医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

女王の美しき葬祭殿4

2007年09月30日 10時17分44秒 | Weblog
 テロは許せませんし、同胞が傷つけられたことを忘れはしませんが、かつての優秀で輝ける王国が、邪教徒の西洋にいいように奪われ搾取され、今や困窮を極めている市民層・・・

 テロ行為を生み出す貧困という背景・・・。

 日本を始め、世界のごく一部の富裕層のみが、シャンパンをあけている現状・・・

 前回に続きどうしても愚痴っぽくなってしまいますが・・・

 それらを理解できるように努めたいとは思ってはいますが、しょせん飽食の国日本に住むずるい僕・・・

 だけれども暴力で人を殺める行為だけは断じて許されません。




 また、エジプト南部アスワン近郊、スーダンとの国境近くの「ヌビア」遺跡には、「アブシンベル遺跡」があります。

 ラムセスⅡ世が建設し、大神殿は太陽神ラーを、小神殿はハトホル女神を祭神としていて、小神殿は最愛の「王妃ネフェルタリ」のために建造されたものです。

 あの、4人の大きな神々が椅子に座っていて、1体の上半身が崩れている、有名な神殿・・・(写真)。



 いや、その昔、鉄腕アトムという手塚治の名作がありまして・・・

 兄がカッパコミックスってので、鉄人28号とともにアトムを一通り持ってましてね。

 あの頃のワクワク感や感動って、残りますよね、一生・・・陽の当たる2階のろうかに寝そべって、少年時代、いったい何度読みしたことか。

 その中の「地上最大のロボット」の巻きってのがあって、プルートというなかなか味のある悪役ロボットが出てきましたが、他にもモンブラン、ノース2号、ブランド、ヘラクレス、エプシロン、ゲジヒト、そしてボラーと、各国を代表するロボットが特長豊かに登場して・・

 こういうの好きなんですよ・・・たまりまへんな。

 あれ?それとも「エジプト陰謀団」の巻きだっけ?

 そのときにその巨大彫像が出てきて、それがそのままロケットになって、敵の博士が逃げて・・・ように記憶があります。

 「ロボイド」の巻きも面白かったな。

 アトムは下手なハリウッド映画より、よっぽど深いし、考えさせられるし、ワクワクするよな・・・。

女王の美しき葬祭殿3

2007年09月29日 20時28分42秒 | Weblog
 テーベにある「最も選ばれた場所」の「カルナック神殿」には、「アメン大神殿」群とこれをはさんで北側にメンチュ神殿群、南側にムート神殿群があるそうです。

 そしてカルナック神殿の中心を形成するアメン大神殿の付属神殿として建立され、スフィンクスの参道でつながっていたのが、アメンホテプ3世が建設した「ルクソール神殿」。

 アメン大神殿境内には主神殿のほかにコンス神殿、オペト神殿、プタハ神殿、ラムセス3世神殿、トトメス3世祝祭殿、アメンヘテプ2世祝祭殿等があるそうです。

 そしてかのエジプト最大の王、第19王朝のラムセス2世も、神殿を建立しました。



 しかし、エジプトも気の毒で、あれほどの栄光を称えながら、西欧の列強にしてやられてしまい、例えばルクソール神殿のオベリスクの1本をフランスのナポレオンが勝手に持っていってしまい、いけしゃあしゃあとコンコルド広場においています。

 まあこれに関しては、1830年に当時のエジプト総督ムハンマド・アリがフランス国王シャルル10世に贈った、という説もありますが、実際はどうなのでしょう???


 でももし、日本に外国から発掘団が次々にやってきて、日本の遺跡をほじくり返して、何かが出土したとしても、それを勝手に発掘団が見つけたんだから俺のものだ、あるいは戦争で勝ったんだから戦利品だと称し、日本人の宝を日本国外に持って帰られたら、それは日本のものなのだから返せと怒りますよね。

 そんな盗人のフランスやイギリスが、戦勝国だからって核兵器まで備えて、国連で常任理事国だなんて威張っているのですから、貧困に苦しむエジプトの人から見ればおかしなものです。

