとは・・・お世辞にも思えません。

 砂漠という試練と引き換えなのか、現在でもあの周辺は石油が採れるために、王の身分も確約されております。

 今世界的な文明地は、たまたまヨーロッパで産業革命が起きたために、落葉樹林帯に集中していますが・・・。

 だけど、(しかも仏教徒である)僕を不思議と惹きつけるのは、現代の文明地よりも(インドよりも)、モスクと教会とシナゴーグが混沌とそびえ、エジプトとメソポタミアにはさまれた、世界のへそエルサレム・・・。

 なぜあそこなんだろう?

 やはり神によって、祝福された地なのでしょうか??

 世界地図を眺めると地中海というのが、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、つまりはモンゴロイド、コーカソイド、ネグロイドの分水嶺になるのでしょうか?

 それとも、文化はある程度世界中に均一に生じたのだが、砂漠が横たわるあの過酷さゆえに、厳しい環境や歴史の中、逆に断固として生き残った、ということは生存競争を勝ち抜いたという強さからなのでしょうか?

 他の地域はある程度豊かな環境の中に、ある意味甘えてしまい、努力を怠けてうずもれて、気象・地理・環境以外にも人的な生存競争をも生き抜くという、種の強さにおいて結果として劣ってしまったのでしょうか?

 そしてエルサレムの東、ちょうどヨルダンとイスラエルにはさまれる荒野には、なんだかとってもヘンテコリンな「死海」が横たわるのです。

エッセネ派神殿の美1

2007年05月25日 08時17分09秒 | Weblog
 このブログにはいろんな評価がありまして・・・

 一方では「マニアックすぎる」だとか「難しすぎる」、というご批判に頭を悩ませ・・・

 他方では、「宗教モノがおもろい」、「なんでカタリ派があそこで終わるんだ?もっと詳しく!」とか、「フリーメーソンをやってくれ」という非常にマニアックなものにパワーをいただき・・・

 ありがたいことに本職のミュージシャンからロックについてだとか、あるいはプロの役者からも映画や映像評についてほめられたりして、ちょっと図に乗り・・・

 加えて昔から憧れの「D.ボウイ」については、実際に専門のロック雑誌から取材も受けて、ジコマンですがちょびっと自慢・・・ふふふ。

 他にも「ハワイのゴルフ場が面白かった」「ゴシックや教会建築について勉強になったのでフランス旅行が楽しみだ」「ファベルジェ見た~い」「琥珀の間、行きたくなったよ」「カラマーゾフや百年の孤独を買ってみた」「日本が好きになった」などなど。

 「本にしろ」という極端なお声も多数頂戴しておりますが、読まないっしょ?こんな偏屈なもん。



 大体カタリ派だとか、今回のエッセネ派なんていうと、かなりマニアックだし、別に知らなくたって日本での生活に何の支障もないし、あげくゾロアスターだ、ニニギノミコトだ、アフラマズダにブラフマーだの・・・ワケワカンネーよ・・まあまあ、そうおっしゃらずに。

 宗教ミステリーには目がないもので、また始まったよと大目に見てお付き合いください。



 今回の話題・・・

 一体全体いかなる理由をもって、エルサレム(本日の写真)を中心とする、あの砂漠に囲まれた一帯が・・・?

 エルサレムをはさむメソポタミア(現イラク)やエジプトが、なぜ人類の文化の始まりとして選ばれ、かつまた世界の主役として、そして現代まで続く世界史上の鍵を握るエリアとして存在し続けるのかが、僕にとってはどうしても純粋に、とっても不思議過ぎるのです

森と野草という美材11

2007年05月24日 07時33分59秒 | Weblog
 彼は続けます。

「私の言う森の効果を列挙すると、
音を防ぎます、
火を防ぎます、
風を防ぎます、
地盤を安定します、
避難路、植物園、動物園、美術館、休憩所、
水がめ、
水質浄化機能、
命の側からの環境変化の警報装置、
電力を使わないエアコン装置、
大気の浄化、
集塵装置。

