他国の悪口など決して言いたくはありませんが・・・、アメリカがStupidな指導者どもによって明らかに腐っている・・・。
何の罪もない子供や民間人を空爆によって何十人も殺している狂人国家に対し、アメリカは即時停戦は求めないだの、挙句の果てに武器や危険物などの人殺しの道具をイギリス経由で空輸しているらしい・・・。
世界警察を自認していながら、自分たちの勝手な理由や利益ばかりを他国に押し付け、まるでアメリカが潤うことこそが世界の平和だみたいないんちきな理屈を振りかざし、ユダヤ人には尻尾を振ってへつらっている。
気分を変えて塔の話題ですが、タワーの色についても、東京タワーにはきっと、航空法か何だかで規制があって、よくビルの上にくっついている建築用のクレーンと同じ配色の赤白であるために、色気も美しさも香気も感じません。
エッフェルは落ち着いたベージュでパリの街並みにもマッチしております。
だからといって、見慣れてしまったせいか、東京タワーがベージュではやはり東京の街には映えない気もしますよね。
そしてなにより異なるのは建造物を「見せる」という、国民の観念です。
エッフェル塔には、その姿が正面から対称的に見えて、写真に撮ったり絵に描いたりするのにふさわしい「風景画」としてのアングルをきちんと確保してあります。
その確保された空間には、エッフェルの姿が映る水の演出があり緑が彩るのです。
美意識の高いパリジャン・パリジェンヌのまさに心憎い配慮です。
セーヌ川流域からシテ島には、観光客が見渡す視線に基づき、パリの風景に規制がかかっており、新しいものや高いものを建造できないようになっております。
ここまで徹底して街の財産を保存しようとしているのです。
これは住民の美意識の問題ですね。
東京タワーにはそのような配慮が一切なされず、対称的にタワー全体が映る場所が、果たして存在するかどうかも不明です。
つまりパリ市民は塔を建造物、芸術として「見せる」配慮を行っているのです。
繰り返しますが、それは景観を大切にする、国民の美意識とそこから派生するお役所や行政の規制の問題だと思います。
ごみごみとして醜いただの四角い箱をとっ散らかしたようなビル群であったり、個性のない鏡張りなだけを誇る近代ビル群に囲まれて、何の序章もなく突然にょきにょきと片足をビルにかけて浮かび上がる、非対称にしか映らない機能重視の紅白スチールタワーは、ある意味アジアのTokyoにマッチしていると自虐的に思ってしまいます。
アジアの混沌(カオス)としたパワーや上昇志向、エネルギッシュさです。
好みの問題もあるでしょうけれど、近代的な街並みよりも、歴史を感じる古い街並みに魅力を感じます。
-続く-
何の罪もない子供や民間人を空爆によって何十人も殺している狂人国家に対し、アメリカは即時停戦は求めないだの、挙句の果てに武器や危険物などの人殺しの道具をイギリス経由で空輸しているらしい・・・。
世界警察を自認していながら、自分たちの勝手な理由や利益ばかりを他国に押し付け、まるでアメリカが潤うことこそが世界の平和だみたいないんちきな理屈を振りかざし、ユダヤ人には尻尾を振ってへつらっている。
気分を変えて塔の話題ですが、タワーの色についても、東京タワーにはきっと、航空法か何だかで規制があって、よくビルの上にくっついている建築用のクレーンと同じ配色の赤白であるために、色気も美しさも香気も感じません。
エッフェルは落ち着いたベージュでパリの街並みにもマッチしております。
だからといって、見慣れてしまったせいか、東京タワーがベージュではやはり東京の街には映えない気もしますよね。
そしてなにより異なるのは建造物を「見せる」という、国民の観念です。
エッフェル塔には、その姿が正面から対称的に見えて、写真に撮ったり絵に描いたりするのにふさわしい「風景画」としてのアングルをきちんと確保してあります。
その確保された空間には、エッフェルの姿が映る水の演出があり緑が彩るのです。
美意識の高いパリジャン・パリジェンヌのまさに心憎い配慮です。
セーヌ川流域からシテ島には、観光客が見渡す視線に基づき、パリの風景に規制がかかっており、新しいものや高いものを建造できないようになっております。
ここまで徹底して街の財産を保存しようとしているのです。
これは住民の美意識の問題ですね。
東京タワーにはそのような配慮が一切なされず、対称的にタワー全体が映る場所が、果たして存在するかどうかも不明です。
つまりパリ市民は塔を建造物、芸術として「見せる」配慮を行っているのです。
繰り返しますが、それは景観を大切にする、国民の美意識とそこから派生するお役所や行政の規制の問題だと思います。
ごみごみとして醜いただの四角い箱をとっ散らかしたようなビル群であったり、個性のない鏡張りなだけを誇る近代ビル群に囲まれて、何の序章もなく突然にょきにょきと片足をビルにかけて浮かび上がる、非対称にしか映らない機能重視の紅白スチールタワーは、ある意味アジアのTokyoにマッチしていると自虐的に思ってしまいます。
アジアの混沌(カオス)としたパワーや上昇志向、エネルギッシュさです。
好みの問題もあるでしょうけれど、近代的な街並みよりも、歴史を感じる古い街並みに魅力を感じます。
-続く-