 その上、他国にはなんとか決議案なんて出して、自分たちばかりが正義面したりして、自分らの過去にはなんら恥じ入らないのだから、なんだかとっても滑稽・・・。



 1996年11月、忌まわしきテロリストによる観光旅行客の銃殺の舞台となってしまったのが、このハトシェプスト女王葬祭殿・・・

 悲しい事ながら記憶に新しいところです。

 イスラム原理主義過激派の手によって58人もの旅行者が亡くなり、うち10人は日本人でした。

 これは断じて許されません。

女王の美しき葬祭殿2

2007年09月28日 07時08分35秒 | Weblog
 以前にも紹介いたしましたが、究極のワンパターンですが、病み付きになってしまう、クリスチャン・ジャックの

「太陽の王 ラムセス」

「光の石の伝説」

「ピラミッドの暗殺者」

「自由の王妃アアヘテプ物語」

等々があります。

 そちらは全部読みましたが、最近、「ブラック・ファラオ」と「光の王妃 アンケセナーメン」と「永遠のツタンカーメン」を入手し、こっちはまだ読んではおりませんので、面白かったらまたお伝えします。

 「太陽の王 ラムセス」は当院のスタッフにも好評でした。

 クリスチャン・ジャックを読むと、自分が今、まるでその当時のエジプトで暮らしているかのように錯覚してしまうくらい、読ませ方が上手です。



 そのエジプト、ハリファ警部が住んでいる現ルクソールは、古代エジプト時代にはテーベと呼ばれました。

 カイロやギザからは離れますが、観光の目玉、カルナック神殿を中心に、ルクソール神殿にハトシェプスト女王葬祭殿や、王家の谷などが集中します。

 古代エジプトの王都は地中海よりの北の都、カイロに程近いメンフィスに置かれることが多かったのですが、中王国の第11王朝から新王国の第18王朝までテーベがエジプトの都とされました。

 恥ずかしいことに僕はエジプトを訪れてはいないくせに、クリスチャン・ジャックのおかげで地図は頭に入っております。


 古代エジプトの歴史はややこしいのですが、大雑把に言って、「古王国」、「中王国」、「新王国」というエジプト統一国家があったと思ってください。

 ピラミッドが造られたのが「古王国」時代、

 「古王国」と「中王国」の間に第1中間期があって政治が混乱し、

 「中王国」と「新王国」の間にはシリアに源を有する異民族ヒクソスの支配を受けるなど混乱して統一が崩壊した第2中間期があって、

 再びエジプト第18王朝の王イアフメス1世が第15王朝(ヒクソス)を滅ぼしてエジプトを再統一してからの時代が「新王国」であり、その「新王国」時代が古代エジプト文明が最も栄え、現代に残る数々の記念建造物や神殿などがつくられたのです。

 その新王国第18王朝には、このハトシェプスト女王や、古代エジプトのナポレオンと称される女王の義理の息子トトメスⅢ世、さらには有名なツタンカーメンらがいます。

 その後の第19王朝にはなんといっても、古代エジプト最大の王にして太陽の王、ラムセスⅡ世やその父セティⅠ世(いわゆるエジプト美術はこの治世に完成されたものです)がおります。

 偉大なるファラオとして、トトメスⅢ世、セティⅠ世、ラムセスⅡ世、この3人は覚えましょう!

女王の美しき葬祭殿1

2007年09月27日 07時45分47秒 | Weblog
 ハリファ警部に魅せられたため、エジプトつながりで続いてみます。

 「古代エジプトで最も美しい建築物」とされる『ハトシェプスト葬祭殿』。

 この構想をまとめていたところ、先日奇遇にもテレビで、菊川怜さんのナビゲートで、ハトシェプスト女王の特集をやっていた様子・・・。

 「カンビュセス」での愛すべきハリファ警部も、このハトシェプスト葬祭殿がもっとも美しいと思い、もっとも好きだと言っております・・・確か。

 有名な、官吏(かんり=国家公務員)で、政治家、建築家にして女王の愛人と噂されるセンムトの設計です。

 一般に「神殿」とは神を祀ったお寺のようなもので、「葬祭殿」とは死後の王を祀るための殿舎を指します。

 また葬祭殿は、言ってみれば死後の王を奉るための宮殿で、やがて来たるべき王の「復活」を願うだけの建築物ではなく、王自身の記念碑でもあると言います。

 そのため、葬祭殿にはその王の姿や功績などがレリーフとして描かれているそうです。

 また葬祭殿はお墓とは異なり、王が死後に再生復活するための儀式も行ったようです。

 ミイラ作りもここで行なわれたようですね。

 まあ、分かりやすく日本流に言えば、定期的に法事を行う所であったと解釈すればいいようですけど。

 死後を祀るためだけでこの規模ですから、エジプトのすごいところです。


 ハトシェプストは、唯一の女性のファラオです。

 即位は第18王朝に相当し、BC1504~1484年です。

ペルシャの美宝9

2007年09月26日 12時27分07秒 | Weblog
 その代わり、自分の収入がその限度を越えて、弱者に大きく配分された勝者には、国際的な名誉を与え、勲章も授け、みんなで尊敬する・・・甘い考えですね・・・


