医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

スイス偉人が愛した美5

2007年06月30日 06時14分31秒 | Weblog
 オスカー氏は39歳でアムレーマーホルツの館に移り住み、品のいい邸宅と、庭園の中で、コレクションに囲まれて人生を過ごしたそうです。

 彼の日記によると、商売をやめて、ここに移り住み、これほど安らぎを得たことはない、と綴っております。

 生涯独身を通し、森の中の自分の館に美術品を展示し、死後はそれらを館から持ち出さないことを条件に、美術品をすべて館ごと国(スイス)に譲ったそうです。

 つまり同じダメ息子でも、女性にうつつを抜かしたり、ギャンブルにハマって足を引っ張ったわけでもなく、ほんとに商売に関しては興味がなく、美術品を愛でることに素晴らしい才能があったのですね。

 ですから、親父から見たらダメ息子でも、世界的規模から見れば、決してダメ息子ではないわけです。

 独身を貫いたということは、美術品の美しい女性に恋をして、現実の女性に興味を失ってしまったのでしょうか?

 それともまた、例の男色・・・・ゲスの勘繰り?

 彼のコレクションは、街の中心にあるラインハルト美術館と、郊外のレマーホルツにある美術館に分かれて展示されているそうで、とくにレマーホルツの邸宅にあるフランドル絵画や印象派絵画の傑作は必見だそうです。

 モネやゴッホ、ルノアール、ミレ、ドラクロア、ピカソ、ブラック、セザンヌ、マグリット、モンドリアンなど・・・

 名前を聞くだけでクラクラしますが、世界に知られる巨匠作品や、ロダン、ブランクーシーなどの彫刻作品まで蒐集したそうです。

 個人でそこまで集められたのですから、さすが、富豪の子・・・。

 「火の鳥」で有名なロシアの作曲家のストラヴィンスキーをかくまっていたこともあったらしく、音楽にまで及ぶ芸術家に対する理解はルートヴィヒ狂王のようでもありますね。

 いつの日にか、道楽者の極み、オスカーさんに敬意をこめて、訪ねたいと思います。

スイス偉人が愛した美4

2007年06月29日 07時56分35秒 | Weblog
 金儲け至上主義のカルヴァン主義に乗るつもりは毛頭ありませんが、アイルランドの国家プロジェクトやインドの教育、ルクセンブルクやスイスのやり方はわが日本も見習わないといけません。

 悪いところはカイゼンに次ぐカイゼン、良いところはどんどん学び、取り入れ、さらに取り入れた藍を藍よりも青くしてしまう・・・日本の伝統です。



 さて、NHKで世界美術館紀行という番組をやっております。

 そこで紹介されていて気になったのですが。

 スイスにオスカー・ラインハルトさんという方がおりました。

 彼の住んでいたヴィンタートゥールWinterthurという、チューリッヒから20分の、人口6万人の小さな町には、美術館が三十数軒もあるそうです。

 町の人口一人当たりの美術品数(どんなデータだ?)は、世界一と・・・。

 オスカー・ラインハルトさんは1885年生まれ、僕より79歳年上ですから、おじいちゃんか曾おじいちゃんくらいでしょうか。

 この町の財を築いた大物たちは、こぞって美術品を愛したそうです。

 成熟した西欧人と、わが日本では悲しいことにその差が大きい・・・。

 オスカー・ラインハルト氏も、商社を営む裕福な家庭に生まれ、10歳くらいで美術品に目覚めたらしいのですが、成人して当然ながら当初は父の会社に入社させられたそうです。

 ところがオスカーさんは出張先で、イギリスでは大英博物館に、フランスではもちろんルーブルに入りびたりだったそうです。

 商売の才能はなく、父親に、美術とともに生きたいという、自分の本意を打ち明けましたが、聞き入れてはもらえず、父の死をきっかけに、すべての仕事を放棄して美術品の収集家になったそうです。

 言ってしまえば、まあある意味、道楽好きのダメ息子ですな。

スイス偉人が愛した美3

2007年06月28日 05時34分58秒 | Weblog
 GDPといえば、伸び率1位で著しいのは、一人当たりGDPでも世界第4位のIT立国アイルランド。

 ちなみに日本は、GDPこそアメリカに次ぐ世界2位ですが、一人当たりにすれば世界6位です。

 アイルランドはU2、エンヤの出身地で、ナショナルカラーの緑が美しい国ですが、移民の活躍も素晴らしく・・・

 ケネディ、レーガン、クリントンに始まって、ウォルト・ディズニーやマッケンローにボビー・ジョーンズ、コナン・ドイルにグレース・ケリー、それから、芸能界俳優部門ではグレゴリー・ペッグ、ニコール・キッドマン、マライア・キャリー、トム・クルーズ、ジョニー・デップ、ハリソン・フォード、ジュリア・ロバーツ、ダイアン・キートン、メル・ギブソン、マット・ディロン、ジョージ・クルーニー、ジャック・ニコルソン、マーロン・ブランド、・・・・

