医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

「菜の花の沖」の美学15

2006年06月27日 12時09分46秒 | Weblog
  いや~、今朝の2試合でサッカーの難しさをまたしても教えられましたね。 

 微妙でしたが、それでもイタリアが勝つんですね・・・。 

 スイス×ウクライナは中2日ですから、お互いよれよれでpoorな試合したが・・。でも普通、エースのシェバがPK戦の最初で外したら「勝負あった!」ですよね・・ 

 やはり女神はタイガーマスク(?の方はこのブログのどこかを見つけてくださいね)を見捨てませんでした。 

 そして今夜はブラジルと、注目のフランス×スペイン・・・ 困った、困った・・


 長くなってしまいましたが、尊敬する「高田屋嘉兵衛」の最終回です。

 彼の命がけの業績である「国後と択捉の開発」に対して、僕は同じ日本人として、その子孫として、誇りにこそ思っても、面倒だからという理由で目をつぶることはできません。

 ロシアからいくら「敗戦の非を認めよ」と言われても、同胞が命を賭して開拓し、日本の文化として成立していた土地に対して、世界的に合法ではないやり方で占拠されているということを認めるわけにもまいりません。

 もちろん、だからといって人間同士が憎しみ合う「戦争」だけは絶対に、断じてしてはいけません。

 ロシアにはロシアの理由はあるでしょう。

 日本には日本の理由もあります。

 敗戦は敗戦として受け入れ反省はしますが、だからといって自虐する必要も卑下する必要もまったくありません。

 当面は解決できなくても、少なくても僕たち日本人は、問題が何なのか、それが僕たちにたとえ都合が悪いことでも今回のW杯開催地のドイツのように、事実は事実として正しく、同じ過ちは繰り返さないように、そして残った問題は解決する努力を促すように、子供たちに、子孫に、しっかりと伝えていく義務があるのではないでしょうか?

 そこに関して国の取り組み、僕たち大人の取り組みは甘いと言わざるを得ません。

 このことが近隣諸国に誤解を与え、他国から日本人には背骨がないと言われてしまう一因ではないでしょうか?

 領土問題に関しても、誇大広告をして、ヒステリックにがなりたてる必要もありませんが、なんとなく臭いものにふたをして、おびえるのではなくて、勇気を出して事実を伝える必要があると思うのです。

 子供たちに正しく伝えるためには、人任せ、政府任せにするのではなく、まずは学校で教えてもらえなかった僕たち大人のひとりひとりが興味を持って、自ら学習しなければなりません。

 それが僕たちの先祖が命がけで託してくれた、その国の大地に安寧(あんねい)として暮らし住む、「大人」としての作法だと思うのです。



 ちなみに作者によれば、御茶ノ水にあるニコライ聖堂を建てたロシアのニコライ神父は、神学大学生時代、ゴローニンの「日本幽囚記」を読んで感動し、そこに登場する高田屋嘉兵衛に魅力を感じ、将来の目標を日本での布教に定めたそうです。

 僕たちの同胞に感動していただき、戦った国なのに、日本に来ていただくなんて、ありがたいことです。


 何の学もなく、一介の商人に過ぎない江戸時代に生きた嘉兵衛の哲学・・・

 「上等の国とは、他国の悪口を言わず、また自国の自慢をせず、世界の国々と穏やかに仲間を組んで自国の分の中におさまっている国をいう。」

 と。

 重くないですか?


 本のタイトルがどうして「菜の花の沖」なのかは、最後まで読むと理解できます。


        -このテーマの終わり-

「菜の花の沖」の美学14

2006年06月26日 13時02分36秒 | Weblog
  さすがベッカム 並みの天才ではありませんね。 

 エクアドルにも拍手を贈りたいと思います。 

 そしてポルトガルが駒を進めましたが、次はデコを欠きます。 C.ロナウドの怪我の具合も心配です。 相変わらずC.ロナウドは魅力的でしたので、まだまだ見たいと思います。 

 オランダも圧倒的に押していただけに、ファン・バステンをほうふつさせるファン・ニステルローイが・・・ 

 オランダはかつての天才クライフの下で、輝ける「オランダトリオ」と称えられた、現監督のファン・バステン、グーリット、ライカールトの時代の、非常に優雅で美しいサッカーとは今回は質が異なりますが、ロッペンはじめ闘志が伝わりました。 

 しかしオランダという国は、ゴッホ、フェルメール、レンブラントにヴァン・ヘイレン、ピーター・アーツにアーネストホースト・・・、すごいですよね。


 
 さて、帰国した嘉兵衛が苦労したのはむしろ、驚いたことに日本側への交渉でした。

 ロシアが相手ではなく、自分の国、対日本交渉だったのです。

 このほうがはるかに厄介だったというのです。

 「日本という国はなんとふしぎな国であったことか」、と作者も述べております。

 当時の日本の役人は嘉兵衛の言葉を借りれば、「他国にすげなくすることが、日本の勇ましさであることを信じ、そうすれば上司が喜び、江戸の有志の世論も満足すると。なんと腰抜けか。勇ましさを気取り、かつ世間に媚びているだけだ。」

 そして作者は「外国を顧慮しないことが正義であるというまでにいびつになっている。外国を顧慮することは、腰抜けであり、国を売ったものとさげすまれる。」
と分析します。

 ですが見事嘉兵衛はやってのけました。

 江戸時代の士農工商の文化の中では最も底辺であるとされた、一介の商人が幕府側から異例の、極めて異例の決定を譲歩させたのです。

 なんと商人嘉兵衛がロシア国との交渉の代理権を得たのです。

 素晴らしいことです。

 そして交渉がまとまり、ゴローニンらが無事ディアナ号に戻り、最後に船を離れる別離のシーンで、リコルドはじめディアナ号の乗組員全員の「ウ~ラァ、タイショウ!」と、見送る嘉兵衛の「う~らあ、ぢあな~!」という互いの声の限りを尽くした掛け声には、例によって感激のあまり不覚にも涙があふれてまいりました。