 それにしても僕たち日本人、たとえ本音はどうあれ、お金を第一義目的として行動することは、人間としてもっとも恥ずべく卑しい行為だから慎まねばならない、心では思っても口に出すことは憚(はばか)れるんだ、ということが忘れ去られてやしませんかね?

 かつて武士が貧困を受け入れ、傘つくりのアルバイトをしてでも、道を踏み外さずに、むしろ金に振り回されるのを忌み嫌った美しい「武士道」の精神はいったいどこに??

 それなのに、ああそれなのに、株で浮かれる日本人を見ると、同胞よ、そこまで卑しくなったのか、そこまで落ちてしまったか・・・と悲しい気分になります。

 テレビをつければ、政治とカネ、年金、株価・・・カネ、カネ、カネ・・・。

 純粋な宗教は失われてしまい、アラブ世界以外は(それはそれで問題もあるとは思いますが)、日米を筆頭に拝金教教徒であふれかえっております。

 神、カミはカネに、godはgoldに変身されてしまったかのようです。

 自分の目先のことももちろん大事なことですが、僕たちは気づかない、他の国々から見た日本の立場からすれば、他国で貧困に苦しむ方々の思いを常に胸に秘める必要性があるのではないでしょうか?

 飽食の日本に暮らし、酒を飲みご馳走を食い散らかして残している今その瞬間にも、世界の大半の人々が困窮に苦しみ、親と一緒に住めないストリートチルドレンがマンホールで寒さに凍えて、学校にも行けず空腹のあまり水を飲んで飢えをしのいでいる事実を忘れてはなりません。

 国民の一人ひとりが、そのような境遇を憂うこと、助けたいと願うこと。

 常に弱者をいたわること、自分のことは我慢すること。

 また、言ったモン勝ち、クレーム大国に成り下がろうとしている日本・・。

 だれしも自分のことを中心に物を考えますが、「自己犠牲」に勝る美徳はないのではないでしょうか?

 それこそが日本の品格ではないでしょうか?

 そんなところからでもはじめられたらいいのに・・・。

 総理大臣がそんなこと叫んでも、青臭いだけさ、そんなの理想論だよ、と国民の誰一人にも届かないものでしょうか?

 僕はそうは思いません。

 国益、国益ばかりではなく、それを言う、世界的なリーダーは出現しないのでしょうか?

 子どもに教えるには、まず僕たち親たち、大人たちからです。

 偉そうなことばかり言って、僕も拝金教に流されないように気を引き締めないと。

-このテーマの終わり-

ペルシャの美宝8

2007年09月25日 12時00分23秒 | Weblog
 だって豊かな国はごくわずかで、世界中の1/5の人々が、あるいは10億人以上ともいわれる同じ地球の人間が貧困に苦しみ、子どもたちが飢え、3秒に1人無垢な命を落としているというのだから、どう考えても今のシステムはおかしいでしょ?

 アフリカにおける貧困は、その欧米中心主義の現れでしょうけれど、では南アジアの貧困はどうなのでしょうか?

 日本のすぐそばの南アジアで5億人もの人々が、一日1ドル以下で生活しているといいます。

 それらの国では、欧米中心主義が原因いうよりは、むしろその国のオトナが悪いために、統治機能が劣悪であるということにも因るのかもしれません。

 公的保健制度と教育制度が、貧しい人々の助けとなるどころか、その国の権力ある者たちをさらに豊かにするための仕掛けと化している、と聴きます。

 ずぶずぶに浸ってしまっている僕たちは、すぐ隣のことなのに、たまたま他の世界が見えないだけです。

 それにしたって現代の経済の考え方には、やはり強者が弱い誰かから奪い取ってやる、という血生臭さが感じられませんか?

