医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

ヨーソロに感じた美学2

2006年10月31日 12時17分38秒 | Weblog
 確かにこれらは戦いへの備えだし、言ってみれば人殺しの道具でもあるし、過去にこれらによって命を落とすことになった先人がたくさんいらっしゃる話です。

 僕自身、絶対に戦争は嫌ですが、自衛隊の方々は万が一の有事の際にはたとえ自分の命を投げ出してでも、僕たちを守ってくれるわけです。

 四方が海に囲まれ、地続きの国境がない海洋国日本の安全と安心はこうして守られているのか、と感嘆するとともに感謝の念を抱きました。

 また緊急災害の時には自衛隊の方がきっと駆けつけてくれ、救出してくれるはずであり、とても頼もしく映りました。

 というと、何だか自衛隊の回し者のように聞こえるかもしれませんが・・・世の中の国々や人々がみんな話がわかって、聞く耳を持って、交渉に応じてくれて、平和主義の人々ばかりならばこんな心配もいらないし、理想ですし有り難いことです。

 ですが冷静に考えて残念ながら現実はそうでない、ということは昨今身につまされていると思います。

 日常生活でも相手が武器を携帯し、悪意を持って近づいてくるのであれば、自分の身は自分で守るしかありませんが、僕は武器を携帯していないのでおまわりさんに助けてもらうしかありません。

 自国民の平和と安全は自国民が、その道のプロが守る必要があります。

 そこらへんは下記の小説を読んでみてください。


①「亡国のイージス」 講談社文庫/ 福井 晴敏

 映画「亡国のイージス」がテレビで放映されておりましたが、先日の観艦式に日程をあわせたのでしょうか?

 それともただの偶然でしょうか?

 以前にもお書きしましたが、僕は歪んだ映画マニアなため普段邦画はめったに見ませんが、これは原作に感銘を受けたので見てみましたけれども、映画はぺけでした(ごめんなさい)。

 原作は素晴らしいので、一度お読みになられる事をぜひお薦めいたします。

 この映画では自衛隊が全面協力したそうです。


②「宣戦布告」麻生 幾/講談社

 北朝鮮の特殊部隊が敦賀原発を襲い、右往左往する日本政府。

 最初は警察が出動しますが、北朝鮮軍の精鋭から見れば大人と子供。

 もし日本が自国内でも自衛隊を出動させれば、それは宣戦布告になります。

 映画も作られたそうですが、こちらは周囲の状況を鑑み、自衛隊は頑なに徹底して協力を拒んだそうです・・・やはりお薦めです。


③「北朝鮮最終決戦」 ハンフリー ホークスリー / 二見書房

 この本は本屋でたまたま目に留まり、正直言ってあまり期待をせずに読んだのですが、B級の真骨頂かも。

 期待以上に面白かったです。

 印-パで緊張が走り、インドに核兵器が落とされ、そこに北朝鮮が加わり、日本が核武装を宣言し、中国が立ちはだかり、ロシアが駆け引きを行い、日本が核攻撃を受け、アメリカも・・・。

 まさに現代の国家間の起こりえるシナリオ、だまされたと思ってお読みください。




 戦争は絶対に嫌ですが、観艦式のパンフレットに載っていた、たとえ家族でなくても君を守る、この海を守る、誰かを助けたい、救いたいという気持ち、それさえあればいい、というフレーズは美しく、考えさせられるものがあります。

 自衛隊を否定する国民も、有事の際には自衛隊に守ってもらうのだろうな・・そしてさんざん悪態をつく批判的な人のためであっても国民である以上、隊員は尊い命を犠牲にしてでも守ろうとするのだろうな・・・

 そろそろ僕たち国民が、国家の安全に本気で取り組まねばならない時代が来たようです。

ヨーソロに感じた美学1

2006年10月30日 17時27分53秒 | Weblog
 海上自衛隊の観艦式に行ってまいりました。

 元海上自衛隊の総監の方と交流があり、光栄にもご招待を受けました。

 またこの観艦式は3年に1回だということもおうかがいし、人生は短いので何事も貴重な体験は積極的に参加すべし、が流儀なため、別段軍事オタクではありませんが、喜んで参加を決めました。

 それと僕は学生時代にヨット部でしたから、純粋に海や船にも興味があります。

 初めてなのでドキドキワクワクしながら早朝横須賀に向かい、昼食持参で乗り込んだ船は「てんりゅう」という訓練支援艦でした。

 ミサイルを想定したオレンジの蛍光色も鮮やかなラジコン機を打ち落とす訓練を行うために、そのラジコン機を飛ばして操作する艦でした。

 2時間ほど洋上を航海し、観閲を行う海上に向かいます。

 出航に当たって(船は出港が最も気を使う)は、緊張感漂うブリッジ(艦橋=運転室?)に上がりこんで、操船を解説付きで見ることができました。

 護衛艦(他国では駆逐艦のこと)やイージス艦をはじめ40隻くらいの軍艦と、P-3C哨戒機、ヘリコプター等が一同に介し、総理が観閲するのを拝見するのですが、言ってみれば海上のパレードであり、そりゃもう大変勇壮な景観でした。