 ゴローニンをリコルドが無事取り戻せなければ、日露は開戦していたかもしれません。

 嘉兵衛の人柄に関してはこんな記述がありました。

 病人でさえ大将の顔を見たら元気が出ると。



 こんなにも大きな歴史の波にもまれ、しかし飲み込まれることなく、自分を厳しく律し、あの時代にありながら、真実を見極め、ものを洞察し、深く考え、あくまで人として正しく生きようとした「高田屋嘉兵衛」。

 日本の一介の商人が、人質とまでされた相手国ロシアの「信」をも、決して裏切りはしなかったのです。

 日本という国を背負い、誠心誠意リコルドの「信」に応えるべき努力を、自らの命を削ってまで成し遂げたのです。

「菜の花の沖」の美学13

2006年06月25日 17時58分22秒 | Weblog
メキシコの奮闘に眠気が吹っ飛びました・・・ あわや・・でしたね。 むしろあのアルゼンチンを押していました。 砂漠の狐、ボルゲッティもDFのマルケスの飛び込みも見事でした。 日本は体型的にもメキシコに学ぶことが多いのではないでしょうか? あのスピード、足元の強さ、覇気と誇りと闘志・・ 素晴らしかったですね。

 
 さて日本に拉致されたディアナ号の艦長だったゴローニンを救出するために、ゴローニンの部下で、ディアナ号の副艦長リコルド少佐が日本にやってきます。

 しかし日本との救出交渉が不調に終わったため、リコルドはやむなく日本人捕虜の略奪を敢行します。

 たまたま嘉兵衛は海上でリコルドの船に遭い、嘉兵衛は事情を察して意図的に捕虜として捕らわれてやった、のです。

 嘉兵衛にとって幸いなことに、リコルドは礼節と品性と知性を持っておりました。

 そして作者によれば「嘉兵衛は捕虜の身でありながら、しかも日本国の誰からも公式に委任されたことのない国家外交をやってみようと、異常なほど聡明でかつたぐいまれな陽気な精神で請け負った」のです。

 嘉兵衛は人質としてカムチャッカに連れ去られますが、嘉兵衛はあくまで捕虜としてではなく、人間としての尊厳を保ち、一切の食料も自分で持ち込んだもので賄います。

 嘉兵衛の誠実な人柄をリコルドは理解し、嘉兵衛もリコルドを好きになります。

 やがて「いこるつ」と「タカダイカヒ」の間でお互いに「友情」と「信頼」と「尊敬」が芽生えます。

 言葉が通じにくく、異国の地で、嘉兵衛を慕い、大将を守るべく自ら人質になることを希望した嘉兵衛の仲間が栄養失調のため次々と死んでいき、さすがに頑丈な嘉兵衛ですら狂気に足を踏み入れかけるという異常な環境で、ほんの少しずつ膨らむ敵対する大将同士の「信頼」は、僕たちの想像以上のものがあると思います。

 「ストックホルム症候群」かもしれません。

 元来人としての礼に篤(あつ)い嘉兵衛の人柄は、カムチャッカのほかの人々にも好感を持って受け入れられ、ディアナ号の乗組員全員からも「タイショウ」として信頼を勝ち得ます。

 結局リコルドは嘉兵衛を交渉担当に頼むしかないことを再確認し、嘉兵衛を日本に戻し、その代わりにゴローニン艦長を取り戻すことにします。

 嘉兵衛は真の友、リコルドの「信頼」を損なわないよう、「信」を持って誠実に臨みます。

 リコルドにとっても幸いであったことは、嘉兵衛は蝦夷の役人の「信頼」をも所有していたことです。

 その嘉兵衛とリコルドの日本に戻るためのディアナ号の船上と、再上陸した日本の海岸での最後の、ぎりぎりの、命がけの二人の折衝はこの物語のクライマックスであり、読むものに感動を与えます。

 嘉兵衛はまず自分の部下を救うために、船上で死を覚悟してリコルドに1対1の決闘を挑みます。

 説得したリコルドは海岸で、自分の信頼の証として持っていた白いハンカチを2つに裂いて半分を嘉兵衛に持たせるのです。

 そしてディアナ号が交渉のまとまるまで海上で待たされる間中、日本に自由人として帰国した嘉兵衛は、自分をいたわって静養することもなく、自分のことよりもむしろリコルド以下ロシア船員を気遣い、毎日不漁の中採れただけの魚を送り続けます。

「菜の花の沖」の美学12

2006年06月24日 20時46分40秒 | Weblog
 出揃いましたね。 もっともなチームが残っております。 楽しみです。 ポルトガル×オランダ、スペイン×フランスあたりが微妙ですね。 シェバおめでとう ウクライナの子供たちに幸多からんことを アジア枠は減るでしょうから出場は分かりませんが、少なくても4年後には、「神様」ジーコをして、現地で大会が始まっているというのに、シュート練習をさせなくてはならないようなチームではなくなっていることを期待します。 選手の皆さん、(恥ずかしいですから)闘いに堪える体と気持ちを作って出直してください。


 さてさて嘉兵衛ですが・・・

 その後、やはり正式にロシア国から来日したゴローニンを、フヴォストフによって対露政策を硬直させた江戸幕府は、な、なんとあろうことか謀略をもって捕まえてしまうのです。

 ゴローニン少佐以下は日本によって拉致され、縄にかけられ、投獄されてしまうのです。

 救いとすれば、作者によると「町や村の路傍で接した日本人は誰一人として彼らに侮辱を加えたり、嘲笑を浴びせたりは」しなかった、ということでしょうか。

 また「路傍で見学する者の中には水や食物を差し出して、涙を浮かべる者たちも」おりました。

 作者の哲学として、「日本人の倫理は、方便としてのうそは背徳的ではない、ということがある。ゴローニンとのこの真剣な外交交渉の場で、わなを設けたのはこの民族の汚点のひとつだ」としております。

