医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

山菜の美食 4

2008年07月30日 12時20分49秒 | Weblog
 早春なんですがね、葉よりまえに花茎がでる、「蕗の薹(ふきのとう)」もたまりませんよね。

 妖精の「コロポ(ボ)ックル」ってアニメがあったと記憶しますが、あのコロボックルはフキの葉の下に住み、「コロ」はフキのことらしいです。

 独特の香りがありますがね、これが・・・うま~い。

http://www.sansaikinoko.com/fuki.htm





 んで、最近のお気に入りが、“王様”の「たらの芽」に対し、“女王”の「こしあぶら」。

 これも採りましたよ~。

 実は東北の里山には、「女王」に似たような木や芽や葉がたくさんありまして・・・最初は難しかったのですが。

 自分なりの見分け方。

 木が白く、『葉が5枚』(これが重要)、根元といいますか、葉の付け根がくっついていて・・・



 こしあぶらの天ぷらなんか、口の中に広がる、まぁ、お上品な香りはたまりませんな。   

 このこしあぶらは、苦味と香りがあるため、天ぷら・素揚げなど油での料理が一番とされ、苦味が油で丸めこまれ、コクとなるからだそうなり。

http://www.sansaikinoko.com/kosiabura.htm



 女王には女王の品と格があります。

 一度、こしあぶらの炊き込みご飯を食してみたいものです。

 



 山菜ってやつぁ、全般的に苦味があるんですが、食べなれてくるとこれがまた大人の味で、中にはたっぷり油も乗っていたり・・・なんとも風流。

山菜の美食 3

2008年07月29日 11時41分05秒 | Weblog
 朝、日の出とともに起き、自然の恵みを享受して眠る・・・アグリ、かっこい~ぜ!って思うんですが。

 そういう雰囲気、欲しいですよね、全国民的に、特に若者に・・日本の食糧需給率を高めるためにも。





 で、一番うまいのはやはり“王様”の「たらの芽」でございましょうか。

http://www.sansaikinoko.com/taranome.htm


 う~ん、この独特の苦味・・

 たらの芽は、「春の山菜に含まれるアルカノイドという苦味の成分が、冬の間眠っていた私達の身体を内側から刺激して起こします。」というらしいので、うまくて当然だと、他のHPに載っておりました。

 ほんとかどうかは分かりません・・・。

 お世話になる知人から、たらの芽は3回取ると、その木が枯れると教えていただきましたが・・・

 なぜ3回なのだろうか、なぜなんだ~  

 と疑問に思い調べてみたところ、どうもたらの芽には、頂芽(ちょうが)・脇芽・胴芽と3種類ありまして・・・

 通常、頂芽を採っていただくのですが・・・

 脇芽・胴芽は、頂芽にトラブルが生じた時の予備の芽なんだそうです。

 驚くべき、自然の知恵。

 したがいまして、予備の芽まで採られたら木は枯れてしまいます、ということでした。

 何事も乱獲はいけませんね。

 節度を持って、大人のマナーを守って、食してもおいしくないのですから、『脇芽・胴芽は採らないように』しましょうね。

 やっぱ名人・先達からの伝承や知識ってやつぁ、「あらまほしき」ですな・・・。

山菜の美食 2

2008年07月28日 12時08分07秒 | Weblog
 ましてや・・料理職人さんとしての流儀や仕事は、僕も職人ですので当然尊重いたしますが、あ~せい、こ~せい、命じられながら食するのも苦手です。

 ですが、さすがに山菜についての記載はそう多くはないでしょうし、原料代が基本・無料ってところがいいじゃないですか?

 いやらしい流儀もなけりゃ、決して卑しくも感じませんし、むしろ季節を自分で感じながら知識と経験と伝統に基づいて峻別し採取するなんて、風流な日本情緒を感じませんか?