 欧米主義に乗っかったまま、株だ投資だ、それ行け上げ潮だと、浮かれていてよいのでしょうか・・・?

 こういう世の中なのだから仕方がないのでしょうか?

 もちろん、だからといって社会主義や共産主義、ばら撒き政策が望ましいとも思いません。

 人間、競争がなければ必ず堕落するからです。

 しかし、同じ人間なのに、かたや同じ人間を召使いとして命令し、掃除も行き届かないような大豪邸に住んで、自家用ジェットに乗って、プールだ、クルージングだ、という勝者がのさばる一方で、親と離れマンホールに暮らす子どもたちが同じ地球上で暮らす、というのは誰がどう考えたっておかしいでしょ??

 小学生に聴いてみたほうが良い。

 そこまでの贅沢を、強者・勝者だからと許す必要性もないでしょ?

 んなもんはコーカソイドの悪しき伝統、現代の間違った醜い貴族主義にすぎないでしょ?

 弱者の人たちの人間として最低の生活を保障し、強者側はもっとゆるやかな競争にして、その分を弱者に配分する、これじゃだめですか?

 幼稚な考えですが、収入は青天井ではなく、例えば年間5億円もあれば(具体的にはいくらだってかまいませんが)、偉い勝者さんだってそこそこの贅沢をして生きていけるでしょ?

 でもそれだと、5億のところで手を抜いて、経済全体がしぼんでしまうのかな?

ペルシャの美宝7

2007年09月24日 19時45分43秒 | Weblog
 かつてヨーロッパのキリスト教十字軍は、他人の土地エルサレムを奪還しようと企図して、イスラム教やユダヤ教の人々を惨殺して勝手に奪い取りました。

 その殺戮のむごさは、現代社会では権力側(白人側)に都合が悪いのであまり語られませんが、とてつもなく、シナゴーグやモスクに流れる血液が、足首を覆うほどであった、ということです。

 そしてカトリックは、同じキリスト教ながら正教をも弾圧しました。

 その他人の土地を奪ったクリスチャンが、今や世界の富裕層となり、本来クリスチャンに虐殺されたはずのユダヤとイスラムが、手を握らずに敵対してしまい、カナンの地で血で血を洗い・・・。

 ユダヤが、本来敵であったユダヤから見たら邪教徒のキリスト教徒に、誇りを棄てて救いを求め、米英はユダヤの持つカネのために加担し核まで与え、今やイスラムは我慢の限界を越え、異教徒のキリスト教にもテロを仕掛け・・・。

 テロや暴力や戦争は絶対に許されませんが、それを生み出す背景を、怒りが湧き上がってくる原因を考えねばなりません。

 『聖教会最古の秘宝』にも、パレスティナ人の言葉で、西洋のやつらはこの国にやって来て、勝手に憐れみ嘆き、また安全な自国に戻ってから、自分はなんて心優しい人間なんだと納得する、というような文章が出てきました。



 しかしわが日本は、遠すぎるこの地のことを対岸の火事とせず、世界全体のバランスを考えるべきだと思います。

 口先だけで平和を、憲法九条を、とヒステリックに唱えたところで、物事は一向に動きません。

 まず、僕たち一般国民にできることは、エルサレムの情勢を他人事とせず、監視の目を、興味を持つこと、それには実情を正しく認識することから始まるのだと思うのです。



 西洋、特にアメリカという勝ち馬にたまたま乗ったために、たまたま今のポジションがあるわが日本。

 西洋のクリスチャンが作り上げた価値観で動かされているに過ぎない世界情勢だとか、世界経済の仕組みのきしみや、拝金主義の痛みを憂える必要はないのでしょうか?