 護衛艦が大砲を撃ったり、ヘリが艦上から離発着したり、海上に飛行機が離発着したり、P-3Cが爆撃したり、潜水艦が緊急浮上したり・・・。

 僕のような軍事素人でも心を動かされる風景でした。

 そして自衛隊の方はみなさんとても親切でした。

 艦尾には自衛艦旗が誇らしげにひるがえっておりましたが、軍事アレルギーの方にはこれすら許されないのだろうな・・・と複雑な思いがしました。

B級の裏側の美4

2006年10月27日 21時39分21秒 | Weblog
 ゆる~く、ね。

 昨日、日ハムが優勝してしまいました・・・しかしどう喜んだらいいのか忘れてしまった。

 前回大沢親分のときに優勝したのが、僕が高校生のとき・・あの時は日本シリーズでホワイトと江川、西本にやられたっけ。

 それはそうと昨日の、以前洗練された悪趣味のコーナーで誉めた、新庄の涙の空振り三球三振にはこっちももらい泣き、泣けに泣けました。

 それこそ万年超B級だった日ハムが・・・大社(おおこそ)オーナー、やりましたぜ。

 大好きだった島田誠が、柏原が、古屋が、木田、工藤、間柴、高橋一三、江夏、大宮、ソレイタ、クルーズ、西崎、そして今回胴上げされたコユキ・・・走馬灯のように。

 オレンジ色のヘルメットやガラガラの後楽園に東京ドームは今は昔・・・。

 レッズも今でこそ一流ですが、当初はJのお荷物、サポーターは消火器もって大暴れの超B級・・・。

 スター軍団ヴェルディには相当なめられたもんですが・・・。



 僕は子供の頃から漫画好き、小説好き、アニメ好き・・・。

 別段アニメにハマり、アキバ族なわけではありませんが・・・。

 子供の頃のアニメは、レベルも低く、その中でB級ものがたくさんあり、どうやらそこでB級好きが研鑽されたのかなあ。

 例えば「花のぴゅんぴゅん丸」。

 原作がなんと、あの「恐怖新聞」のA級つのだじろう先生です。

 これはかの財津一郎氏がキビシ~!って歌っていましたからねえ・・・。

 ちび丸の泣き声やケメ子のキャラは立ちすぎでした。

 所長のひげはそろばんはじきますから。

 少々イッちゃってた赤塚不二夫先生のB級キャラもゆるゆるでしたよね、は~ぽっくんぽっくんぽっくんなぁ~に、べしだべしって。

 「怪獣王ターガン」のゆるキャラ!ヒューヒュー&ポーポーや、珍獣タングローも忘れられません。

 アメリカもののアニメも、あの頃はおおざっぱさがなんともB級で。

 「大魔王シャザーン」っていうのもあって、これがまた、出て来いシャザーン!!ってのがね。何だかね。

 マイト、コイル、フリーが登場する「スーパースリー」ってのも、「チキチキ マシーン」に負けず劣らずゆるかった。

 そういえば、さいとう・たかを氏の「バロムワン」だの、ダイバ・ダッタと死ね死ね団の「レインボーマン」なんて番組も、今思うと相当ゆるゆるでおかしいですよね。

 あのくたら さんみゃく さんぼだい

 こういうゆる~いキャラにはテレビ東京も注目しています。

 ゆるきゃらってものは鉄則があって、最初からゆる狙いでは、やらしくてだめなんですよ。

 本人は精一杯真面目にやっているんだけれども、なんともゆるい・・という大原則があります。

 みなさまもまわりの「ゆる~い」を見つけてください。

 ストレスフルな毎日で、少しだけほっとできます。

 今回はとってもB級なネタで申し訳ございませんでした。

B級の裏側の美3

2006年10月26日 10時49分53秒 | Weblog
 このテーマではゆる~く行ってます。

 草薙さんとユースケさんの番組もB級路線(草薙画伯のイラストは抱腹絶倒)、ダウンタウンのガキつかもその路線ですよね。

 それと以前、NHK FMの「サウンドストリート」という番組があって、このブログでも前に紹介した偏執的ロック伝道者で同人誌「ロッキンオン」の編集長の渋谷陽一という奇異な人物が、「著作権料をよこせ!リクエスト大会」というのをたまにやっていたのですが、これも最高に笑えました。

 ストレートなものではなく、超マニアックなサブカルもんでした。

 だいたい「ロッキンオン」自体、低予算のためアーティストの架空対談なんて企画でしたからね・・・架空って何?架空ですよ・・

 疑惑が有名な日本のバンド、○’○さんは、有名楽曲との酷似がたくさんあります。

 それ専門の特集HPまであるとか・・・

 なかでも「Bad communication」とツェッペリンの「Trampled Underfoot」はリフがまったく同じなので、日本語のほうを街なかで耳にしたときにぎょっとしてしまいました。

 ほかにもpurpleやBon joviのものやら・・・あんなにも正々堂々とパクっちゃって、いくら日本だからって公然と、しかもミリオンで売っても大丈夫なのでしょうか?