 なので、少々・・・書き留めてみます。

 思いっきり、季節はずれですが・・・




 GWには、例年東北にお邪魔をしているのですが、ありがたいことに8月にも涼みにとお招きを頂戴いたしまして・・・

 大好きな東北は、このところ地震で被害に遭っておられ、住民の方のお気持ちをお察しいたします。

 東北の山菜は最高です。

 自分で採ってすぐ、てんぷらやおひたしや胡麻和えなどに調理をしていただきます。

 自分でするのは採るだけなんですがね・・・。

 お邪魔した際には、僕らが採るそれ以外にも、仕込みやあく抜きが必要なものは、新鮮な取れたてで準備してくださります。

 で、発見。。。。

 食事中の方には誠に申し訳ございませんが、山菜をたくさんいただくと、次の日、驚くべき現象が起こります・・・・緑色になります。

 それまでは、山菜など・・・山菜そば、な~んて特に、なんだか缶詰、というかビニールのパックもんみたいだし・・

 年寄りくさくて、食べる気も起きませんでしたが、このところは例の東北にお邪魔して、てんぷらなどでいただいて・・・

 それ以来、はっきり申しまして、人生観変わりました。

 山菜諸君、今までの無作法、すみません・・・

 な、なんてうまいんだ~!!

山菜の美食 1

2008年07月27日 22時59分23秒 | Weblog
 今までこの拙ブログでは、美食についてはあえて書きませんでした。

 というのも、この話題はありきたりだし、グルメぶるのってのはなんだか自慢話めいて聞こえ、自分がその手の記事を読むのが好きでないからです。

 おいしいものを嫌いな方がいるはずがないし、ほかにも星の数ほどグルメブログはあるし・・・

 どうも思考的にひねりがなく、逆にとっつきやすすぎ、また卑近な話題すぎる感があるように思っていました。

 お客の財力だけではなく品性までをも問い、本物の「一元さんお断り」の伝統店は別にしましても・・・

 ど~もその手の記事は、お金さえ出せばって的なところもあるし、かの有名なあのレストランであれを食した、写真付き・・・

 な~んて、僕の美意識ではヤらしく感じてしまうのです。





 料理は文化だし、和食は芸術の域にあると思いますし・・・

 ですが、こっそりひっそり美食におぼれるのはいいのですが、ひけらかすのはどうも、なんといいますか、品や知性にちと欠けるような気がします。

 人気の石ちゃんなど、いわゆるでぶキャラはほんわかとしていて好きですけれど、ITの風雲児なんて、なんだかあか抜けなく品がない、だらしのない肥満体に見えました・・・すみません。

 私はこんなに贅沢モンで、道楽モンです、どうです、みなさんうらやましいでしょ?と、自慢しているように聴こえてしまうんです・・・ひがみ根性丸出し。

 そりゃおいしいものは好きですし、そんなことはひっそりと個人的に楽しむべきもので、他人さまにひけらかすことではなく、そういう輩はどうも成金の成れの果て・・・のような気がしてしまうのでした。





 それよりはむしろ、鉄を食え、武士は食わねど高楊枝、の精神のほうが個人的に好感度高いです。

 また待てない性格のため、流行りモノにあおられ人気店に出向いて、行列作ってまで食べさせていただくなんて・・・こちとらまっぴらごめんこうむりたい。

欧州人の笑いの美感

2008年07月25日 09時05分15秒 | Weblog
 新聞に載っていたのですが、思わず笑っちゃいました。

 『7月1日から飲食店などでの喫煙を禁止する法律が施行されたオランダで、カフェの店主が「喫煙を教義とする宗教を創始した」と主張し、政府に対し16日までに店内での喫煙を法の適用除外とするよう求めた。

 オランダ通信が伝えた。』



 別に喫煙・禁煙を擁護する立場ではございません。



 『アムステルダム郊外アルクマールのカフェ「菩提樹」で、店主ブッシュさんは「煙と火と灰の三位一体を崇拝するため、店を『教会』とした」と述べた。

 王室など支配層がプロテスタントの同国では、キリスト教を中心にさまざまな宗派が公認されている。

 「教会を禁煙とすることは、信教の自由を侵害し憲法違反だ」と話すブッシュさんの元には約10人の同業者から「入信」希望が寄せられた。(共同)』




 というものです。


 これを本気の新興宗教だったら、ちょっと・・・ ですが、半分パロだったら相当エスプリが利いてるな。

 「煙と火と灰の三位一体」、ってくだりなんか、個人的には相当おかしい。

 お役人も苦笑いするしかないんじゃないかな?