 さらに「日本人はその後も、しばしば外交交渉が緊張すると、西欧の倫理から見れば『背信』と見られがちなことをした。」と。

 「その後の日露・日米戦争の開戦時の不意打ちはこの民族の外交上の悪癖だ。」

 「平時はおとなしいが、緊張状態になると、目的のためにはみずからの信用を泥の中に捨ててしまう。」

 「『信』というものが民族の第一義の財産であることを思うには、みずからがひ弱すぎ、西洋人が強すぎると考えている。」

 「弱者は強者に何をしてもいいと思っているのか、外国人との接触が少ないために、彼らの強大さが悪魔的に見え、悪魔には人間のモラルはいらないと思っているのか、いずれにせよ、陋劣(ろうれつ)な手段を用いた。」としております。

 僕の意見としては、この事件と日米開戦の際とは状況が異なるとは思います。

 しかし、作者が言うように日本人は時に感情的になって、世界的な「信」に背く傾向があることは感じております。

 国民的に感情的になって、いっせいに同じ方向を向いてしまいがちです。

 でもどの国にも、人間同様、欠点はあるものです。

「菜の花の沖」の美学11

2006年06月23日 12時58分03秒 | Weblog
  期待のチェコが敗退・・・ ネドベドとロシツキーのシンフォニーをもっと見たかった・・。 でも決勝トーナメントも楽しみですね。 日本はまだまだこれからです。 ヒデと中澤以外のひ弱さばかりが目に付きました。 体力も技術のうちだし、サッカーは削られるのが当たり前、人に対する強さ、走り、止める、パス精度、シュート力、スピード、突破力、ばね、バランス・・・そしてなにより欠けているのが真剣勝負の凄み・・すべてあの地において成績どおりでした。 ネドベドは何度削られようと、何事もなかったかのようにすくっと立ち上がり、すぐプレーを続け、最後の最後まで決して足が止まることはありませんでした。 とにかくパスを出して出した選手がその場所にとどまるようなチームは、もはやあのレベルではないようです。 MFもパスを出したら、最前線に並んで欲しいですね。 僕たち国民も何が足りないのか、よく理解できたと思います。 ジーコ監督ありがとうございました。



 さて本によれば、ロシアは宝石のように高く売れる黒テンの毛皮を捕獲するため、シベリアからカムチャッカ、そして樺太、また千島列島ではラッコを獲るために南下します。

 作者によれば、「アメリカ大陸に上陸した西洋人は原住民を刈るように殺しながら、土地を奪いその血の上に種をまき、牧場を作り」ました。

 ロシアは「原住民が黒テンを捕獲する技術を持っていたために、虐殺はせずに銃で脅し、隷属させ毛皮を獲らせ」ました。

 毛皮産業と不凍港をめぐって、ロシア皇帝は東方に興味はあるのですが、その一方で西ではナポレオンが暴れて混乱し、それどころではなくなってまいります。

 一方日本は幕府や松前藩が蝦夷を曲がりなりにも治め、国後、択捉を嘉兵衛が航路開拓し、商業を展開します。

 実は鎖国下でも蝦夷人を介した対露交易は密輸で行われており、長崎での防御は固いのですが、北方での鎖国制度はほころびが見えます。

 ロシアは北方での毛皮産業活動を進めるに当たって、名目上はその地での食料品の確保や科学調査のため、軍人クルーゼンシュテルンをバルト海から出港させて、世界一周を操船させて極東に向かわせます。

 彼は対日本ではなく対中国貿易支持者であり、正式なロシア国の使節は対日支持者の毛皮財閥私益代表のレザノフでした。

 彼らは国書を携え、以前ラクスマンがもらった入港証明書を持って、正当に長崎に出向き幕府に通商を交渉します。

 それに対して幕府は、他国の正式な代表使節に対する応対としてはあまりに無礼なまでに、洋上でなんと半年も待たせた挙句、国書も贈り物も受け取らず、「即刻帰国せよ」と冷たくあしらいます。

 レザノフが怒るのも無理もないことですが、そのあまりに冷たい仕打ちに激しい憎しみをもって、帰国したレザノフは日本征伐を企てるのです。

 彼はフヴォストフ大尉らを派遣し、フヴォストフらは樺太から千島(択捉)まで十数回にわたって放火・略奪・拉致を繰り返して暴れます。

 そのため日本はロシアに対して海賊同様とみなし、対露政策を完全に硬直させてしまいます。

「菜の花の沖」の美学10

2006年06月22日 18時15分12秒 | Weblog
  アルゼンチン強し それにしても途中出場のセンターバックのコロッチーニなんて平然と右サイドバックをこなし、精度の高いセンタリングをなにくわぬ顔で上げておりました。 近代サッカーはキーパー以外、ひとつのポジションだけではダメですね。 リケルメはもちろんですが、カンビアッソもロドリゲスも中盤の選手は全員ゴールに向いているし、普通にFWの位置でプレーしてますものねえ・・・  メッシいいですねえ・・ アイマールが控えだものねえ・・ あのオランダでも、2連勝で決勝に行くのに8回かかったそうなので、わが日本もあと20年かかるでしょうかねえ・・・


 さて嘉兵衛の話ですが、嘉兵衛の時代ロシアは以前このブログでも書いたようにロマノフ朝です。

 ブログではサンクトペテルスブルクという都市の美しさと、ロシア人の美意識と、ファベルジェのイースターエッグについて書きました。

 その美しさあふれるサンクトペテルスブルクを造ったピョートル大帝が、近代化の波に乗り損ねてしまったロシアの西洋化を進め、同時に西洋から取り入れて海軍を整備します。

 その後の女帝エカテリーナ2世は生粋のドイツ人なのですが、亭主のピョートル3世(エカテリーナ1世の孫)が知的にも劣り性的不能でもあり、プロシアびいきのためにロシア人貴族から評判も悪く、また奇行も多いため、彼の死後クーデターを起こします。

 彼女は治世34年の長きにわたりロシアを治め、ロシアの膨張にとってピョートル大帝に次ぐ貢献を残します。

 また一方で漂着した日本人の伝兵衛がピョートル大帝と、そして大黒屋光太夫(ラクスマンという人格者の尽力で日本に戻ります)がエカテリーナ2世と拝謁(はいえつ)します。