 挙げればきりがありませんが、大事なことは、現代の不十分な科学技術や医学で見落とされている未知の要因も含めて、トータルシステムとして、そこで生まれ育ち働いている人たちの命と心と文化と遺伝子を守るのは、ふるさとの木によるふるさとの森であることをご理解いただきたい。」

とのことです。

 ここをご覧になると、宮脇氏の業績が理解できます。

http://tamezou.iza.ne.jp/blog/entry/98303/

 現代病の数々も実は、人間が自分たちで破壊した自然のしっぺ返し、という側面も証明されてくるかもしれませんね。

 かなり黒に近いグレーがたくさんあると直感しております。

 以前もお書きしましたが、近代科学技術をもってしても、医学はまだまだ黎明期と呼んでいいと思います。

 ヒステリックな緑の保護運動ではなく、健全かつ理性的な日本の森について、ご興味をいただけたでしょうか?

 『シイ・カシ・タブ』の常緑広葉樹林がキーワードです。



 いかがでしょう、みなさまも、森と野草なぞ・・・風流人を目指してみませんか?

 皇居の北の丸公園も、特にプチ渓谷なんか、ここが東京か?と思わんばかり・・・

 落葉樹林かもしれませんが、ほんとにすごいですから、まだ行かれたことのない方は、ぜひぜひ一度は足を運んで四季を堪能し、思いっきり深呼吸してみてください。

 帰りには旧陸軍近衛師団の現、国立近代美術館工芸館のたてものの美しさ(本日の写真)もぜひお見逃しなく。

-このテーマの終わり-

森と野草という美材10

2007年05月23日 11時02分00秒 | Weblog
 一般に樹木には日光と光合成を多く要求する陽樹と、さほど多くは要求しない陰樹とがあります。

 シイ、カシ、タブノキ()は陰樹。

 陽樹の代表がアカマツ、クロマツです。

 今でこそ松は日本を代表する木であるかのように、いたるところで目にしますし、実際舞いをみているようで立ち姿は優雅で格好もよいのですが、実は松は陽樹のため、生存競争には弱いんだそうです。

 初めて知りましたよねぇ・・・

 しかしその分、厳しい条件には強いらしく、本来常緑広葉樹が切れる山の尾根などに細々と生息していたようです。

 だから海岸線なんかにも多いのかな?

 陽樹の下に第二世代の陽樹は育ちませんから、本来は陽樹林は陰樹林に遷移するようです。

 人の手によるニセモノの森は200年もすると、「潜在自然植生」の照葉樹林に置き換わるそうですが、問題はその200年ですよね。

 宮脇氏は森が主役の地球では、「人間なんか森の寄生虫に過ぎない」とおっしゃられます。

 もちろんニセモノの森も悪い点ばかりではなく、材料としての木材も必要でしょうし、憩いの里山や雑木林、花一杯運動なども人間が生きていく以上大切であると宮脇先生はおっしゃいます。

 またその際に大事な点は、人間の顔でも触っても良いほっぺたもあれば、触ってはいけない弱い眼球のような部分もあるため、森の眼球に当たる、尾根や急斜面や水際に最大限の注意を払うべきだと言っておられました。

 しかしそういう不可侵領域ですら、人の手が加わってしまっていると、警鐘を鳴らしておりました。

 以下、宮脇先生のHPから抜粋しますが、
http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/01120358/0/index.html


 「単に公園に木を植える時代は終わりました。

 皆さんの家の周りや道路沿いに、時には落葉が積もっても、日陰になっても、少し我慢して木を植えてください。」

 これは、単に公園だけに木があればいいっていうのではなく、木は人を守ってくれるので、家の周りや道路沿いこそが大切なのだ、ってことです。

 その理由は・・・・次回に。

森と野草という美材9

2007年05月22日 16時22分10秒 | Weblog
 照葉樹林とは、常緑広葉樹林のことであり、日本の関東地方が北限だそうです。

 照葉樹林は落葉樹林や竹林と比べ、まず何といっても根が深く、最初は垂直に延びて、その後水平に伸びて互いにからまって、ネット状になるために、地滑りに強く、地面の湿度が守られて、当然冬でも葉が繁り、かつ葉も厚く密で、水分が非常に多いために、火事にも強く、その上河口の清流化にもつながり、杉よりも酸性雨にも強いそうです。