 スゴイね、きりがない。

 アイリッシュ・オールスターで、とんでもない映画ができそうです。

 しかもアメリカ人の約15%はアイルランド系移民とのことです。

 3/17の聖パトリック・デイでは、ちょうど以前僕がN.Y.に行ったときも、アイルランド系のグリーンのパレードやっていたし、今年は松坂も緑のユニフォームを着たり・・・アメリカでの実力は映画界だけでもありません。

 アイルランドは、以前は輸出するものは移民だけ、と揶揄されたものですが。

 アイルランド経済は1993年から2000年にかけて、驚異的な成長を記録して、この8年間で国内総生産(GDP)はなんと約80%近くも伸びたのです。

 以前にも書きましたが、アイルランドはウェールズやスコットランドとともに、ケルト人の文化が残り、アングロ・サクソンのイングランドとは民族も文化も異なりますので、その恐るべき経済成長を指して「ケルティックタイガー」と呼ばれました。


 引用しますが、「人口が少なく天然資源に乏しいアイルランドの経済の発展は輸出ベースの産業開発がカギとなることから、1950年代にアイルランド貿易委員会を設立し、エレクトロニクス、エンジニアリング、医薬品など輸出志向の成長部門の産業を奨励した。

 また開発の遅れた地域の再開発や、税金を優遇することで外国の企業を誘致するなど、経済政策を強力に行なった。

 研究開発に力を注ぎ、アイルランド人の勤勉な国民性と、さらに外国で就労していたアイルランド人が逆に経験や知識を持ってアイルランドへ戻り強力な労働力になったことにより、1990年代までに驚異的な経済の拡大をもたらした。」

 とのことです。

スイス偉人が愛した美2

2007年06月27日 15時45分05秒 | Weblog
 牧歌的で美しいアルプスとは裏腹にスイスでは、各家庭に自動小銃と実弾が配られ、学校にシェルターが装備され、地区単位に武器庫が配備されているということです。

 それによる犯罪や事件は少ないとされておりますが、本当でしょうか?

 実際、第二次世界大戦時には、15,000名もの女性兵士も動員されております。

 万が一には、ハイジだって、ペーターやアルムのおじいさんも戦車に乗って自動小銃を取るわけか・・・。

 そんな生活をうらやましいとも思いませんが、スイスは武装した上でどこにも味方をしない中立なわけで、決して戦いを放棄しているわけでも、座して死を待つわけでもありません。


 僕たち日本人も、目を覚まさないといけないのかもしれません。

 もちろん世界が平和であれば喜ばしいし、平和を目指さねばなりませんが、盗賊や犯罪を犯すものがいるのであれば、自警・自衛は大人の責任です。

 先ごろ、エジプトでスパイを働いた容疑で、日本人と思われる人物も、終身刑を言い渡されました。

 国家を守るには、ある程度毅然とした対応が必要だと思います。

 どこかの国の国家諜報機関の元長官にいたっては、金に目がくらみ、よりにもよって・・・たるんでいるというより、情けなさすぎて、コントみたい・・トホホですな・・・海外なら国家反逆罪に等しい、万死に値しますよ。



 そしてスイスの国民一人当たりのGDPは、なんと日本より上です。

 スイス銀行(といっても、スイスの銀行のことであり、「スイス銀行」という名の銀行はない)に、観光、精密機械技術・・・。



 さてここで問題、国民一人当たりのGDPといえば、ぶっちぎりの第一位はどこだとお思いですか?

 アメリカ?アラブの石油国家?ブルネイ?

 
 答えは、ルクセンブルク!

 2006年の統計では日本が約410万円のところ、ルクセンブルクは、な、なんと1,000万円超・・・2.5倍以上です!!

 でも、どうしてルクセンブルク?

 ベネルクス三国として知られる、ルクセンブルク家は、古くは神聖ローマ皇帝も出しており、かのハプスブルク家(こちらはスイスが発祥なのです)に次ぐような名門。

 ルクセンブルクは佐賀県の面積に、人口は佐賀県の半分、40数万人しかおりませんが、プロイセン(ドイツの始まり)とフランスとの緩衝中立国として存在意義があり、欧州最大手の鉄鋼業が経済を引っ張り、現在は金融サービス業が中心となっているそうなり。

スイス偉人が愛した美1

2007年06月26日 13時36分07秒 | Weblog
 美術芸術を愛した大物に、ドイツにルートヴィヒ王、アウグスト王あれば、スイスには「オスカー・ラインハルト」氏がおります。

 今回の主人公が、ラインハルトさんです。


 みなさまはスイスの有名人というと、誰を思い浮かべます?