 ギャグやパロディ・・・ではないんですよね・・・、きっと・・・著作権にはうるさいアメリカから訴えられないものなのでしょうか?

 しかしそれが国内で一番売れてしまうという、日本の悲しき浅い文化には自嘲的に笑うしかありませんが・・・やはり日本もアジアなのです・・。


 ところがその「著作権料をよこせコーナー」で取り上げるのは、すごいんですよ。

 例えば尾崎の「卒業」と、なんと石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」が似てるというのですよ。

 どこが似ているかというと、「字数が多い所」だって。

 「校舎の影、芝生の上、吸い込まれる空」と「上野発の夜行列車、降りたときから」ですよ、確かに・・似てます、ある意味・・・。3連符が続くところがね。

 爆笑でしょ。

 またデビッド・ボウイが日本の北島三郎の「与作」を盗作したとか。

 しないから。しかも聴かないし、いくらボウイが親日家でもまさか日本の「さぶちゃん」を知らないから。

 あのコーナーをもう一度聴きたいなあ・・!!

B級の裏側の美2

2006年10月25日 13時01分16秒 | Weblog
 B級やサブカルものの楽しみ方は色々あると思います。

 A級の敷居の高さや、A級のある程度の知識・教養の必要性を嫌う方もいらっしゃるでしょう・・・この場合は純粋に大衆文化、広義なサブカルチャーと言えます。

 僕が好きなのは、

①A級を知った大人がパロディを含め、あえて馬鹿馬鹿しさを追求したり、くだらな過ぎて逆に笑ってしまうものを求めたり、あえて適当さ加減を押し出しつつ肩の力が抜けたシュールさがウケる場合

②本人たちはいたって真面目に一生懸命なのですが、悲しいかなB級さが際立ってしまい、逆に一生懸命さとB級ぶりのギャップが面白い場合

③求めているのがあまりにマイナーでマニアックだが、自分の趣味に合致している場合

 大衆文化的サブカルチャーではなく、そういったあくまでマニアックでディープでチープな狭義のサブカルさです。

 また立派過ぎて偉いものよりも、B級でマイナーですけど、自分の趣味にハマるものを見つけたときのうれしさってものもありますでしょ。

 映画でもあるでしょ?「カプリコン1」とか・・「オルカ」との2本立てだったし。

 それには自分の好みがはっきりしないとハマりもしないので、A級ものを含め日夜鍛錬が必要になります。

 テレビで言うと「タモリ倶楽部」。

 20年以上続きますか・・、息長いですよね。

 ある意味、タモリさんの人柄や芸風が一番光る番組です。

 僕も制作会社のハウフルスと一緒に仕事をしたこともあります。

 この番組は「タモリ倶楽部-FOR THE SOPHISTICATED PEOPLE」ですから、SOPHISTICATED、つまりこれを理解する洗練さが要求され、同時にSOPHISTICATEDは純粋さを失ったという意味もあり、なんだか妙に納得・・・。

 ソラミミスト安斎 肇の「空耳アワー」なんか、あまりのばかばかしさに泣けますでしょ。

 安斎氏があまりに遅刻するので、コーナーがお説教だけで終わったこともあります。

 東京トワイライトゾーンも良かったし、左官屋さんやハンダづけや壁塗りなどの職人業に挑戦するコーナーも良かったし、番組内の社歌コンクールで優勝した「日本ブレイク工業」の社歌がオリコンにランクされたり・・・。

 当然「みうら じゅん」氏もこの番組にからみます。

 低予算のためか、それも仕込みなのでしょう本当は、スタジオではなくほとんどがロケ、しかも超いい塩梅・・・大人のジョークをよく心得た番組です。

 また狙いは完全にB級ネタなんですが、一応取り組みは真面目に極めるってところも首尾一貫しております。

 ちょっと女性や若者にはウケないかもしれません。

 大人の男性が一人深夜「クックック・・」とほくそ笑む番組でしょう。

B級の裏側の美1

2006年10月24日 12時55分45秒 | Weblog
 今回は気合を抜いて、ゆる~く・・

 物事というのはA級のほうが優れているに決まっております。

 だからこそA級なわけです。

 ですが世の中、四角四面ばかりでは窮屈で気が抜けません。

 そもそも人間は誰しも不完全ですから、そのように感じるものなのでしょう。

 B級しか知らない、B級で満足してしまいA級を目指さない、というと問題かもしれませんが、A級を知った上でのB級の裏側に潜む美を堪能する、というのも粋なものです。

 文化とは本来、知識・教養を必要とする『ハイカルチャー』でした。

 また『サブカルチャー』とは、元々はマイノリティの「オタク」的な意味あいなのですが、最近は『ハイカルチャー』の対を成す、大衆文化を広く指すようになりました。

 ビートルズが世界を席巻してからでしょうか、その大衆的『サブカルチャー』が『ハイカルチャー』をしのぎ、メインカルチャーとして君臨しております。

 その本来のオタク的マイノリティであるB級サブカルチャーの達人として、常々僕がすごいなと思っているのが「みうら じゅん」さん。

 「いとう せいこう」さんと並んで、なぜお二人とも平仮名なんでしょう・・?