 光太夫を届けに来た函館でラクスマンに幕府は、通商をしたいならば今度は長崎に来よ、と長崎港の入港許可証を与えました。

 ロシアという国は皇帝がいて、皇帝絶対専制をひいて、貴族と農奴だけの二層構造という社会構成です。

 また作者によれば、西方のヨーロッパ人がロシア人の悪口を言うときは、「所詮はタタール(韃靼)だとさまざまな隠喩で言う」そうです。

 ウィキペディアによれば、タタールあるいはタタルは、北アジアのモンゴル高原から東ヨーロッパのリトアニアにかけての幅広い地域にかけて活動したモンゴル系、テュルク系、ツングース系の様々な民族を指すとのことです。

 また中国や朝鮮では、女真・満州を含めて北方の諸民族のことを「韃虜」「韃子」などと蔑称するそうです。

 つまりロシアはキリスト教の最東端(といってもカトリックやプロテスタントではなく、ギリシャ正教会、すなわち東方教会ですが)、つまり白人文化の最東端になるわけですが、西洋人はロシアのことをアジア人との境のためそのように蔑称するようです。

 東洋人からすれば失礼な話です。

「菜の花の沖」の美学9

2006年06月21日 12時09分40秒 | Weblog
 ここで面白い実験をしましょう。

 普段われわれは日本地図を見るときに、北海道が上、沖縄が下、という当たり前の縦長の日本国の絵になじんでおります。

 ところがそれを90度半時計回りに回転させると、問題が見えてまいります。

 北にはカムチャッカ半島と、間宮海峡によって大陸から隔てられたサハリン(樺太)、そして問題の千島列島、また南には以前書いた小説「ハイドゥナン」の舞台である沖縄、宮古、そして石垣・西表・与那国をはじめとする八重山諸島・・もうすぐそこは台湾です。

 日本という国は地形上、ユーラシア大陸のまるで「柄」のように横たわり、他の国々が太平洋に出るのをあたかもふたをし、邪魔をするかのようにすっぽりと覆ってしまうのです。

 もし千島列島がすべて日本であれば、日本国内を横切らない限り大陸側からオホーツク海を通過して太平洋に出られなくなります。

 韓国や中国の黄海から見ても縦長の日本の領土が邪魔であり、大陸諸国からすればそれらは資源上、戦略上重要であり、地理・地形上まさに日本は目の上のたんこぶなのです。

 特に不凍港に飢えるロシアにとっては、ロシア国民のアレルギー的恐怖心ともいえる閉塞感が過剰に反応しております。

 ロシアはスウェーデンを叩き、バルト海の制海権を奪うことにより、ようやく海を手にしました。

 黒海はトルコに阻まれていたので、おのずとカムチャッカを意識するようになります。

 一方極東日本は海洋国であり、太平洋側が大きく開いておりますので、大陸諸国の閉塞感が理解しにくいものです。

 しかし現在のロシアが返還を拒むのは、港が理由ではなく、単に日本にあまり関心がない、外交カードに取っておこうというのが実情のようです。

 今回僕は別段、日本人がよく言われるように、WBCやトリノオリンピック、特にサッカーW杯等に触発されて、にわかナショナリズムの高揚感によって感傷的にこんなことを書いているわけではありません、ちなみに。

「菜の花の沖」の美学8

2006年06月20日 12時29分43秒 | Weblog
 現在日露間には北方領土問題があります。

 「菜の花の沖」を読むまでは、その問題はなんとなく自覚しておりましたが、街宣車が訴える問題であって、僕の生活とは直接的には関係ないな、北海道の人は大変だな、くらいのことでした。

 それと僕は別段、偏狭的・排他的・強硬的な国粋主義者でもありません。

 普通に日本を愛する一般的な国民です。

 日本という国は保守派vs市民派のヘゲモニー争いもあるために、微妙な問題にはふたをして、子供たちにもきちんと教育をしないで、うやむやにごまかし、問題を先送りにする、という傾向があります。

 敗戦という事実がそれをさらに捻じ曲げております。

 もちろん事の善悪は政治が判断するものではなく、歴史が判断するものです。

 しかし史実というものはそもそも相対的なものであり、常に絶対的正義があるとはかぎりません。

 意見が対立する場合、どちらにも言い分はあるものです。

 また、時代背景によって、英雄が一夜にして敵役(かたきやく)になったり、その逆もありえるものです。

 ただ、何が問題になっているのか、事実はどういうことなのかは、国やマスコミが国民にきちんと知らせて、また僕たち国民はしっかりと理解するということが必要なのではないでしょうか?

 子供たちから
「なんで北海道の上の小さい島と左側の大きい島の下半分だけは色が白いの?なんていう国なの?」
「天気予報で出てくる北海道の上の島の名前は何?日本じゃないのになんでそこだけテレビに出てくるの?」
と聞かれたときに、大人が答えられるようにしてあげたいものです。

 そのことを学校でも逃げずに子供たちに正当に教育し、日本側の主張、相手国の主張をも事実として伝えるべきではないでしょうか?

 「日本人には背骨がない」と海外諸国からよく言われます。

 微妙な問題にはっきりとした意見を持つことが、異端児扱いされやすい社会だからです。

 現実を事実として把握し、感情的にならずに、冷静に考えましょう。

 相手をののしったり、さげすんだり、おとしめたりすることなく、相手の気持ちも思いやって、例え日本にとって都合が悪いことでも、事実を事実としてとらえ、自分で考える、ということは大切なことではないでしょうか。

 自分が住んでいるこの国のことはひいては自分のことなのですから、面倒がらずに自分の意見を持っても良いのではないでしょうか。

 面倒がるということは、義務を放棄することですから、権利を主張することもできません。

 それが大人のマナーだと思います。

 また政治家はその国の民衆や民度の鏡です。

 政治家の能力をのろうことは、選んだ自分たちをさげすむことです。

 それにテレビを見ていると、例えどんな国も若者でも、それが発展途上国でも、政治に関しては熱く、信念を持って語ります。

 それが国民として、その国の大人として当たり前の作法だと僕は思います。

 日本でもし街頭インタビューがあって、「この領土問題をどう考えるか?」と質問したとして、一体何人の方が自分の意見を持っておりますでしょうか?