 やっぱり、ハイジ??

 アンディ・フグ?

 他には、ルソー、ユング、テニス界ではヒンギス、フェデラー・・・

 企業では・・・スウォッチにネスレ、製薬会社ではノヴァルティスにロシュ、異色なところでは派遣会社のアデコ(日本企業かと思っていたらスイスなのね)、最近名を下げたシンドラーエレベータ社・・・。



 スイスという国は、自然が美しく、永世中立国として有名だし、また国連や赤十字の本拠地として名を馳せますので・・・

 さぞかし平和に満ち溢れて、人々は穏健そのものなのかと思いますでしょうが、実はスイス軍は超近代的で、昔からめっちゃくっちゃ強いのです。

 え?永世中立なのに軍?

 って、お思いかもしれませんが、当たり前の話です。

 別段、僕は戦争愛好家でも、軍事オタクでもなんでもなく、平和を愛し、平和を願う一般市民ですよ。

 スイスは内陸国ですから、あらゆる道路には攻め入られないように戦車対策がなされ、

 徴兵制があり、

 ローマ教皇を守るのだってスイスから輸出されている傭兵だし、

 国内には余るほどの軍事施設がひしめき、

 かつてはひとたびスイスの制空権を侵すようなことあれば、たとえ連合軍の戦闘機だって平気で打ち落としたそうです・・・

 だからこそ攻め入られることがないなめに永世中立たりえるのです。

 イスラエルと並んで、「国民皆兵」制度、つまりひとたび戦争となれば、国民全員が(女性も含めですよ、当然)兵役する義務があるのです。

美しき重ね色目3

2007年06月25日 08時24分59秒 | Weblog
 みなさまは、どの組み合わせがお気に召しましたか?

 何がすごいって、写真や絵画のように一瞬の情景を切り取って、忠実にその色を表現するだけではなく、例えば、「もみじ」がテーマというものだけでも何種類もあるのですが、緑→黄色→オレンジ→赤と重ねて行き、同じ葉の色づくさまを、つまりは時間の流れを表現しているところが素晴らしい。

 と、思いませんか?

 そこには、横ではなく縦の表現があるのですよ。

 同じ人間だから、別にどの人種が優れているだとかってこともなく、それぞれだと思いますけど、この、自然の中に季節を敏感に感じ取り、それを表現するという日本人の感覚は、世界で他に類を見ないことは確かですね。

 僕のお気に入りは花橘(たちばな)に雪の下、そして驚いたのが夏虫色。

 橘は柑橘の橘ですから、橘といえばみかん。

 緑の葉に白い花と黄色い実が・・・・

 雪の下といえば・・・

 一番上が白(当然雪)、その下にピンクや緑が・・・今は雪の下に埋もれているが、春が来ればやがては咲き出す梅や若葉などを表すと・・・。

 奥ゆかしすぎるじゃありませんか。

 夏虫色とはなんだ?水色と茶色?と思ったら、セミの羽の色とは・・・。

 いや~感動でした。

 そのDNAを受け継いだはずの僕たちは、今、古着の重ね着が、さすが敏感な女子の私服で流行っておりますが、といっても、そこまでねえ・・・。

 この感覚、ぜひとも残して伝えたくないですか??

 例えば、電子メールの角に三角を作るように斜めに数本の線を入れて、そこに季節を表すだとか、男性のチーフや、女性のスカーフの柄、あるいは、胸ポケットや襟にはさむバッジみたいなものや・・・

 カラフルにしすぎて、レインボーカラーにしちゃうと、マイアミではレインボーカラーは特殊な意味を持ってしまうので、赤面されてしまいますから注意!

 当院は内装が黄色と金、椅子や床がベージュ、そしてアクセントに紺。

 一応僕が考え、太陽とその陽光、そして砂と海・・・ってのがイメージだったのですが・・・・なかなか表現しきれず、足元にも及びまへんな。

美しき重ね色目2

2007年06月24日 15時15分47秒 | Weblog
 重ねの色目とは、平安時代のファッション、十二単を着るときの色の重ね方のことです。

 おひなさまなどで、目にはしましたが、あの色に、意味があるとすれば、階級だとか、家柄くらいは想像がつきましたが、まさかこんな意味があるとは・・・

 実は、色を重ねることによって、季節感を表現したというのですから驚きです。

 色を重ねるといっても、着物ですから、当然一番上にはおった色が全体を覆うことになるので、重なった色が露出するのは襟ぐりから、前合わせの部分や袖口だけのほんの狭い世界です。

 その狭い空間に独特の季節感、つまりは「時の移ろい」を知的に表現していくと。

 毎度感心してばかりですが、すごすぎじゃあ、あーりませんか・・・!