 ヨーロッパ人、アメリカ人の、いわゆるコーカソイドのクリスチャンが都合よく作りあげた、この民主主義と自由経済というルール。

 もちろんよい面もありますが、これが絶対正義だとは到底思えません。

ペルシャの美宝6

2007年09月23日 14時59分32秒 | Weblog
 「カンビュセス王の秘宝」の小説自体は、何より面白いですし、巧妙にプロットが仕掛けられ、最後にどんでん返しも待っておりますが、少し小説家として小細工しすぎかな・・・というきらいがないこともありません。

 個人的には、愛すべきエジプトのハリファ警部に主人公をしぼるべきかななどと思い、その点、魅力的な登場人物も多い分、誰が主人公なのか少しぼやけた印象にもなってしまっている気がします。

 そしてハリファ警部をもう少し、人間味豊かに、ユーモラスに描いていただければ、なおさら良かった気がします・・・あまりに生真面目で欠点がなく、どうしても人間味が弱い気も。

 しかし、考古学が本職でもあるジャーナリストが描いた小説だけあって、とっても楽しめました。

 安全が担保され、言葉さえ不自由しなければ、こんなホテルに泊まってみたい。

http://www.ogaki-tv.ne.jp/~naima/adrere%20amella%20hotel.htm

 やはりレイダースでもそうですが、古代のお宝の物語・秘宝ものは、古代遺跡、宗教マニアにとっては、とっても面白くって。

 冒険、謎とき、暗号、古地図、宝探し、ロマンス、戦い、古代宗教、秘儀、カルト的要素、知的要素・・・どう考えても小説の題材として、一番面白くなるのは必然ですね。

 それらを十分に楽しむためにも、このブログはうってつけだと思うのですが・・・なんちゃって・・自画自賛ですみません。

 『カンビュセス王の秘宝』の著者ポール・サスマンには他に、『聖教会最古の秘宝』もあり、いずれまたやりますね。

 こちらも愛すべきハリファ警部が活躍しますが、こちらはエジプト、ユダヤ教、パレスティナ、十字軍にキリスト教、正教に、以前お書きしたラングドックのカタリ派とモンセギュール城(2007.3.5)と・・・

 僕のストライクゾーン、ど真ん中直球でした。

ペルシャの美宝5

2007年09月22日 04時28分26秒 | Weblog
 シーワオアシスでは、ヤシの林をぬう砂の道を進んでいくと、小高い丘の上に「アメン神殿」、別名「神託の神殿」(オラクル神殿)が姿を現すそうですよ。

 エジプト王にも即位したアレクサンダー大王はここで、「アレクサンドロスはアメン神の息子である」という神託を受けたと言われています。 

 アレクサンダー大王のミイラは、現在は行方不明だそうですが、一度、シーワ・オアシスに運ばれたという説もあるそうです。

 シーワ・オアシス近郊ではアレクサンダー大王の墓の探索が続けられているそうですから、そこに新たに今度はギリシャ・マケドニアの聖杯の物語も生まれそうですね。

 そんな話を聞いただけで、よだれが・・・。

 どなたかギリシャの聖杯伝説、書きませんか?

http://tabisite.com/gallery_af/egypt/oasissb.shtml

 エジプトの西部砂漠は5つのオアシスが点在し、まるで砂の海に浮かぶ5つの島のようだそうです。

 それらはシーワ、バハレィヤ、ファラフラ、ダクラおよびカルガです。

 5つのオアシスは地図の上をジグザグに走る1,000kmの道によって繋がっているそうです。

 結構、そんな場所にもかかわらず、訪れている日本人観光客がいることにびっくりです。

http://www.egypt.or.jp/local/Oasis.html

ペルシャの美宝4

2007年09月21日 10時59分57秒 | Weblog
 「カンビュセス王の秘宝」訳者あとがきによると、


 「西方砂漠ではアモニア人が激しく抵抗して帰順しないので、これを撃つべく、テーベから征討軍を派遣する。

彼らはテーベから7日間の旅程を消化してシワのオアシスに立ち寄り、そこからさらにアモニア国をめざすが、国境まで後半分というところで小休止して昼食中、突如として南から来襲した強烈な砂嵐に巻き込まれ、全員砂に埋もれて永遠に姿を消してしまう。

その正確な場所は誰にもわからないが、もしも彼らを発見すれば、ツタンカーメンの墓など比較にならないくらい重要な、考古学史上最大の発見になるといわれている。」

ということなのです。

 ドキドキ、ワクワクしませんか?