 松は油が取れるくらいですから、火にはめっぽう弱いわけです。

 タブノキはなんと、火災にさらされると、水を吐くとも言われているそうです。

 実際に、阪神淡路大震災のときにも、関東大震災のときにも、この照葉樹林が多くの命を救ったことが証明されているそうです。

 そのひとつが関東大震災の際の避難所となったほぼ同面積ながら、犠牲者をほとんど出さなかった江東区の旧岩崎別邸、現・清澄庭園と、4万人の犠牲者を出してしまった旧陸軍被服廠(ひふくしょう)跡、東京都慰霊堂がある現・横網(よこあみ)町公園での不幸な差として残っているそうです。

 ご多分にもれず、照葉樹林ばかりか、鎮守の森も減少している気がします。

 どんぐりとシイノキと、鎮守の森・・・・僕たち日本人が守らなくてはならないものが、たくさんありますね。

 宮脇先生の情熱は、中国の万里の長城周辺の緑化など、国際貢献も果たしているらしい。

 素晴らしいことですし、男としてうらやましい。

 砂漠の緑化にも応用できないのかしらん。

 シイはブナ科シイノキ属。

http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/fagaceae/sudajii/sudajii.htm

 カシはブナ科コナラ属 常緑カシ類。

 その代表がアラカシ、シラカシです。

 同じブナ科のブナ属のブナや、コナラ属でもクヌギは落葉樹です。

http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/fagaceae/arakasi/arakasi.htm


 タブノキはクスノキ科 タブノキ属。

http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/lauraceae/tabu/tabunoki.htm

森と野草という美材8

2007年05月21日 12時04分36秒 | Weblog
 現代日本の大部分を占める雑木林による「ニセモノの森」は、ニセモノがゆえにどうしても人の手を必要とし、20年に一回の伐採と3年に一回の下草刈りが前提となるそうです。

 またそれをやらないと維持できないのが「ニセモノの森」であり、「潜在自然植生」の「ホンモノの森」は人の手を要さず、それに加えて自然災害に強いのだ、ということでした。

 どうしても薪が必要でしたから、「ホンモノ」の伐採が進んでしまったようです。

 ところがそうして置き換わってしまった「ニセモノの森」は脆弱で、地滑りを起こしやすく、マツクイムシによる松枯れが問題化し、さらには土砂崩れ、火事や地震など災害に弱いなど、さまざまな問題を引き起こしているそうです。

 「潜在自然植生」の「ホンモノの森」がかろうじて残っている、それが『鎮守の森』だそうです。

 鎮守の森は神社の森ですから、ここは神域のため、伐採や人の手から守られたそうです。

 そうか・・・出雲大社や伊勢神宮の杜は、何か霊的な存在感を感じましたが、僕のDNAにも日本古来の森の何かが訴えかけてきたのかもしれない・・・あのどんぐりを踏みしめながら歩く鎮守の森が。

 それはそうと、杉の植林を進め、なんとか還元水に献金したり天下りの丸投げが話題の林野庁は、これらを当然自覚して、対処は進んでいるんですよね・・・?

 今、ロンドン、パリ、ニューヨーク、ワシントン、フィラデルフィア、モスクワ、ベルリンなど世界の文明の中心地は皆、冬は寒くて葉を落とすブナ、ミズナラ、カエデのような落葉広葉樹林帯です。

 中尾佐助、佐々木高明といった文化人類学者や、京都大学の上山春平(うえやましゅんぺい)氏たちは、この日本の文化だけを「照葉樹林文化」と呼びました。

 しかし現在では多方面からの検討が加えられ、照葉樹林文化が存在しないとは言わないまでも、それは日本列島に影響を及ぼした様々な文化圏のうちの一つに過ぎないという評価が定まっている、とのことです。