 とにかく、そのセンスをご覧ください。

http://www.tim.hi-ho.ne.jp/hebiguchi/d_colksn.htm

http://www.bb.em-net.ne.jp/~maccafushigi/mac/7.htm

http://www.kariginu.jp/kikata/5-2.htm

美しき重ね色目1

2007年06月22日 11時27分22秒 | Weblog
 エッセネ派に僕なりの貧脳を動員したため、少しシナプスに負荷がかかってスパーク、疲弊気味。。。

 現代の中東問題を考えるに、今まで直接手を下したわけではない日本が、世界第二位の大国の果たすべき責務として、イスラエルとパレスティナとイラン、イラクを説得して、中東の、ひいては世界の和平への道をもっと積極的に介入してはどうでしょうか・・・?

 いらぬお節介でしょうか・・・?

 口が曲がったような横柄な方などではなく、幕末の英雄のような、大きな志を持つ適任者はいないものでしょうか??

 「日本はアジアの子どもたちの貧困と教育の問題の解決と、世界の安定のために中東問題に積極的に介入する。」

 この公約は大風呂敷過ぎますか?

 まあ事態は当然のこと単純ではなく、今さら日本が何を言うか、と相手にされないでしょうけれども・・・。


 さて、振り子は揺れ戻りますから、今回は和的な話題。

 昔から色目を使うとは言いますが、色目といっても今回は十二単(じゅうにひとえ)の話。

 襲(かさね)の色目とも呼びます。

 これもNHKから仕入れた小ネタです。

 重ね色目?何それ?って思う方も多いかもしれませんが・・・。

 ちなみに色目を使うことを「秋波(しゅうは)を送る」と言うそうです。

 秋の波の澄んだ美しさが、美人の目元を連想させ、転じて色目を使ったり、こびへつらうことにも用いられております。

 秋の波の美しさを美人に喩えるところで止まっていれば、日本人のご先祖さまのとっても素敵な尊敬すべき感性ですね・・・うっとりだ

 秋波か・・・。

エッセネ派神殿の美27

2007年06月21日 07時37分51秒 | Weblog
 今やローマカトリックもアメリカプロテスタントも、宗教の意義はもちろんありますが、存在の論拠や、その真実性や、あるいは創生物語Genesisも、薄氷を踏む思い・・・。

 しかし史実と必ずしも一致しなくても、宗教の存在意義という灯火は消えるものでもないとも思いますが。

 信者が本当に隣人を愛しているのかどうかは別として、キリスト教の説くところ自体は美しいものです。

 それにしてもその昔から現代に至るまでの、一神教、絶対神を信じる、アブラハムの息子たち、ユダヤ・イスラム・クリスチャンたち・・・セム族とアーリア人のなんとおぞましき殺戮の多いことか。

 まあねぇ、バビロンだ、ペルシャだ、マケドニアだ、ローマだ、オスマンだ、大航海時代だ、と世界的な英雄による大国同士の殺し合いによって築かれた文化の上に成り立っており、しかも戦禍を勝ち抜いて生き残ってきた人たちですから、仕方がないのでしょうかねぇ・・・。

 まるで三者とも、お互いに異なる神を崇拝して争っているようにすら見えませんか?

 僕たち多神教の民から見れば、理解に苦しむのですが、三者はそれでなくても一神教の絶対神が信仰対象であって、しかも二元論信者ですから、世の中は白か黒、光の子か闇の子しかあり得ず・・・・

 自分たちだけの選民性を誇り、他者や他の信仰を認めず、日本人のようにグレーや中途半端でさえも、それはそれで受け入れる、ということができないのでしょうか、きっと。

 僕のような800万もの神を信じる、不心得者仏教徒/神道信者の理解を超えるものがあります。

 とはいえ、人が人を殺す大量虐殺は、現在の地球のどこかでも行われており、それから絶対神の信者の比較的少ないその他のアジアでも行われ、また一方的大量虐殺は少ないとは思いますが、一昔前の日本だって同胞の殺し合いはあったわけです。