 スモーカーのお役人が入信したりして。

 日本のお笑いに笑えず、これ読んで失笑してしまう僕は、笑うポイントがずれているのかな?

 日本でこんなことしたら、稚拙なマスコミから容赦なく相当ふくろ叩きに遭うんでしょうね。

青の巨匠の美 16

2008年07月23日 12時44分22秒 | Weblog
 山、木々、水(湖、海)、空を描けば、必然的に青い世界になるし、地球も青いって言うので、青ってやっぱ特別な気がしませんか?

 「雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道」で、スピードまで描こうとした、イギリスのロマン派ターナーは黄色を好み、緑を嫌った、って話です。

 絵を見るとこれは納得ですね。

 でも、なぜ彼は緑を嫌ったのかな??

 ターナーといえば、ホントは漱石・・・なんだけど、ここでは関係なかったな。

 そうそう、ロマン派といえば、ドイツロマン派のフリードリヒの絵の一部、枯れた木々などにも、どことな~く日本画を髣髴させる、不気味な要素があるな・・・。

http://art.pro.tok2.com/F/Friedrich/Friedrich.htm

 純粋な日本画、例えば椿や牡丹など、題材が花でも、どことな~く暗くて、不気味じゃありません???

 明るいのは、以前に紹介した、若冲のゾウさんくらいかな・・・あれもバックは青でしたよね。





 さてさて、今回、物体の色は、発色やその物体そのものの色ではなく、単に無色透明な光の吸収された残りの反射であること、外部からの光の反射を見て、その物体の色として間接的に認識していること、色は光であることをお書きしました。

 虹はデカルトが解明したというし、プリズムで研究しスペクトルの名付け親はニュートンで、そのニュートンの業績から物質の色の概念が解明されたのかな??

 「もっと光を」のゲーテも色好きで、ニュートンを批判し、光と闇の混合のくもりによって、色彩が生成されるという独自の色彩論を展開しました。

 ~色彩は光の行為である~(ゲーテ)





 そして東山魁夷の青と緑の世界・・・みなさまの世界観に少しでもお役に立てましたでしょうか??


-おわり-

青の巨匠の美 15

2008年07月22日 11時50分10秒 | Weblog
 色の概念にもお国柄というものがあるのですね。

 日本の子どもは太陽を赤く描くけど、西洋の子は黄色く描くといいます。

 う~ん、太陽は赤か黄色か?

 朝日や夕日は赤、というかオレンジ~ピンク色?だけど、昼間の太陽は透明、白?やや黄色?金色??

 虹の色合いも日本では7色ですが、これも各国さまざまだそうです。

 また、電気や雷は黄色く描かれますよね・・・あれも白~青じゃないかな・・・?

 ナトリウム灯だけでなく、白熱灯もやっぱりオレンジっぽいし・・・。

 モニターの白は青が混じっているって言うしな。


 西洋で、グリーンはなんとなく、森のイメージで、やさしい感じ、青はブルーマンデーのように、陰鬱なイメージ、水色はpale blueというらしく、やせた青、ってこと?

