医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

8/15にまつわる美感-1

2006年08月14日 15時24分42秒 | Weblog
 お盆の語源を知っていらっしゃいますか?

 お盆は仏教用語の「盂蘭盆(うらぼん)」が語源となっており、さらにはサンスクリット語の「ウランバナ」、イランの言語で「霊魂」を意味するウルヴァン(urvan)が原語だとする説があるそうです。

 もともとは盂蘭盆経に目連(もくれん=釈尊の内弟子の一人)伝説というのがあるそうです。

 それは目連が餓鬼道(今で言う地獄?)に堕ちてしまってお腹をすかせた亡き母に、なんとかして食べ物を与えたくて釈尊に相談したところ、すべての比丘(びく=釈尊の弟子として出家した者?)に安居(あんご=修行)の最終日に食物の供え物を施しなさいと助言され、それに従ったところ亡き母は食べ物を得ることができて、母は喜んで踊りながら昇天したという物語だそうです。

 その儒教的物語が、もともと安居(あんご)の終わった僧侶に対して、人々が供え物を与えたことになぞらえられたそうです。

 もちろんそこに祖先を供養して交流するという日本的な伝統が混合され、また祖先を供養する食物を供える容器である「おぼん」の盆にも関連するといわれております。

 盆迎えは13日の迎え火であり、祖先を家に迎え入れ交流を図り、16日が送り火となり、祖先を彼岸まで見送ります。

 私事ですが、昨日僕もお盆を迎えたのですが、祭壇にナスとキュウリに楊枝や割り箸を折って4本足にした動物が供えられておりました。

 これは、ご先祖をお迎えするのには早い乗り物が良いためキュウリを馬に見立て、反対に送るのはゆっくりが良いためにナスを牛に見立てて祭壇に飾るものです。

 いい話ですね。

 旧暦の7月15日は十五夜、16日は十六夜(いざよい)のため、晴れていれば満月となり、月明かりのもとで夜通し踊ることができるため、盆踊りが8/15や16日にあるそうです。

 これはWikipediaによれば「地獄での受苦を免れた亡者たちが、喜んで踊る状態を模したといわれる」そうです。

 目連の亡き母が喜んで踊って昇天したことから、盆踊りではあのように天に向かって手を頭の上にかざすのでしょうかね??

雨と匂いと日本の美4

2006年08月09日 12時51分43秒 | Weblog
 さて、みなさまもよくご存知の「枕草子」の作者、平安時代の女流作家である「清 少納言」はまったくの天才です・・。

 学校で教わって以来・・・、という方もいらっしゃるでしょうから、久しぶりに大人の頭でじっくり味わってみてください。

~春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく 山ぎは、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

 夏は夜。月のころはさらなり、やみもなほ。蛍の多く飛びちがひたる、また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光て行くも をかし。雨など降るも をかし。

 秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近こうなりたるに、からすの寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて、がんなどの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、また言ふべきにあらず。

 冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし、昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし。~


 素晴らしい感性ですね・・僭越ですが僕的には夏と秋を入れ替えて、春が夜明け前のあけぼの(地面のぬくもりと生命の息吹、柔らかい東風を感じる日中でも良いとは思いますが)、「夏が夕暮れ、秋が夜」、冬は早朝・・・ではどうでしょうか?

 先日、椿山荘(ちんざんそう)に蛍を見に行ってきました。

 確かに夏の夜の蛍は風流で捨てがたいのですが、夏の夜の雨はどうなのでしょうか?・・・シェークスピアやオペラの「夏の夜の夢」もありますけれども・・

 あえて「夏は夕暮れ」 これがまたたまりませんよね。

 夏ゴルフの薄暮プレーは最高です。

 日中よりは少しだけ涼しい風と、見渡す限りだいだい色に包まれる空間、どことな~く漂うこれまたカーニバルの終わった後と共通の「もの悲しさ」。

 伊勢国松坂出身で、医師でもあった江戸時代の国学者、本居宣長(映画監督の小津安二郎氏のご先祖様らしいですが・・・)は言います。

「感ずべき事にあたりて、感ずべきこゝろをしりて、感ずるを、もののあはれをしるとはいふ」

 つまり、感ずべきことにめぐりあったときに、感ずべき心を知っているので、感ずるのを、「もののあはれ」を知るという、ということでしょうか?