森と野草という美材7

2007年05月20日 09時26分42秒 | Weblog
 新日鉄から不毛の地を森にするように依頼を受けた植物学者は、請け負うからには、もしせっかくの森がだめになれば、それだけ工場が人にも悪いのだから、製鉄所の命とされる溶鉱炉の火を止めろ、その代わり森にできなけりゃ俺も責任を取る、と会社の幹部にすごんで、協力の約束を取り付けたそうです。

 なんという美しい覚悟だ。

 そこを聞いただけで、僕の感動は止まりません。

 科学者は自らの発言に責任を持たねばならない、ともおっしゃっておりました・・・背筋が伸びました・・・僕も気をつけねば。

 そしてその主役、横浜国立大学の名誉教授、宮脇 昭氏は語ります。

 僕たちが普段憩いにしている「里山」、つまり雑木林による森は『ニセモノの森』だって・・・ご存知でしたか?

 本来の日本の素肌の緑、あるいはありのままの自然の森、もしくは日本の『ホンモノの森』というものは、僕たちが普段目にするコナラやクヌギや杉や松ではなく、実は「シイ、タブ、カシ」類が三役なのだそうです。

 「シイ、タブ、カシ」と言われても、すぐにピンとは来ませんが、鎮守の森に残っているそうです。

 「シイ、タブ、カシ」は常緑広葉樹の照葉樹林だそうで、つまり一年中葉を茂らす、葉っぱの大きな木ってことですね。

 照葉樹は関東以西で目にでき、間違っているかもしれませんが、僕としては緑が濃く、葉が厚く、葉っぱのぎざぎざの少ない高木と思っております。

 日本はその「シイ、タブ、カシ」を伐採してしまい、そこに落葉樹が侵入し、また人の手によって杉やヒノキを植樹してしまったために、照葉樹林の森が失われてしまいつつあると。

 僕たちが里山と称して憩いにしている、現代の落葉樹によるコナラやクヌギの森は実は『ニセモノ』、古来の本当の日本の『ホンモノ』の森は全国にわずか0.06%しか残っていないのだそうです。

 いわゆる「潜在自然植生」といわれる、その土地本来植物による森ではなくなってしまっているのだそうです。

 え・・・???

 ショック・・・

森と野草という美材6

2007年05月19日 06時16分01秒 | Weblog
 おはぎやぼた餅の話題で、大学時代医学部のとってもファニーな同級生を、なぜか唐突に思い出しました。

 彼は他の友人から問題を出され、「暑さ寒さも○○まで」さて、何?と問われて、迷いなく「お盆!」と真顔で自信満々に答えるのを聞いて、隣で吹き出してしまいました。

 お盆は暑いだろー!

 ちなみに彼は「ひとのうわさも○○日」も、自信満々に、「しじゅうく日!」と答えておりました。

 気持ちは分からんでもないが、それではあの世へ旅立ってしまうだろー!


 さてさて秋の七草『女郎花 すすき 桔梗 撫子 藤袴 くず 萩』は、「お 好 き な 服 は?」と覚えるとよさそうです(下記参照)。

http://www.hana300.com/aki777.html


 そういえば、僕も幼少時に、十五夜なのでススキを取ってくるように言われ、夕暮れ時に、遊び場だった駅の貨物基地のそばの空き地にあったぞ、なぁ~んて思いつつ、ススキを集め・・・

 その夜にススキを飾ってお月さまを眺めながら、たいして美味くもないお団子に、味がないもんだから、砂糖をたくさんつけて食べた少年時代・・・

 なんてことを思い出すと、なんだか心が和むものです。

 誰にでも森や野草にまつわる、その人なりの大切な思い出があることでしょう。

 野に咲く花や野草にくわしい男の人だとか、着物を着ちゃう男やピアノがじょうずな男性なんて・・・

 ちょいと意表をつかれてしまい、僕が女性だったら株や金儲けにくわしい男よりも、よっぽど魅力的に感じるだろうけれど、こういう感覚は今の時代には合っていないのだろうな、きっと。

 僕も野暮ったいので、たまには風流で粋な日本人を目指したいものです。


 ところで、近代工業の権化のような新日鉄で、草一本生えない不毛の地だった、海の埋め立て地にそびえる製鉄所のまわりを、なんと森にすることに成功したとNHKで放送しておりました。