 しかしどうひいき目に見ても、歴史を紐解けば、アブラハムの子どもたちが好戦的かつ狩猟・略奪的という側面はあろうかと思います。

 布教を美化して征服という手段に巧みにすり替えて用いた、キリスト教の中枢の「汚らわしさ」や「欲」、と同時に内包する現場の修道士の「純粋さ」、あるいは教会建築の美しさに対して魔女狩りに異端審問に拷問に火刑という残虐さ・・・。

 右手で握手しながら左手ではぶん殴りあうという、僕の理解を超えた二面性・・・。

 西洋は野蛮じゃ、といった西郷さんの先見性には感嘆です。

 人間は悲しいかな、元来、その血が好戦的なのでしょうね。

 だから法というルールや、宗教・哲学という倫理観が必要なわけです。

 その一方で、人間誰しも、弱いものを思いやったり、愛するものを守ったり、助け合ったりする、いわゆる性善説的な心のぬくもりも同時に持ちえていると思います。

 ですから人間は、単一的に性善説、性悪説ではなく、当然ながらどちらの面も併せ持っており、それをどう伸ばすのか、芽を摘むのかは、教育次第だと思うのです。

 幼く無垢な子どもたちは「知恵の実」を食べていないので、大人が銃を取って他人を殺せと命じれば、それが正しいのだと思い込むに決まっております。

 もういい加減に、けんかはやめにしませんか?

 2000年を振り返ってみてください、神殿ですら破壊されてしまい、何も生まれないじゃないですか?



-このテーマの終わり-

エッセネ派神殿の美26

2007年06月20日 12時56分18秒 | Weblog
 「蘇る神殿」は1作目のインパクトに比べると、いささか不発の気もしないではありませんが、格調は落ちてはおりません。

 直接の関係はありませんが、なによりエリエット・アベカシス自身、とっても美人で知性的で品がよろしい(写真で見る限り)!

 日本のマスコミも、安易にヒルトン何某(なにがし)のゴシップネタや、アメリカ商業主義に基づく成功者(?)の俗っぽい女社長だとか、国内の才能なきバラエティ女性タレントばかり追いかけないで・・・(そんなの黙殺に限ると思うんだけど

 こういう品のある知的な、このエリエットさんだとか、敗れはしたもののロワイヤル候補に、安っぽいお笑いでちゃちゃをいれずに、シリアスに話を聞くとかさ、そういう見ごたえのある番組をゴールデンタイムで作ってくれないかなあ・・・。

 エリエットさんにぜひ、中東問題をどのように考えるか、解決方法はあるのか・・・聴いてみたいなあ、ぜひ。
 
 あるいは商業主義の薄っぺらいブランドもんなんかはぜ~んぶ排除して、パリの本当の文化や芸術、見所だとか、「美」についてどう考えるかだとか、フランス人の哲学や国際感覚を尋ねるだとか、さらにはフランスの美しい教会その他の建造物を案内・解説していただくとか・・・

 さらにエリエットさんを日本にお招きして、僕たち多神教の民と森との共生、和の文化について考えていただくだとか、さらにはもし共感していただければ日本の哲学をヨーロッパで広めていただくとか。

 ロワイヤル候補と日本の各政党論客、あるいは櫻井さんと・・・(アナウンサーの一方的で形式上のインタビューじゃダメよ)。

 日仏対抗で、イラク問題や、パレスチナ問題、フランスの大国としてのこれからの責任だとか、移民問題だとか、原発問題だとか、食糧自給だとか、あるいはこれからの日本の国際的に果たすべき役割だとかで激論を・・・。

 何度でも頼みますから、脳が溶けそうなお笑い・歌謡・三文芝居ばっかりじゃなくて、オトナが見るに堪える、見て賢くなれる粋な番組作りをしてくださいよ、プンプン。



 先日フランス人の方と話す機会があったのですが、フランスの大統領選挙の投票率が87%、一方日本の国政選挙は前回の郵政解散選挙で(この選挙で50%を下回ったらこの国に未来はないと思いましたが)あそこまで盛り上がってやっと67%、普段は40%ほど・・・。

 それがフランスと日本の差であると。

 もっともリーダーを直接投票する選挙ではありませんが、この差が日本人の悲しい限界・・・国民の成熟度の違いだと。

 日本の総理の名前を正しく言えない若者に、海外事情にまで興味が及ぶはずもないでしょう、とおっしゃられておりました。

 それは僕たち普通の大人が悪い・・。

 政治家のレベルはその国の国民の、そしてマスコミのレベル、つまりは国民の成熟度の問題です。

 しかし自分の国のことなので、ここであきらめてしまうのも悲しい話です。

 日本は世界第二位の経済大国なのに、果たして僕たち普通の国民がその自覚を持って、国際社会の規範となるように成熟しているのか、僕たち一般市民が世界で果たすべき役割を常日頃から考えているのか・・・

 目先の自分の利益や生活以外に、世界の弱者のことを慮って行動できているのか?