 感ずべき心の感性を磨くことが、もののあはれを、美を知ることにつながるんだと。

 僕はもっともっと感受性を磨いて、感ずることができるようになりたいと思います。

 同じ人生なら感動が多いほうが得した気分になりますから。

 日本人に生まれ、日本の美しい四季、色々な匂いや風を感じられることが幸せです。

雨と匂いと日本の美3

2006年08月08日 13時21分07秒 | Weblog
 そして僕の場合、鮮やかに過去の光景が連想される匂いとして、それがちょうどこの時期の匂いなのですが、線路の枕木の匂いなのです。

 あれは枕木に塗ったコールタールの匂いだと思うんですが・・うだるような暑さの夏の午後、線路には蜃気楼のような空気の揺らめきが生じ、その匂いがたちこめ、遠くに貨物列車を引くディーゼル機関車の汽笛の音や、工場のサイレン、そしてこれでもかってくらい蝉がしぐれる夏の午後の風景・・・

 駅と線路、貨物ターミナルが遊び場だった、自分の少年時代のワンシーンを思い出すからです。

 日本におけるフュージョンバンドの天才中の天才集団、カシオペアの「Mint Jams」というアルバムがあったのですが(現在は廃盤)、中でも「ASAYAKE」は素晴らしいし曲ですし実際に超有名なのですけれども、「Take Me」という曲がこれまたとっても秀逸で、そんなけだるい夏の午後にぴったりなのです。 下記で試聴してみてください。

http://www.ongen.net/search_detail_album/album_id/al0000025791/


 日本にはありがたいことに四季がありますが、季節としては9月が一番好きです。

 夏の中に最初の秋を感じる瞬間・・・それは風であったり、匂いであったり、体で感じるその一瞬・・・夏が終わる、あの「もの悲しさ」や「はかなさ」がなんともいえません。

 そんな時、松岡直也氏の「九月の風」を聴くと胸が”ぎゅいん”としめつけられます。

 前述の「ASAYAKE」や「Take Me」から「九月の風」、それと以前お書きした高中正義の「Blue Lagoon」まで一気に試聴できるサイトがありました。

http://www.neowing.co.jp/JWAVE/detailview.html?KEY=MHCL-242

 ネクラなわけではないのですが、カーニバルやお祭りが終わった後の静寂に「美しさ」を感じてしまいます。

 もののあはれ感・・・

 以前紹介したかもしれませんが、「黒いオルフェ」という古い映画があります。

 この映画もカーニバルと静寂、明と暗、生と死がテーマになっており、ギリシャ神話のオウフェウスとエウリディケ(イタリアオペラ風に言えばオルフェオとエウリディーチェ)の悲劇を元にして、ブラジルのカーニバルを舞台に撮られたフランス映画ですから、色彩も素晴らしくきれいですし、とっても秀作ですのでぜひご覧ください。

 ちなみにこのオルフェウスの伝説は日本版もあるのです。

 「古事記」に書いてありますが、日本の国造りのはじめとして、イザナキとイザナミという夫婦が島々や神々を産みます。

 火の神カグツチ(=火産霊ほむすび)を産み落とした母イザナミは、陰部に大やけどを負って命を落としてしまいます。

 ちなみにカグツチは東京港区の愛宕神社に防火の神として祀られております。

 妻イザナミを連れて帰ろうと、イザナキは黄泉の国を訪れるのです。

 決して姿を見ないようにと約束したのに姿を見てしまい、妻を永遠に失ってしまうくだりはオルフェウスの物語に酷似しております。

 その後、イザナキは男神ですがアマテラス(天照)・ツクヨミ(月読、月夜見)・スサノオ(須佐之男、素盞鳴)を産み、そのアマテラスの岩屋事件が宮崎県の高千穂町にある天岩戸神社、スサノオの妻がイナダヒメ(奇稲田クシナダヒメ)で、その六代目の子孫がオホクニヌシ(大黒天)になるわけです。

 ちなみにスサノオとイダナヒメを祀るのが、島根県の八重垣神社や全国の氷川神社です(出雲の国の斐川=ひかわと関連がありそうですね)。

雨と匂いと日本の美2

2006年08月07日 13時57分09秒 | Weblog
 ちょっとタイトルを変更しました。

 五月雨(さみだれ、さつきあめ)は陰暦で言うところの5月だから、現代で言えば6月に当たるわけなので、正確には梅雨を指すことになるでしょうけれど・・・あまり突っ込まないでください。