森と野草という美材5

2007年05月18日 09時57分23秒 | Weblog
 一方、秋の七草は、

『女郎花 すすき 桔梗 撫子 藤袴 くず 萩』

 ちなみに女郎花は「おみなえし」ですぞ。

 じょろうばなではありませぬ。

 美女をも圧倒する美しさのため、「女圧し」(おんなあっし)からだとか、黄色い「女飯」(おんなめし)からだとか・・・。

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/ominaesi.html


 すすきはすくすく萌えでるから。

 
 桔梗は根が「結実(ひきしまっている)」かつ「梗直(まっすぐ)」であることからだそうです。

 韓国語では「トラジ」だそうで、ってことは焼肉「トラジ」は虎次(二)さんではなく、桔梗って意味だったわけ?

 根に含まれる「サポニン」は界面活性を持つため、古くから去痰、鎮咳に用いられ、十味敗毒湯という漢方にも含まれるそうです。

 万葉集の時代には、桔梗が「朝顔」と呼ばれていたそうな。

 ちなみに桔梗とは関係ありませんが、僕たち医師では当たり前の「ジギタリス」という強心剤も、元々はジギタリス(キツネノテブクロ)という紫や白や黄色の可愛らしい花をつける、野草の葉っぱを温風乾燥した強心配糖体です。

 花の形が指に似ているから、ディギタリス(digitalisラテン語?)なのかも知れません。

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/Kikyou.html


 撫子は、わが子を撫でるように可愛い花だから。

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/nadesiko.html


 藤袴は藤色ではかまみたいな形だから・・まんまですね。

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/fujibakama.html


 くずは人間のクズなどのクズではなく、「葛」。

 葛餅(くずもち)や葛根湯(かっこんとう)の原料。

 奈良県の国栖(くず)が産地だったからだって。

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/kuzu.html


 萩は毎年新しい芽が出るため、「はえぎ(生え芽)」からはぎへ。

 ちなみに、春のお彼岸のぼた餅は春の花の「牡丹」餅から、秋のお彼岸のおはぎは秋のお萩から、だそうなり。

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/yamahagi.html

森と野草という美材4

2007年05月17日 08時48分11秒 | Weblog
 ①せり:「競り」合って生えるから「芹」なのだそうな。

 え~はじめて知りました。

 消化を助け、風邪、便秘、冷え性によいとのこと。

http://www.hana300.com/seri00.html

 ②なずな(ぺんぺん草):なでたいくらい可愛い菜だから「なでな」だそうです。

 枝というか、ハート型の実のところを、本幹から少しずつむしって、自由度を増し、茎をくるくる回すことによって、ハートがぶつかり合って、小さな音がするのを楽しみましたでしょ。

 だれでも子供の頃やりましたよね、貧乏草(ハルジオン?)の花の飛ばしっこや、シロツメグサ(クローバー)の飾り物とか。

 貧血、高血圧、風邪によいと。

http://www.hana300.com/nazuna.html

 ③ごぎょう(母子草=ははこぐさ):どこが母子なのか、僕の貧困な発想力では悲しいことに、まったくわかりまへん。

 黄色い花を覆う、白い綿毛が毛羽立つ→蓬(ほお)ける→ハハコになったという説、ハンハンコウという草を間違えたという説あり。

 嘔気、胃炎によいと。

http://www.hana300.com/hahako.html

 ④はこべら:はびこるから、はこべらと。

 白い花が可憐ですね。

 整腸、利尿、口臭予防。

http://www.hana300.com/hakobe.html

 ⑤ほとけのざ(田平子たびらこ):いわゆる紫の仏の座ではなく、たびらこが間違って仏の座と呼ばれたと。

 葉っぱの形から仏の座。

 筋肉痛、歯痛によいと。

http://www.hana300.com/tabira.html

 ⑥すずな(かぶ)
 ⑦すずしろ(だいこん):これらは説明不要でしょう。

 整腸、解熱効果ありと。