 一方、中国や日本では青は青春、はつらつ、若いイメージ、すがすがしさ。

 これは、「みず」の緑も含むからだろうな。

 と同時に、未熟・・・「みじゅく」も「みず」からだったりして。

 青二才、青臭い、青りんごも。

青の巨匠の美 14

2008年07月21日 20時47分42秒 | Weblog
 そして元来、緑という言葉は、色の名前ではなく、水や芽などに関係のある言葉で、芽が出てすぐの若く、生き生きして、水気の多いことを表した、との意見も見られました。

 それで、日本語では女の人のきれいな髪のことを「緑の黒髪」と言ったり、生まれたばかりの子供のことを「みどりご」と言ったりするのだと。

 たしかに、現代の僕たちが聞くと、緑の黒髪といわれても、緑なのか黒なのか、どっちなんだ?イマジネーションの世界じゃないの?って気がします。

 僕は個人的に、お恥ずかしながら、食用の海苔などは緑~黒だし、黒髪も光線のあたり具合で緑っぽく見えるからなのだろう・・・と思っておりました、実は。

 緑の語源は「みず」か・・・。

 現代の日常でも、混同の名残で、青葉といっても、植物だから緑、青虫も緑色、青菜・青果・青りんご、青物横丁・・・。

 ただしこれは、前にも言いましたが、概念の問題であって、区別できないというわけではありません。

 グリーンは西洋から伝わった概念なのかな?

 1930年(昭和5年)、日本で初めて現在のような信号機がついたときには、法令上「緑色信号」と呼んだそうだが、現在は法令上も青信号なのだそうです。

 西洋では信号は、明確にred, yellow, greenらしい。

 青信号というのは日本だけで、グリーンという独立した色の概念はやはり最近のことらしい。

 そういえばどこかで見た道路標識でも、黄色地の中心に青があったのですが、日本の青=安全、とは異なる意味合い・・注意だったかな?そんな気がするな・・・。

 「碧」は、名前になると「あおい」とも「みどり」とも読むのかな・・・。

 エメラルドグリーンの海、ってのは近年西洋化して伝わった表現で、緑だろうが、青だろうが、海は青いんだな。

 でも信号で言うと、少数派色覚者には赤・緑より、赤・青の方が見やすくなるのかな・・・?

青の巨匠の美 13

2008年07月19日 21時03分35秒 | Weblog
 では、「白」の反対は?




 そうなんです、「白」の反対が「黒」ではなく、「青」なのだそうです。
 
 白は印、知る、つまりはっきりした色、青は反対にはっきりしない色のことで、灰色すらも青と呼んだそうですよ。

 ですから、「緑」も当然「青」だったのでしょう。

 明るい赤と、はっきりした印という白、の例えの違いがそもそも僕には分かりにくいですけど・・・。




 陰陽五行説所縁の朱雀・青竜・白虎・玄武では、それぞれ「赤」・「青」・「白」・「黒」。

 玄武の玄は玄人のくろだから黒。

 四色ってのは、この名残でしょうね。

 東が青竜、南が朱雀、西が白虎、北が玄武。

 北が暗(黒)く、南が明(赤=朱)るい・・・。

 春は青(緑)、夏は赤、秋は白、冬は黒、「青春、朱夏、白秋、玄冬」、確かに夏は明るく、冬は暗いし、なるほど見事に赤と黒、青と白(?)が対応してますね。

 春が東で、秋が西、って感覚もぴったりだし。

 この4要素の中央に土用の黄竜を足して、五行の火水木金土なんだな。

 青は木、赤は火、白は金(こん)、水は黒、土が黄色?金とは鉱物のことらしい。

 秋の白は金色ってことなのかな???

 天に上記の5惑星、そして地にも5元素・・・

 それが東洋医学にも生かされているらしいですが、西洋医学を学んだ僕には解りません。

青の巨匠の美 12

2008年07月18日 17時21分51秒 | Weblog
 緑信号とは、赤信号に対し、呼びづらいし、やはり赤に対しては青信号のほうが、しっかりなじみます。


 ではここで問題・・・色を表す名詞に「い」をつけて、そのまま使える色、たとえば「青い」などは他に(黄色いなど、色をつけない)なにがあるでしょうか?