 そもそも昔三宅祐司さん司会の、「いかすバンド天国」通称「イカ天」という、とて~もディープな番組がありました。

 僕のようなB級フリーク・ロックオタクにこの番組のサブカルさはたまらないものでした。

 まずはバンド名からして相当ウィットが必要で、「池田貴族」や「人間椅子」、「BLANKY JET CITY」、「宮尾すすむと日本の社長」「ジョリーロジャー」等、ある程度の素養とセンス、B級への理解が問われる厳しいものでした。

 そんな中、「大島 渚」というバンドを組んでいたのが、この「みうら じゅん」氏です・・・バンド名を聞いただけでも、かなりのセンスで笑ってしまいます。

 それには大島 渚氏の偉業と才能、作品、そしてあの天才なんだけれど品がないキャラを知らなければ到底笑えませんので、B級ものの天才ぶりの片鱗がうかがえます。

 BEGINやJITTERIN'JINN 、カブキロックス、マルコシアス・バンプもイカ天出身です。

 ちなみに、救急車のサイレン音が近づくにつれ高くなる物理学的事象を「フェーン現象!」と答えたとってもファンキーな僕の同僚が、イカ天の有名バンド「たま」の『ピテカントロプスになる日もぉ~』を「シナントロプス ペキネーシス」や「ピテカントロプス エレクトス」のような学術名様に「ピテカントロプス ニナルヒモ」だと信じ込んでいた、というハイセンスを思い出しました。

 「重い、コンダラ」級のアッパレ度

 そういえば今朝もテレビで「竜頭蛇尾」を「じゃお?」って、女性タレントのハイブローな読みに笑いが止まらなくなりました・・・確かに

 その「みうら じゅん」氏は、『まいぶーむ』という言葉の生みの親ですが、他にも「いやげもの」=嫌なお土産、「ゆるキャラ」=ゆる~いキャラクター・・等々、B級ものサブカルものを扱わせたら右に出るものはおりません。

 最近は仏像にも凝っているようですが・・・解説をぜひ聞きたい。

 そして最近その「ゆる~い」とか「ゆるキャラ」ってのを、12チャンネルで見て笑いました。

荘厳なるアラブの美

2006年10月22日 23時07分51秒 | Weblog
 本日は特に目的もなく、明確な主題もなく、だらだらで・・・。

 走水神社から浦賀水道を眺めるとこんな具合・・



 岩波新書の「メッカ-聖地の素顔-」野町和嘉著という本を手に入れました。

 これだけカラー写真があって、1,000円というのは信じられない価格です。

 さすがは岩波新書、採算は度外視なのでしょうか・・?

 イスラムは偶像崇拝が禁止されており、またサウジアラビアは観光ビザも発給しておりませんので、イスラムの巡礼を偶像崇拝につながる写真で見るなどという機会はめったに与えられません。

 野町氏はイスラムに改宗して、美しい写真を撮りあげたのです。

 素晴らしい信念と、覚悟。

 それにしても100万人~200万人もの信徒を集める、メッカの聖モスクとメディナの預言者モスクの美しさは素晴らしい・・・。

 夕闇に照らし出されるミナレットと呼ばれる、美しすぎる塔にはため息しか出ません。

 航空機のジェットエンジンを使用しているという、高さが260mにものぼるという信じがたい噴水・・・

 ムスリムによる一日5回の祈りは、メッカのカアバに向かって捧げられます。

 カアバは立方体を意味し、世界創始以来はじめてアッラーに奉納されたという、美しい刺繍が施されたキスワと呼ばれる黒い布に覆われた、文字通り立方体のイスラム最高の聖殿です。

 ムハマンドに神の啓示が下されたことを祝するライラトル・カドル(召命の夜)と呼ばれる日の礼拝に、その信徒100万人が一同に会し、カアバを中心に同心円に整然と並ぶ人、人、人・・想像を絶するエネルギー・・・

 タワーフと呼ばれるカアバ(黒い布で覆われた四角い神殿)を反時計回りに7周する巡回の迫力・・

 本にも書いてありますが、まさにイスラムの宇宙がそこには存在します。

 これこそが石原都知事のよく言う、千夜一夜物語とハリウッドの差というものです・・・

 行った事もないアラブに憧憬と敬意を表しながら、ぼんやりとその写真を眺めつつ・・・

 今年はわが愛してやまない浦和レッズがこのまま行けば・・・

 30年以上応援している日本ハムファイターズとW優勝・・?

 なんだか・・・いいのでしょうか??

 このところの気合の入ったテーマからほっと脱力し、とりとめもなく思いを逡巡させております・・・

 このブログを応援してくださっているみなさま、この本は「買い」です。

美しき穂の国-18

2006年10月21日 22時45分50秒 | Weblog
 走水神社内にあったオトタチバナヒメのレリーフです。


 お断りいたしますが僕はこの国もそして日本神話も愛しており、神々をおとしめるつもりは毛頭ございませんが・・・これらの神話をディズニーやギリシャ神話のように、わかりやすく美しく面白くアレンジして、アニメや漫画で広報してはばちが当たるでしょうか?