 さて、匂い(勾=かどわかす、ではありません)を感じる嗅覚(きゅうかくです、しゅうかくではありません)は、脳神経と言って、脳から直接出る大切な神経のうち(首から上に関しては脳から直接神経が出るものがあり、それ以外は脊髄を介する)、最も頭側にあるので、第Ⅰ脳神経と呼ばれます。

 人間ではだいぶ退化してしまっておりますが、この嗅神経は走行距離も短く、鼻の粘膜の天井にある嗅細胞があって、そこから嗅糸と呼ばれる20本ほどの糸のような神経線維の束となり、頭蓋骨の篩骨篩板(しこつしばん:文字通りふるいのよう)を通って脳の嗅覚中枢へ向かいます。

 学生時代にこの嗅糸を解剖で見たとき、「カイワレダイコン」か「ヒヤシンス」のようだ、と思いました。

 この篩骨篩板を怪我すると、嗅糸はすぐ切れてしまい、匂いがなかなか回復しません。

 また味は舌で感じると医学部でも習いますが、風邪をひいて鼻がつまると、味覚を感じなくなることから、僕は嗅神経が味に関与する割合はかなり高いものと推測しております。

 匂いを感じる物質は、分子量でいうと約30-300くらいで揮発性の低分子有機化合物です。

 分子量とはちなみに、1mol(モル)中のある分子の質量からgを取ったものですから、炭素12が基準となって、6.02×10の23乗個の分子の重さであり、水素は1.0で、酸素はえ~と原子量が16だったから分子量は32でしたっけ

 世の中では匂い物質がなんと数十万種類位存在するとも推測されております。

 嗅覚が退化している人間も1万種類くらいは嗅ぎ分けられるとも言われております。

 最近では人間の癌の臭いをかぎ分ける、訓練犬の話を耳にしております。

 匂いによって、過去の記憶がぱっと連想されて、懐かしい郷愁を覚える体験ってみなさまもありますよね?

 嗅球に電気刺激を与えると活動電位が脳の多くの場所から得られるといいます。

 嗅神経は第Ⅰ脳神経だし、脳に一番近いし、嗅覚は非常にミステリアスな感覚ですね・・。

雨と匂いと日本の美1

2006年08月06日 17時59分16秒 | Weblog
 やっと夏らしくなりましたね。

 今年は一年中でもっともゴルフをするのにふさわしい、さわやかな5月がずっと雨、6月7月も雨、雨、雨・・・

 ゴルフ狂にとっては、5月と10月のゴルフは、女房を質に入れてでも行け、とまで言われるのに・・・

 さわやかな五月晴れを感じなかったような気もしますけれど・・・実は僕は五月雨が好きなのです・・・もちろん五月晴れがあっての五月雨ですが。

 雨はゴルフをしているととっても憂鬱なんですけれども・・この五月雨は僕にとってはまた別物でして。

 当たり前の話なんですが5月は街路樹の葉が、とっても「黄緑」色で美しいものです。

 そしてその若葉が雨に濡れると、さらにその「黄緑」色が映えるように錯覚します。

 きらきらと輝いて、実にすがすがしくなりますよね。

 若葉が嬉々としているのが伝わるようで、生命の息吹を感じますでしょ?

 まるで若葉や木が、まだ人類が知りえていない特別の波長を人間に伝えているかのようにすら感じます。

 またこの鮮やかな「黄緑」色と、雨に濡れたアスファルトの黒とのコントラストが絶妙で、これまた実に鮮やかに深い黒にきれいな「黄緑」色を浮かび上がらせるものですよね。

 梅雨の雨はじめじめしてつらいですけど・・・。

 総じて雨はいやなものですが、五月雨以外の雨で好きな雨がもうひとつあります。

 それは夏の夕立ちです。

 雨の降り始めのアスファルトの砂(?)の匂い、と言ったらお分かりになりますでしょうか?