 正解は、「赤青白黒」。

 これは、中国の影響が大きい古代日本では、色の認識は元来この「赤黒白青」しかなかったとのことに由来するからです。




 緑い、黄い、紫い、とは確かにいわないですよね。

 ですので、黄色すら赤だったと。

 そういえば、最近でも個人的に「赤いバナナ」と聞いたことがあって、え?赤?って思いました。



 

 ではまた問題、当時の「黒」の反対の色は何でしょうか?





 びっくりですが、「黒」の反対は「白」ではなく、「赤」だったのだそうです。

 明(あか)るいの赤と、暗(くら)い・暮れ(くれ)るの黒。

 赤の他人、真っ赤なうそ。赤=明るい。

 なるほど、言われてみれば。

 でも、白黒はっきりつけるとも言いますよね・・・。

 「真っ赤」なうそは、英語では「白い」うそa white lie、フランス語では「青い」話conte bleuらしい・・・。

 オモロー

青の巨匠の美 11

2008年07月17日 20時19分20秒 | Weblog
 だけど、日本の街を見渡すと、看板の毒々しい色ばかりが目につき、本来、日本人は顔料を考えても、数字で表す人工的な色よりも、自然界に存在する、ベージュだとか生成り色だとかのくすんだ色を好むはずなんですがねぇ・・・。

 中国の極彩色の影響もあるのかな・・・。

 建造物や車の色は、ガンメタや黄土色的なくすんだ色を好むのに、どうして看板だけはあんな品のない色を、しかもけばけばしく使用するのでしょうか?

 だったら、ヨーロッパのように建物にもっとカラフルだけど落ち着いた上品な原色を使って、全体的なコーディネイトを考えた方が、よっぽどきれいなのに・・・。

 看板だけが、突出してバラバラで品がない・・・。

 と言っといて、当院も思いっきり使っておりますが・・・。

 看板屋さんには悪いのですが、いっせいにみんなでやめてみませんか?

 それと、話はそれますがエコのために、たとえば夜12時以降、営業していない建物の看板の灯りやネオンサインはいっせいに落とせばどうかな・・・コンビニ問題よりずっといいんじゃない??




 作品「道」に関しては、【風景との対話】(新潮社1967年刊)より抜粋・・・というのが載っていましたが、


「ひとすじの道が、私の心に在った。

夏の早朝の、野の道である。

青森県種差海岸の、牧場でのスケッチを見ている時、その道が浮かんできたのである。」



 やはり東北の道か・・・。

 あの透明感ある澄んだ色は東北だよな。




 青と緑の境界の曖昧さに触れましたが、魁夷氏の緑も、この「道」もやはりすべて青という表現に収められるようです。

 このことは、日本では信号の緑を「青信号」と呼ぶ風潮・文化にも似ていますね。

青の巨匠の美 10

2008年07月16日 12時20分16秒 | Weblog
 佐々木徹著による「東山魁夷ものがたり」によれば、「青は私の精神の基盤、内奥の世界の本質を表す色であり、そのヴァリエーションは、私の魂の遍歴を、より鮮明に浮び上がらせるものと言える」とのことだそうです。


 遠くの山が青い理由、空が青いわけ、海が青いわけなどは以前にも解説しました(2006年4月20日と2008年3月13日、14日分)。

 つまり、青とは、遠くの景色が青く見えるように、ひとつの視野の中でもっとも遠い存在であり、また山も、海も、空も青く、赤に比べ波長が短いので距離も遅く、時間的に永遠であり、距離的に遠く、深度的に深い色なのだと。

 心の奥深くにさまざまなヴァリエーションとして、魁夷氏の中に存在する内的な青、これをいかに絵画で表現するか・・・。

 天才ジミ・ヘンも、彼ほどのテクニックをもってしてでも、あるいは地球一のテクを持っていたからこそ、彼の内的な感情をギターで表現しきれずに、ドラッグにおぼれていったと聞きます。





 う~ん、それで魁夷氏には青い作品が多いのだ・・・

 実は単に青が好きで、理由は後付だったりして・・・。

 世の中ってのは、案外そんなモンのこともある。

 国語の試験などでよく、作者はこのときこのような表現を通じて、何を訴えたかったか?・・・な~んて問題の答えの選択肢を見て・・

 ホントかよ、そりゃ作者じゃなくて、問題作った人だとか、芸術家に群がるゴリッパな評論家や研究者の考えじゃん、なんて思いませんでした??