 少なくてもアジアの日本として、アジアの子どもたちが、飢えることなく、学校に行って教育が受けられるように、僕たちが何とかするよ、子供たちを守りぬきたい、という覚悟ができているのか・・・

 一億人を敵に回す覚悟で発言すれば、年金問題でも・・・

 確かに、ひどい話ですし、お役所の感覚が疑われますが、これは改善するしかないですよね。

 しかし、世界で2番目にお金持ちの国になってしまったのですから、同じ地球で毎日人が亡くなっている中東問題や、まずは何より人道的にも、貧困に苦しむ他国の子どもたち、少なくてもアジアの子どもたちのことが優先されるべきではないのでしょうか・・・?

 間違ってますか???

エッセネ派神殿の美25

2007年06月19日 11時40分35秒 | Weblog
 彼女の説では、エッセネ派にとって「キッティーム」はローマ人でしたが、「闇の子」とは、ローマ人ではなく、あろうことか同胞のパリサイ人とサドカイ人だと・・・。

 彼女の織り成す物語全体のトーンは、ヨーロッパ人の奥深さからか良い意味でとっても暗く、残念なことにはラストが理屈っぽく、かつ尻切れ気味で、流し読みにならざるを得ず、スリリングさやスピード感には劣り、また偶然の積み重ねがあまりに大きすぎますが、そこは処女作、大目に見て。

 主人公の深遠な思考描写はなかなかのものですし、文章の質や、小説全体の色といったものに圧倒的個性があり、訳もとっても知的です。

 僕たち日本人が普段あまり触れる機会のないユダヤ教や、エッセネ派やクムラン宗団とは、あるいはシナゴーグ、トーラーとは、ヘブライ語とは、エルサレムとは、シリア正教会は・・・などがよく分かりますよ。

 そして彼女が出した、「死海文書」に記載されていた「エッセネ人」「クムラン宗団」の驚愕の仮説・・・

 イエスは確かに存在しました、そして確かに布教を行い、実在したイエスを実際に殺したのも福音書どおり確かにローマ人でした、しかしその舞台裏の驚くべき真実とは・・・?

 しかし女史はどうして、ここまで、若干27歳にして、ヘブライ語の文字に至るまでだとか、聖書の内容、歴史、ユダヤ教の秘儀にまで詳しいのでしょうか?

 勉学の賜物なのでしょうか?

 すごすぎるぞ!

 日本の作家はこの点で、つまり邦モノの多くは色恋沙汰や浅い人間関係などのたわいもない(?)テーマだとか、事件といっても湯けむり殺人事件なんて矮小なものが多く、人物の心理描写の書き込みも足らないし、専門知識の追求や学術的な裏づけは貧困で、大風呂敷などの点において非常に劣る気がします。

 中には作者が先生のように劇中にしゃしゃり出て、はい、これはかくかくしかじか、はい、ここはこう考えてね、そもそも日本人は、のごとく大雑把なくくりで、さあこれにて一件落着!・・・後味すっきり、よりも・・・

 僕は映画でも小説でも、「永遠の仔」のように後味が悪く、暴露し追及し、問題を投げかけ、読者に判断を委ねるものが好みです。


 そして「クムラン」の続編が、「クムラン 蘇る神殿」です。

 エルサレム神殿内の宝物の行方を記した「銅の巻物」とは?

 サマリア人の果たした役割は?

 神殿の再建に燃える、エッセネ派は何をしたいのか?

 どうしてエッセネ人は神殿にこだわったのか?

 ユダヤ人にとってエルサレム神殿とは何だったのか?

 テンプル騎士団とフリーメーソン(石工)は、エッセネ派にどう関わったのか?

 テンプル騎士団はなぜ、テンプル、すなわち「神殿」騎士団と名乗ったのか?

 テンプル騎士団と、その総長ジャック・ド・モレーと、騎士団員を処刑したフランス国王フィリップ端麗王、当時の教皇でフランス人のクレメンスは?

 テンプル騎士団と戦ったイスラム勢力とエッセネ人の関係は?

 エッセネ人のコーヘン(大司祭)の血が流れる、現代のクムラン宗団の「メシア」にして物語の主人公、アリーの運命やいかに??

 主人公アリーと、謎多きアメリカの現代娘、ヒロインとの許されざる恋の行方は?

エッセネ派神殿の美24

2007年06月18日 10時48分26秒 | Weblog
 さらに小説は語ります。

 「イエスがエッセネ派であったのか?