 確かに「古事記」なんて、なんだか学校の国語の古典の授業みたいだし、名前が漢字だらけでとっつきにくいし、かといって解説書も難しすぎるし、HPなんかを調べたって難解で読む気力が萎えますよね、はっきり言って。

 もっと言えば、ちょっとやりすぎで不謹慎かもしれませんが、例えば神話の登場人物をキャラクター化して、ディズニーランドに負けない遊園地を作ったっていいし、グッズを販売したっていいと思うし、もっともっと国民にPRできないものでしょうか?

 少しくらい脚色したって、そもそもが脚色された物語や史記なので、大目に見ていただいて。

 「ゴーゴー戦隊タカマガハラ」なんて調子に乗りすぎでしょうか?

 愛宕神社のカグツチは火を操り、ただしコノハナサクヤビメの火力には及ばないとか、スサノヲの天叢雲は天下無敵だが、ヤマトタケルの草薙の剣には負けるとか、ヤマサチの潜水能力VSワダツミの怒り、アマテラスの太陽と鏡を操るビームが最強だとか、子供受けするようにしたっていいじゃないですか・・・。

 JRとご当地の温泉旅館企画で、全国の主要神社めぐりの「神話と歩むスタンプラリー制度」でブランド物の時計をプレゼント!なんかも面白いし・・・。

 民放のゴールデンタイムに、キムタクや竹野内 豊主演で、しかも堅苦しくなりすぎないように「やまとたける物語」だとか・・・。

 アニメでも実写版でも、たとえば物語ごとに主役を入れ替えて、イザナギ・イザナミ物語やアマテラス物語、スサノオ物語、オホクニヌシ物語、ニニギ物語、ホヲリ物語とつないでいったり・・・

 しかも世界にも広めるために、神話の英語版もつくって海外に輸出したり、ハリウッドで映画化を依頼したり・・・

 トム・クルーズとジョニー・デップの「ウミサチ・ヤマサチ物語」やロバート・デ・ニーロの「オホクニヌシ物語」な~んて。

 「リア王」に「乱」のごとく、黒澤監督がいてくれればなあ・・・。

 神道の神主さんたちも、例えば結婚式やお祝い事のとき、一定の決まりはあるでしょうけれども、現代日本人が聞いても分かるような現代語による祝詞(のりと)にしていただいたり、あるいはお祀りする神様の名前も漢字ではなく、もっと分かりやすい表現にしていただいたり・・・

 権威・形式も大切だとは思いますが、信仰心の薄らいできている今日、広く庶民に広めることのほうが大切だと柔軟に考えるわけにはまいらないものでしょうか?

 せっかく八百万も神様がいらっしゃるのに、10~20代の若者に日本の神様とディズニーキャラクターの名前を一体何人挙げられるか、お聞きになられて比較してみてください。

 一方で権威や正統性の保存も行いつつ、他方でより柔軟に簡単に楽しく夢のある、庶民が参加しやすいものに歩み寄る姿勢も必要じゃないのかなあ・・・。

 元来神々は陽気で鷹揚で、言ってみればラテン的資質を持っていらっしゃると感じるのは僕だけではないでしょう・・・お許しになられますよ、きっと。

 以前にも主張しましたが、神社やお寺はもっと庶民のため、キリスト教の広報戦略を見習って、近隣住民のため敷地が解放されてしかるべきであり、もっともっと国民にPRすることが急務です。


 国際情勢はなにやらきな臭い状況ですが、それとは別にみなさまが今まで以上に日本を好きになり、この国のオトナとして子どもたちに何を残し何を伝えるのか、そして日本について考える契機になっていただければ幸いに存じます。

-このテーマの終わり-

美しき穂の国-17

2006年10月20日 21時39分49秒 | Weblog
 横須賀に行く用事があったので、「走水神社」に行って参りました。

 観音崎に向かい、防衛大学の手前にありましたが、一本奥まった道沿いで少々わかりにくい場所でした。

 小さな小さなお社でしたが、いにしえのロマンスに触れることができました。

 小高いお社に続く石段からは、浦賀水道と遠く上総(かずさ)の国を望むことができ、はるか古代にタイムスリップすることができました。



 さて今回は古事記をもとに、僕が学生時代を過ごした「出雲」と「日本武尊」を中心に、神話に彩られた美しき瑞穂の国を旅してきました。

 いかがでしたでしょうか?

 これらの神話を学校で教えることが、果たして特定の宗教に肩入れすることになると思いますか?

 古事記にはむしろ宗教的な教えや律法、宗教的な規範などは書いておらず、教育者の方々が金科玉条のごとくそれほど目くじらを立てる必要があるのだろうか、と思ってしまうのですが・・・。

 現代の皇室はむしろ時代にふさわしく変わってきておりますし、日本で最も由緒あるお家柄を「象徴」として、神話とともにほほえましく温かに見守ることさえ許されないことでしょうか?