 屈折・・・ヒネクレモノ。





 しかし、青ってのは一見して冷たく感じますが、実は青い炎の温度は赤よりも高かったりするので、油断はできません。

 天空の星でも、反射の惑星と、自ら光る恒星とでは異なるのかもしれませんが、温度の高い星ほど青白く見え、赤い光のほうが温度が低いと聞いた気がします。





 僕は何気にインテリアなどでは、黄色とオレンジとゴールドの組み合わせが、とにかく明るくてなんだかかわいらしくて好きだし、身につけるモノは黒や白、紺といった、オーソドックスで柄のないシンプルなものが多く、また青は非常にきれいで惹きつけられるって感じ・・・

 青にこれだけ惹かれて、青の世界なんつってクドクドと書いてるってことは、魁夷氏のように内面は孤独ってことぉ・・・???

青の巨匠の美 9

2008年07月15日 16時01分45秒 | Weblog
 とあるHPによると、色彩学者小町谷朝生氏は、『色彩のアルケオロジー』(昭和63年)勁草書房にて、

「青はつねに深さを感じさせる色である。

それは本質的に日常性から遠ざかる動きをもつ。

それゆえに古来、瞑想や超俗、永遠を表す色とされてきた。」と。


 また、青の身体原理について、

「青色は不思議な色である。

じっと見つめれば見つめるほど後退する。

還元視によって容易に確認できるように、眼に対しては本来的に深まりを具えている色である。

天空も遠方にある山も遠いから青いのではなく、青いから遠く、あるいは深く見えるのであろう。(個人的にはそれは違うと思う???  )

身体意識としての青色は、活動を抑え興奮を鎮める。

だが、青色は体をリラックスさせ頭脳を瞑想に導いても、神経的緊張を融和させる色ではない。

神経の高ぶりをなだめるのは黄色の役割りだからである。(ホント???  )

いわば青色は、身体を今という時間にある活動から遠ざけるように働く。

体にとっても青色は遠いのである」と指摘している、と述べられておりました。




 そのHPの作者は「確かに青色はこうして日常行動から遠ざかり、そのぶん精神により係わることになるのだが、東山魁夷にとっても青は感覚と精神を繋ぐ色であったと考えられるのである。」としております。

 また、

 「精神と沈静の色であり、また絶えず心の奥に秘められて、到達することが出来ない願望の色である青に魅せられたのは当然であったろう。

東山魁夷にとって青は、心の内奥の色だったのである。」と。

青の巨匠の美 8

2008年07月14日 11時02分11秒 | Weblog
 以前拙ブログにおいて、2007年3/29から、円空と木喰(もくじき)のまあるい「美」、というのをやりましたが、その木喰展が横浜そごうで行われているみたいです。

http://www2.sogo-gogo.com/common/museum/archives/08/0627_mokujiki/index.html




 先の魁夷氏の、「緑響く」の作品全体、これは写真のように美しくはありますが、木々にしても、白馬の首の太さやボディバランスなどの、細部を見れば、やはり明らかに写実的ではなく、どことなくヘンっちゃ変ですが、それは絵だからそれでいいのです。

 さて、日本画における「青」ですけど、日本画の岩絵の具の場合、群青は藍銅鉱から、緑青は酸化銅から、孔雀緑は孔雀石から取られます。

 そのためかどうか分かりませんが、日本画の世界でも緑と青の区別は曖昧・・・文化的にも日本では緑も青の一種のカテゴリーといってもいいと思います。

 ですから、「緑響く」も、緑ですが青い絵画なのです。

 だからといって、緑と青は日本人に識別されていなかったわけではなく、なんていうのかな、あくまでカテゴリーという概念の問題で、分けるまでもなかっただけの話で、識別はされております。