 あの匂いがたまりません。

 匂いといえば、森や山の中を歩いているときの緑が放つ匂いや、芝や草木を刈った直後のむせ返るような匂いもいいですよね。

 それから図書館の独特の紙の匂いや、また本屋さんの図書館とはまた異なる匂い・・・

 春の柔らかな匂い、きんもくせいの甘いのだけれどもちょっと淋しげな微妙な匂い、冬の朝の匂い・・・日本に住んでいるといろんな匂いを感じることができます。

 ハワイの独特の甘ったるい匂いもたまりませんが・・・。

 みなさんもお気に入りの匂いがたくさんあると思います。

塔の美観5

2006年08月03日 10時45分36秒 | Weblog
 繰り返しになりますがエッフェル塔の美しさは、まずアーチの美しさと同部の彫刻やレースのようなディテールの意匠、錬鉄をあたかも編んで造ったかのごとくの骨組みの美、そして見せる美意識です。

 サッカーもそうですが、西洋に追いつこうとしても、歴史も文化も芸術も異なるし、オシムが言うように向こうも進歩するので離されますから、日本は日本で独自の美を追求した方がいいと思います。

 今回、押上(おしあげ)の新東京タワーの建築監修は、元プロボクサーにて東大の特別名誉教授・ハーバード大の客員教授であり、「住吉の長屋」で有名な、日本を代表する建築家の安藤忠雄氏と、東京芸大元学長で彫刻家、「そりのある形シリーズ」の澄川喜一氏です。

 この著名なご両人であればこそ、ぜひとも和的な意匠、それこそ竹細工や神殿造り、特に「そり」の澄川氏であれば、「平等院鳳凰堂」に代表される日本古来の美しい「そり」をぜひとも取り入れて、世界に恥じない日本独自のデザイン力を示して欲しいですよね。

 そういう意味では彼らの芸術的センスが「Andoh-Sumikawa塔」と、後世に名を残すことになるかもしれません。

 竹細工や籠(かご)ともりの文化は日本のお家芸だし、籐(とう=ラタン)の編みこみもアジアの特産のはずです。

 例えば夜間、内側からの明かりによって透けて見える骨格と、外側の編みこみの美まで、計算して表現して欲しいと思います。

 外側の色彩ももちろんですし、それとライトアップされたときの影にまで十分気を使ってください。

 全体的なシルエットの美はもちろんのこと、特に細かい部分のデザイン力でもエッフェル塔のような西洋の彫刻やレースに負けないような、日本の和紙や障子やすだれや竹細工を生かした、意匠を凝らして欲しいと思いませんか?

 扇子の骨組み部分の彫り物や、籠目(かごめ)彫りや透かし彫り・・・陽明門や五重の塔・・・日本の伝統芸能や職人さんの匠の技、日本の叡智を注いで欲しいのです。

 見ているだけで香木の薫りが漂うくらいに、美しく気品高く、アジアンにジャポネスクに仕上げて欲しい・・・。

 世界に通用する和の美・・・。

 ヘンに近代化にこだわらないで欲しいと思います。安っぽい未来チックなものや、得体の知れないヘンテコなUFOみたいなタワーや、機能重視の工事現場のようなタワーは見たくありません。

 近代技術と伝統の融合、西洋建築と和の調和・・・、腕の見せ所ではないでしょうか?

 100年以上前のフランス人が実際に成し遂げた、エレベーターを斜めに動かすくらいの心意気を見せてください。

 隅田川にふさわしい、桜やゆかたに花火、屋形船に似合う和の「粋(いき)」をぜひとも具現化してください。

 そしてそれを鑑賞するための水をたたえた緑が彩る空間も、エッフェル塔を参考にして同時に整備して欲しいと思います。

 これだけ大きな建造物を作る責任は重いと思います。

 否が応でも東京の、日本の新しい顔になるわけですから。

 街の風景は政治家と一緒で、その国や住民の民度を反映しますので、みなさんも厳しい眼をもって注意を払いましょう。

 僕たちもパリ市民のように、もっと喧々諤々騒いでもいいと思うのですけれど・・・

 岡本太郎氏や丹下健三氏に届くような会心の力作を期待しましょう。

塔の美観4

2006年08月02日 11時15分40秒 | Weblog
 もちろん、エッフェル塔は最初から観賞用に建築された(後々アンテナがついて役割がついた)ことに対し、東京タワーは初めから電波塔として建築されたため、目的が違うと言ってしまって思考を停止してしまえば、そこにはもはや美意識の発展や街の風景の進歩は望めなくなります。

 蛇足ながら東京タワー建築の歴史において、「産経・前田氏」「読売・正力氏」によるテレビ業界の覇権争いがあったことはあまり知られてはいないことなので、ご興味のある方はお調べください。

 しかし、かのエッフェルでさえ、それまで石の建造物を愛したパリ市民からすれば鉄製の塔などもってのほかで、Wikipediaによれば

 『あまりに奇抜な外見のため、建設当時は賛否両論に分かれた。反対派の文学者ギ・ド・モーパッサンはエッフェル塔1階のレストランによく通ったが、その理由として「ここがパリの中でいまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」と言っている。ここから、「エッフェル塔の嫌いなやつは、エッフェル塔に行け」ということわざも生まれた。』とのことだったのです。