 日本では政治を語ることが、タブー視されることがあります。政治的意見を持たないことが善、思想的傾向が就職にも問われる・・・そんな虚像の殻は打ち破りましょう。

 ご覧になられてまだこの問題をご存知でない方がいらしたら、これを機会に下記をご参照されて、ぜひとも歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)の名は、覚えることにしてみてはいかがでしょうか・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%96%B9%E9%A0%98%E5%9C%9F

「菜の花の沖」の美学7

2006年06月19日 12時01分25秒 | Weblog
 韓国頑張ってますね。 フランスはどうなる??

 さて3の「くだりもの」でお書きしましたように、上方はものを作り、一方江戸は米で得た金で商品を作らずに買い続けるのみです。

 嘉兵衛は商人ですから嘉兵衛の哲学として、「商品というものが人間に物事を数量と質でとらえるという『認識』を与える」、と信じておりました。

 例えば、「あれにはあれで事情がある、というのは学問では教えられない『認識力』である」と。

 「(商人の町)上方にはこの『認識』はあるけれども、(侍の町)江戸にはそれがなく、嘉兵衛は心の中では『侍などばかだ』と思って」おりました。

 嘉兵衛はその生い立ちから、何を造る能力もないくせに、既得権益の上にあぐらをかいて威張り散らす武士階級やお役人を軽蔑しておりました。

 ところが高橋三平という嘉兵衛の後見人とも言うべきお侍に、蝦夷開発を通して直に触れ合うにつれ、彼らに「志」を感じるようになります。

 「『認識』は『わけ知り』をつくり、『わけ知り』には『志』がない」と。

 「『志』がないところに、社会の前進はない。」

 そして作者は「志」というものは、現実からわずかばかり宙に浮くだけに、花がそうであるように、香気がある、と表現します。

 さすが高名な作家だけにとても素敵な表現をされるものですね~。

 素晴らしい!

 この本全体でここの表現がもっとも美しいと感じました。

 「志」には香りがあるというのです。

 確かに志や花は例え存在しないとしても、現実社会で食うには困りません。 なくても生きていけることを口にしたり、抱いたりすることは確かに現実からは少し宙に浮くものです。しかし香りがあると・・・。うますぎますね~。

 ~「志」というものは、現実からわずかばかり宙に浮くだけに、花がそうであるように、香気がある~

「菜の花の沖」の美学6

2006年06月18日 14時56分31秒 | Weblog
  グループEで波乱が チェコがまさかの敗戦 ガーナ金星 これがサッカーというもの そしてイタリアアメリカ戦では、イタリアが1名退場・USAは2名退場という荒れた試合に。 イタリアは前半早々に退場者の関係で王子トッティを交替せざるを得なくなり、これまたよもやのドロー。 さすがのネスタ、カンナバーロ、ブッフォンもあのオウンゴールには鍵をかけられなかった しかしデル・ピエロも惜しかった・・・ グループEはわからなくなりました。 これでドイツ、エクアドル、アルゼンチン、オランダ、イングランド、ポルトガルが決勝トーナメント進出ですか? ポルトガルも元ブラジル代表監督フェリペの下、フィーゴとデコの活躍と、なんといってもクリスチアーノ・ロナウドは面白いですねえ


 嘉兵衛は独立後、蝦夷とロシアに大きくかかわってまいります。

 松右衛門のすすめもありましたが、運命というものでしょうか?

 北海道はいわし・にしんが採れます。その油を絞ったあとの乾燥肥料が「木綿」の肥料になるため、「蝦夷地のにしんが本土に運ばれて、日本人にようやく満足な衣料を着せるようになる」という当時の事情がありました。

 そのため、「それを運ぶのが北前船である以上、船はいくらあっても足るということもなく、荷はどれほど多くても売れぬということがない」、という時代でした。

 問題は航法、資金、荒波の日本海を安全に航海できる船の性能、そして一番厄介なことが既得権益の絡む営業権の免許でした。

 それを彼は持ち前の明晰な頭脳、洞察力、勇気、誠実さ等を発揮して、次々に難問を解決していったのです。

 一方蝦夷では松前藩が「場所請負制」のもとその地を治めておりました。

 作者によれば、「この藩は広大な採集の宝庫の一角を占めた悪組織というほかがない」と断罪しております。

 そして、「みずから藩や藩人個々の利益になること以外に、どういう思想も持っていなかった」と。

 彼らはアイヌの方々を奴隷のように扱い、「死のうが生きようが、藩人たちにとってなんのかかわりもない」状態でした。

 嘉兵衛は函館を拠点として、北前船にて成功を収めて行きますが、ちょうどその頃、松前藩は蝦夷の「場所請負制」が、悪事が露呈して幕府から「お召し上げ」となり、蝦夷は幕府の直轄地となります。

 その際に嘉兵衛に白羽の矢が立ち、幕府から蝦夷開発の依頼を受けるのです。

 嘉兵衛と幕府は開発と同時にこれまで虐げられていたアイヌの人々を、内地の日本人と同じように扱うように改革と開発を断行します。

 幕府にしてみれば、自分たちお役人は商いは素人、加えて操船技術も船もないために嘉兵衛を、そしてなによりその人柄により嘉兵衛を見初め、またアイヌの方々が万一ロシアに懐柔されたら北から鎖国が崩壊するので困る事情があったのです。

 そして嘉兵衛は国後(くなしり)と択捉(えとろふ)間の、非常に難航する海路を、船乗りの名人として自らの手でまさに命を賭して開拓し、漁場として優れた択捉でアイヌの人々とともに商業を興すことにも成功しました。