 パリサイ派であったのか?

 イエスは存在したのか?

 あるいは複数のイエスがいたのか?」

 たたみかけるように、

 「イエスは神話上の人物であったのか、あるいは実在したのであったとすれば、エッセネ派だったのか、パリサイ派だったのか?

 それともこのまま(教会権力に)子ども扱いされ続けることがお好みか?」

 「(キリスト教)信者は権力の蒙昧主義に自身の喜びを見出し、信仰の根拠と主張しては数々の偶像を崇め、いまさら現実を直視することは不可能だと判断して居直っている聖職者たちを憎いとは思ってもいない。

 知るより知らないほうがお好みだからだ。」

* 蒙昧=もうまい=物事の道理に暗いこと
蒙昧主義→新しく合理的な概念を拒絶し、古い権威を擁護する態度

 加速は止まらず・・・
 
 「福音書の中で、写本家により「採用され」、「脚色されて作られた」のではない話はどれなんだ?」

 ・・・強烈ですね。

 「教会がオリジナルだと言う「救世主」で「人類の指導者」で「神の子」だという観念は、異教の神、ミトラやタンムズ、アドニス、オシリスも類型だ。」

 なんとなんと、キリスト教はイエスの死後400年の間に使徒と教会によって創作されたのだから、結局のところ、

 「キリストがいてもいなくても、キリスト教は生まれていた」

 という大胆な趣旨まで、物語中にしゃべらせてしまっております。

 また、無神論者に対してだって、

 「あなた方はキリスト教と言うと無視にかかるが、あなた方が生きているこの世界をいいようにつくっているのはキリスト教だ」・・・と。

 非信者は「信じないことを信じ」ており、信者以上に「信じている」と。

 つまり彼女がクリスチャンかどうかは分かりませんが、カトリックの国の国民ながら、キリスト教は限りなく、使徒ら、特にパウロやその後の教会による創作ではないだろうか、イエスの存在すらも怪しいぞ、と疑問を投げかけているのです。

エッセネ派神殿の美23

2007年06月17日 08時41分43秒 | Weblog
 イエス殺しの犯人は、ユダでしょうか?

 ピラトでしょうか?

 磔刑に処した(写真はイエスが十字架を背負って登った階段?)ローマ兵でしょうか?

 悪の祭司(サドカイ派)でしょうか?

 ユダヤ民衆でしょうか?

 イエス自身でしょうか?

 神でしょうか?

 贖罪のためだと言うのであれば、将来のキリスト教徒が殺したのでしょうか?

 全人類が殺したのでしょうか?

 神だというならば、ではなぜ神の子イエスは臨終に際し、「エロヒム、エロヒム、ラマサバクタニ?」(神よ、神よ、なぜお見捨てになるのです?)と問うたのでしょうか?

 一体誰が悪いのか、殺した犯人を僕には判断できないのです。

 ここいら辺のくだりは、以前紹介したガルシア・マルケスの「予告された殺人」と重複するように感じるのは僕だけでしょうか??

 G・マルケスは、カトリックの国、南米出身ですから、それも当然織り込み済みで、著したのでしょう。


 また、小説「クムラン」を通じて彼女は語らせます。

 「死海文書がイエスを語っているのか?

 仮に語っているとすればイエスについて何を言っているのか?

 イエスはエッセネ派であったのか?

 もしそうであればキリスト教とはエッセネ主義から枝分かれした宗教なのか?

 イエスを語っていないとすれば、イエスは宗団が消滅した後の時代の人だということを意味するのか?

 それともイエスの存在はフィクションなのか?

 本当にイエスは存在したのか?」

 どうですか、これだけでもワクワクしませんか?

 だってキリスト教が仮にエッセネ派から枝分かれしたのであれば、イエスはユダヤ教徒であったということ。

 当然ながらユダヤ陣営、ユダヤ教側はキリストをメシアとして認めていないし、そもそもユダヤ教で救われるのはキリスト教徒ではなくユダヤ人だけってことですよ。

 ユダヤ教徒にとってはキリスト教など邪教であり、キリスト教会に入ることすらも禁じられているのです。

 あるいは、イエスの存在自体が仮に、万が一フィクションであれば、キリスト教の崩壊です。

エッセネ派神殿の美22

2007年06月16日 06時17分38秒 | Weblog
 彼女によれば、キリスト教のよりどころとなっているのは福音書のみです。


 しかも現在残された四書のうち、「マタイ」「マルコ」「ルカ」の三書はほぼ同一、つまりコピーにしか過ぎず、隔たる記載は「ヨハネ」のみ、実際には二種類しかありません。

 しかも福音書の書かれたのは、イエスの死後400年も経過しているのです。

 400年もあれば、いかようにでも創作が可能です。

 今となっては、イエスの真実を探求するソースがなかったというわけです。

 ソースの信用性として頼りない福音書に比べ、突如僕たちの眼前に現れた死海文書は、紀元前2世紀から紀元後1世紀の間に書かれているのが確実なわけです。

 しかも、その一部で確認されましたが、死海文書の内容が、現代に残されている経典と完全に一致している部分もあり、ということは死海文書の信用性はかなり高いということです。