 また「ダヴィンチ・コード」でお馴染の象徴学(そんな学問があるのでしょうか??)の権威、主役のラングドン先生によれば、

 「象徴学者がよく言うことだが、フランスが-男らしさを重んじ、女好きで、ナポレオンやピピン短軀(たんく)王といった小柄で臆病な指導者を有した国が、高さ千フィートの男根を国家の象徴としたのは似つかわしいことこの上ない」としております。

 彼には申し訳ありませんが、別に塔だからすべて男性のシンボル云々の話ではなく、塔には塔の純粋な建造物としての美しさがあります。

 それを言えばアメリカだって、N.Y.の摩天楼は高さを競ったわけですし、むしろパリジャン・パリジェンヌは当初、鉄の建物などアメリカチックでもってのほかだ、と怒ったわけですから。

 そしてエッフェル塔と東京タワーのもうひとつの大きな差は案外、エッフェル塔は「ギュスターヴ・エッフェル」が設計したので「エッフェル塔」であり、決してパリ・タワーではない、という単純なところにもあるのではないでしょうか。

 それはパリジャン・パリジェンヌがこの塔を、「エッフェル氏」の芸術作品だと考えている証左なのではないでしょうか?

 東京タワーにはないこの呼称こそが、市民の意識の違いであり、大きな違いのひとつではなかろうか・・・なんて思うのですが?

 それなら新東京タワーは・・・ -続く-

塔の美観3

2006年08月01日 15時32分22秒 | Weblog
 他国の悪口など決して言いたくはありませんが・・・、アメリカがStupidな指導者どもによって明らかに腐っている・・・。

 何の罪もない子供や民間人を空爆によって何十人も殺している狂人国家に対し、アメリカは即時停戦は求めないだの、挙句の果てに武器や危険物などの人殺しの道具をイギリス経由で空輸しているらしい・・・。

 世界警察を自認していながら、自分たちの勝手な理由や利益ばかりを他国に押し付け、まるでアメリカが潤うことこそが世界の平和だみたいないんちきな理屈を振りかざし、ユダヤ人には尻尾を振ってへつらっている。


 気分を変えて塔の話題ですが、タワーの色についても、東京タワーにはきっと、航空法か何だかで規制があって、よくビルの上にくっついている建築用のクレーンと同じ配色の赤白であるために、色気も美しさも香気も感じません。

 エッフェルは落ち着いたベージュでパリの街並みにもマッチしております。

 だからといって、見慣れてしまったせいか、東京タワーがベージュではやはり東京の街には映えない気もしますよね。

 そしてなにより異なるのは建造物を「見せる」という、国民の観念です。

 エッフェル塔には、その姿が正面から対称的に見えて、写真に撮ったり絵に描いたりするのにふさわしい「風景画」としてのアングルをきちんと確保してあります。

 その確保された空間には、エッフェルの姿が映る水の演出があり緑が彩るのです。

 美意識の高いパリジャン・パリジェンヌのまさに心憎い配慮です。 

 セーヌ川流域からシテ島には、観光客が見渡す視線に基づき、パリの風景に規制がかかっており、新しいものや高いものを建造できないようになっております。

 ここまで徹底して街の財産を保存しようとしているのです。

 これは住民の美意識の問題ですね。

 東京タワーにはそのような配慮が一切なされず、対称的にタワー全体が映る場所が、果たして存在するかどうかも不明です。

 つまりパリ市民は塔を建造物、芸術として「見せる」配慮を行っているのです。

 繰り返しますが、それは景観を大切にする、国民の美意識とそこから派生するお役所や行政の規制の問題だと思います。

 ごみごみとして醜いただの四角い箱をとっ散らかしたようなビル群であったり、個性のない鏡張りなだけを誇る近代ビル群に囲まれて、何の序章もなく突然にょきにょきと片足をビルにかけて浮かび上がる、非対称にしか映らない機能重視の紅白スチールタワーは、ある意味アジアのTokyoにマッチしていると自虐的に思ってしまいます。

 アジアの混沌(カオス)としたパワーや上昇志向、エネルギッシュさです。

 好みの問題もあるでしょうけれど、近代的な街並みよりも、歴史を感じる古い街並みに魅力を感じます。

-続く-