 アモニア人という名はおそらくアメン神殿の、アメン・ラー(古代エジプトの太陽神)に由来し、アンモニアとか、アンモナイト、あるいはアモン(悪魔)の語源になっています。

 ナイルの西は、遠くリビアまで砂漠が続き、その砂に埋められた財宝、遺物こそが、言ってみればペルシャの聖杯、お宝の山・・・というわけです。

 当時、地中海沿岸の大国としてはペルシャ・エジプト・ギリシャ(マケドニア)がありましたから、この3国による三つ巴だったわけですね。

 そして果たしてこれもアメン神の思し召しなのか、カンビュセスの悪行からか、消えた軍はどこへ行ったのか、今日まで歴史上の大きな謎となっているそうなのです。

 「カンビュセス王の秘宝」本編では、

「ヘロドトスによると、軍団は‘祝福された者たちの島‘と呼ばれるオアシスとアモニア人(びと)の国との中間で砂に埋められたことになっている」そうです。

 「われわれの知るかぎり、そのオアシスは今のアル-ハルガだ」

 「いや、あれはアル-ファラフラだという人もいるけどね。正直いって、ほんとうのことはだれにもわからない。アモニア人の国はシワだ。」

ペルシャの美宝3

2007年09月20日 11時10分28秒 | Weblog
 さてここからがお楽しみ・・・

 エジプトを征服したカンビュセス2世は、エジプトの南隣のエチオピアまで手に入れようとしました。

 先遣隊を撃破されてしまったカンビュセスは、頭に血が上って常軌を失ったため、ろくすっぽ糧食の準備をせずに遠征し、瞬く間に糧食は尽きてしまったとのことです。

 そしてなんと軍需品輸送用の家畜まで殺して食べる始末になってしまったそうです。

 そこで引き返せばよかったものの、強引に行軍を続けさせたため家畜も殺し尽くし、道端の雑草で飢えをしのいで砂漠地帯にさしかかったとのことです。

 そこで10人一組でクジを引き、当たった者を殺してその肉を食べると言う、いわゆる「カンビュセスの籤(くじ)」が行われるに至って、カンビュセス2世は退却してしまったそうです。

 更に嫉妬心の強いカンビュセス2世は、聡明で人望の厚かった弟のバルディアを、本国のペルシャに帰させた後に、弟が謀反を起こす夢を見て刺客を送って殺してしまったとのことです。

 悪い王様だったようですね。

 この不幸な「カンビュセスの籤(くじ)」に関しては、古き漫画オタクの僕も読んでいないのですが、藤子F不二雄の短編漫画にもあるそうです。

 何かが作者をインスパイアしたのですね。

 

 そして、ヘロドトスによると、ペルシャの王カンビュセスは、神託で名高いアメン神殿を攻略しようとシーワ・オアシスに兵を送ったところ、5万もの大軍が、砂嵐に巻き込まれてこつ然と姿を消したそうです。

 おそらくそれは、エチオピアがシーワとはまったく別方向なので、「カンビュセスのくじ」のエチオピア遠征の際ではなく、別の遠征だったのだとは思いますが、どうなのでしょうか?

 なにせ5万人ものペルシャ兵士が砂嵐に遭って、サハラ砂漠の延長上、エジプト西部砂漠の砂に埋もれているそうなのです。

ペルシャの美宝2

2007年09月19日 11時35分40秒 | Weblog
 カンビュセス王は暴君であり、酒に酔って多くのひどい行為を行ったようです。

 優れた親を持つダメ息子の、ありがちなパターン・・・・王の器ではなかったのでしょうか?

 カンビュセスの後が、ダレイオス1世。

 ダレイオスがキュロス王朝の、傍系か、王朝交代による捏造かは、研究者の間で論争中です。

 ダレイオス1世とその子クセルクセス1世(クシャヤールシャン)は、ギリシャ征服を計画してペルシャ戦争を起こしましたが、失敗しました(紀元前5世紀)。

 帝国はペルセポリスに大殿を造営し、繁栄を謳歌していたのですが、以前お書きしたようにペルセポリスはアレクサンダーに破壊されました。

 ペルシャ帝国はちょうどダレイオス3世の代に、マケドニア王国のアレクサンダー大王の侵攻で、紀元前330年に滅んだことになります。

 現在のイラン民族にとって、アケメネス朝ではなく、ゾロアスター教を国教としたササン朝(サーサーン朝)の方が直接の国家的祖先と見なされているそうです。

 ササン朝はインド、クシャーナ朝、ローマ帝国、中国、突厥(とっけつ、とっくつ=テュルク≒トルコ)など、当時の世界帝国と交流があり、ユーラシア西部の文明の一大中心地であり十字路でもあったそうです。