 そのときはそう考えられていた、だが今はこうだと事実をありのままに教え、この国の歴史を客観的に顧みればよいのではないでしょうか?

 以前にも書きましたが、自分の生まれ育った国の始まりの神話すら知らない国民が、本当はどれほど幸せなものなのでしょうか?

 始まりがあやふやなままで、自分のアイデンティティや健全な史観が育まれるのか、また国際舞台で真の活躍ができるのか、世界に通用する芸術が生まれるのか疑問に思います。

 何もかもがグローバルで国境がないというのは確かに理想かもは知れませんが、現実に文化というものがおよそ国単位で存在することは疑う余地はありません。

 きっと国民の大部分は教育者が心配されるようには思っておらず、あるいはむしろ日本の建国の神話を学びたいのだけれども、なんとなくとっつきにくいだけであり、国民にとってそれはそれ、これはこれ、と分けて考えることはいくらでも可能だと思うのです。

美しき穂の国-16

2006年10月19日 07時52分17秒 | Weblog
④ 白鳥伝説

 そして各地を平定したヤマトタケルはその後、草薙の剣を尾張のミヤズヒメに預けて以来健康を害し、伊勢の三重村に着く頃には足が三重に曲がってしまい、その地は三重に。

 現在の鈴鹿山脈地帯で息を引き取りました。

 作られた御陵から白鳥が舞い上がり、白鳥はまるでヤマトタケルの化身のように諸国を巡り、河内の国(大阪府羽曳野市)から天に向かって飛び去りました。

 父に疎まれ故郷に帰る事すら許されぬまま、そして何より望んだであろう父の愛情に決して満たされることもないまま、諸国をただひたすら父の命のまま平定し、愛する人を失い、ロマンスに包まれながら死んでいった英雄・・。



⑤ 国偲びの歌

 死に際して詠んだ国偲び(しのび)の歌がまた美しい。

     倭(やまと)は 国のまほろば
     たたなづく 青垣
     山隠れる(やまごもれる) 倭し 美し(うるはし)


 そして夭逝の天才、青木繁の「日本武尊」は確か上野の国立美術館に・・・。

http://www.gallerysugie.com/mtdocs/artlog/archives/000106.html

 未完成なのか、剣や手の描写、背景に物足りなさを感じます。

 しかし、一般に日本武尊というと勇ましく思いますが、彼の物語を知れば、絵の未完成さが逆にヤマトタケルにふさわしく、彼の心の寂しさとして伝わると書くと、いわゆる行間を読みすぎでしょうか・・・?

美しき穂の国-15

2006年10月18日 11時06分12秒 | Weblog
③ オトタチバナヒメとあづま

 この話は最もロマンティックで美しい・・・。

 焼津での危機をはじめ、いくつかの戦いに勝利して諸国を平定したヤマトタケルは続いて、神奈川県の三浦半島から対岸の千葉県は房総半島へ、海を渡ることになりました。

 ところが事を甘く見たヤマトタケルに対して海神が怒り、海を荒げるのです。

 東征はヤマトタケルにとっては天皇からの絶対の使命、父の愛情を願う彼にとってはなんとしてでも成し遂げねばならず、途中で頓挫することは許されません。

 思案するヤマトタケルをそばで気遣う一人の女性・・・

 焼津で出会い、焼け狂う火の手の中で運命をともにし、火中ヤマトタケルが想いをめぐらせた「オトタチバナヒメ」です。

 ヒメは愛するヤマトタケルのために決心し、自分が身代わりとなり、自らの命を海神に捧げ、海に身を投げることによって海神の怒りを鎮めたのです。

 愛するオトタチバナヒメの命と交換に、ヤマトタケルの船は水上を走るように渡る事ができたのです。

 ですから横須賀の先、「走水」(はしりみず)にある走水神社にはヤマトタケルノミコトとオトタチバナヒメノミコトが祀られております。

 一説には流れが速い海なので走水だというこですが・・・。

 房総の上総(かずさ)では勝利した戦いの後、ヤマトタケルはオトタチバナヒメを思い出して、にわかには立ち去ることができなかったために「君去らず」→木更津となったそうな・・・。

 その場所が木更津の太田山公園といわれており、きみさらずタワーがあるとのことです。

 「きみさらづ」という単語を初めて聞いたとき、君津と木更津をむりくりくっつけたのだと思ったら、そんな美しいいわれがあったとは・・・。

 千葉県の君津の南に富津(ふっつ)岬がありますが、その富津という名は当初僕は戦いの神「フツ神」に由来しているのかな、と思っておりましたが、実はオトタチバナヒメの袖が富津岬に流れ着き、「布流津(ふるつ)」から来ているとのことでした。

 袖ヶ浦もそういうことなのでしょう・・・。

 その後の戦いでも勝利を収めたヤマトタケルは神奈川県の足柄付近で東を見て、亡き愛妻タチバナヒメを偲(しの)び悲しんで、「吾妻(あづま)はや」(ああ我が妻よ・・)と嘆きました。