 また、鉱物から取るので、日本画の青は、きっと高価なんだろうと思いますよ。

 フェルメールの青いターバンはラピスラズリを使い(?)、だからフェルメールは生涯貧乏だった、っていうし。

 


 僕は子どものころから、日本画に見られる黒い輪郭に違和感を覚え、また平面的過ぎるために惹かれませんでしたし、なにより浮世絵や掛け軸は不気味でした。

 でも浮世絵からしても、あの平面的で、輪郭がはっきりし、分かりやすい色合い、影や陰影もなく、徹底的な簡略化ってのは、後の日本文化の代表、アニメ(ディズニーのほうが先かもは知れませんが)を予見してますね。

 西洋、アメリカの近年のCGは、立体的で、陰影があって、遠近感があって、簡素化されずごちゃごちゃして、写真のようでもあります。

 だから情報量が多すぎて、見にくいっちゃ見にくいし、紫やピンクや濃いグリーンののメタリックみたいに、色が毒々しくて、人工的な気がしません???

青の巨匠の美 7

2008年07月13日 08時48分19秒 | Weblog
 サミットも期待外れ、首脳には精進料理をふるまって、禅寺で修行してもらった方がよかったですね。

 半歩前進って・・・半歩でいいのかよ????って感じですよね。

 今頃になってようやくテレビで太陽光発電パネルが取り上げられるようになり、国民の目も向かうようになりつつある・・・のかな??

 日本の浮沈のカギを握るプリウスのデザインですが、この記事を見ると、やっぱ寛斎さんに頼んだらどうかな?

http://journal.mycom.co.jp/photo/articles/2008/07/11/8h/images/005l.jpg






 さて、日本画の特徴をお話ししましたが、一方、西洋の油彩画は、はじめから展色剤に溶いて、チューブに入って売られており、パレット上で塗り混ぜたりして、キャンパスに描き、遠近感と立体感や陰影が再現され、作品は光沢があります。

 また西洋画は「精密な写実感」や「埋め尽くし」と「立体感」を楽しみ、また日本画や東洋の作品は写実に基づかない「簡素化」や「空白」を楽しむ、というのもひとつの鑑賞法です。

 しかし、むしろ現代美術は、東洋の方向性ではなかろうか?




 日本文化には盆栽に生け花、箱庭や、俳句・・・そういう簡素化や封じ込め、響き、間・・・簡素化の中の奥行き・・・そんな通ずる精神性がありそうです。

 たとえば水面に広がる波紋に哲学の何を感ずるか、静寂に響くシシオドシのカ~ンという音に人生の何を思うか、みたいに。

 引き算の美学。

 西洋画は、歴史的に写真の代わりといったらよいか、いかに目に映る人物の肖像なり情景をリアルに仕上げるかが目標であり、では写真がこれだけ日常化してしまうと・・・というような限界もあると思うのです。

 それに比して、日本画における「簡素化」は画家個人の自由度が高いので、今後の発展性も見込めます。

 浮世絵の雨を描いた線が、西洋人には理解できないそうですし、それに比べ日本人は子どもでも雨を描写するときに一瞬の雨粒ではなく、時間的に一定時間が経過する時間の連続性を加味した線で描写をしますので、そこいら辺にも違いがありそうです。

 絵画は一瞬ですが永久でもある。

 一瞬の現実にはありえない、静の中に動や、一瞬の中に移ろいを描き、込める。

 本日のイメージは、ターナーの有名な「雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道」ですが、彼は大気やスピードまでをも描写しようとした狂人(?)です。

 彼のような、西洋画のロマン派には、時間の連続性、それを感じることもありますが、余白はなく埋めつくしです。