「菜の花の沖」の美学5

2006年06月17日 21時25分12秒 | Weblog
  さすが、イングランドはベッカムのあの正確無比なクロスといい、ランパードとジェラードは守備的MFなのにあれだけシュートに絡んで・・・ため息ばかり アルゼンチンも強いし・・・ 今夜はポルトガルにチェコにイタリアと、目白押し・・・ああ今夜も寝ていられない・・


 さて嘉兵衛は兵庫「北風屋」を通して商業を学ぶのですが、と同時に世話になった老舗「北風屋」と新参者「高田屋」の立場の違いによる軋轢(あつれき)と苦労も重ねます。

 そして嘉兵衛に強くかかわる人物に「松右衛門」がおります。

 これがまたできた旦那で、松右衛門は言わば、当時の日本中の船乗りがその名を知らぬものがいないと言われた伝説の船乗り。

 船乗りの名人であるばかりではなく、「帆布(はんぶ)」をはじめ数々の発明も行いました。

 しかも彼の発明した帆布の仕上がりが素晴らしいため、生産が需要に追いつかなかったのですが、彼は積極的にその技術を他人に教えたそうです。

 もし製法を秘密にし、製造を独占していれば巨万の富を積んだことでしょう、と作者は言います。

 しかし彼は『人の一生はわずかなものじゃ。わしはわが身を利することでこの世を送りとうはない』というのが口癖でした。

 そればかりか、他人がその帆で儲けるのを見て喜んでいたそうです。

 「彼の思想と意図も、その帆を世に広めて船乗りの難渋を救う」という、お金儲けよりも一段高位のレベルにあったのです。

 また彼は『人として天下に益する(公益)ことを考えずに、為すことなしに一生を過ごすのは禽獣よりも劣る』という思想の持ち主でした。

 そういう人物に囲まれて成長した嘉兵衛自身も、成功はしますが、そのポリシーは『商売とは利を求めて欲は求めない』というものです。

 ビジネスとは商品を欲する人たちに届け、人々に「便利」を供給し、その正当な作り賃や運賃、手間賃を頂戴するものであり、私腹を肥やすためのものではない、という理念です。

 彼は言います、「欲で商いをするものは例え成功しても小さくしか成功せず、仮に大きく成功してもすぐ滅ぶ」と。

 「我欲の強い人間はすでにそのために盲目になっており、耳も欲で聾している。そして利益は元来が薬効を持つ毒物のようなものであり、息せき切ってそれを追求すれば毒に冒され人格がこわれかねない。店の者に対して利益追求のために鞭打つようなことをした場合、当人も店の者も精神まで卑しくなる」と。

 「お金儲けが悪いことですか?」と毒づくどこかのファンド経営者や、プライベートジェットに芸能人をはべらせてラスベガスのギャンブル場を貸し切ったことを自慢する若手社長にも読んでもらいたいものです。

 その贅沢分を人間として、世界の飢えた子供たちにどうして分け与えることができないのでしょうか?

 今の世の中が資本主義という錦の旗の元、あまりにも経済やお金という色眼鏡を通してだけ世間を見るものだから、僕たちは人間として大切なことが見えなくなってはいないでしょうか?

「菜の花の沖」の美学4

2006年06月16日 11時09分39秒 | Weblog
  みなさん、チェコのサッカーご覧になりましたか?

 以前日本が強化試合でUSAに、スコア以上にぼこぼこにやられましたよね。

 そのドノバン、オブライエン、レイナ率いるUSAに対し、3-0と快勝しました。

 その昔、加茂元日本代表監督がやろうとして、ついぞ日本代表ができなかった、チェコ代表のゾーンプレスとトライアングルの美しさに付け足して、個人の能力の高さと力と走りにうっとりしてしまいました。

 プラハの聖ヴィート大聖堂やあの時計台を思い浮かべながら・・・。

 とにかく、パスを出したら出した者が出した後すぐ走り出し、全員が連動してそれを感じ、パスを出してお役ごめんで足を止める選手などおりません。

 個々のポジションは常に流動的です。

 まさにオーケストラのシンフォニーのように、心地よい流れるような美しさ・・・芸術的ですらあります。

 イタリア戦が楽しみです。

 特にネドベドとロシツキーの中盤は素晴らしすぎです。

 二人とも中盤なのに、常にゴールを狙っております。

 ネドベドは日本で言えばヒデ、攻守に精力的に動き回り、ヴァイタルエリアはもちろん、最終バックラインから最前線までどこにでも顔を出します。

 倒されても何事もなかったかのようにすぐ立ち上がり、相手に文句のひとつも言いません。

 そしてネドベドのパス1本で、10番の本来司令塔ロシツキーが裏に抜け出し、驚くばかりの快速で走りぬけあっという間にDFを置き去りにしてそのまま自分で3点目のゴール。

 ヒデ→俊介だけで1点という、日本国民が泣いて喜ぶようなシーンを頭の中で重ねあわせてしまいました。

 1点目はサイドから、ドンピシャのセンタリングに超長身FWの頭、2点目はロシツキーの鮮やかで豪快なミドル、そしてスピードに乗った3点目・・・どれも完璧でした。

 洗練されております。

 このブログをお読みの方は、チェコもスペインも、クロアチアやセルビア・モンテネグロの歴史や国情もよくご存知のはずですから、W杯を見てもまた別の見方や楽しみ方ができるのではないでしょうか?