 それ以来「東」を「あづま(我が妻)」と呼ぶようになったそうです・・・。

 弟橘姫の衣を納めたのが木更津の吾妻神社、櫛(くし)を納めたのが富津の吾妻神社だということなので、横須賀の走水神社とともに、いずれ訪ねてみようと思っております。

美しき穂の国-14

2006年10月17日 11時08分41秒 | Weblog
② 天叢雲(あめのむらくも)と草薙の剣

 父の命令を守り、自らの命を賭してまで任務を遂行した、まだ幼きヤマトタケルに待ち受けていたのは、彼が一番欲した父、景行天皇のねぎらいや愛情ではなく、こんどは東征に行けという試練でした。

 ヤマトタケルはアマテラスを祀る伊勢神宮の叔母ヤマトヒメを訪ね、「父は私に死ねといっております」と涙ながらに訴えます。

 そこで叔母のヤマトヒメはヤマトタケルに天叢雲(あめのむらくも)、スサノオがヤマタノオロチを退治したとき尾から出てきたあの刀と、ある袋を授けます。

 東方征伐の途中、ヤマトタケルは敵にはめられて、誘い込まれた野原に火を放たれますが、天叢雲で自分の周りの<草を燃えないようになぎ払い>、袋に入っていた火打石を使って逆に火を放つことにより難を逃れたのです。

 そのためその地は静岡県の「焼津」となり、天叢雲の剣は草をなぎ倒したから「草薙の剣」・・・これが草薙の理由でした。

 以前ボヘミアングラスのコーナーで書いたとおり、この「草薙の剣」と天の岩戸で使われた「八咫鏡(やたのかがみ)」「八坂(尺)瓊勾玉(やさかにのまがたま)」が、皇位の証の三種の神器。

 アマテラスからニニギが降臨の際に授けられましたが、垂仁天皇が伊勢神宮に移設しました。

 その後、ヤマトタケルは尾張のミヤズヒメと結ばれ、草薙の剣をミヤズヒメに預けてさらなる戦いに赴き亡くなってしまいます。

 そのため草薙の剣は、愛知県の「熱田神宮」に祀られる事になりました。

 ちなみに八咫鏡は伊勢神宮に、八坂瓊勾玉は御所の中の、天皇の寝室の横に剣璽の間があり、そこに剣とともに安置されているとされております。

 以前このブログで不謹慎ながら、ぜひ一度三種の神器を拝見したいものだ、と書いたのを憶えておりますか?

美しき穂の国-13

2006年10月16日 10時56分50秒 | Weblog
 そしてそれら古事記の中で、やはりなんと言っても一番惹かれるのは「ヤマトタケル」ノミコト=「倭健命」、「日本武尊」でしょう。

 第12代、景行(けいこう)天皇の息子です。

 映画やアニメにもなっておりますし、みなさまの中にはすでにお詳しい方もいらっしゃると思います。

 しかし残念なことに研究者の間では、架空の人物とされる説が強いようです。

 いつも言っておりますが、ひたすら強いのだけれども心は繊細で脆い(もろい)、悲しみや宿命を背負った悲劇的要素の強い英雄ほど美しいものです。


 ヤマトタケルの伝説はたくさんありますが、要約すると

① 西征・東征での戦い

② 天叢雲(あめのむらくも)と草薙の剣

③ オトタチバナヒメとあづま

④ 白鳥伝説

⑤ 国偲びの歌

だと思われますので、これらを抜粋します。



① 西征・東征での戦い

 幼少名をヲウス(小碓)というヤマトタケルは、父の景行(けいこう)天皇から、ヲウスの兄を「ねんごろに教え諭す」ようことづかります。

 彼なりに彼にとってのねんごろ、なんと兄の手足をもぎとって薦(こも=むしろ)に包んで投げ捨ててしまいます。

 当時は継承のため子が親を殺したり、あるいはその逆であったり、あったことでしょう・・・天皇である父はヲウスの気性の荒さを恐れて、自分から遠ざけるために、ヲウスに西征・東征を命じるのです。

 まだまだあどけないヤマトタケルは、まず九州は熊本の熊襲(くまそ)兄弟を祝宴に女装して潜入し殺害、絶命寸前のクマソタケル弟から「ヤマトタケル」の称号を贈られます。

 その手口はさながら映画のようです。

 その帰路、出雲ではイズモタケルに対し、友好を装いながら偽刀を交換して、剣の鍛錬を挑む、というあざとい作戦で討ってしまいます。

 そうしてヤマトタケルは九州ばかりか出雲まで平定して大和に凱旋するのです。

美しき穂の国-12

2006年10月15日 09時29分09秒 | Weblog
 青木 繁氏の「大穴牟知命」は、オホクニヌシが兄弟の八十神に命を狙われて、瀕死の重傷を負い、オホクニヌシの母神に遣わされた女神が手当てをしているシーンです。

 萬鉄五郎氏や藤島武二氏は僕のような素人にはわかりづらく、この「わだつみ」は黒田清輝氏の作品とともに僕には好みの画風です。

 それにしてもこの「わだつみいろこの宮」という絵はご存知であっても、このタイトルは一体どこで切れ、どういう意味なのだろう?って思いませんか?