 また、キリスト教、ゾロアスター教、仏教などの世界宗教を総合するマニ教が誕生しました。

 ササン朝ペルシャという国家と結びついたゾロアスター教は、逆にキリスト教の東方への浸透と、仏教の西方への浸透を阻む役割を、結果的に果たして融合吸収したようです。

ペルシャの美宝1

2007年09月17日 02時58分47秒 | Weblog
 前々より、西洋主義に毒されすぎている僕たち日本では、アラブやペルシャなどの中東文化に対する理解や尊敬が不当に低い、と感じております。

 そして僕は古代遺跡・宗教モノを扱った小説が好きなために、以前より色々紹介しておりますが、ダヴィンチ・コードで有名になったキリスト教の聖杯や、異端とされた南フランスのカタリ派の聖杯の話をしました。

 では、中東の異端児、かつてのペルシャ帝国(現イラン)、ひいてはイスラムの聖杯はあるのでしょうか?

 僕がひいきにしている、エルサレムにペルシャやアラブ、エジプト・・・・・

 ここの読者のみなさまにはすでに、アラブとペルシャ、イランとイラクの違いも十分にご理解いただいていると思います。



 さてさて今回はペルシャの聖杯です。

 ポール・サスマンの『カンビュセス王の秘宝』 The Lost Army of Cambyses 角川文庫

に、そのペルシャの聖杯の話が出ております。


 ペルシャといえばアケメネス朝か、ササン朝。

 そのアケメネス朝の創始者は、(僕的には)かの「大キュロス」です。

 このキュロス大王が、つまりはイランの建国者で、古代イラン帝国(ペルシャ帝国、アケメネス朝)の初代皇帝(紀元前550年-紀元前529年)です。

 キュロス大王は、古代エジプトを除くすべての古代オリエント諸国を統一して、空前の大帝国を建設しました。

 またここが大キュロスのすごいところですが、大王は新バビロニア王国を倒し、バビロンに入城して「諸王の王」と呼ばれ、バビロン捕囚にあったユダヤ人を解放したのです。

 キュロスは被征服諸民族に対して寛大であったので、後世に理想的な帝王として仰がれ、旧約聖書ではメシア(救世主)と呼ばれているそうです。

 当時にしては珍しい、理性的な王、優れた知将だったのですね。

 今エルサレムに現れてくれたなら・・・。

 そして紀元前525年にキュロスの息子カンビュセス2世(カンブジャ)は、ついにエジプトをも併合して古代オリエント世界を統一しました。

 そのため、エジプトの第27王朝では、このアケメネス朝が、王となります。

 日本人の僕からすると、エジプトの態度はかなり分かりにくいのですが、外国人をその国の王と認めてしまうというか、認めざるを得ないというか・・・。

 エジプト人は大らかだなあ・・・。

美しき月の存在と物理26

2007年09月16日 04時42分12秒 | Weblog
 今週は遅い夏休みを取らせていただいておりますので、更新が滞りがちになりますが、明けたらまたなるべく続けますからごひいきのほどを・・・

 さて、素粒子は観測してしまった時点で、確率の波動は収束し、あらゆる可能性が消失します。

 そして観測したその瞬間に、非局在の遠隔作用として、他者の運命もその慣性系で決定付けてしまうのかもしれません。

 そして宇宙のような真空でも、波動が伝わるのなら、真空は何もないのではなく、分かっていないだけの何かが存在するのではないでしょうか?

 しつこいようですが、それとも光子は本当に媒質を必要としないのでしょうか?

 もし媒質が必要としますと、それはアリストテレスに始まる「エーテル」という、古い考えに立ち戻ることはわかってはおりますけれど。

 そして意識や時間といったもの、また情報のやり取りは、実態がないといいますか、目に見えませんよね。

 人間の意識は体のどこに局在しているのでしょうか?

 脳は本当に記憶を入れる引き出しだけで、キーボードはどこかでだれかが叩いているのでしょうか?

 脳の記憶量はいったい、何メガバイトなのでしょうか?

 僕たちが空気としか感じない空間に、目には見えないだけの、実は意識という無数の素粒子が満ち溢れてはいないのでしょうか?

 また時間と空間を操る見えざる何かが、存在しているのでしょうか?

 そして神の見えざる手が、無限の圧縮を行いビッグバンが起こったのでしょうか?