 このままではアジア枠は減らされても文句が言えません。ぜひともクロアチア戦で一矢報いてもらいたいものです。


 本によれば、嘉兵衛が国抜けした先の当時の兵庫には「北風屋」という、兵庫の代表的な廻船(かいせん)問屋がありました。

 「おぬしもワルよのう・・」の廻船問屋です。

 あまりいい印象がない職種ですが・・

 ところが北風屋は、雨が降れば店先に傘を積み上げます。

 人々はその傘を借りますが、借りるのは無断です。

 返納に関してもやかましく言いません。

 もちろん返却率は悪いのですが、それでも雨のたびに傘を積み上げます。


 北風屋の家訓は「荷主、船頭、水主(かこ)働きなど、身分を問わず船に乗るものを大切にせよ」でした。

 港というものは入船する船が多くなればなるほどその街が富むわけですから、北風屋は少しでも兵庫に入船数を増やすために、船乗りたちに「兵庫の北風に入りさえすれば、寝起きから飲み食いまですべてただじゃ」と言われるまで船乗りを大切にしたのです。

 北風家が船乗り一般に要求していたのが「誠意と礼儀正しさ」であり、そういう相手であればどんな相談にも乗る、というのも家訓だったそうです。

 記録にも『すこぶる公共事業につくせり』とか『北風家の栄華豪奢は、決して個人的虚栄にあらずして、社会慈善の意味を含むのおごりなりき』等の記載があるそうです。

 港が不況の際には金を出して同業者を救い、飢饉のときには窮民を集め、彼らに賃金を与えて荒地を拓いて美田にし、毎年冬には貧窮者にその田の米を与えたそうです。

 江戸の商業史上、きっての大器量人であったと、作者は評価します。

 僕はこの本を読んではじめて、兵庫「北風屋」を知りましたが、とても考えさせられました。

 商いをする人間が目先の私利にとらわれず大局を見据えて、大きな視点でものを考えております。

 やはり現在のアメリカ中心の、まず最初に「お金ありき」の考え方、何事でも「カネ、カネ、カネ」と他人から奪うのみのはげたかビジネスと、日本の伝統的な商いの美徳とは相容れないものがあるなあ、とつくづく感じるとともに、そのような日本の伝統文化を誇りにも思います。

 何か新しいことが生まれるのであれば、そこに新しい価値観も生まれますが、新しいものを生産する仕事でなければ、パイは決まっておりますので、当たり前のことですが、儲かる人がいれば損をする人もいる話です。

 本来の正当な会社への投資という株の目的を逸脱して「株で儲ける」というビジネスは、ギャンブルと一体何が違うのでしょうか?

 僕には疑問です。

 むしろギャンブルの方が潔いだけ正当です。

 国民がみんなで何も生産せずにギャンブルに明け暮れて、お金に目の色を換えて飛びつくことを繰り返していても良いのでしょうか?

 国を挙げて投資せよと。

 資産運用といえば聴こえはいいですが、小学生に株を教える・・・理屈は理解しますが、僕は心からは賛同できません、皆様もお感じだと思いますが、このひっかかり感は何なのでしょうか?

 仕事というのは社会に対して何をなしたか?が問われることではないのでしょうか?

 こんなことはセンチな夢想でしょうか?

「菜の花の沖」の美学3

2006年06月15日 18時13分33秒 | Weblog
  どの国も、シュートを外して舌を出したり、失敗して苦笑いしている選手はいないものですね。 

 ましてやこの舞台で走ることをやめてしまう選手は、世界広しといえど、日本以外では・・・許されるのはロナウドだけみたいです。 

 トップ下でパスを出して終わる選手も今やいないようで・・自分でも勝負に行くし、パス後も積極的に前線に走りこんでます。 

 一人で何役もこなしてこそ、代表のようです。 

 それに・・ゲームの以前に気持ちの問題のような気がしませんか??

 
 さて、日本の「いじめ」問題ですが、これは何も日本の学校や会社だけではなく、特に昨今のマスコミの報道、国民の評価や態度にも、大いに感じるところもあります。

 日本は敗者復活が可能な社会を目指す、と言いますが、弱きもの、反論ができないもの、叩きやすいものを、みなで目を吊り上げてぼこぼこに叩きのめす風潮は、まるで自らの鬱屈したうさをはらすかのごとくであり、僕にはとってもコワイ・・・。

 これではとてもとても、敗者復活なんか許されないぞぉ~、という国民の意思の表れのようにすら見えてしまい、そのことがむしろ自分の首を絞めることになるということに、つい苦笑してしまいます。

 昔、ヒロトの歌で、「弱いものたちが夕暮れ~、さらに弱いものを叩くぅ~」ってのがありましたね。

 近頃の日本国民は、他人の失敗に関してずいぶんと鷹揚(おうよう)さに欠けるものだ、と常々思います。

 誰も言いませんが、同じ時期の政治家の失態でも、権力を持つ側の献金事件と、権力を持たない側のメール事件と、一体どちらが重いでしょうか?

 そしてどちらにマスコミは偏重し過熱報道し、結果国民はどちらをより非難していたでしょうか?


 さてさて嘉兵衛は、そんな淡路を抜け出したく、その際に、な、なんと敵対する若衆のアイドル、網元の娘「おふさ」に夜這いをかけ、一緒に命がけの村抜けを敢行するのです。

 遠戚がおり、そしてその店に兄嘉兵衛よりも先に奉公している弟を頼って、兵庫に国抜けしました。

 兵庫の湾は水深が深いために、水深の浅い大阪湾の代わりに、大船を扱う港市として大いに栄えていたそうです。

 江戸時代は陸路が、幕府の諸国反乱防止という事情があって、あえて意図的に未整備だったため、物資輸送の手段は船が中心でした。

 当時幕府は日本海の出羽の米を、下関経由で瀬戸内海、兵庫を経て熊野灘を回って江戸へ運ぶ、いわゆる北前船(きたまえぶね)航路を成立させております。

 作者の言葉を借りれば、「江戸」は関東という商品生産の未成熟地に、人工的に作られた都市でした。

 それに対し、上方および瀬戸内海沿岸の商品生産力が高度に発達していたため、江戸はあらゆる高価な商品は上方から仰がねばなりませんでした。

 しかも最初は陸路より人馬でごく少量運ばれていましたので、(上方から江戸への)『くだりもの』は貴重なもの、上等なものという語感で用いられたそうなのです。

 そしてなんと関東産は『くだらない』と卑しまれたそうなのです。

 え~!! 関東人としてはとってもショック・・・。

 「くだらない」とはそういう意味だったんだ・・・

 また福井県の「敦賀」などは、京都の外港としての役割を果たし、大いに賑わい、文化的成熟度も高く、加賀の米がいったん敦賀に荷揚げされ、琵琶湖を経て大津に貯蔵されていたそうです。