 しかし、結局は(都合のよい部分だけかもはしれませんが)「死海文書」は公開され、特別な何かが記載されてはいなかった、というところで(一見)落ち着いているようです・・・。

 当局が都合の悪いことを、むざむざと発表することは決してありません。

 逆に公式発表のとおりでなければ、世界は大混乱を起こしてしまいますから。




 ではここで、イエスの死について犯人は誰なのか、みなさま今一度よく考えてみましょう・・・

 一般的に考えられている、ユダがイエスを裏切り、イエスは人類の贖罪のためローマ人によって磔刑になった、というものとは異なる視点で・・・その先入観を捨ててください。

 まず、イエスはユダヤの神を冒涜してもいないし、法を冒涜したわけでもありません。

 これが大前提。

 イエスは自分が死ぬこと、弟子の中で裏切りが起こることを、最後の晩餐のときにすでに予想して、皆に告げておりました。

 晩餐後ゲッセマネ(写真)で弟子のユダが裏切りましたが、イエスはユダに「すべきことをせよ」と、あたかも裏切り(とされている)行為をユダにすすめるかのごとく晩餐の席で告げました。

 もちろんイエスを直接殺したのは、確かにローマ人ではあります。

 しかしローマのユダヤ総督、ポンテオ・ピラトは囚われたイエスに罪は無いとし、一時はイエスがガラリア人なのでガラリアの領主ヘロデ・アンティパスに判断を依頼しましたが、ガラリア領主ヘロデは黙して語らず、イエスをピラトに送り返しました。

 そこでピラトはイエスが有罪かどうかの決定は、ユダヤ人による最高法院に任せました。

 最高法院ではユダヤの祭司らによりイエスは有罪との判決を受けましたが、刑としてピラトはその日が過越祭だったので、鞭打ちで返せと命じました。

 そして民衆にどちらのイエスを釈放するか問うたのに、ユダヤの民衆は悪の祭司に煽動され、イエス・バラバの放免を選び、イエス・キリストの磔刑を望んだのです。

 それらを踏まえて、ではイエス殺しの真犯人は一体誰なのか??

エッセネ派神殿の美21

2007年06月15日 15時58分07秒 | Weblog
 「文書は、ヘブライ語のほかにアラム語、ギリシア語で、紀元前2世紀から紀元後1世紀の間に書かれている。

 この時代に書かれたものとしては事実上唯一のユダヤ教聖書の文書であり、聖書本文の内容が写本を通して劣化されることなく、比較的正確に伝えられてきた歴史を証明するものとして、貴重な資料であるとみなされる。」わけです。

 この死海文書がさまざまな憶測をよんでおります。

 「1990年代には、ヴァチカンが文書の公表を差し止めているという疑惑が発表された。」

 「死海文書」には、果たして何が記載されているのでしょうか?

 現在のキリスト教が、ヴァチカンやプロテスタント、正教が困ることが記載されてしまっているのでしょうか??

 このクムラン教団と洗礼者ヨハネ、そしてイエスの関係は?

 新約聖書の中のイエスは、やはりパウロによる創作なのか、それとも・・・?

 どうしてイエスはユダヤ教ではメシアとして認められなかったのか?

 死海文書中の「義の教師」こそが、イエスなのか?

 とすれば、「偽の祭司」とは、ローマに与(くみ)したサドカイ派のことなのか?

 そして「虚偽の人」とは、聖パウロのことなのか??

 ユダヤ教徒の神殿の謎は?再建は?宝物は?聖櫃(せいひつ)、聖杯の行方は?



 なぞがなぞを呼び、憶測が飛び交いました。

 さあこれを読んで死海文書、エッセネ派、クムラン教団・・・興味の出た方は、以前にも紹介してしまいましたが、フランスの哲学研究者にして、美人女流作家、エリエット・アベカシス女史が若干27歳で放った「クムラン」をどうぞ。

 これは最高にお薦めです!

 そしてなぜ死海文書がそれだけ日本の国外では話題になったかというと、彼女の書によれば次のような理由からであり、詳しくは次回に・・・。