 それは考えにくいですね。

 

 量子テレポーテーションや量子通信、量子コンピューターの将来はいかに!

 IBMが本気で取り組んでいるという、量子論、量子エンタングルメント、量子テレポーテーションに基づく、絶対に破られない暗号の成立は近いのでしょうか?

http://www.phys.s.u-tokyo.ac.jp/field/field_9.html



 世界はめまぐるしく変遷しており、遅れないように知的好奇心だけは持ち続けたいものです・・・。

 世の中で最も価値のあるブランド、それはその人間の個人ブランドの「教養・知性」と「品」、滲み出す「人間性」と「自己犠牲」の精神だと思います。

 たまにはいいこと言うなあ・・・

 こういう気持ちをテレビ業界にも持ってもらいたいものですね。

 お金で変えないものの方が、価値が高い。

 楽(らく)やお金こそ、追い求めることは恥ずかしい、たとえ思っても口に出してはいけない、それが「大和魂」だ、という価値観の変遷が期待されます。

 どんなにブランド品で身を飾っていても、知性と品性を欠くあまりに、それゆえによりこっけいな日本人のなんと多いことか・・・。

 それこが西洋人から見た、日本人への蔑みとなっているのでしょう。

 もちろんブランドばかりか、知力にも教養にもまったく興味がない、宇宙も地球も光もタイムマシンも関係ねえやい、俺が興味あるのは酒とスロットと競馬だけ、という方もいらっしゃるでしょうけれど、それはそれで、まぁその方の生き方ですから・・・。

 僕は品がなければ教養も低いので、せめて教養を今以上には身につけるべく努力、努力・・・。

 -このテーマの終わり-

美しき月の存在と物理25

2007年09月13日 09時27分34秒 | Weblog
 東洋思想は、自己追求型ですから、同一化や共生もありますが、言ってみれば徹底した個人主義とも言えるのではないでしょうか?

 釈迦も高僧も出家して、家族を棄て、自分の解脱に取り組んでおります。

 その世界観も、物や関係に対する己の欲を一切放棄し、自己を徹底的に無の境地に追い込む、といったあくまで自己鍛錬のような気がします。

 そうなって初めて、同一化が生じるのであって、安易にやれ人間と森や木や地球や宇宙が同一だ、なんていうなまっちょろいものではないと思います。

 ただ、西洋の啓蒙主義だとか経験論者は、世界を絶対的他者として考えます。

 そして理性によって万人に公平な根本原理を見極めようとします。

 こちらのほうが、現代日本人は慣れてしまったことも事実です。

 インド哲学では、宇宙の根元をブラフマン(brahman)と呼び、それに対して人間に内在する原理をアートマン(atman)と名づけ、その二者が一体化した状態を求めるわけです。



 しかしここは十分に気をつけないと、怪しげなニューエイジ系だとか、いかがわしいカルト思想などの、アングラ集団・・・

 果てはどこかの新興宗教集団のようになってしまいますし・・・

 事実、量子・東洋思想といったキーワードでインターネットを探索すると、実際にその集団のホームページにもたどり着いてしまいます。

 例のエセ科学者が、国家転覆を企てた、あの・・・。




 僕の個人的な意見ですが、科学は科学、思想は思想ですから、あくまで分けて考えるべきではないですかね?

 量子力学者が評価したからといって、別にだからといって、東洋の思想や仏教のほうが偉いわけでもなく、ややもすると量子論を仏教にむりにこじつけている気がしてなりません。

 それまで虐げられていた東洋の思想が、それみたことか西洋よと、少し浮かれている現実が、冷静に見るとあるような気がします。

 このブログでも何度となく、東洋思想の素晴らしさについては言及してまいりましたが、西洋の思想にも、アラブの思想にも優れた点はあり、別にどこが勝っているわけではなく、地球上の同じ人間が考える事ですから、それぞれに特徴があり、極論すれば大差ありません。

 量子力学者も、目の前の不可思議な現実に、確かに弁証法的で理性的な哲学では説明がつかなくて困ってしまって、目新しくて神秘的な東洋の思想によすが(縁)を求めてしまい、ノーベル賞受賞者の科学者には失敬ですが、本当に東洋哲学を理解したのだろうか??って気がしないでもありません。

 月はあります。

 見ていなくても断じてあります。

 あるでしょ?・・・ありますよね??