 山形の「酒田」は、出羽の米、紅花、上質の麻の産地であったため、まさに『豪富の地』だったそうです。

 それを見ても分かるように、京都が文化の中心であり、大阪が商業の中心、それを全国に広めるのが滋賀は近江商人、関西から瀬戸内海沿岸が商品生産、北陸・東北が米の産地で、日本海沿岸都市が船貿易の寄港都市として栄えたのです。

 現代の東京~太平洋沿岸の中心の文化とは勢力図がだいぶ異なるものです。

「菜の花の沖」の美学2

2006年06月14日 13時01分49秒 | Weblog
 クロアチアも強いっす 韓国おめでとう

 今夜のスペインウクライナも楽しみです。

 さて最初にお断りいたしますが、これから書くことはあくまで、「菜の花の沖」からの引用がほとんどです。

 許可を得ているわけではありませんが(当然ですけど)、勝手な本の解説というか、紹介というか、読書感想文というか・・・。

 嘉兵衛は江戸後期、1769年生まれ、ナポレオンと誕生日が一緒です。

 時代はアメリカが独立戦争を始め、イギリスで産業革命があり、重商主義が発展し、イギリスとフランスが植民地戦争を繰り広げる頃です。フランスでは啓蒙主義が起こり、フランス革命があり、その後をナポレオンが引き継ぎます。

 本によれば、嘉兵衛は少年時代、故郷淡路島では大人顔の悪童で、腕白が過ぎ、自分の尺度で悪だと思えば気が狂ったように相手を殴り、大人にも会釈すらしないため、近所の厄介者でした。

 彼は11歳で、食い扶持(ぶち)を減らしたいわが家の事情を察し、家を出て川ひとつ隔てた隣の集落の親戚、商人和田屋の奉公人としてわが身を売ります。

 ところが日本では男子が13~15歳頃になると、必ず若衆宿(わかしゅうやど)という大人社会に出て行くための準備と訓練を行うための組織に入らねばなりませんでした。

 彼はその際に、日ごろからよそ者扱いを受けた和田屋のある宿を選ばず、あえて自分の出身の宿を選びました。

 自分が今住んでいる場所の宿を選ばない、それはひとつ間違えれば、当時では殺されてしまうこともあるという重い選択であり、昼間の居づらさは異国以上のことであったそうです。

 嘉兵衛は少年時代、路上の記憶で楽しかったことは一度も無かったそうです。

 地元の若衆から理不尽ないじめを受け、村八分という不条理な嫌がらせをいやというほど経験しました。

 この「いじめ」という文化に対し司馬遼太郎氏は興味深い分析をしております。

 作者によれば、「いじめ」は日本独特の習慣であり、(「もったいない」ではないですが、)中国語にも英語圏でも「いじめる」という単語は無いのではないかと。

 なるほど「イジメ」という日本語は英語版wikipediaでは「日本の社会現象」と解説されております。

 英語では乱暴者的な意味合いで「bully」という英単語はありますが、同じ「いじめる」にしても、脅すとか威張るという意味合いを帯びます。

 ただ近年、ヨーロッパでもこの「いじめ」という現象が、社会問題化してきているそうです。

 確かに日本では現代でも、「いじめ」という陰湿な文化は、僕たちの生活のはざ間にも見え隠れしながら残存しております。

 逆に悲しいことですが冷静に観察すると、この「いじめ」の文化を理解しない限り、外国人が日本を理解することも難しいかもしれません。

「菜の花の沖」の美学1

2006年06月13日 12時36分58秒 | Weblog
  いや~残念でした。 日本の敗戦について、言いたいことは山ほどありますが、今ここで書くことは、まだ戦いのさなかにいる選手たちに失礼になりますので、ここはじっと我慢。 クロアチア戦を応援するしかありません。

 チェコ、強いね。

 この期間中、みなさんもこんな退屈なブログを読む暇など・・・と思いきや、変わらぬご訪問、というかむしろ増加しているアクセス、驚きとともにありがとうございます。

 頑張って更新します。

 以前、江戸時代後期の「高田屋嘉兵衛」について書きました。

 彼の並外れた偉業のわりに、世間での知名度が低いと思ったからです。

 先日、日本人が尊敬する日本人トップ10みたいなテレビ番組がありました。

 結果は僕の予想通り、1位織田信長、2位坂本龍馬でした。

 日本人は、この二人がお好きなようです。

 僕の場合なかなか一人に絞るのは難しいですが、この高田屋嘉兵衛は、僕の心の中ではかなり点数が高いです。

 そのときにも書きましたが、司馬遼太郎氏の「菜の花の沖」という全6巻の作品があります。

 読まれた方も多いかと思います。

 物語はおおよそ4部構成になります。

 第一部は嘉兵衛が故郷淡路島の貧家に生まれ、その少年時代から、厄介者扱い、逃げるような駆け落ちと兵庫への国抜けをするまで。

 第二部はその後兵庫で商人として独立し、独立後の北前船(きたまえぶね)で成功を収める青年期。

 第三部は幕府から依頼を受け挑んだ蝦夷開発。

 第四部はゴローニン事件と、それにまつわる歴史家としての著者のロシア観と当時におけるロシア情勢です。

 作者には国民的な人気もあり崇拝者も多く、作家としての評価も大変高いのですが、その語り口は、小説家としてだけでなく歴史家として、色々な史実を交えながら進んでまいりますので、これはあくまで好き好きでしょうが・・・ホントを言うと実は僕はあまりのめりこめないのです・・・ごめんなさい。 

 確かに日本の研究者としては素晴らしい業績です。 ですがどうも、僕の脳内の自由空想劇場が分断されてしまうというか・・・なんと表現したらよいか・・・

 ただし僕がこの本から得たものは非常に大きいので、ぜひ皆様にご紹介したいと思います。