 まだ「わだつみ」の意味がわかっていればましな方ですが、当初僕はわだつみの意味も知りませんでしたので、「輪だ、罪、色子の宮?」→色子は男色ってことだから、なんだか訳が解らないけれどやばいってこと??

 「わだつみ、色、この宮」「わだつみ色、この宮」「わだつみ色、子の宮」・・??


 正解は「海、魚鱗の宮」、つまり「わだつみ(海)の、うろこの宮」です。



 さて、一方勝利した弟の山幸彦、つまりホオリの命の孫が「神倭伊波礼毘古(カムヤマトイワレビコ)の命」、つまり「神武天皇」となり、ここからは主役が神から天皇へと移ってまいります。

 神武天皇が日向(宮崎の美々津)から東征に出発し、途中道案内をするのが、日本サッカー協会で有名な八咫烏(やたがらす)です。

 諸国を平定して畝火(うねび)の橿原(かしはら=奈良県)の宮で天下を治め、初代天皇が誕生するのです。

 その先は代々天皇の逸話や歌が記録されているわけですが・・・。

 古事記はそもそも政治的意図に基づく、朝廷の血統の正統性をあとづけで記した書ですから、137歳で崩御したとされる、神武天皇自身の存在も疑われてはおります。



 書こう書こうと思っていたら、昨日の産経新聞に先を越されてしまいましたが、最近景気が持ち直して、よく「いざなぎ景気」に並んだとか超えた、と耳にしませんか?

 これはそもそも「神武景気」というのがありまして、神武天皇が即位して以来例を見ない好景気(つまり日本の歴史上最大の好景気)、ということで1955~1957年までの好景気をこう呼びました。

 さらに1958~1961年までの好景気を今度は「岩戸景気」、つまり「神武景気」を上回るのであれば、いやいやこれはアマテラスが岩屋戸に隠れて以来の景気だと・・・

 そして1965~1970年までの5年間はさらに「神武景気」や「岩戸景気」を上回るとして「いざなぎ景気」と名づけられたそうです。

 超えたからといって前にさかのぼるのもおかしな話ですが、前例に従って今回の好景気が「いざなぎ」を上回るとすれば、「あめのみなかぬし景気」とでも名付けられるのでしょうか??

 神武景気の次の岩戸景気をせめて「山幸景気」とか、「オホクニヌシ景気」にすれば、まだまだ使えたのに、よりによって「いざなぎ景気」を使ってしまえばそれを超えるのは容易ではないことが、ここの閲覧者のみなさまならもうおわかりですよね。

美しき穂の国-11

2006年10月14日 06時17分05秒 | Weblog
 わだつみつながりで、大阪の住吉大社も海神を祀ります。

 ちなみに住吉様の住吉「三神」は、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)のことですが、この「筒」とは星を意味するらしく、実はオリオン座を意味するのではないかと言われております。

 オリオン座は航海の際、重要な目印になるので、真ん中の3つが神格化されたのではないか、とまるでエジプト神話かギリシャ神話のようにロマンティックな説があるのです。


 さてさて「海幸山幸物語」ですが、結局、針を手に入れ陸に戻った弟の山幸彦が、兄である海幸彦に勝利します。

 弟の山幸彦が大和朝廷の祖、兄の海幸彦は朝廷を守る隼人(はやと)となります。

 これは薩摩隼人(さつまはやと)族が呪術集団で、朝廷にとって必要であったために、朝廷側は隼人が天皇と兄弟関係であることを主張して、持ち上げつつも服従させたかったという背景が指摘されております。



 一方、明治後期、日本画壇に彗星のごとく登場し、「夭逝の天才」と言われる「青木 繁」氏がおります。

 夭逝とは、ようせい=若くして亡くなる事です。

 彼は黒田清輝に学び、「海の幸」で注目され夏目漱石に「天才だ」と絶賛されます。

 天才は「わだつみのいろこの宮」という、山幸彦と豊玉姫を描いた渾身の絵が、コンクールで不本意な成績であったことに抗議して、なんと日本美術界を追放されてしまいました。

 彼の息子の名前も「幸彦」・・・。

 他にも代表作の「黄泉比良坂」(よもつひらさか)、「大穴牟知命」(おおなむちのみこと=オホクニヌシの幼名)、「日本武尊」(やまとたける)・・・彼はこの国の神話の世界、特に「海幸彦」に何かを感じていたのでしょうか?

 失意と困窮の中、天才は28歳で夭逝しました。

 「海の幸」「わだつみのいろこの宮」「大穴牟知命」は彼の出身地の久留米の石橋美術館にあります。

http://www.ishibashi-museum.gr.jp/collections/a.html

 「わだつみのいろこの宮」での大胆な構図と海の中という発想、着衣の透ける様の表現力、幻想的で神々しい画力・・・。